「お前が俺を雇う日が来るとはな」
時は暫し遡り、「大戦争」が終わった直後。
セントラル・エリアから遠く、木々がひしめく密林に覆われたエリア、「アマゾン・エリア」に居を構えるその簡素なフォースネストで、一人の青年と一人の少女が相対していた。
青年──アストレイノワールをブルーフレーム色に塗装したガンプラを愛機としている、ダイバーネーム「ナユタ」は、少女、ユキから提示されたBCの桁を数えながら、どこか冗談めかしてそう呟く。
その隊員含めて無愛想で無口で、何を考えているかわからないと評されることが多い傭兵派遣専門フォース「セルピエンテ・クー」を率いるナユタであったが、訪ねてきたのが縁があり、かつ気心も知れた相手ということもあって、商談の場でも少し肩の力が抜けているのだろう。
ユキから見れば相変わらず、以上の言葉は見当たらないのだが。
「それで金額は適正でしょう。私たち『エーデルローゼ』は、貴方を傭兵として雇用するためにここに来ているの。できる?」
「可能か不可能かで問われれば可能だ。だが──」
「だが、何?」
「……いや、つまらない感傷だ。お前がいつになく本気になっているのを見たのは初めてだからな」
「……」
ユキは元々、セルピエンテ・クーに所属する傭兵ダイバーの一人だった。
高額な報酬を受け取る代わりに依頼主からの要望を完全に遂行する、無口で無愛想で無感情な傭兵たちの一部として戦っていた頃も、手を抜いていたというわけではない。
いつだってユキは本気で依頼に取り組んできたし、クライアントからの要望は八割以上叶えてきたと記憶している。
だからこそ、あの時──ユキの目から見ても「末期」だった「エーデルローゼ」は、その再生に全てを託すために、どうやって金策したのかも想像できないほどの大金を携えてこの、業界ナンバーワンにしてはやたらと寂れたフォースネストを訪れたのだ。
そして今は、自分が傭兵時代に貯め込んでいたBCといくつかこなした宝探しミッションの報酬を売却した金をかき集めて、この蛇の巣に飛び込んでいるのだから、ユキ自身、そこに因果を感じるところはある。
だが、「本気」とはどういうことなのだろうか。
ナユタの言い回しは、彼が口下手だから、言葉を選び損ねたというよりも、むしろ数年ぶりに同級生と再会したときのような驚きをそこに湛えている。
だからこそ、ユキもまたしばらく会っていなかったかつてのリーダーへと、おうむ返しに問いかけるのだ。
「本気……私は手を抜いていたつもりはないわ。いつだって。どういうこと?」
「勘に触る言い方だったら済まないな。だが、そうだな……お前はそのフォースに、俺を傭兵として雇用したいと思うほどに入れ込んでいる。それが少しばかり意外だったのかもしれない」
セルピエンテ・クーは、基本的に去るものは追わず、来るものは拒まずの精神で運営されているために、ユキのように傭兵先に居つくこととなった元メンバーは意外と多い。
それでフォースとして成り立っているのは、ひとえにこのナユタが持つ腕前とカリスマ、そして傭兵としての適性を見抜く眼があるからだほう。
だからこそ、ナユタを雇用するための料金は法外なものに設定されている。
確かにユキは傭兵時代、指名されることが多く、その全てのBCを貯蓄に回していたのだから、それに手が届くほどの金額を持参してきたとしても驚きはないのだが、あの潰れかけのフォースに、他人に対してそれほど関心を持たないユキが入れ込んでいる、というのが、彼にとっては不思議で仕方なかったのだ。
「……放っておけないの」
口を滑らせた。
ユキがナユタからの問いに答えていたのは、そう表す他にない。
ただ、もしも自分がエーデルローゼに入れ込んでいる理由を考えるなら、ぽろりと口をついて出たその一言に集約されるのは間違いないだろう。
「……放っておけない、か」
人間というのは合理的な活動をするプレイヤーだとは経済学の初歩の初歩で教えられることだが、ナユタはむしろ逆だと思っている。
非合理的で、情動的で、説明ができないことをいつだって、わかっているのに選びたがるのが人間というもので、ユキにだってそういう一面があることそれ自体は何も不思議ではない。
