フォースフェス「グラン・サマー・フェスティバル」は一部阿鼻叫喚の地獄となったものの、その終わりを迎えてしばらく、世間は学生たちが夏休みを謳歌するような季節となっていた。
外を歩けば湿気の混じった蒸し暑さと、ヒートアイランド現象による照り返しでじりじりと身を焦がされるかのような熱気が都市を覆っており、ガンダムベースシーサイドベース店近くは、海沿いであるにもかかわらず涼しさなど欠片も期待できないようなかんかん照りだ。
そんな、誰もがとまではいかなくとも大方の人間がクーラーをつけた部屋に引きこもって何もせずに一日を過ごしたくなるような猛暑日の中、梨々香は朝の四時に起きるという暴挙を成し遂げて、半袖のパーカーに少し丈の短いプリーツスカートといった出で立ちに巨大なリュックサックを背負って、シーサイドベース店にできた行列の先頭付近に並んでいた。
開始十五分で「ビルドライジングのケイ」に掻っ攫われたことで色々と話題になった「HG トライエイジガンダム」だが、再販の期日が決まったために、リリカはわざわざ朝っぱらからこの暑さの中、行列に並んでいるのだが、それでも先頭が取れない辺り、ガチ勢の中のガチ勢はきっと泊まり込みでもしているのだろう。
「くぁ……あっつい、あっついねぇ、リリカちゃん……」
そして梨々香が張り切って外出するとあっては姉として喜ばしく、何よりGBNではここ最近カエデがぐいぐいアピールしているということもあって、美羽もまた朝四時に起きてこの行列の一部となっているのだが、普段から眠たげにしている彼女にはやはり酷なのだろう。
口元を手で覆って小さく欠伸をすると、美羽は眦に滲んできた涙を指先で拭って、その最後尾がどこまで続いているのかもわからない行列を一望する。
「……う、うん、お姉ちゃん……でも、早めにきてよかった、かも……」
「それは確かにねぇ……」
美羽も足繁くガンダムベースシーサイドベース店に通っているが、ここまでの行列ができたのは見たことがない。
だいぶ前にEG……エントリーグレードの初代ガンダムが発売された時はこれと同じような行列が本店の前にできたという噂は聞いているのだが、何せ昔の話だから眉唾物だし、実際そうだったとしても、美羽個人が思うことはそこに巻き込まれなくて良かった、の一言に尽きる。
だが、梨々香と一緒とあれば話は別だ。
時刻はシーサイドベース店の開店まであと十分ほど前を指しており、それまでの実に七時間にもわたる間、手持ち無沙汰な時間を埋めるように美羽は梨々香と語らっていたのだから、リリカニウムの欠乏も十分すぎるほどに補えている。
そんな姉の心境はいざ知らず、梨々香は来るべき争奪戦に向けて、武者震いのように背筋をぞくり、と震わせていた。
トライエイジガンダムは、何としても確保しなければならない。
それは、あの「リビルドガールズ」のアイカというダイバーが自身の愛機に組み込んでいたガンダムAGE-FXと同様に、梨々香が思い描く新たなるブランシュに必要なキットだからだ。
一応、チャンプが使用しているガンダムTRYAGEマグナムのレプリカでも形状自体は同じだから代替できなくもない。
だが、クリアレッドのTRYファンネルというパーツは、クリアグリーンから塗装で表現するにはどうしてもその透明性を潰してメタリック塗装を施す他になく、一応先に確保して、そして持参していたAGE-FXのCファンネルも同じである。
それでも、あのトライエイジガンダムを見た瞬間からそれはそれとして出来ることならそのパーツを使いたい、というモデラー特有のこだわりか、そうでなければ天啓のようなものが芽生えていたがために、梨々香は朝の四時近くからシーサイドベース店に並んでいたのだ。
降り注ぐ蝉時雨が体感温度の上昇に拍車をかける中、梨々香たちをはじめとしてガンダムベースに並ぶ客たちのボルテージは今か今かと、炸裂するその時を待っているように思えた。
実際は並んだ順から整理券が配布されている為に押し合いへし合い、という事態にこそならないものの、目当ての商品が発売される前とあって気持ちが昂らないはずもない。
