フォース「エヴァンジェルミ」は確かな強敵だった。
紙一重の勝利とその栄光を手にしてロビーへと帰還したリリカはどっと疲れた様子で肩を落として、どことなく剣呑な空気を漂わせているミワへと心配そうに視線を向ける。
普段であれば眠たげなミワの表情は、それさえもどこか遠くに置き忘れてしまったようにうつろで、ぼんやりと虚空を見つめているその顔には、何も映ってはいないように見えた。
「いやー……負けちゃった。あたしたちの完封負け。流石は最近噂の『アナザーテイルズ』ってとこだね」
同じようにロビーへと帰還してきた「エヴァンジェルミ」四人組を代表して、赤毛の女性──リーダーであるアンジェが、コンソールを開きつつとん、とつま先から優雅に降り立ったカエデへと握手を求める。
「わたくしたちこそいい試合をさせていただきましたわ。でも『アナザーテイルズ』のリーダーはリリカさんでしてよ」
「そうなんだ? てっきり貴女がリーダーかと思ってたけど……気を悪くしたならごめん。リリカさん、改めてグッドゲーム」
「……ぐ、グッドゲーム、です……」
あまりに覇気がなさすぎるせいなのかぐったりと疲れた様子を見せているせいなのかはわからないが、気まずそうに苦笑するアンジェの手を取って、リリカはぎこちなく微笑み返した。
リーダーといっても、成り行きでフォースを結成した時に名前を決めたのが自分だっただけで、実力的にはカエデかミワの方が牽引役としては相応しいのだろう。
死線を掻い潜ったことで大破したAGE-1ブランシュのことを想い、そこにずきり、と胸の奥を切りつけられたような痛みを覚えながら、リリカはアンジェから提唱された報酬を受け取って、「エヴァンジェルミ」の四人が去っていくその背中を見送る。
ブランシュアクセルは、確かに強力な必殺技だ。
スラスターが健在の状態で四倍速までは使えなかったが、五体満足な状態から四倍速を起動したならば、可能性としてはあの「MS斬りの悪魔」の一撃にカウンターを加えることもできるかもしれない。
だが、その反動はあまりに強烈だった。
三倍速でもメインスラスターが壊れて、関節部に深刻なダメージが残るそれは、システム側の制約もさながら、AGE-1ブランシュ自体が必殺技に耐え切るだけの完成度を有していない、ということでもある。
だからこそ──リリカはそこに胸を痛めて、じわり、と眦に涙を滲ませるのだ。
それに、先程から虚空を見つめているミワのことも気になる。
小さい頃、ミワがああいう表情をすることはあまり珍しくなかった。
幼稚園の段階から勉強させられていた簡単な英語のテストだとか、そんなもので満点を叩き出してもミワは喜び一つ見せることなく、何かタスクが終わったかのように淡々と、その目に虚無を湛えていたのだが、今の姉は、根拠こそないがそれともどこか違うような気がしたのだ。
「ちょっとミワさん、大丈夫ですの?」
「……ん、んん? こほんこほん……大丈夫だよぉ、頭使いすぎちゃって眠くなっただけ、だよ〜」
リリカが言葉をかけるよりも先に、茫洋としていたミワの肩を揺すって、カエデが問いかける。
ミワは小さく咳払いをすると、にへら、と緩んだ笑みを浮かべて、スナイパーは追っかけ回されるとつらいんだよぉ、と、注釈を加えるかのようにそう語った。
「……その、お姉ちゃん……」
「なになに、リリカちゃん?」
「……本当に、大丈夫?」
本人がそう主張しているのだから大丈夫なのだろう、とはリリカも思っている。
ただ、ミワのあの瞳は疲れているから、というよりは虚空に何かを映し出して、それを眺めているかのように見えて、だけどリリカにはかける言葉が見当たらなくて、そんな平凡な心配に落ち着いてしまうのだ。
「リリカちゃんは優しいねぇ、ミワお姉ちゃんは嬉しいよぉ」
「わわ……」
「お姉ちゃん、ちょっとリリカちゃん成分が欠乏してたみたいだからねぇ」
にへら、と緩んだ笑顔を見せると、問答無用とばかりにミワは豊かな胸元にリリカの頭を抱き寄せて、そっと、自分とは違って真っ直ぐな髪の毛を傷つけてしまわないように優しく撫でる。
「公衆の面前でしてよ」
「わかってるけど姉妹水入らずってやつだよぉ」
