ユユが提案した「練習」として唇から滑り出てきたその場所を、リリカは知っていた。
否、このGBNにある程度浸かっている者であればその名を、轟く悪名を知らないダイバーの方が少数派である。
特に、始めたばかりのダイバーはそういった都合やら悪名、しがらみに縛られていないため、かつてのリリカがそうであったように、「そこ」を根城にしている悪質なダイバーたちの毒牙にかかることも珍しくはない。
「ハードコアディメンション・ヴァルガ……ふふ、説明はいりませんね? ユユにとってはお庭のような場所です……」
ハードコアディメンション・ヴァルガ。
そこでは従来、ダイバー同士の合意がなければ始めることができないフリーバトルが「無制限」そして「無差別」に解禁されていることが最大の特徴であり、その都合上、背中からの不意打ちやステルス暗殺など日常茶飯事、飛び交う戦略兵器に焼かれて蒸発するのもまたありふれた光景となっている、世紀末もかくやという地獄が広がっている。
本来、様々な理由があってハードルが高く設定されているフリーバトルをやりやすい場所を作ってほしい、というダイバーたちの要望から生まれたのがハードコアディメンション・ヴァルガなのだが、そんな純粋な願いからはかけ離れた形となってしまったというのが実情なのだ。
しかし、その特異性故に惹きつけられた悪質なダイバーや、或いは死をも恐れずに飛び込んでいき、戦いの屍山血河を生湯としたようなダイバーたちをある種隔離しておけるという利点も生まれたことで、幾つもの苦情が寄せられて尚、運営はその惨状を黙認していた。
ただ、初心者狩りは論外だとしても、ディメンション全体で無制限のフリーバトルが解禁されているということで、普段のフォース戦やフリーバトルでは味わうことのできない緊張感を味わえるということから、ユユや彼女の兄であるキョウスケのように、修練の場として、真っ当に活用しているダイバーが数多いこともまた事実なのである。
活用できるようになるまでが果てしないとしても、ヴァルガの無制限フリーバトル、己以外の全てが敵となる環境はある意味「大戦争」の雰囲気に近いことはまた確かである。
故に、ユユの提案はある種真っ当なものであったのだが、先入観からか、リリカが少しばかり抵抗を抱くのもまた事実であった。
「ヴァルガですの? わたくしはたまに通っておりますけれど……確かに大戦争の練習にはなりますわね」
「うむむむ、練習にはなるかもしれないけど、積極的に行きたいところじゃないねぇ……」
カエデはその戦闘狂側に片足を突っ込んでいるから気にならなかったものの、ミワはどちらかといえば反対、少なくとも諸手を挙げて賛成だとはいえない立場を表明する。
「ふふ……スナイパーは親の仇のように追い詰められますからね、でも、それも含めて練習になりますよ……?」
「そうなんだよねぇ……リリカちゃんやカエデさん、ユユさんにいつも護ってもらえるとは限らないから、ミワも自衛の練習はしなきゃいけないんだけどねぇ……むむむ……」
スナイパーを見つけたら親の仇のように追い詰めろ、というのはGBNにおけるある種の鉄則だが、ハードコアディメンション・ヴァルガにおいてその趣は殊更強い。
それは主にスポーン地点近くに陣取って、無敵時間が切れた瞬間を狙ってログイン天誅という名の横暴を下している「回収屋」ピーターであったり、あの激戦区にあって完全に己の姿や気配を消して、乱戦区域を丸ごとダイバーポイントに変えてしまうようなスナイパーの存在が大きいのだろう。
カエデはなんだか気まずそうにしているミワの表情から、それが誰であるかを朧気ながら察して、小さく肩を竦める。
「……え、えっと……今の私たち、その……通用、するのかな……」
ミワが「エーデルローゼ」を追放され、傭兵として荒れ狂っていた時代の記憶に顔をしかめているのを横目に、リリカは己の中から生まれ出た純粋な疑問を、ユユとカエデの賛成組へと投げかけた。
スポーンキルへの対策はともかくとしても、そこを抜けて待っているのが全方面全方位から押し寄せてくる敵の波だとなれば、その対処ができるかどうかは純粋な立ち回りの腕、プレイヤースキルに関わることだ。
リリカは詳しくは知らないものの、一般的にヴァルガでは三分生き残れれば一人前、というのがある種の共通認識となっている。