この寂れて、密林の奥地にひっそりと建てられたフォースネストに血走った目で、仮想の躯体でなければその先から血が滲むほどに唇を噛みしめながら現れた、一人の少女のことを傭兵と、傭兵だった女はその脳裏に思い描いた。
「……あの子を、サーヤを見ていると、そう思うの」
どうしてかはわからないけれど。
ぶっきらぼうにそう付け加えて肩を竦めるユキ自身も、正直なところサーヤやエーデルローゼに自分がどうしてここまで入れ込んでいるのか、よくわかっていないところがある。
ただ、大金を積んで自分を引き抜きに来たあの何かに縋り付くような目が、そして血の涙を流しながら、所属しているフォースが空中分解寸前になっても尚、GBNの頂点を決して諦めていないそのストイックさに、シンパシーであったり同情であったり、多かれ少なかれそういうものを抱いているのは確かなのかもしれない。
「感情のままに生きることは、そう悪いことでもない」
「ガンダムW? 貴方の場合てっきり、SEEDが好きなのかと思っていたけれど」
「意外か」
「意外よ」
「それと同じことだ。人間は多かれ少なかれ割り切れないことや先入観だったり、あるいは──説明がつかない不合理を抱えている」
ナユタは相変わらずどこか煙に巻くような、そうでなければ捉え所をあえて作っていないような言葉を口にするが、言われてみればそんなものだと腑に落ちるのだから、自分も彼と同類だということなのだろう。
自分の作ったフォースでこのGBNの頂点を目指したい、というだけなら、ユキは決してサーヤとエーデルローゼに入れ込むことはなかっただろう。
だが、そのともすれば狂気的な、自分の作ったフォースがテセウスの船のようになったとしても「エーデルローゼ」という名前でこの魔境ひしめくGBNの頂点まで登り詰めたいと、そうサーヤが不合理に願っていたからこそ、自分はそこに関心を抱いたのかもしれないと、ユキは過去の一欠片をその手に掬い取って振り返る。
サーヤが抱えていた因縁や、エーデルローゼが消滅の危機に瀕していた理由、それは未だにこのGBNに──否、膨大なアクティブユーザーを抱えているGBNだからこそ、ありふれたものであり、ユキはそこに興味を今でも抱いていない。
ただ、彼女が持つ愚直なまでに、どんな手を使ってでも頂点へと昇り詰めようとするその狂気と紙一重の熱意、そして危うさに惹かれているのだ。
「私は彼女の願いに応えたいと思っている」
「ほう」
「結果論ではあるけれど。だからこそ、ナユタ。貴方を傭兵として雇用するために──元同僚だからじゃなく、フォース『エーデルローゼ』のリーダーとして、それを申し入れに来た」
できるか、できないか。
口にこそ出さずとも、ストレージから提示されたその金額は額に突きつけられた銃口と同じだけの重さを以て、ナユタという男の心臓を掴み取らんとしている。
──人間は、本当に不合理な生き物だ。
自分もその一部であることを自覚しながら、ナユタはふっ、とニヒルな笑みを浮かべて、ユキからの提案を承諾した。
「いいだろう、元々金さえ積めば規約に違反すること以外は何でもするのが傭兵だ。理由を聞いたことが野暮だったな」
「わかってくれたならいいわ。全力を尽くしてくれることを……いえ、期待するのも失礼ね」
「そうだな」
傭兵はいつもその結果でのみ己を語る過酷な道だ。
クライアントに不手際があったとしても、どれだけ不合理で不条理な条件であろうと、一度引き受けたのなら積まれた金額の分だけの仕事をしなくてはならないし、それは原則的に成功でなければならない。
チャンピオンの首を取る。
それがどれほど難しいかなど、最早百の言葉で語り尽くすよりも「クジョウ・キョウヤ」の名前それだけで窺い知ることができるほどに理不尽なミッションだ。
だが、それでも引き受けた理由を言葉にするのであれば──やはり、先程呟いたヒイロ・ユイの格言がそれに当たるのだろうと、ナユタは一人、ユキには見えないように踵を返して、苦笑するのだった。
◇◆◇
