総合的な慣熟訓練、ということもあって、梨々香が受けたミッションはそれぞれ三つのウェーブに分かれていた。
ずしん、と地響きを立てて、機動戦士ガンダム00に登場した「ユニオン」の空軍基地をモチーフとしたステージに、十八メートルに拡大されたEGガンダムが確かに降り立つ。
それは、ガンダムをあまり知らないリリカにも、どこか言葉にならない高揚感を与えていた。
以前に見ていたアニメの中で、機体と自分が一体化したような感覚に耐えきれず脱落する、という設定があったことを思い出す。
勿論、GBNにおいて完全にガンプラとダイバーは一体化を果たすわけではない。
バージョン1.78からは擬似感覚のフィードバックが目玉の機能として実装されたが、それだって操縦時のGだとか、機体に伝わる衝撃がコックピットを揺らしたりするだけで、腕を切断されたらその感覚がダイレクトにダイバーへと伝わる、などということはないし、仮に出来たとしてもあってはいけないものだ。
「すごいなぁ……GBNって」
リリカは、まるでお上りさんのようにきょろきょろと周囲を一望するが、電脳の海に浮かべられたテクスチャは現実のそれと遜色がないほどに綺麗なもので、しばらくミッションの内容すら忘れて、見入ってしまっていた。
オブジェクトとして配置された【ユニオンフラッグ】や【ユニオンリアルド】の存在もあって、現実にこんな景色は存在しないとわかっていても、これだけ精巧に架空を作り上げたのであれば、それは最早現実と遜色ないものなのだろう。
高度に発達した科学は魔法と区別がつかない。
誰が言ったかはわからないその名言に近しく、高度に発達したヴァーチャル・リアリティは、リアルに見劣りしないほど、真に迫っている。
一頻り、景色を堪能したリリカは、タイマーの表示時間に慌てながらも、ウェーブの一つ目であるコンテナ回収ミッションを淡々とこなしていく。
「よっ、と……ある程度は、オートでやってくれるんだ」
昨今のVRMMOに違わず、GBNにおいても思考補助システムは採用されている。
元より、二本のスティックだけで巨大なロボットの細かい操作や制動を行うのは無理がある、などと夢を忘れた大人たちはボヤいたりするが、ゲームというのは煩雑さよりも直感的な要素の方が元より重要だし、何より架空のドラマにケチをつけるほど無粋なことはない。
リリカはビームライフルを腰のマウントラッチに、そしてシールドを背中にマウントすると、コンテナに機体を近づかせる。
ロックオンマーカーがコンテナに向いていると、なんとなく「こうした方がいい」という形で思考の補助を行うサブシステムに促されるまま接近し、機体を屈み込ませれば、ガンダムの両手はしっかりとコンテナを掴んで離さない。
「それで、立ち上がって……こうかな……」
機体を立ち上がらせたリリカは、早速試してみよう、とばかりに、チュートリアルでは指定されなかったブーストを噴かす。
そして、リリカの操縦に導かれたガンダムは白線が四角く引かれたエリアに急接近、そのままコンテナを置くなり、機体に制動をかけて、バック宙の要領で姿勢を立て直した。
「……えへへ、上手く、やれてるかも」
当たり前だが、コンテナ運び自体はそうそう難しいミッションではない。
無論、リリカにもそれはわかっている。
何より、チュートリアルから早々に「極端に低いアイテムドロップ率を狙うか、NPCやPCを襲撃して薬草を強奪する」ゲームのような難易度であったなら、GBNは神ゲーと呼ばれていない。
それでも、リリカはそこにちょっとした充足感を覚えていた。
二個、三個とコンテナを積み上げる内に、自らのVRクソゲー遍歴を目覚めさせるかのように、リリカのガンダムはアクロバティックな挙動を見せつける。
どれもこれもろくでもないゲームばかり摑まされてきたが、その中で挫折しながらも鍛え上げたセンスや感覚は、そのまま神ゲーの中でも応用が効く。
故にこそ、リリカは今、この瞬間においてただ、自由だった。
心の赴くままに、思考がそうさせるがままにスラスターの制動で宙を舞うガンダムに身を委ねて、リリカは、気付けばその口元に小さな笑みを浮かべていた。
笑ったのはいつ以来だろうか。
