撃たれた、と藤宮が気付くのに時間を要したのは無理もなかった。
倒れた時、したたかに頭部を打った藤宮の視界は明順応のごとく、ちかちかと花火を散らしている。
それは銃を持った敵を前にして致命的な隙になっただろう。
「走って!」
しかし、まともに動く頭を取り戻すより先に手を引かれ、無理やり身体を引き起こされる。
足をもつれさせながらも、辛うじて藤宮は走り出すことに成功する。
混乱する頭の中、背後から聞こえる足音に追いつかれたら終わりだという事は、少なくとも理解出来た。
(撃たれた?いや、身体に出血は無い?なら何故あの時倒れて……?)
走りながら藤宮は必死に状況判断を急ぐ。
追っ手の数は三人。全員が消音機付きの拳銃を手にしており、それが断続的に藤宮達に向けて火を噴いている。
今、走っているこの道は左側が大規模な工場になっていた。突き当りのT字路までは長いフェンスが続く100m程の一本道になっており、射線を切る遮蔽物も見当たらない。
しかし、突き当りを右に曲がればある程度入り組んだ道が続いてる事を彼は記憶していた。
それを利用して敵を撒く為に、二人は体力温存など度外視でこの一本道を駆けていく。
数日の間寝たきりだった藤宮にはこの全力疾走は辛く、今にも肺がはち切れんばかりだが、脚だけはその速度を緩めることなく前に運ぶ。
そして藤宮達は、辛くも突き当りの前に差し掛かる。
そこでなぜか、藤宮のすぐ横を走っていた刀奈は一瞬ペースを上げ前に出た。
「だめ!こっちからも来てる!」
先に角を右に曲がった刀奈はすぐに敵の存在に気づき、そのまま後ろの藤宮の腕を強引に引っ張って方向転換させる。
当然、藤宮は急激な逆方向の張力でよろける事になる。
しかし、刀奈はその体制の崩れた藤宮にほとんど体当たりする形で無理やり支える。
その結果、二人は大きな隙も晒さず逃走を再開した。
一瞬、何が起こったのか分からず、藤宮は惚けた顔で刀奈の方に目をやる。
彼女は相変わらず涼しい顔で入っているが、一連の動きは明らかに要人警護の経験がある者のそれだった。
刀奈の底の知れなさに気を取られる彼だったが、違和感に気付く。
先程、刀奈は自分を引っ張る際に腕を掴んだ。そしてその掴まれた部分に感じる僅かな湿り気。
嫌な予感がする彼は、横を走る刀奈に恐る恐る目を向け、そして彼女の手から滴り落ちる血に気付く。
「……当たったのか?」
「平気よ!飛び込んだ時に掠っただけ!それより早く!」
最初、飛び込んだ時というのがいつの事なのか藤宮には分からなかった。
しかし徐々に正常に機能し始めた頭は、曇りがかった直近の出来事に精彩さを取り戻す。
藤宮はそこでようやく、最初の銃撃時に彼女が自分を押し倒して、銃撃からかばった事に気付く。
つまりは刀奈がいなければ、初めの一撃で藤宮はあえなく死んでいたという事だった。
「……」
今走ってるのは、先程まで横に続いていた工場の正面側になっており、さらに長い一本道が続いている。
T字路を右折しようとしてた理由も、ここを通らない為だった。
藤宮は自分の腕に付いた、彼女の血に呆然と目をやる。
黒いシャツの為分かりずらいが、肌で感じるべったりとこびりついたその量は、深手ではないにせよ弾丸が当たったことを意味していた。
沸き立つ悔恨で萎えそうになる心を奮い立たせ、彼は一つの決意をする。
(やはり、これが最善か)
彼はさりげなく、横を走っている刀奈の後ろに回る。
そんな藤宮に気付いた刀奈は、彼が疲れてペースダウンしたのかと思ったが、決してそうではない。
別段、息が上がった様子でも無い藤宮に、刀奈は訝しむ。
ただ漫然とした行動ではない。
それは刀奈を射線から守るべく、自らの身体を肉の壁にするため。
藤宮の決意とは即ち、刀奈だけを逃がす事だった。
この街の地図を見た時、彼はあらゆる襲撃パターンを予測して計画を立てていた。
各危険個所の有無、逃げ込めそうな建物、使えそうな道具、生き残る方法を何通りも頭の中で組み立てていき、それらを「誰かを巻き添えにする一定以上の確率」というフィルターにかけた時、この方法はすんなりと出てきていたのだ。
(俺が立ち止まって囮になれば、少しは隙が出来るはず……。それに必要なのは度胸ではなくクレバーな考え方だ。俺が死ぬことでこいつだけでも逃げ切れる、それがこの場での最善だ)
自分の生命に対して冷酷になる準備を頭の中で反芻する。明らかに、走っている事だけが原因じゃない動悸が藤宮を襲っていた。
(死ぬことなんて大した事じゃない。0よりも1を取るだけの数字的な話だ。冷静になれ……)
藤宮は一度大きく息を吸い、鼓動を整える。
彼は無理やり、覚悟は出来たと自分に言い聞かせた。
(体当たりでもすれば、より効果的か?なら相手との距離を見計らって、なるべく唐突に、いや、本当にこれで――)
「あまり思い切ったことはしないでね、藤宮君」