本当に聡い子だ、と、カエデのどこか非難というよりは嫉妬が混じった視線を受け止めながら、今も言葉を探しているようなリリカの体温と柔らかな感触の擬似的なフィードバックに身を任せて、ミワは静かに目を伏せる。
こうしてカエデと軽口を叩き合ったり、リリカと触れ合っている時間こそが、ミワにとっての本物だった。
それはGBNでもリアルでも変わることはない。
リリカ。世界でたった一人の愛しい妹。
そこに横たわっている断絶と不理解、そしてどれだけ近付いても互いの中に凍て付いた部分を抱えている心のことを想い、それを溶かすようにぎゅーっ、と、ミワはリリカを抱きしめるのだ。
それがミワにとっての癒しになるのなら悪くはないのかな、と、リリカはそこに熱を持った言葉をかけてあげられないことを悔やみながらも、されるがままにそんなことを思う。
ミワがどこを見つめているのか、リリカにはわからない。
それは隣で呆れたような顔をしているカエデも同じなのだろう。
姉妹である自分たちでさえ完全には通じ合えない、通じ合えば互いの痛みに触れ合って、傷口を広げるだけに終わってしまうとわかっている。
だからこそ、昼飯時に寄り合って、一緒にお弁当を食べるだけの集まり──リリカにとって、今の「アナザーテイルズ」は、自分が経験することのできない昼休みだとか放課後の延長線上にある存在のようなものなのだ。
抱きしめられるがままにされていたリリカはミワの腰に手を回して、ぎゅっ、と、自分の胸を押し付けるように抱擁を返す。
多分、それでいい。
それ以上のことなんて、求めないから。
それでもどこか、戦いのことを思うと、必殺技を発動するだけで砕けてしまうブランシュの痛みだとか、カエデが追いかけている「アイカ」が持っている強さだとかのことを考えると、胸がひりひりと痛むのだ。
しばらく抱き合ってから抱擁を解くと、ミワは満足したかのようにうむうむ、と小さく頷いて、気が抜けたようなため息をついた。
「ふぃー……やっぱやっぱ、追っかけまわされるのはきっついね〜」
「スナイパーを見たら親の仇の如く追い詰めるのは基本でしてよ?」
「まあまあ、それはそうだねぇ。ミワも同じ立場ならおんなじことするし……でもでも、精神衛生に良くないんだよぉ」
さりげなく相手の砲撃手を初手でスナイプするという離れ業を見せたミワだったが、まさかそこから野生の勘で射線から自分の位置を割り出されるとは思っていなかったのだ。
思えば八つ当たりに近いとはいえ、トウコには悪いことをしたとミワは内省する。
「……わ、私も……今回の戦い、疲れちゃって……」
「紙一重の勝利でしたわ、だから無理もありませんことよ」
ささ、わたくしの胸で羽根を休めてくださいまし、と、リリカを背中から、いわゆるあすなろ抱きという形で抱擁してカエデは目を伏せる。
リリカニウムに飢えているのはなにもミワばかりではないのだ。
自分のどこにそんな癒し成分があるのかとは思っているが、姉ともまた違った温もりに、リリカの中でひび割れた痛みは確かに癒されていくように、そう錯覚してしまう。
ただ、根本的な解決に至っていないのは確かなのだ。
AGE-1ブランシュと必殺技。
降って湧いてきた新たな課題と痛みに視線を向けながらも、リリカはそこに答えを見出せず、霧の中に迷い込んだかのように、温もりの中でただもがき続けるのだった。
◇◆◇
その戦いがライブモニターで中継されていたのはただの偶然に過ぎなかった。
GBNのセントラル・エリア、そのメインターミナルにあるロビーの中心へ、大々的に据え付けられたモニターには、ダイバーたちの戦いを無作為に選んで抽出し、再生する機能が設けられている。
それは多くの人間の目に戦いが触れる機会でもあり、目覚ましい活躍を見せたフォースがあれば、次の日に対戦の申し込みが殺到することもそう珍しくない。
だからこそ、彼女たちがその戦いを見ていたのもまた、偶然の中の必然であった。
「……ミワ」
郷愁。怒り。悲しみ。絶望。複雑な想いをコンクリートミキサーにかけてぶちまけたような表情を浮かべて、その少女は、モニターの中に映る、シグルブレイドの一撃によって敵機のコックピットを抉り取っていたミワの活躍を眺めていた。