五つ目のコンテナを積み上げたところで、自分の口元が緩んでいることに気付いたリリカは、じわり、と、眦に涙を滲ませる。
「……え、えへへ……楽しい、かな……」
考えれば考えるほど悲しくなるだけだ。
だからこそ、過ぎ去り、そして足元に堆く積み上がった過去の、今日であったはずの時間の死骸を数えるのをやめて、リリカは機械音声に促されるままに、次のウェーブへと歩を進めていく。
二つ目のウェーブとして配置されているのは、文字通り巨大な的だった。
それが五つ並んでいて、このモードに限ってはビームライフル等射撃兵装の残弾が無限に設定されるなど、オートロックこそあれど、いかにもエイミングの感覚を掴むための訓練ですといわんばかりだ。
リリカは腰にマウントしていたビームライフルを掴むと、五つ並んだ標的のど真ん中にロックオンカーソルを合わせて、照星を覗き込む。
そして、ビビッ、と小さく鳴り響いた電子音に合わせる形でリリカは操縦桿のトリガーを引いた。
マニアにとってはお馴染みの、独特の甲高い音を立てて放たれたビームの弾丸は、オートロックシステムの誘導に違わず、標的の中心を射抜いて彼方へと消えていく。
「すごい……ロックアシストも、弾の挙動も常識的……!」
驚くところはそこじゃないだろうと、誰かが聞いていたらきっとそう突っ込みたくなるであろう言葉を無意識に唇から紡ぎ出しながら、急かされたようにリリカは次へ、次へと狙いをつけた箇所にビームを撃ち込んでいく。
その輝きにフラッシュバックするのはかつてプレイした、クソゲーとは言わずともとにかく難しかったゲームの影だった。
だが、あれはロックオンや各種機体制動を全てマニュアルでこなさなければいけない煩雑さがダメだったのであって、弾の挙動や機体の挙動に関しては極めてリアルな仕上がりを見せているこだわりの一品なのだから、安易にクソゲー認定すればマニアから袋叩きにされかねない。
それはともかく、ロボットという題材を扱ったVRMMOにおいて、GBNが異様なほどユーザーフレンドリーに作られている、というのは確かだった。
五つの標的、そのコックピットにあたる部分や頭部、手足などを撃ち抜いたり、ビームサーベルで斬り飛ばした末に、ウェーブクリアの通知がコンソールにポップする。
同時に、「まだ攻撃訓練を続けますか?」という問いも投げかけられていたが、リリカの答えは決まっていた。
「いいえ、っと……」
ウィンドウに表示された、「NO」の文字をタップして、オートパイロットに任せるがまま、リリカは次のウェーブへと機体を移行させる。
操作訓練が一通り終われば、あとは実戦あるのみだ。
そういわんばかりに、リリカが導かれたのは基地内でも一際広く、大きな模擬戦を行うためのエリアだった。
既にその場所では三機のガンプラ──極めて標準的な、ドラムガンとシールドで武装した【リーオーNPD】が、来訪者であり挑戦者であるリリカと、そして今彼女が駆っている初代ガンダムを待ち受けている。
流石にチュートリアルから先制攻撃を加えるようなルーチンは設定されていないものの、リリカがロックオンマーカーを向けると同時に、三機のリーオーNPDは散開する形で、その狙いを撹乱する。
「チュートリアルなのに……!?」
すっかり頭から抜け落ちていたが、元々このチュートリアルミッションは他の三つをクリアしてからの攻略が推奨されるものだ。
AIの思考ルーチンはFランク相応に設定されてこそいるものの、ただ棒立ちになったまま散漫に射撃を繰り返すといった生易しさは浜かどこかに捨ててきたとばかりに、包囲戦術をのたのたと展開しながら、リーオーNPDはドラムガンを連射する。
「……こ、の……っ!」
リリカはそれをバク宙の要領で回避すると、正面に陣取っていた、カメラアイが赤く染まっているリーオーNPDに向けてビームライフルを放つ。
正射必中、というわけではないが、回避を判断するルーチンが意図的に遅くなるように組み込まれているその一機はコックピットに直撃を受ける形で見事に爆散する。
「やった……!」
一瞬、我を忘れて浮かれかけたリリカだったが、まだ敵は残っている。