梨々香もその一部となって、配布された「14番」と書かれた整理券を握り締めながら、開店までのカウントダウンを心の中で刻み続ける。
きっとあのELダイバーのチィは今頃ほくそ笑んでいたりするのだろうか。
神が笑って悪魔が踊るように、物欲に心奪われた囚人たちはその目をギラつかせ、あるいは列の最後尾に並んでいた者はどこか途方に暮れたような表情をして、その瞬間をただ待ちわびる。
「お待たせしました、ガンダムベースシーサイドベース店、開店します! HGトライエイジガンダムをお買い求めのお客様は整理券の順番から、焦らず、急がず、ゆっくりとこちらへご入場ください!」
簡易的な仕切りが設けられて限定品売り場へと繋がるような道を作っている辺り、店側も本気ということなのだろう。
朝村、と名札に記された店員が開店を告げると同時に、整理券の一桁番号を所持している客たちはゆっくりと──しかしどこか勇み足で、専用の通路へと誘導されていく。
「じゃあじゃあ、美羽と梨々香ちゃんは一旦ここでお別れだねぇ」
「うん、お姉ちゃん……トライエイジガンダム買ったら、その……」
「制作ブース、でしょ? 大丈夫大丈夫だよ〜」
半分はこれが今生の別れでもあるまいし、とばかりに、そして半分は私利私欲で梨々香の細い身体をぎゅっと抱き寄せると、美羽はまばらな一般列へと溶け込んで、一足先に店内の雑踏に紛れていく。
大きなリュックを背負ってきた理由は飲み物や塩飴が必要だから、というのもあるが、美羽と約束した通り、トライエイジガンダムを無事に購入できたら、その瞬間に新たなるブランシュを作り上げるための荷物を運ぶ為、というのが大きい。
梨々香も特設販売会場へ向かう列に流されながら、山と積まれたトライエイジガンダムの箱を一瞥する。
これだけあっても足りるかどうかわからない勢いで、行列は続いていた。
それにしたって、GBNのアクティブユーザーが二千万人もいるというのは梨々香にとっては中々信じがたいことではあったのだが、こうして先日のエキシビジョンマッチの結果に臍を噛んだのであろうダイバーたちが、あるいは新商品だからと店頭に並んだコレクターがいるというのはそれだけ、あのゲームが及ぼす影響が大きいことをなによりも雄弁に物語っている。
幸いなことに、我先にと駆け出していくような悪質な客はいなかった。
梨々香も順番通りに滞りなく、山積みになったトライエイジガンダムの箱から「お一人様一点まで」という立て看板の記載に従って、その一つを手に取って、会計列に並んでいく。
その箱を手に取ったのは、恐らく偶然だった。
集荷や陳列という作業の間に傷付いたのであろう、角の辺りが微かにへこんでいるトライエイジガンダムの箱はなんだか自分のようで、もしかしたら美品を求めている客からは見向きもされなかったのだろうかと、会計列が捌けるのを待ちながら、梨々香はそんなことを考える。
どこか自分と似ている。
世界のすみっこにはみ出してしまって、そこで息を潜めて生きるような、或いはどこかしらが傷ついてしまって元には戻らないまま、日常を過ごすような哀愁。
そんなものが微かに滲み出ている箱を、世界のすみっこで暮らしている自分が手に取ったのはきっと運命か何かなのだろう。
梨々香は、トライエイジガンダムと心がぐっと近づいたような錯覚を感じながら、会計カウンターにその箱を置いていた。
定価分と消費税が合わさった金額をきっちりとトレーの上に載せ、店員がその勘定を終えると同時に、手渡された商品とレシートを受け取って、息が詰まりそうになる人混みからの脱出を無事に果たす。
「……やった……やった、よ……! えへへ……」
一人で朝から買い物に並ぶなんて、GBNをやる前にはきっと考えられなかったような快挙だ。
梨々香は無事に購入することができたトライエイジガンダムの箱に頬をすり寄せながら、そのちょっとだけ傷んでしまった箱の角を、そっと優しく、慈しむように人差し指の先でなぞった。