全方位から弾幕の雨霰、そしてそれを隠蓑にしたシーカーやアサシン、スナイパーか跋扈する地獄は初心者を脱して、中級者となったダイバーたちですらその全てを捌くことは難しい。
逆にいえばヴァルガで三分生き残ることができれば、一角のダイバーと認められるということだが、聞けば聞くほどリリカは自信がなくなってくるのだ。
「ふふ、リリカさん……」
「え、えっと……ユユさん……?」
「それも含めての練習、そして……リリカさんはこのユユに一撃喰らわせたのですよ? ふふ……」
風前の灯火となっていたリリカの決意に油をぶち込むように、どこか挑発的にくすくすと笑いながらユユは耳元でそっとそう囁いた。
どの道、ヴァルガで三分生き残れる腕がなければ、言い換えるのならば「即座に、千変万化の戦況を分析してそれに対応していく力」が備わっていなければ、陣取りゲームとフォース戦が合体したあの「大戦争」で生き残ることは難しい。
負けたからといって、撃墜されたからといって何か大規模なペナルティが課せられるわけではない、というのがGBNの、VRMMOとしての特異性ではあるのだが、それでも悔しいものは悔しいし、気が引けるというのも理解できる。
だが、一度立ち止まって考えてみるといい。
負けて悔しいだけなら、次勝てばいいだけだ。
「そうですわ、ユユさんの仰る通り、今回負けたら次回でリベンジを果たせばそれで済む話なのですわ!」
あーっはっは、と、ハイテンションな高笑いをあげながらカエデは己の戦歴を振り返り、そこに数多の敗北が刻まれていることも意に介した様子もなく、そんなことを言ってのける。
だがそれは、シンプルにしてプリミティブな、このゲームにおけるある種の真理のようなものであった。
一度負けたら終わり、というようなトーナメント制でない以上、ヴァルガに潜る度に次は絶対にぶちのめしてやる、という闘志をへし折れることなく抱き続ける者こそが、あの戦闘狂のラスト・リゾートにおける強者であり、そしてその暗黒面じみたものに魅入られた証明でもある。
それがいいことなのか悪いことなのかはともかくとして、カエデの言葉は、リリカの胸に支えていた忌避感を拭うのには十分なものだった。
「え、えっと……それなら、私……ううん、私たち……お姉ちゃん、その……」
「むむむ……他でもないリリカちゃんが行くって言うなら、ミワはそれに従うよぉ」
多数決なら審議拒否してるけどねぇ、と付け加えつつも、なんだかんだで、上目遣いで問いかけてくる妹の視線には抗いきれずに、ミワは渋々といった調子でそっと頷く。
「ふふ……では、決まりですね……? それでは早速……善は急げと言いますから……ふふふ……」
「これが善なのかどうかは甚だ疑問ではありますけれどね」
どことなく嬉しそうにしているユユを横目に、カエデはやれやれといった具合に肩を竦めてみせるが、その視線に宿っているのは紛れもない闘志そのものであった。
ハードコアディメンション・ヴァルガ。
それは一度は騙されて飛ばされかけたものの、マギーに助けてもらったことで一難を逃れた災厄の地にして、リリカはそれを知る由もないものの、自分が憧れた「リビルドガールズ」にとっての始まりの地。
巡礼というにはあまりにも物騒であるものの、どこか聖地を巡るピルグリムのように、リリカはごくり、と生唾を呑み込むと、決意と共にその戦闘狂のラスト・リゾート、チンパン隔離場、蠱毒の壺と揶揄される地獄への片道切符を購入するのだった。
◇◆◇
降り注いだものは、極光であったのか旭光であったのか。
一年を通して晴れていることが珍しい、暗雲に覆われた災厄の地を切り裂いたのは、サテライトキャノンやダインスレイヴといった戦略兵器もかくやといった具合の砲撃らしき何かであった。
リリカたちはハードコアディメンション・ヴァルガへとログインした直後、例によって出待ちを行なっていた都市迷彩が施されたケルディムガンダム──「回収屋」ピーターの機体をミワが携えていたGNスナイパーライフルIIで撃墜すると、襲い来る無数のダイバーたちを蹴散らしながら進んでいたのだが、突如としてその光は降り注ぎ、無数のダイバーたちを巻き添えにしながら、形成されていた乱戦エリアを丸ごと吹き飛ばしていた。
「まあ、お兄様……今日は一段と激しいのですね……? ふふ……」
「お、お兄様……?」
なんとかその余波から逃れることに成功していたリリカは、ユユがどこか喜悦に頬を赤らめながら呟いたその言葉に首を傾げるが、そんな悠長なことをしている暇ではないことぐらい、目の前の状況を見れば理解できる。