三方向からの包囲を諦めたリーオーNPDたちは、今度は一機を囮に、もう一機が死角からの射撃を放つことで挟撃を行うという算段を決め込んだようだった。
しかし、Fランクのチュートリアルで出てくるモブがそこまで機敏に判断を下せるわけではない。
彼らがどこか逡巡したように立ち止まり、ようやく二手に分かれようとしたところに、空中で姿勢を立て直したリリカのガンダムは、ビームサーベルを構えて斬りかかる。
「このっ……このっ、このぉっ……!」
がむしゃらに振り回したビームサーベルは、リーオーNPDの盾に防がれてしまう。
だが、その耐久値もチュートリアルである以上極めて低く設定されている以上は、長く持つはずもない。
リリカが振り回したビームサーベルを三発受け切ったことで限界に達したのか、シールドが接続されている左肩ごと胴体を袈裟斬りに切り裂かれて、黄色にカメラアイを発光させていたリーオーNPDは沈黙、爆散する。
GBNにおいては、被撃墜時の爆発も相手にダメージを与えるように設定されている。
無論。賛否こそあっても、それが仕様なのだからぼやいたところでどうしようもない。
思考補助に身を委ねる形でリリカは正面に盾を構えて、その爆発ダメージから自身のガンダムを守り立てた。
そして、幸運なことにもそれは残り一機となったリーオーNPDがようやく動き出した攻撃からも身を守ることにも繋がっていた。
ドラムガンから吐き出される実体弾が、ガンダム・シールドに弾かれてかん、かん、かん、と甲高い音をリズミカルに刻む。
だが、貸してもらったEGガンダムも素組みである以上、耐久値に極振りしているだとかそういうわけではない。
シールドのゲージが削れていく感覚に焦燥を覚えつつも、リリカは、どうすればいいのかを頭に描いて、そのまま機体を前進させた。
「負けない……負けられない……!」
確かにシールドゲージは削れている。
だが、チュートリアルで出てくる敵が、果たして素組みとはいえそれを削り切れるだろうか。
答えは否だ。
それを実証するようにリリカはドラムガンの一斉掃射を受け切ったシールドを、おもむろに最後のリーオーNPDへと叩きつける。
もしも中身があったのなら、大いに動揺していたことだろう。
そんな風情に硬直を晒して姿勢を崩した機に乗じて、梨々香は構えていたビームサーベルを青くカメラアイを明滅させているリーオーNPDのコックピットへと躊躇いなく突き立てようとした、その時だった。
自機のコックピットに、けたたましいアラートが鳴り響く。
それは敵機からの攻撃を示すものだった。
「どうして……? チュートリアルなのに、ボスとか……ううん、違う、まさか……!」
『そうよ、そのまさかよ!』
PK。プレイヤーキルを示すその行為は、確かにハードコアディメンション・ヴァルガにおいては免罪符が発行されている。
だが、このメインターミナルエリアにおいて禁止されている以上、運営に目をつけられてもおかしくはないのだが、通信ウィンドウにポップした男の歪んだ笑顔は、そのリスクさえも楽しんでいるように映っていた。
あえてプレイヤーキル、それも初心者を嬉々として狙うようなダイバーがまともであるはずもない。
ビームを放ってきた、赤くずんぐりとした、いかにも重装甲ですと主張しているような機体──【アヘッド】を駆る男は、先程詐欺クリエイトミッションをふっかけてきた青年とは別人だったが、奇しくも同じアロウズという結びつきを持ち合わせていた。
反射神経でビームを回避したリリカは、二機目のリーオーNPDへとトドメを刺す際に放り投げていたビームライフルを回収し、接近してくるアヘッドに狙いをつける。
『はっ、すっとろいんだよォ!』
だが、リーオーNPDと違って、対峙しているのは中身の入った──ダイバーの駆るガンプラだ。
リリカとしては即座に対応したつもりであったが、どことなく戦い慣れた雰囲気を醸し出す男にとっては、欠伸が出るほどに遅く映ったのだろう。
リリカが構えたビームライフルは相手が放った粒子ビームによって破壊され、そして爆発から身を庇おうと体勢が揺らいだところに、次々とビーム弾が撃ち込まれる。
『そらそらそらそらァ! 初心者風情が一丁前に抵抗しないで、さっさとダイバーポイントになっちまえばいいんだよォ!』
