電脳空間へと転送されていく梨々香の意識は解けて、新たに再構成されようとしていた。
ダイバーギアに何のガンプラも読み込ませずにログインした場合は、ゲストとして「機動戦士ガンダム」に登場するマスコットロボ、「ハロ」のアバターをあてがわれるのが恒例となっているがそこはそれ、今回、梨々香はEG……エントリーグレードの初代ガンダムをマツムラ店長から借り受けていたために、本登録をしなければならないのだ。
無数のパーツや装飾品の中から、なりたい自分を選んでくださいとばかりにアナウンスされる声に戸惑いながらも、梨々香は恐る恐るといった調子でパネルの一つに、人差し指でそっと触れる。
「わ、すごい……!」
すると、現実の容姿と殆ど変わらない形で構成された初期アバターが持ち合わせていた鳶色の目が蒼く染まっていく。
持ち合わせた容姿にコンプレックスがあるわけではない。
ただ、GBNにおけるキャラメイクの範囲は極めて広く、例えば先程梨々香がデフォルトのまま設定した碧眼だって、細かくカラーチャートをいじることで色合いを広く変えることができるのだ。
だからこそ、梨々香がある種のめり込んでいたのは、必然だといえよう。
現実だと薄茶色といった風情の髪の毛の色合いを濃くして、着ている服も、学生服のようなブレザーにプリーツスカートというものに変更し、と、アバターのキャラメイクをするだけで、梨々香は実に小一時間近く、時間を費やしていた。
その甲斐もあってか、最終的に「このアバターでゲームを始めますか?」と機械音声がアナウンスをする頃には、ある程度納得のいくアバター……GBNにおける躯体は完成を迎えている。
「えっと……は、はい!」
声に出す必要はなかったものの、問いかけを肯定しながら梨々香がOKのボタンに触れれば、仮想の世界へと解け切る一歩手前で立ち止まっていた意識の残滓が完全に、ふわりと、重力を失った状態で下から引きずり込まれるようにGBNへと転送されていく。
或いは、長いエレベーターで延々と降り続けているような、そういう感覚だろうか。
そこに違和感を覚えながらも、恐らくは慣れていくのだろうとして、解けていく意識に身を委ねて、電脳空間へと梨々香は意識を委ねて解けていく。
こうして梨々香は──「リリカ」として、生まれ変わる。
GBNへと足を踏み入れた証である、そしてその仮想郷で何かを求め続ける「ダイバー」として、再構築されてゆくのだった。
◇◆◇
ガンプラバトル・ネクサス・オンライン。
それはVRMMO全盛の時代において、数世代先の技術を先取りしたといわれているファンタジーな神ゲーと肩を並べる存在として君臨する、時代の象徴のようなものだ。
アクティブユーザーを実に二千万人も抱えて、そこから更に拡張を辿り続けているだけではなく、ELダイバー……法律上の定義においては「特定電子生命体」として扱われる存在を生み出す産土となったGBNは、最早ゲームの域を通り越して、第四世界と呼ばれるほどに広がったといってもいい。
梨々香の意識が再構成され、「リリカ」という躯体を得て降り立ったロビーは、そのことを如実に示していた。
平日の真っ昼間だというのに中央ターミナルエリア、総合受付ロビーには様々な格好に扮したダイバーたちでごった返していて、端っこの方で他愛もない会話に花を咲かせている二人組がいるかと思えば、コンソールを操作して何かを確かめているダイバーもいる。
そんな人の多さに思わずリリカは目眩を起こしてしまいそうになったが、ここで立ち止まっていたのでは何にもならない。
と、いうより電脳空間で倒れたらどうなるのだろうか。
強制ログアウト措置は取られるのだろうが、最悪死んだりするのだろうか、などとぶつぶつと呟きながら、梨々香がロビーを歩いていた時のことだった。
「やあ、君、もしかしてGBNを始めたばっかりの初心者かな?」
やけにフレンドリーに明るい声が、リリカの耳朶を震わせる。