藤宮が顔を上げると、前を走る刀奈と目が合う。自分を責めるようなその視線に、彼の中で熱くなっていた何が急激に冷めていく。
「……何のことだ?」
「いいえ、気のせいならいいのよ。なんだか今、ひどく侮辱された気がしたから」
そう言って刀奈はにっこりと笑う。その微笑みには明らかに怒りと皮肉の両方が込められていた。
彼女が藤宮の考えを見通していることは明らかだった。しかしそれを分かっていて、なお自分を止めた刀奈に彼は反発する。
「分かるだろ、被害を確実に出さないためにはこうするのが最善だ。お前だってこんなことの為に死ぬことはないんだぞ!」
「相手の方ちゃんと観察してる?」
言われて藤宮は後方に目を向ける。しかし、追っ手は変わりなく藤宮達を追い続けており、刀奈が何を伝えようとしているのか彼には理解できなかった。
「分からないかしら?あの人達はね意図的に弾丸を外してるの」
刀奈の言葉に、藤宮は一瞬目を丸くする。
また冗談でも言い出したのかと思うも、彼女はいたって真面目な様子だった。
「……何故そう言い切れる?」
「さっきから着弾してるのは足元や外壁ばかり。銃の構え方を見ても、当てる気が無いのが良く分かるわ」
無論藤宮には、この極限状態で相手の構え方を見てる余裕など無い。しかし、ここまで直線的な道で一発も当たらないのは、たしかに不自然だと藤宮も気づく。
(いや……そうじゃないだろ)
刀奈の言い分に納得しかけた藤宮だったが、すぐに思い直す。
確かに彼女の考えの通りなら、この場を乗り切る事は可能だろう。
しかし、その考えには明らかな穴があるのだ。
埋めずに進めば、最悪の場合共倒れになるであろう大きな穴。
だが、それに気づいた藤宮は同時に違和感を覚える。
これまで見てきた刀奈の状況判断能力を考えると、こんな明らかなリスクを見逃すとは思えなかったのだ。
ならば必然的に、彼女が分かっていてこんな策を提示してきたことになる。
何故?と彼は考えをめぐらした。
これまでの刀奈の行動、表情、言葉、声音などの全てが早送りされた動画のように藤宮の中で再生されていく。
やがてそれらを全て見直した時、彼は観念したかのように1つの結論にたどり着いた。
(前提が、間違っていたのか……)
「恐らく、向こうはここで私達を仕留めるつもりはないみたいね。どこか人気から離れた所に追い込んで、それから……ってところかしら」
「……なら、さっきのような回り込んでくる別働隊が出てくる。どこかでそれを突破する必要があるな」
「あら?調子戻ってきたじゃない」
そう言っていやらしい目線を向けてくる刀奈を彼は無視する。
だがそれは、これまでのような追い詰められた余裕の無さによるものではない。
反応が無い事が満足だったらしく、彼女は話を続ける。
「安心してちょうだい、最終的に追い込まれるポイントはいくつか予想出来てる。そこまでにいくつか
「仕込みだと?」
刀奈は意味ありげな笑みを浮かべ、ブレスレット端末を指で弾いて見せた。
「まぁ、そこは見てからのお楽しみって事にしておくわ」
「どこまでも秘密主義な女だ」
「あまり余裕気にされて感づかれるのも嫌だしね、目標が焦ってくれてた方が追う側も油断するものよ」
それ以上、刀奈に問い詰めることを藤宮はしなかった。
敵がわざと弾を外しているという刀奈の考えは、結局のところは相手の考え次第という危険極まりない判断に違いない。
実際にそうだったから良かったものの、読みが外れてこの場で撃ち殺されることも充分にありえた。
(けど、こいつはそれを分かってて俺を止めた……)
藤宮は刀奈に向ける。
刀奈は涼しい顔で彼の隣を走っている。
それは
「……」
一度刀奈と目が合い、彼女は不思議そうな顔をするが、藤宮は何も言わず視線を前に向ける。
藤宮は最初に銃撃される前、一つ思ったことがあった。
敵か味方か分からない、信用の出来ないからではなく、ただ刀奈という人間が知りたくなった。
自分が何故そう思ったのか、彼は今になって分かった気がした。
――全ての危険が予測して回避出来るなら、世の中の失敗や犠牲なんてものは全て本当は必要の無い、無駄な物だったってことにならない?――
そう言った刀奈の目を思い出す。
彼にはもう刀奈への不信は無い。
(食えない女だが敵ではない、今はそれでいい。……あぁ、だけど)
二人は無事に直線を走り抜け、十字路を曲がる。曲がらなかった方の道にはどちらも連中の仲間らしき人影があり、やはり刀奈の読みは正しかったことが証明された。
藤宮は彼女に見られないように、薄く笑った。
(こんな奴もいるんだな)
第八話読んでいただきありがとうございます。
前回、色んな理由をつけて難産とか言ってましたが、それ以上に時間をかけてしまいましたね。
日々、理想の文章と自分の実力との折り合いというか葛藤を続けて時間が過ぎていきます。
第九話はもう少し早く書かねば!