「おめでとおめでとぉ、梨々香ちゃん」
「あ、お姉ちゃん……お姉ちゃんの買い物、その……」
「然り然り、美羽の買い物も無事に終わったよぉ」
こっちは人が並んでなかったから楽だったけどねぇ、と、美羽は購入済みを示すテープが貼られている、「HGUC トーリスリッター クリアカラーバージョン」の箱を梨々香に向けて掲げてみせる。
トーリスリッターとやらが何なのか、そしてどんなガンダムに出てきたのかを梨々香は知らない。
ただ、美羽がそれを買ったということは、きっと梨々香と同様に何か新しいピースを己に嵌め込むためなんじゃないか、ということだけは辛うじてわかっていた。
「色々あるんだけどねぇ、やっぱりスナイパーやるなら今のままだと足りないかなって思うんだ〜」
「……お姉ちゃんでも、そう思うの?」
「然り然り、美羽ちゃんも何だって出来るわけじゃないんだよ、梨々香ちゃん。できることしかできないから……こうやってガンプラに手伝ってもらうんだよぉ」
美羽が何を思って、そして何を願って、トーリスリッターとやらに託しているのかは、梨々香にはわからない。
梨々香の目から見た美羽はいつだって完璧で、一点の曇りもなくて。
そんな姉だって人間なのだからできないことがある、というのは頭でわかっていたとしても、納得はできなかったけれど、自分がトライエイジガンダムという答えに辿り着いたように、美羽もまたトーリスリッターという答えに導かれたのなら、その根底にあるものは同じなのだろう。
ガンプラに手伝ってもらう、という姉の言葉を反芻しながら、梨々香はこれから自分がトライエイジガンダムへと託そうとしている願いのことを思い返す。
ガンダムAGE-1ブランシュ。
長いようで短く、短いようで長い間、自分を支えてくれて、そして、つい先日にはきっと今まででは考えられなかった、エキシビジョンマッチの優勝という場所まで導いてくれた、大切なガンプラの名前だ。
今から作るものは、その魂を継ぐ為の器にして、そして自分が背中を預ける新たなる相棒。
梨々香と美羽は、互いに少しだけぎこちなく伸ばした手を繋いで、何人かの利用客が早速トライエイジガンダムを組み立てている制作ブースを一瞥する。
白と赤、二つの魂を生まれ変わらせる新たなる器を、今は頭の中に思い描く空想の白地図にしか描かれていないその姿を、このリアルに出力する為に、二人は歩き出すのだった。
◇◆◇
トライエイジガンダムの組み立て自体に、難しいところはあまりない。
HGというフォーマットがそもそもの作りやすさを重視している以上、MGやPGといった大型キットのような内部フレームは少なく、簡易的で、大体一時間から二時間もあれば組み上がる、というのが最大の売りではあるのだから当然である。
だが、ゲート処理だとか合わせ目処理だとかそういう細々とした作業と並行しながらやっていくとなると相応に時間を食われるために、梨々香は紫色の蓋をした「流し込み、速乾タイプ」の接着剤で腕の合わせ目を消しながら、先にAGE-FXの方は家で処理を終えていてよかった、と、心の底からほっと息をつくのだった。
結論からいってしまえば、トライエイジガンダムから純粋にコンバートできたパーツは腕と肩、そしてそこに接続されている赤いTRYファンネルだけだ。
梨々香がミキシングのベースと定めたのは殆どがガンダムAGE-FXだった。
と、いうのも、それはひとえにFXバーストモードという原作における必殺技の存在に尽きる。
アイカのフェアリライズガンダムは、AGE-FXの肩を腰部のアーマーに接着することでその放熱機構兼余剰出力の処理を解決していたのだが、AGE-FXのパーツをベースとして多く残せば、ブランシュアクセルの問題点であるそれらが解決するのではないか、と踏んだ為だ。
ぱちぱちと、パーツを切り出し、そしてデザインナイフを僅かに残したゲート跡に沿わせて丁寧にその処理を行っている美羽を横目に見ながら、梨々香はごそごそと、リュックに入れていたクリアファイルから一枚の紙を取り出した。