声のした方向に振り返れば、そこには緑色の軍服──「機動戦士ガンダム00」のセカンドシーズンに登場する軍事組織、「アロウズ」のものである──を纏った、自身よりも頭三つ分ぐらい背が高い青年が、ご丁寧にもかがみ込んでリリカへ視線を合わせようとしている姿があった。
「は、はい……でも、どうしてわかったんですか?」
「そりゃあね、俺も結構長くやってるから。ところでなんだけど、君、受けるミッションとか決まってるのかな?」
「ミッション、ですか?」
「ああ。ここでは決まったミッション……まあ、他のゲームでいうところのクエストとかを受注できるんだよ」
一応、リリカはVRMMOを遊んだことがないというわけではない。
例の神ゲーから、ふすまを突き抜けて天誅を下されたり、果てはログインボーナスを確認している間にも天誅を下される世紀末、もとい幕末極まったゲームまで幅広く手を出してはどれにも飽きてやめていたから、何となく青年が言わんとするところは理解できた。
リリカが引っ掛かりを覚えていたのは、ただ、このGBNで何をしようか、というその一点のみだ。
ミッション。使命とも言い換えられるそれは、今のリリカにとって重要なものとそうでないものがあって。
小首を傾げてリリカは小さく唸る。
大きなミッション、使命があるとしたら、それは自身が願ってこの仮想郷を訪れた理由であることには違いない。
だが、小さなミッション──借りてきたガンプラを使う、ゲーム内コンテンツにおいて何をするのか、というのはすっかりリリカの頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
「えっと……特には、決まってないです」
だからこそリリカは、正直に答えることにした。
やけにフレンドリーな態度で接してくる青年から目を逸らしつつ、もじもじと両手の人差し指を突き合わせながら、消え入りそうな声で答えを返したリリカだったが、だからこそ、気付かない。
青年の細められた瞳の中に潜んでいる悪意の毒牙に、そして今、剥き出しになったその牙から一雫の劇毒が滴り落ちようとしていることに。
「じゃあさ、このミッションとか受けてみないかい? 俺、これでも情報屋やっててさあ」
どこか粘度と湿度を帯びた声音に変わった青年が手早くコンソールを操作して呼び出したパネルに記されている概要をつらつらと、リリカはいつものように流し読みする。
【クリエイトミッション:薬草を集めよう!】
【推奨ダイバーランク:F】
【ミッション開始地点:ハードコアディメンション・ヴァルガ 北部廃墟都市地帯】
【勝利条件:指定座標に咲いている花の納品】
【敗北条件:自機の撃墜】
概要だけを見るならそれは、いわゆるお使いミッションであることはわかった。
だが、リリカは心のどこかで、何か引っ掛かりのようなものを覚えていた。
概要に何か変なことが書いてあるわけではない。
ただ単に、ロールプレイングゲームのチュートリアルでよくあるように指定された場所まで行って、何かしらの目的を果たして帰ってくる、というだけのミッションだ。
しかし──リリカは知る由もないが、そこには猛烈な悪意の毒が潜んでいる。
ハードコアディメンション・ヴァルガ。
そこは「チンパンたちのラスト・リゾート」、「戦闘狂の行き着く果て」、「理性を失った奴らのサナトリウム」などと様々な不名誉極まる渾名をいただいている、無制限フリーバトルが解禁されたディメンションなのだ。
普通のゲームであれば、何のイベントでもない時にプレイヤーをキルする行為は重罪であり、咎められるべきものとして、キルした側には何らかのペナルティが課されることとなるのが通例だ。
それは、このGBNにおいても概ね同様であり、通常のディメンション内で、双方の合意なしに攻撃を仕掛けた場合は、先に仕掛けた方に対してその罪状に応じたペナルティが課せられる。