打倒「アナザーテイルズ」は、別にユキの使命に含まれているわけではない。
ただ、リリカが勝利を収めたというのにどこか青ざめた顔で敗者のことを気遣うような仕草を見せていたのが、ユキにとっては許せなかったという、それだけの話だ。
とはいえ、ユキに因縁がなくとも、自分が率いているフォースにとって、エーデルローゼにとってその因縁は深いものであるのだから、生半可な覚悟で挑まれるぐらいならば、リタイアしてくれた方がマシだと思うところがあるのもまた事実だった。
この苛立ちは、理不尽から来ているものなのだろう。
エーデルローゼに入れ込むあまり、厳しいことを言ってしまったのかもしれないと、悔やむところはあれど、それを省みる道理はそこにない。
勝負というのは、いつだって真剣でならなくてはいけない。
だからこそ、勝者と敗者が生まれるのは必然で、勝者が敗者を慮ったつもりになることこそが最大の侮辱である、と、ユキがそう言いたかったのであろうことは、リリカにも理解できた。
ユキとの邂逅を果たした翌日、リリカは一人でディメンションを放浪しながら、そんなことを考えていた。
勝負という舞台に立てば勝ち負けが発生するのは当然のことで、GBNでは極端な話、何度負けたって、ただ一回勝つためだけに立ち上がれることが魅力であり、そして自分にとっての理由だと、そう思っていたのだ。
だが、トーナメントとなれば話は違う。
例え今回負けたとしても、次回また挑戦すればいいじゃないかと、敗者の肩を叩くのはお門違いだ。
きっとあの「ホロウ・ヴァイキング」は、今回だからこそ勝たなければならない理由があって、そして自分たち「アナザーテイルズ」は、違う。
自分自身が、それに釣り合うだけの理由を持っていないのに、勝ってしまったという不合理で不条理な後悔に、リリカはただ苛まれているのだ。
二回戦の期日まではまだまだ余裕があるけれど、それまでに全てを割り切って「エーデルローゼ」に挑めるかと訊かれれば、正直なところ自信は全くといっていいほどリリカになかった。
それでもなんとか、絡みつくようなこの感覚を振り解こうとディメンションを放浪していた末に辿り着いたのが、いつかと同じ──かつて、チィに「前衛のお仕事」を教えてもらった、ヤナギラン畑だった。
月明かりに照らされたその光景は幻想的で、ただ見ているだけでも嫌なことを忘れられそうなものであったが、それでもリリカの心に絡み付いた鎖は、どうにも解けそうにない。
その理由はきっと──自分の根底にあるものと、大きく結びついているからだろう。
流してきた涙のこと。敵わないと、諦めて捨ててきたいくつものこと。
それがあのトルマリンの涙とオーバーラップして、すきりと胸の奥が痛むのだ。
このまま前に進んでいいのだろうか。
或いはユキが言うように、リタイアした方がいいのだろうか──しかし、そんなことを誰かに相談できるはずもなく、悶々と体育座りをして、何をするでもなくリリカは時間を潰していた、その時だった。
「今宵は月が綺麗ですわね、リリカさん」
「……カエデさん……」
「例え仮想であったとしても……美しいものは美しいのですわ」
スラスターを閃かせ、流星のように駆け抜けてきたウイングゼロヌーベルの機体が解けて、カエデの躯体がディメンションへと姿を表す。
その表情は穏やかで、怒っているかどうかはわからない。
それでもきっと、カエデならそうではないのだろうという願望であったり、或いは信頼であったり──そういう感情が自分の胸の内側にあることも確かだった。
ただ、どうしてか、合わせる顔がないようでリリカは、つい視線を逸らしてしまうのだ。
「……ご、ごめんなさい……その……勝手に、いなくなっちゃって……」
「構いませんわ。まだ第二回戦は始まっていないのですもの」
そうして、リリカの横に座り込んだカエデはやはり穏やかに微笑んで、後ろめたさを感じながらも必死に絞り出したリリカの言葉を否定することなく静かに頷いてみせる。
優しい人だな、と、そう思った。