『思えば貴方と死合うのもいつ以来……少しばかり我の鬱憤晴らしに付き合ってもらう!』
『ジャバウォックの怪物……クオンか!』
その極光を切り裂いて現れたものを一言で表すのであれば、「怪物」というその二文字に尽きた。
恐らくはMGEXユニコーンガンダムをベースとしていながらも、複数のキットを複雑怪奇にミキシングすることで、規格外の巨体は人型を逸脱して、ファンタジー作品に出てくる竜のような姿に変貌している。
そして惜しみなく手間と暇を費やして作られたのであろうディビニダドの翼からこれまた一枚一枚をフルスクラッチするという狂気の所業で作り出されたフェザーファンネルが、一時的に曇天を晴らした白亜のダブルオーガンダムへと襲い掛かっていく。
無数の羽根をフレーム単位で回避しながらその巨体に、二挺で一対となっているユユのそれとよく似たリフューザーライフル……共振粒子砲を放つと、その白亜のダブルオーガンダム……【セイクリッドダブルオーガンダム・シルト】は、「ジャバウォックの怪物」と距離を詰めるべく、粒子のマントを翻して突撃を敢行する。
「これは……少々わたくしでも躊躇いますわね」
「ふふ、ユユも普段なら混ぜてもらいたいところですけれど……今回はあくまでも『大戦争』の練習ですからね……」
好戦的な二人組が介入を躊躇うような化け物同士の衝突、その正体は奇しくも個人ランキング13位のダイバーにして、終末系G-Tuberとして配信を行なっている「クオン」と、その一個下まで上り詰めたヴァルガの主人にして降り注ぐ天雷、災厄の化身たるFOEさんこと個人ランキング14位、「キョウスケ」のフリーバトルだった。
ジャバウォックの巨体はただ前進するだけでも周囲に災厄を撒き散らすほどの威容を誇っており、それとタイマンで渡り合おうとする白亜のダブルオーガンダムも十分に何かがおかしいのだが、絵面の全てが常識と理解を振り切っているそのスケールに戦慄しながらも、リリカたちはあくまでも冷静に、そして全力で二人のフリーバトルから遠ざかっていく。
さっさとそうしなければどうなるかなど、「ジャバウォックの怪物」が振るったテイルブレードによる一撃で文字通り有象無象として薙ぎ払われていく無数のガンプラ、その残骸を見ればわかることだ。
「……これが、ヴァルガ……」
「然り然りだよぉ、リリカちゃん、だからなるべくなら関わらない方が良いんだけどねぇ……っと!」
どさくさに紛れて自分を狙っていたスナイパーの気配を察知して、ミワはリリカへと溜息混じりにヴァルガの恐ろしさを語りながら、先行入力によって、都市迷彩を施すことで息を潜めて隠れ潜んでいたザクⅠ・スナイパータイプを撃墜する。
姉も大概人外じみていると、相変わらず冴えに冴えているその狙撃の技を見て嘆息しながらも、そのリリカ自身もまた、ミラージュコロイドを解除して背後から襲いかかってきたNダガーNを、Cファンネルによる先行入力で解体、爆散せしめていた。
良くも悪くも極限までインフレしたような環境に叩き込まれてきたリリカの腕前は、本人の自覚を置き去りにして、彼女という一振りの剣を鍛えるに至っていたのである。
しかしそんな、リリカ個人の事情や自覚を置き去りにして、ヴァルガの戦況は目まぐるしく変わっていく。
このディメンションにおいて、安全地帯というものは存在しない。
『ヒャッハー!』
突如として前方から迫ってくる、八十という数の集団にリリカは一瞬戦慄を覚え、展開していたCファンネルを全てバリアに回すことで、特徴的というにはあまりにも異様な、全身からスパイクを生やし、二輪型のサポートメカに搭乗している集団から放たれた弾幕砲火から身を守る。
「出たねぇ……」
「誰かと思えばこの前のモヒカン集団ですの、懲りもせずによくやってますわね」
「ふふ……どうしようもない方というのはこの世に存在するものです……」
ミワたちは見覚えのあるその集団に対して、一様に苦言を呈した。
酷い言われようであったが、彼ら──ダイバーネーム「モヒー・カーン」が率いる初心者狩りの集団はこのGBNにおいて嫌な名物の一つであり、数年前から飽きもせずにヴァルガで初心者や手負いの機体を多勢に無勢といった具合で圧殺してきたその悪名は、巷に轟いて憚らない。