だが、ハードコアディメンション・ヴァルガは弾けた。
表向きは無制限のフリーバトルを解禁してほしい、という要望に応えて設立されたその場所は、果たしてログイン天誅、漁夫の利天誅、戦略兵器ぶっぱ天誅など、あらゆる外道行為を尽くしてプレイヤーを、ダイバーをキルしたとしても一切のペナルティが免罪される、いわば戦闘狂の隔離場なのだ。
だからこそ、初心者はヴァルガに棲まう修羅の民たちにとっては鴨がネギと調味料とガスコンロと鍋をセットで持ってきたようなおやつにしか見えないのである。
無論、この情報屋を自称する青年は、それをわかっていて、リリカにそのミッションを受けるように持ちかけているのだ。
「……え、えっと。わかりました、じゃあそれで……」
「ちょっと、待ちなさい! そこのアナタ!」
どこか悩ましげな吐息と共に、トーンの高い声が、クリエイトミッションの受注ボタンを押そうとしていたリリカと、そしてその様子を、獲物を舐めつける蛇のような眼で見つめていた青年へも投げかけられる。
声のした方を振り返れば、そこには筋骨隆々とした仮想の肉体をぴっちりとした質感の衣装に包んだ紫髪のダイバーが、怒りも露わに、青年へと詰め寄ってくる姿があった。
「げっ、マギーさんかよ!?」
「アナタ、あれだけお仕置きされても、まぁだ懲りずにこんなことしてたのね? 悪いけど、情状酌量の余地はないわ」
ばちこーん、とウィンクを決めながら指をさす、マッチョな
ひょい、と、米袋を担ぐように情報屋を名乗っていた青年を担ぎ上げると、マギー、と呼ばれたダイバーはかがみ込んで、リリカへと視線を合わせるような形で、その唇から言葉を紡ぐ。
「危なかったわね、アナタが受けようとしていたミッション……いわゆる『初心者狩り』ってやつなのよぉ」
「初心者狩り、ですか……?」
マギーは悩ましげな吐息と共に体をくねらせながら、鸚鵡返しに問いかけたリリカの言葉を首肯する。
「ええ。ハードコアディメンション・ヴァルガってあったでしょう? あそこ、PKし放題の無法地帯なのよ」
そして、スポーン地点である北部廃墟都市地帯は極めて乱戦が発生しやすい危険なエリアであると、マギーは困ったように、ジタバタと抵抗する担ぎ上げた青年を抑えつけながら嘆息した。
「……私、騙されてたんですか?」
「ええ、残念だけど。もし気を悪くしちゃったならごめんなさいね。アタシが代わりに謝るわ」
「え、えっと……大丈夫です、そんな……私が迂闊だっただけで」
律儀に自称情報屋を抱えたまま頭を下げる、その人徳に気圧されながらも、リリカはどこか遠慮をするようにぶんぶんと前に突き出した両手を左右に振り続ける。
このマギーというダイバーが運営スタッフなのかそれとも、ただ単にお節介焼きなだけなのかはわからないが、自分なんかに頭を下げる必要は無いと、涙ぐんでリリカは首を横に振った。
正直なところ、ショックがなかったといえば嘘になる。
青年は人が良さそうだったし、もしかしたら善意でミッションを勧めてくれていて、クリアしたらフレンドになってくれるんだろうか、と、リリカは無意識の内に期待してしまっていたのだから。
だが、そんな都合のいい話など、悪意にまみれた世の中に転がっているはずがない。
わかってはいたのに、裏切ったどころか最初から騙していただけだというのに、リリカの瞳からは涙がこぼれ落ちて止まらなかった。
「……本当にごめんなさいね。初めてのGBNだったんでしょう?」
「……っく、ぐすっ……は、はい……」
「これ、アタシのフレンド申請。今はちょーっとこの不埒者にお仕置きしなきゃいけないけど、何かあったらアタシに言ってちょうだい。きっと力になってみせるわ」
両眼を擦って泣きじゃくるリリカの頭をそっと撫でて、マギーはフレンド申請を渡す。
人は見た目によらないというが、まさにその通りだろう。
フレンドリーな青年は初心者狩りの悪党で、オネエ言葉を使う筋骨隆々とした
