タイガーウルフとの戦いを経て浮き彫りになってきたものは、AGE-1ブランシュという機体の限界に他ならなかった。
無論、リリカが直近に戦ってきた相手が全て格上であり、地力で及んでいないことを考慮したとしてもだ。
ブランシュアクセルは、欠陥こそ抱えていても強力な必殺技であることに違いはない。
だが、リリカがタイガーウルフとの戦いを通じて見えてきたのは、自分が能動的に選択しているつもりでも、状況によってそうせざるを得ないように追い込まれているという状態の知覚と、そして、思考の癖であり、固定化された水路付けだった。
ブランシュアクセルを使うのではなく使わされて、かつ、使わされた状況においても今のAGE-1ブランシュの基礎性能では格上を相手取るのには極めて厳しい。
本能ではそれをどこかで理解していたからこそ、リリカは見えてきた課題そのものはすとん、と胸の奥底に落ちるかのように理解できた。
だが──それを認めてしまうのならば、ブランシュに残された選択肢は二つしかなくなってしまう。
アジアン・エリアを駆け巡りながら、リリカは長く長く、思考の海に揺られるかのように、そうでなければ水面を漂うかのように、己に課された二つの選択肢と向き合っていた。
一つは、AGE-1ブランシュに、原形を留めないレベルでの改造を施すこと。
基本的にはウェア交換という共通規格を利用すればミキシングそのものは容易なように作られている、ハイグレードのAGEシリーズだが、そこから更にステップアップして、一度施した塗装を落として放熱用の機構を自作したり、或いはフィンを極薄化したりといった工作を施せば、ブランシュアクセルを四倍速で起動しても生き延びられる時間は増えるだろう。
だが、この方法にも欠点は存在する。
それは、ブランシュアクセルがブランシュアクセルである限り、稼働限界と隣り合わせになっているということだった。
いってしまえば、水道管から水を出しっぱなしにした状態でホースの先端に無理やり蓋をするのがブランシュアクセルという時限強化の本質じみたものなのだ。
ホースをいくら強靭な素材に変えようと、その根幹が変わらないのではいずれ圧壊するという事実にもまた変わりはない。
だからこそ、もう一つは──
腑に落ちないけれど、それしかないという選択肢を頭に浮かべながら、エリアとエリアの境目にあたるゲートをリリカが潜ったその時だった。
「な、なに……? なにが起きて──」
転移の感覚がいつもと違う──満月だけが照らす荒野に開いたエリアとエリアの境目に呑み込まれていくような感覚とともに、リリカはいずこともなく、ログインしている時の感覚がどこまでも引き延ばされていくような錯覚と共に沈み込んでいく。
それが、突発的に発生したバグであるのか、一種のユニークイベントとして用意されていた現象なのかはわからない。
だが、巻き込まれたリリカにとってはどっちであっても大差なかった。
どこまでも落ちていくように、そうでなければゲームの中で再度ログインし直すように、AGE-1ブランシュと、そしてこのGBNにおける己である「リリカ」という躯体は解けて、解けて──やがて、パズルの欠片同士が繋がるように、どこかへと放り出されてゆくのだった。
◇◆◇
そこは静かで、厳かな雰囲気に包まれていた。
月明かりのみが照らす洞窟の最奥といった風情のエリアは、ディメンションに生じた綻びのようなものであり、ある種のイースターエッグとしてこのGBNにぽつりと置かれているようなものだ。
ある特定の日に特定の状況で特定の行動をする──そんな、検証するのにも気が遠くなりそうな条件を含めて、様々なシークレットがGBNには存在している以上、このイースターエッグが果たして意図して生まれたものなのか、それとも意図の埒外にあるものが見落とされた結果としてここに佇んでいるのかは、飛ばされてきたリリカにも──そして、その仮想の岸辺に佇んでいる、巫女のような衣装に狐耳のダイバールックといった装いに身を包んでいる先客にも知るところではない。
ただ、こういうエリアの綻びに存在する、「幻の場所」とでも呼ぶべきものは確かに、過程はどうあれこのGBNにイースターエッグとして存在している。
ならばそれがバグなのか一つの偶然なのかを問うことそのものが野暮なのではないだろうか──そうとでも言いたげに、先客は脚先を澄んだ湖面に微かに浸らせて、凪いだ水面に波紋を生み出す。
「こんなところで人と会うのもいつ以来かの」
困惑するリリカをよそに、脳が溶けそうな、そうでなければ砂糖菓子で出来たような声音をした狐耳の少女はその外見に似合わないような口調で語る。