それはAGE-FXをスキャンして線画としたものにペイントツールで着色した、カラーパターンの決定稿であり、そしてこれから本塗装に入る際に配色を間違えない為の保険だった。
「うん?」
そして、美羽が首を傾げたのは小袋から取り出したパーツを恐る恐るといった調子で梨々香が分解していた時のことだった。
「ど、どうしたの、お姉ちゃん……?」
「いやいや、ただ頭部パーツはオリジナルなんだねぇ、って思っただけだよぉ」
美羽が指摘した通り、新たなるブランシュに組み込む為の頭部パーツは別系統のガンダムから持ってきた、スタンダードなガンダムフェイスにV字アンテナというものだったが、これには一応理由がある。
「……う、うん……最初は、トライエイジガンダムの頭を使おうと思ったんだけど……せっかくだからその、挑戦してみたいな、って……えへへ」
「梨々香ちゃん……いつの間にか立派になったねぇ、お姉ちゃんとして鼻が高いよ〜」
デザインナイフにキャップを閉めて机の上に置くと、美羽は自信なさげに俯いた梨々香に抱きついて、頬をすり寄せた。
小さい頃はこうして姉妹でスキンシップを取るのは珍しくないことだったが、一体いつからそれができなくなって、そして。
──いつから、それをまた始められるようになったのだろう。
梨々香も頬をすり寄せ返しながら、奇しくも美羽と同じことを考えていた。
そして、AGE-1ブランシュから組み込めた関節パーツと、そしてドッズライフルを除いた部分を塗装するべく、梨々香はトライエイジガンダムの腕とAGE-FX、そしてオリジナルの頭部を持って、塗装ブースに腰を落ち着けた。
塗らなくていいパーツこそあるものの、新造したAGE-FXはその八割がたを塗装しなければならないために、やっぱりその作業を始める前は挫けそうになってしまうのだが。
サーフェイサーと関節の色を兼ねたダークグレーの塗料を関節パーツへと吹き付けながら、梨々香は思う。
──楽しい。
きっとめんどくさくて、つらくて、投げ出したくなるような作業の連続が、ガンプラを組み立てるということなのだろうけれど、こうして踏み出してみれば案外楽しいところだっていくつもある。
関節パーツを塗り終えれば、次は本体の下地となる、ホワイトサーフェイサーに普通のグレーサフを少しだけ混ぜた色を吹き付けて、関節と入れ替える形でドライブースの中で乾くのを待つ。
初めての時は手間取った作業も、少しは手際良くできるようになっていることに梨々香はちょっとした感慨を覚えながら、早速買ってきたトーリスリッターのパーツを自分の色に染め上げている美羽を一瞥する。
謙遜こそしていたけれど、やっぱり美羽の手付きは器用で、手際が良くて。
そこに嫉妬を抱かないかと問われて、首を横に振るのは嘘になる。
それでも──ずっと追いかけ続けてきた背中だから、そしてずっと隣で見続けてきた笑顔だからこそ、梨々香は自分の舌に探り当てた言葉が「それ」ではないことに、小さく安堵した。
そして、乾いたホワイトグレーサーフェイサーが吹き付けられたパーツに白とライトグレーを、並行して乾かしていたピンクサーフェイサーが塗られていたパーツには明るめの赤を吹き付けて、梨々香は三度ドライブースに乾いていないパーツを放り込み、新たなる魂の──ブランシュの魂が宿る御座が出来上がるのを待つ。
ELダイバーは、ガンプラの声が聞けるという。
ショーケースの中で今日も元気に猫をかぶりながら接客しているチィの姿を脳裏に描きながら、今まさに生まれるその時を待っている、新たなるブランシュに、梨々香は懸想する。
もしも自分にもその声が聞けたなら──この子は、何というのだろう。
「……ガンダムAGE-
それはわからなくたって、私は。この世界は。
きっと、君を待っているんだよ。
そう祝福するように、慈しむように、梨々香は今この世に生まれ落ちようとしている、新たな愛機の名前をそっと、唇から紡ぐのだった。
それは新たなる、そして今までの全てが詰まったブランシュ