リリカはマギーからの申請を受け取って、自分も同じように申請を飛ばそうかと指を伸ばして、逡巡する。
迷惑だったらどうしようと、言葉にこそ出さないが、確かに抱いていた不安を見抜いたかのように、マギーは優しく微笑むと、いいのよ、とばかりに首を縦に振る。
「……その……よろしく、お願いします」
「ええ。リリカちゃんっていうのね。とってもキュートで素敵なお名前だわ」
「……そ、そうですか? えへへ」
「ええ。それじゃあアタシはちょっと野暮用で離れちゃうけど、チュートリアルミッションなら、そこの受付から受注できるわよ」
クールに去るわ、とばかりにひらひらと手を振ったマギーの大きな背中を見送って、リリカは彼女に言われた通り、エントランスの中央に配置されたインフォメーションセンターのようなところへ、ふらふらと幽鬼のような足取りで向かっていく。
受付に配置されているのは、いわゆる「中の人」がいるアバターではなく、管理用に開発されたAI──NPD、ノンプレイヤーダイバーだ。
紋切り型の「どのようなご用件でしょうか」という問いに、ミッションを受注しにきたとリリカが答えれば、ずらりと膨大なリストが提示されて、その中から駆け出しでも受けられるものを受付のNPDは訊かれずともピックアップしていく。
「ログイン日数一日目の貴女におすすめなミッションはこちらとなっております」
受付NPDが提示してきたミッションは、大きく分けて四つになる。
一つは、先ほど初心者狩りの男が、ハードコアディメンション・ヴァルガでやらせようとしていたヤナギランの採取を、PKの心配がほぼない通常ディメンションで行うもの。
二つは、機体の、ガンプラの慣熟訓練とでも呼ぶべきもので、武器の試し撃ちと操作のチュートリアル。
最後に残ったものが、試し撃ちと操作のチュートリアルを複合したものだ。
何を受注しても、正直なところリリカはそこに熱意を抱かなかったものの、少なくとも早速できたトラウマである採取ミッションだけは避けようと、残り三つの中から絞り込む。
機体の動かし方や武器のテストに関しては、正直なところ単調さを感じてしまうだろう。
リリカはチュートリアルがそんなに好きではない人間だ。
習うより慣れろ、というわけではない。
単に他の誰かが国語の教科書で授業中に扱う題材を読んでいる時に次の単元を黙読するような、そういう人種だからこそ、ある程度GBNにログインする前に操作関連については当たりをつけていたのだ。
「じゃあ……この総合チュートリアルミッションでお願いします」
「かしこまりました。お客様のミッション受注が完了しましたので、格納庫エリアへの転送、並びに指定ディメンションまでのゲート開門を実施いたします」
丁寧な受け答えと共にNPDが頭を下げると、リリカの躯体はテクスチャが解けて、ロビーから一瞬のうちに、格納庫エリア──ミッション前の転送地点にして、ガンプラを嗜む者であればもっとも興奮するコックピットの中へと再構成されていく。
正直なところ、まだ気乗りしないところはある。
リリカは右手で操縦桿を握り締めながら、ずきり、と内側を金槌で殴られたような痛みを覚える胸を左手でそっと抑えた。
それでも、諦めたかと問われれば。
「……諦めたく、ない」
リリカがどこか自分に言い聞かせるように呟くと同時に、十八メートルクラスに拡大されたEGガンダムが機体搬入口へとリフトで運ばれていく。
ゆっくりと開いていくハッチの中に、陽光が差し込む。
確かこんな時、ガンダムでは何というのだったか。
「……リリカ、行きます……っ!」
そうしてリリカは、お決まりの啖呵を切ると、まだ先行きもわからなければ、手に入るかもわからない、何もかもが「ハテナ」で埋め尽くされた電子の海へと、旅立ってゆくのだった。
この先のミッションは、承諾してしまうとヴァルガに行ってしまいます。だから、マギーさんに助けてもらう必要があったんですね(一敗)