先客である少女にとってこの場所はある種「同類」のようなものであり、ディメンションの裏側、テクスチャの裂け目に潜んでいるような秘密基地か、そうでなければ見捨てられた場所であるからこそ、何かを考え込むのにはちょうど良かったのだが、運がいいのか悪いのか、今日はここに久方ぶりの来訪者が訪れた。
考えといっても、別に大したことでもなければ大層なことでもない。
ただ過ぎゆく時間の中で人が無為に生の意味を問いたくなるように、少女もまた、そうした月日の中に埋もれる旅人たちの屍のような問いかけであり、ある種の願いを抱いて物思いに耽っていただけだ。
「……え、えっと……ここは……? その、すみません……私、突然迷子になっちゃって……」
「見ればわかる。娘っ子。お主はあらゆる意味で迷うておるな」
捻れに捻れて、拗れに拗れ、そうしてここに迷い込んできた。
別に、ダイバーの迷いがこのイースターエッグを手に掴む条件などでは断じてない。
そんなものは精々ミラーミッションの中に示唆という形で反映されるぐらいだ。
だが、人の縁というものはどうにも複雑奇怪で、だからこそどこか愛おしくさえ感じられる。
超然と佇んでいる少女は、それだけで何か一つの信仰とでもいうべきものが芽生えてきそうなほどに神々しく、そして夜の闇に包まれた仮想の海でも、やはり照らすには頼りない月明かりの下でもくっきりとその輪郭が浮かび上がっているように、リリカの目にはそう映っていた。
夜は好きでも嫌いでもない。
ただ、自分の輪郭がどこかに溶けて消えてしまったような、だからこそ自分と名前も知らない誰かが、そして地図に示された名も読めないどこかが繋がりあっているような気がして、一つそこに赦しを得たような気分になれる。
だからこそ、リリカにとって夜というのは仮想と現実、存在と不在が曖昧になって、己の輪郭もどこかブレて、融けて消えていくような時間だったのだが、目の前にいるダイバーは、そんな曖昧な時の中でもはっきりと存在の形を保っていた。
それが凄いことなのかどうかはわからない。
だが、異質である、というのはリリカにもすぐに理解できた。
異質なものを見た時、人はどうしても受け入れ難く、排除する傾向にあるというのは今までの半生で、嫌というほど思い知らされている。
それでも──神々しく目の前に佇む少女を前にしてリリカが抱いた想いはリジェクトとは遥かに遠い、リスペクトに近いものであった。
届かないものを掴むように、湖面の月を掬いとるように、気づけばリリカは少女へと手を伸ばしていた。
「……あ、えっと……ごめんなさい。私……」
「よいよい。お主のように決意が固い者と会うのも久しいことじゃ。我はテンコ──そう名乗れば、通じるかの?」
テンコと名乗った少女は、どこかリリカを試すようにそう問いかける。
テンコ。その名を知らないダイバーは、このGBNにおいて少数派だ。
一桁ランカー……「現人神」と例えられる九柱のダイバーたちに匹敵する実力を持ちながらも、あえて10位という位置に留まり、己という存在を超えていく存在が現れることを何よりの楽しみとしている、どこか神々しい雰囲気を纏った少女。
かつては、チャンピオンとのフリーバトルでかのハードコアディメンション・ヴァルガを半壊させたとか、有名な終末系G-Tuberにして個人ランキング13位という「二桁の魔物」を象徴するような半人半竜のダイバー、「クオン」の憧れの人だとか、その他様々な伝説を勲章としてその身に飾った、誰が呼んだか「半神半魔」と呼ばれるダイバー、それがテンコという存在に他ならない。
だが、残念なことにリリカはその少数派だった。
G-Tubeを見始めたのもつい最近のことだし、見ているジャンルはもっぱら制作配信である。
時折トップランカーのバトル配信も見てはいるが、テンコ自身はG-Tuberとして活動しているわけではないため、名乗られたとしても名前以上の情報がわからないのだ。
「え、えっと……すみません……その、ごめんなさい……有名な方、なんですか……?」
もじもじと俯き、おずおずと控えめに手を挙げて問いかけられたその答えに、テンコは思わず足を滑らせて躓きそうになりながらも、いつぞやの出来事をそこに重ね合わせて、小さく噴き出していた。
「ぷっ……ははは! お主、本当に面白いのう! 本当に我を知らぬダイバーと会ったのもいつ以来だったか、いや……つい最近か。まあ良い。合縁奇縁と人がいうのも頷けるというものじゃな」
「え、えっと……つまり……?」
「一応ではあるがの、我は個人ランキング10位におる。故に名を知っているかと思ったのじゃが、娘っ子。お主はそういったことに興味がないとは思わなんだ」