「……二つ名持ちに恥じない実力ね。それと、過去に囚われるのはやめなさいと言ったはずよ」
「……ええ、わかっています。貴女をリーダーに据えたその時から」
「なら、そういう顔をするのはやめなさい。私たちは……『エーデルローゼ』は、些細なことでつまづいている暇などないの」
ミワの活躍を、様々な感情が綯い交ぜになった視線で眺めていた少女「サーヤ」に対して、フォース「エーデルローゼ」を率いる銀髪の少女──ダイバーネーム「ユキ」は小さくそう告げると、モニターの中での戦いが決着を迎えるや否や、それ以上の用事はないとばかりに、踵を返してロビーを行き来する雑踏の中に紛れていく。
確か、「アナザーテイルズ」といったか。
ユキはその名前を頭の中で思い描き、記憶の中に押し留める。
フォース「エヴァンジェルミ」は、決して弱い集まりではない。
むしろ新進気鋭のフォースとして掲示板でも話題になる程度には高い実力を誇っていることは、ユキも記憶している。
そんなフォースに紙一重とはいえ勝利を遂げた「アナザーテイルズ」もまた、油断ならない存在だということなのだろう。
映像が切り替わったライブモニターには、「もう一つのビルドダイバーズ」と、何やら最近様々な意味で話題になっているフォースが合同でミッションに挑んでいる姿が映し出される。
この世界で頂点を目指すのであれば、倒さなければならない敵は、乗り越えなければいけない壁はあまりにも多い。
だからこそ、ユキがその黄金の瞳で見据えているのは常に未来だけ。
己が思い描く勝利、そしてその果てにたどり着く栄光だけなのだ。
稼働から数年が経っても未だに、ただ一度の例外を除いて不敗の伝説を築き上げているチャンピオン──クジョウ・キョウヤの姿を脳裏に描きながら、ユキはメインターミナルを後にするのだった。
◇◆◇
その後リアルへと解けて帰還したリリカたちだったが、翌日GBNへとログインした時、簡易的に与えられたフォースネストのメッセージボックスには、一通の招待状じみたものが届けられていた。
気付いたのは、三人で難易度のゆるい採取ミッションや討伐ミッションといった対NPD戦で息抜きと肩慣らしを行った後のことであったが、その内容を端的に表すのなら、文面の段階で既にうるさい、といった風情である。
【To:アナザーテイルズ】
【From:パロッツ・パーティー】
【Message:ハハハハハ! 「アナザーテイルズ」の諸君! 先日の「エヴァンジェルミ」との一戦、我々もライブモニターから見守っていたが、実に勇気あふれる見事な戦いであった! そこに惜しみなき称賛を送ろう! だが、我々がメッセージを送った理由はそれだけではない! リリカ君、といったな。君が見せたあの技──「ブランシュアクセル」といったか! あの最速を体現するような煌めきに、我々のセンチメンタリズムなハートは奪われてしまったといっていい! そこでだ、一つ我々から提案があるのだが……君たち「アナザーテイルズ」もまた、我々と共に最速の世界を体感してはみないだろうか? 明日の土曜日もしくは明後日の日曜日、我々はディメンション・シュバルツバルトのハイウィンド・エリアにて待っているぞ! 是非とも良き返事を期待している! フハハハハハハ!】
なんだかもうメッセージの段階でお腹いっぱいだというか開封した直後からゴミ箱に叩き込みそうになるカロリーの高い文面で、「パロッツ・パーティー」なるフォースから「最速の世界」へのお誘いが届いていたわけなのだが、GBNにさほど明るくないリリカにとってそれは幾つものクエスチョンマークで脳裏を埋め尽くされるようなものだった。
「パロッツ・パーティー……?」
「確か、わたくしの記憶が正しければ『バンデット・レース』の王者にして胴元を務めているフォースだったはずですわ」
小首を傾げて、ぷすぷすと頭から黒煙を噴き上げそうになっていたリリカの疑問を汲むように、カエデが答えてみせる。
バンデット・レース。
それはGBNで主宰されるレースイベントと大きく異なり、端的にいうならばバーリ・トゥード(なんでもあり)の一言に尽きる魔境じみたレース競技の名前に他ならない。