ここは遊び場じゃねえんだからよ、と、口角泡を飛ばす勢いで捲し立てる男の姿は、鬼気迫るといった風情だが、やっていることは極めて情けない。
ただの初心者狩りでイキり散らしているだけだ。
頭では、リリカもそれはわかっている。
わかってはいるのだが、男の剣幕と、そして「ここはお前なんかの居場所じゃない」とばかりにぶつけられた暴言は、胸の奥に穿たれた傷跡を抉り、透明な、色のない血液をリリカの両眼に滲ませる。
「あ……ああ……っ……」
──だから、やめておかなければいけなかったんだ。
脳裏に冷たく響いた声は、男のものでは断じてない。
日々インターネットの海を漂う情報や文字列を斜めから読み飛ばしていた、他でもない自分自身の声がそうさせていた。
何を期待していたというのだろう。
期待したって無駄なことなんてわかりきっていたのに、浮かれて、そしていつも通りに隅っこへと追いやられて。
それでも、GBNなら変われると、そう思っていたのか。
リリカに問いかけ続けるその声は、紛れもなく「梨々香」のもので、そして、堆く足下に積み重なった、今日であった日々の死骸たちが、昨日が深淵から低く唸らせる呻きだった。
何をすればいいのかはわかっている。
回避をしながら持っているビームサーベルで、接近戦を仕掛けてくるアヘッドというモビルスーツでありガンプラに反撃すればいい。
だけど、身体が動いてくれない。
涙を流して硬直している間にも、リリカのガンダムは放たれるビームに四肢をもがれ、地面へと倒れ伏していく。
今回も、ダメだったんだ。
リリカの瞳から零れ落ちる涙の粒が、一際大きくなっていく。
高校に入った時もそうで、どこかで何かを期待して──そして、裏切られる。
違う。叶わないのだ、最初から。
どうせ私のような根暗で、泣き虫な人間は負け組として隅っこで一人静かに暮らしているのがお似合いなのだ。
古傷から血が吹き出すように、滂沱の涙がリリカの頬を濡らす。
四肢をもがれて倒れ伏したEGガンダム──奇しくもそれはリリカがトドメを刺そうとしていたリーオーNPDと同じである──へと引導を渡すべく、アヘッドがずんぐりとしたその脚でヘリウムコアを踏みつけて、コックピットへとビームサーベルを少しずつ、ゆっくりと、弄ぶように突き立ててくる。
怖いだろう。そうやって怖がり続けるんだ。
それが何よりも楽しみなんだからよ、と口元を歪める男の哄笑と、過去のトラウマが重なり合って、リリカの視界が真っ白にホワイトアウトしかけた、その時だった。
『トライスラッシュブレイド……コール! EXカリバー!』
凛とした叫びが、リリカと男の鼓膜を震わせる。
そして、彼方から超速で飛来する黄金の極光が、男の駆るアヘッドを呑み込んで、テクスチャのチリへと帰せしめていく。
だが、足元で踏みつけられていたリリカのガンダムには傷一つついていない。
メインカメラが損傷したという設定から、レッドアラートが鳴り響くコックピットから見えるその姿にはノイズがかかっていたものの──極光を振りかざしたのは、確かに一機のガンダムだった。
リリカはまだ、その名前を知らない。
だが、蒼穹の下に粒子のマントをはためかせて君臨するそのガンダムは、紛れもなく──
『バカな、なんでチャンピオンが──』
『エマージェンシーアラート……間に合っていたようだな』
機体が完全にテクスチャのチリに還る瞬間、PKを行おうとした男が口にした通り、滂沱の涙を流しながらもリリカが見上げるその機体こそ、そしてそれを駆るダイバーこそ、このGBNにおいて無敵を誇るチャンピオン、クジョウ・キョウヤと、そして。
『初心者狩り……そんなことは僕と、このガンダムTRYAGEマグナムが許さない……!』
ガンダムTRYAGEマグナム。ダイバーたちから一心に畏敬を集める最強の象徴に、救世主に他ならないのだった。
「GBNではたまに初心者狩りがいるから気をつけるやで」
「あのEGガンダムは?」
「あれは多分レンタルサービスで借りてきた新規」
「あのアヘッドは?」
「あれは初心者狩り」
「その初心者狩りが物凄い勢いの光に呑まれて消えてったのは?」
「あれはチャンプ」
「ああ……(納得)」