ダイバーというのは多かれ少なかれ強さを求めていて、己の立ち位置を示すその数字と頂点に並ぶ面子のことはだいたい覚えているものだとばかりテンコは思っていたのだが、リリカはどうやら例外らしい。
例外といっても、リリカだって一応は自分のダイバーランクだとかは気にしているし、それこそある種の「強さ」を求めて今も彷徨っているのだ。
ただ、上位の名前を覚えていても、そこに挑めるのなんてきっと遥か遠く、時間をかけた末のことだろうから覚えていなかっただけの話で。
「……あ、あの……えっと、すみません……」
「よいと申しておるではないか。しかし、お主が抱えているその頑迷さは、決して強さと無関係なものではないじゃろう」
リリカとしては穴があったら入りたい気分だったのだが、テンコはどこかそれを気にした様子もなく、笑いすぎて眦に浮かんだ涙を指先で拭いながら、しかしてその威厳を崩すこともなくそう囁く。
強さ。求め続ければ果てのないそれをどうして求めているのか、リリカには正直なところわからなかった。
元々GBNを始めたのだって、あの「リビルドガールズ」のように誰かと繋がりあって、そしてあわよくばそこで仲良くなって、と、己が失ってしまった放課後の時間の代替とするような理由での話だ。
それなのに今は、AGE-1ブランシュという愛機が抱えている問題と、そしてフォース「エーデルローゼ」に敗北を喫したという事実がどこかささくれのように心へちくりと痛みと違和感をもたらしている。
そんな自分が不思議でもあったのだが、思えばいつもと同じように考えなければ済むことなのだろう。
そうして目を瞑り、俯いて、嵐が過ぎ去るのを静かに待つ。
でも、その選択肢をどうしてか選びたくないと、リリカはそう思っている。
故にこそ、テンコはリリカのことを頑迷だと評したのだろう。
「……わかるん、ですか……?」
「はて、のう……ただ、お主とよく似た目をしている童と以前会ったことがあっての」
その童も頑迷で、決意に満ち溢れた目をしておったよ。
朧な微笑みを浮かべて、テンコは心底愉快げにそう語った。
「……決意……」
決意。それはカエデが見つけてくれた自分の強みのような何か。
まだまだ、自分の中にそれが宿っていることを自覚できていなくとも、自信がなくとも、リリカをここまで導いてきた証。
テンコという少女は、まるで悠久の時を生きているかのようにどこか超然と、リリカの中に存在するものを見抜いて、孫を見守る祖父母のように笑っている。
もしかしたら、ここに答えがあるのだろうか。
どこか縋るような気持ちで、いつになく深刻な面持ちで、助けを求めるように、リリカは問いかける。
「……わ、私……その……迷ってるんです……どうしても、どうしても、AGE-1ブランシュから乗り換えないと、問題が解決できなくて……でも、ブランシュから降りちゃったら、私、ブランシュに対してひどいことをしてるみたいで……だから、その……」
「答えが欲しい、かの?」
「……はい……」
リリカの悩みというのは、突き詰めてしまえばそこに行き着くものだった。
ブランシュアクセルに機体側がどうやったって耐えられないのなら、最初から耐えうるように設計した機体へと乗り換えるほかにない。
シンプルで、簡単な解決策だ。
だがそれは、今まで、ここまで自分を導いてくれたAGE-1ブランシュという相棒を見捨てるという不義理なのではないかと、リリカはずっと迷っていて、だからこそ、ブランシュがブランシュのままに必殺技の問題を解決できる方法を探していたのだ。
しかし、タイガーウルフ道場で突きつけられた答えは残酷なものだった。
AGE-1ブランシュでは、今の時点で殆ど限界が来ている。
リリカの反応速度や操縦の技量に問題はない。むしろ着実にそれを伸ばしているからこそ、四倍速込みとはいえ「三桁の英傑」に手傷を負わせるまでに至ったのだ。
だが、機体がそれについてこれないのだ。
元々AGE-1ブランシュは、自分なりに見つけた、チャンピオンが操るガンダムTRYAGEマグナムに憧れて作ったものだ。
その多機能性ではなく汎用性と機動力に重点を置いたアセンブリもコンセプトも、決して悪いものではない。
ただ、これからを考えた時、「エーデルローゼ」のようなフォースと戦っていかなければならない時、ブランシュの性能では格上相手のジャイアントキリングを果たすことは、そしてリリカの望むような立ち回りをすることは事実上不可能であるといった宣告に、どうしても納得できなかったのだ。
気付けば、リリカははらはらと涙を零しながら、テンコへと必死に思いの丈をぶちまけていた。