コース外からの攻撃以外の全てを認めているそのレースは、極端な話アトミックバズーカやマルチランチャーパックから発射される核弾頭によってコースを破壊することさえレギュレーションの中で認められており、飛行もしくは走行中の相手を何らかの手段で攻撃する、通常のレースミッションのレギュレーションであれば即座にアウトで一発退場となる危険行為も「あり」として認められた、刺激的という言葉で済ませるには些か過激な競技だ。
だが、ただ単に機体の速度だけを競うのではなく、度重なる妨害を切り抜けたり、逆に相手を破壊してゴールするという荒唐無稽な戦術も成立しうるその戦いは通常のレースとはまた違った駆け引きが生まれるために、以前からマニアックな愛好者が多かったとされている。
そして、その代表者こそが「パロッツ・パーティー」というフォースなのだ……と、いうところまでが、カエデの知る範囲だった。
「以前は野試合で行われていましたけれど、公式化されたことで毎週の水曜と土日に試合が行われているのですわ」
「公式化ねぇ……まあ何があったのかは大体想像つくけど〜」
「ええ、かねてより騒音が問題視されていたところを、『リビルドガールズ』のチィによって運営へと騒音対策と公式化の提言がなされたらしいですわ……と、それはともかく。リリカさん、これは結構名誉なことですわよ」
リリカの手を取ってカエデは目を輝かせるが、「バンデット・レース」とやらのレギュレーションも危険なら、その「パロッツ・パーティー」とやらが何なのかも知らないリリカにとってはちんぷんかんぷんだ。
小首を傾げたまま、リリカはきらきらと子供のような眼差しを向けているカエデへと問いかける。
「え、えっと……その、『パロッツ・パーティー』って、有名な方なんですか……?」
「ええ、色々な意味で有名ですが……まあそちらの方は会えばわかりますわ。ただ、この『バンデット・レース』における絶対王者が彼らだということは確かですわね」
確か、敗北した経験はチャンピオンと組まれたエキシビジョンマッチそれだけだとか。
カエデが捕捉したその言葉にリリカは目を丸くする。
チャンピオンはチャンピオンだから例外の枠に置いておくとしても、そんな危険極まりないレースを幾度となく制してきた集団から何の因果かブランシュの必殺技が評価されてお誘いを受ける、というのはカエデが言う通り確かに名誉なことなのだろう。
だが──それはそれとして、ブランシュアクセルには課題が多い。
特に自壊してしまうところは明確な欠点だ。
それも含めて、彼らは自分たちに誘いをかけたのだろうかと、リリカは小さく頭を抱える。
「リリカちゃんリリカちゃん」
「……お姉ちゃん?」
「迷ってるなら、一度飛び込んでみるのも一つの手だよぉ」
少なくとも、スピードに関してはあの人たちはスペシャリストだからねぇ、と、ミワは付け加えて小さく一つ欠伸をする。
パロッツ・パーティー。バンデット・レース。
そこに不安がないかと問われて首を縦に振るかと訊かれれば答えは否だ。
それでも、自身の奥底に眠っている不安を照らし出すようなミワからの提案に、リリカはどこか天啓を得たような気分になっていた。
確かに、彼らが最速を追求するスピードに関してのスペシャリストであるならば、ブランシュアクセルとその欠点について尋ねるいい機会だろう。
困ったように彷徨うリリカの視線を肯定するようにミワとカエデが頷いたのを見ると、リリカは意を決して、その挑戦状を受け取ることを決めるのだった。
歯車は動き出す
【バンデット・レース】……常世に覆われたディメンション・シュバルツバルトの中心地であるメガロポリス、「ハイウィンド・エリア」を一周する巨大な高速道路、「ストレイ・ハイウェイ」を舞台にして行われるバーリ・トゥードなレースであり、核をコースに打ち込もうがファンネルで走行妨害をしようが、それすらルールの範疇として認められるために山賊の名を冠することになった競技。以前は非公式扱いで同ディメンション内を利用するダイバーと騒音問題と治安の問題で揉めることも多かったが、ELダイバー「チィ」の提案によって公式化と騒音対策が行われたことで解決を見ている。