『ヒャア! いきなり出会い頭に無礼なこと言ってくれるじゃねえか小娘共! 野郎共、囲め囲め! 数で圧殺すればなんてこたぁねえんだ!』
とはいえ、どれだけ悪名が轟いていたとしても、カーンがこのヴァルガを根城として生き残ってきたダイバーであることは確かだ。
クオンとキョウスケが繰り広げていた死闘から逃れることができてこそいたものの、その機体が完全に無傷のままではないということを見抜いて、弾幕砲火による圧殺を試みる辺りはクレバーだといっていいだろう。
「ふふ……邪魔ですね」
しかし、そんな戦術が通用するのであれば「二桁の魔物」などやっていないとばかりにユユは冷徹な笑みを口元に浮かべて、IFBRのトリガーを引いて、ざっと半数のモヒカンをテクスチャの塵へと還していく。
『ぬああああ!』
『うわらば!』
『ひでぶっ!』
聴くに堪えない悲鳴が通信ウィンドウから雪崩れ込んでくるが、そんなことを気にしていたのではおやつにされるのがこのヴァルガだという場所であることはリリカも理解していた。
ユユに続いてカエデがツインバスターライフルでモヒカンの群れを漸減したのを確認すると、残党をミワが容赦のない狙撃ビームの連射によって殲滅にかかったのを合図に、リリカはカーンの機体──ザクⅢの全身からスパイクやリベットを生やしたような、通称モヒカンカスタムを目掛けてブーストを噴かして突撃する。
『は、八十の部下が壊滅だと!? 三秒でか!? だが飛んで火に入るなんとやらだァ、大した火力もねェその機体で俺様のザクⅢスーパーバルバロイカスタムF3000の装甲を抜けると思うんじゃねぇぞォ!』
カーンが豪語した通り、モヒカンカスタムのガンプラたちは基本的に装甲を重点的に強化している。
それは、用途が初心者狩りという情けないものでなければ降り注ぐ天雷や極光に対して少しでも生存率を上げるためという理に適ったビルドだった。
そして、カーンが指摘した通り、リリカのフルブランシュは機動性とファンネル制御に重点を置いた機体で、一撃の火力に関してはカエデやユユ、そしてミワには劣るというのも、半分は事実に他ならない。
──そう、半分は。
リリカはコンソールから武装スロットを操作して、「チェック・メイド」やユユとの戦いでは試す余地がなかったそれを躊躇いなく選択した。
元々、HGトライエイジガンダムには、限定ガンプラとしての特典として、本来であればGBNにおいて最高難易度のミッションをクリアした際にパーフェクトレア報酬として手に入る「トライエイジシステム」が、機能を限定した状態で搭載されているという特徴がある。
どこまでが限定されているのか、またどこまでが行使可能な範囲なのかはまだ検証中であるものの、少なくともリリカが今行おうとしている用途に関しては問題がない、というのは、検証スレッドにおいて証明されていた。
「リミテッドコール……トライスラッシュブレイド!」
リリカが叫ぶと同時に、フルブランシュから放出される余剰エネルギーが一枚のカードを精製したかと思えば、次の瞬間にはそれが虚空に解け、一振りの剣を顕現させる。
それは思い出の剣。そして、始まりにして憧れの証明。
赤く煌々と輝く巨大なビームの刃を発して、リリカが呼び出した武装──トライスラッシュブレイドによる斬撃は、モヒー・カーンの機体をその重装甲ごと圧し切らんと振り下ろされる。
『ば、バカな……この俺様がァァァァァ!』
「これで、終わりです……!」
リリカは別段、カーン個人に対して恨みがあるわけでもなんでもない。
ただそこにいたから。そして、新たな武装を試すのにちょうど良さそうだったから。
そんな具合に、すっかりヴァルガに染まった思考回路はリミテッドコールの発動を承認し、顕現したトライスラッシュブレイドは、ザクⅢのモヒカンカスタムを、彼らの部下が蒸発したのとそう大差ない速度でテクスチャの塵へと帰せしめる。
「それがリリカちゃんの新たなる剣、ってことだねぇ」
「うん、お姉ちゃん……これが私が、トライエイジガンダムが欲しかった理由……えへへ」
そして、僅かに生まれた戦場の空白に佇むフルブランシュのコックピットで、リリカは新たなる剣を地面へと突き立てながら、ミワの言葉に、少しだけ照れ臭そうにはにかんで、フルブランシュを構成する機体の一つにトライエイジガンダムを選んだ理由を、赤裸々に語るのだった。
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