それは要領を得ず、しどろもどろになってのことだったが、それでもリリカにとっては重要なことには違いなく、だからこそ縋り付くように問いかけたのだ。
僅かな沈黙。一瞬が一秒に、一秒がどこまでも引き延ばされていくような感覚の中で、リリカは両肩に鉛の手が触れたような錯覚とともに黙り込んでいた。
どれほどの時が経っただろうか。
一瞬か、一秒か。
そんなリリカの重苦しい心情を汲むように。テンコは超然とした微笑みを崩さずに、リリカへとどこかその髪を撫でるような口調でそっと語る。
「物には想いが宿るという考え方があっての」
「……はい……」
「付喪神……この国で信仰されてきた考えじゃな。じゃが、我が申したいのはそういうことではない。お主は……お主と共に駆け抜けてきたその機体は、きっとお主に感謝しておるのではないか?」
「……感謝……ですか……?」
「うむ。例えどのような結末を辿ろうともじゃ。お主はさぞかしその機体を、ガンプラを大事にしておったのじゃろう。もっとも──我は最近会った童と違って直接的に聞いたわけではないがの」
洞窟の中で身をかがめているAGE-1ブランシュに歩み寄ると、テンコは優しく、今までの戦いを労るかのようにそっとその装甲を指先でなぞった。
「ならば、お主がどう決めたのであれ、それは失われるものではなければ、背くことでもないのではないかと、我はそう思うのじゃ」
あとはお主の問題じゃがの、と、そう語るとテンコは光が消えたAGE-1ブランシュの双眸を覗き込んで、微かにそう笑った。
感謝されている。
テンコの言葉に正直なところ、リリカはそこまでの実感を抱かなかったものの、それでも──どこか心の中を覆っていた靄が晴れていくような、赦しを得たような感覚を抱いていた。
「……テンコ、さん……その、ありがとう、ございます……」
「何。礼を言うべきは我ではない。さっきからそこに佇んでおるではないか」
──お主の愛する相棒が、ガンプラがの。
テンコが悪戯っぽくそう呟いたかと思えば、目の前の景色が次第に揺らいで、その輪郭を次第に失っていく。
「もうすぐ夜明けか、お主にも訪れると良いの」
「ま、待ってください、私──」
「我はテンコ。フォース『天地神明』の主にして──二桁最後の壁として立ちはだかる者じゃ。高見にて待っておるぞ、娘っ子、いや……リリカよ」
テンコがその言葉を言い切ると同時に、イースターエッグとして隠されていたテクスチャの綻びは修繕され、そして仮装の海に太陽が昇ったことで、リリカは元の荒野ではなく、いつか採取ミッションの時に訪れた、ヤナギランが咲き乱れる花畑へと、愛機と共に放り出されていた。
「わわ……っ……」
あれが夢だったのか現実だったのか。
それはリリカにもわからない。ただ。
雫を浴びたかのように、差し込む日差しにその双眸を煌めかせるAGE-1ブランシュを見上げて、リリカはごくり、と息を呑む。そして。
「……ありがとう、ブランシュ……ここまで私を連れてきてくれて……そして、私と一緒にいてくれて……」
これが今生の別れではないことはわかっている。
適材適所という言葉がある通り、新たな機体に乗り換えたとしても、シチュエーション次第ではブランシュに再び乗り込むことだったありえるだろう。
それでもこれは、禊のようなものだ。
リリカは眦に涙を滲ませて、ぺこりと頭を下げると、今までずっと自分と共に戦ってくれたガンプラに、「大好き」を自分なりに形にした結晶に、そっと頬を擦り寄せて、悲しみと喜びが縦糸と横糸になって織り成した涙を、静かに、朝露のように溢れさせるのだった。
頑なであるということは良くも悪くも一途であること
【テンコ(出典:「アルキメです。」様作「お嬢様はピーキーがお好き」】……個人ダイバーランク10位に座す凄腕のダイバーにして、9位以上に名を連ねる「一桁の現人神」に匹敵する実力を持ちながらも、敢えて10位にとどまって、己という試練を超えていく者を見るのが趣味な、どこか超然とした雰囲気と神々しさを纏うダイバー。そのためファンも多く、その威厳ある口調もあいまって専ら「テンコ様」と呼ばれるのが慣例となっている。
【幻の場所】……時折GBNの中で発生する、特定の条件をクリアすると行くことができる「秘境エリア」が正式名称であり、運営班が把握しているかしてないかはともかく、割とそこかしこにイースターエッグとして仕込まれた要素。テンコがいた場所は特に目立ったアイテムも採取できない、強いていうならば景色こそが最大の報酬なのだが、中には希少な鉱石やパーツ類を採掘できる秘境も存在するため、検証班は今日も血眼になって追い続けているとかいないとか。