思えば、優しくしてくれる人なんて、数えるほどしかいなくて、だからこそ、大事にしなければいけないのに、自分はそこから目を背けて、逃げ出そうとしていたのだ。
リリカは今更、自分の心の弱さから逃げ出してしまったことに重い後悔を抱いて、その眦に、じわり、と涙を滲ませる。
「……その……」
「どうしまして?」
「……その、カエデさんは……どうして、GBNを始めたんですか……?」
勝手にいなくなっておいて、不躾なことだとはわかっている。
それでも、リリカは問わずにはいられなかった。
思えば自分がGBNを始めた理由は、誰かと繋がり合うためであって、戦いの日々に明け暮れることではなかったはずだった。
だが、戦いの中にも繋がりがあって、だからこそカエデやユユたちと出会うことができて──その一方で、戦えば、トルマリンのように涙を流してしまう誰かが生まれて。
だからこそ、何のために自分が今戦っているのか、そして戦い続けなければいけないのか──その果てに本当に楽しさがあるのか、自分の求めていた理由があるのかわからなくなって、五里霧中のままにリリカは、カエデへと縋るように問いかけていたのだ。
「そうですわね……最初は確かに、わたくしは『リビルドガールズ』のアイカ様に憧れて、この電子の海を漂うことを選びましたわ」
「リビルドガールズ……」
その名前は良くも悪くもGBNの中に轟いている、女の子四人組のフォース。最近はチィの双子の姉である「イリハ」というELダイバーも加わって正確には五人に増えたらしいのだが、それはそれとしても「リビルドガールズのアイカ」の勇名は良くも悪くも知っているダイバーたちの方が多いことだろう。
そして、その名前は奇しくも、リリカにとっての始まりと同じだった。
あの日、あの時、「ELダイバー争奪戦」の動画を見ていなければ、自分はこのGBNを始めることなどなかったし、画面の中に映る彼女たちの絆に憧れて、その繋がりを、誰かと紡ぐ絆を求めて自分はここまでやってきたのだ。
微笑むカエデを横目に見て、リリカはそんな「はじまり」が同じだったことに奇妙な縁を感じながらも、同時に自分からそれを放り出すのと同じことをしようとしていたのだと気付いて、ぽろり、と小さな涙の雫を零してしまう。
「でも……そうですわね。今理由があるのなら、リリカさん。わたくしは……貴女をお慕いしているからこそ、戦いを続けていられるのですわ」
「……わ、私……ですか……?」
「ええ。最近はミワさんやユユさんに独り占めされることも多くて、こうして二人きりになれる時間が来てくれたことに、本当に感謝しているのですわ」
カエデは微かに頬を朱に染めて、柔らかくはにかんだ。
蕾が綻ぶような、と表すのが正しいその笑みが自分に向けられている理由は、正直なところリリカの中には見当たらない。
それでもカエデにとってかけがえのないであろう理由が自分にあるということが、無性に嬉しくて、そして同時に、それほど慕ってくれているカエデたちから一瞬でも目を背けてしまったことが悲しくて。
「……わ、私……」
「ええ、リリカさん」
「……私、怖いんです……負けたら、それで終わりになっちゃうんじゃないかって、あの人たちみたいに……カエデさんたちと、一緒にいられなくなっちゃうんじゃないかって、その……っ……!」
舌先に探り当てた言葉は、驚くぐらいにシンプルなものだった。
リリカははらはらと涙を零しながら、カエデへと、胸の奥に支えていたものを吐き出すかのように、嗚咽の混じった声でそう叫んだ。
そうだ。終わりになってしまうこと。
ただそれが怖くて、怯えていたのだ。
蓋を開けてみれば随分簡単で、だからこそそんな理由で思い悩んでいることがどうしても、ちっぽけなことに感じられて、今度はその恥ずかしさに涙がこぼれ落ちてしまう。
「……大丈夫ですわ」
「……カエデ、さん……?」
「終わりになどなりませんわ。リリカさんも……そしてあの人たちも。だからこそわたくしたちは、戦いが終わった時に、『グッドゲーム』と言うのですわ」
確かに今回のフォースバトルトーナメント、その一回戦で「ホロウ・ヴァイキング」の戦いは終わってしまって、トルマリンはそれを嘆いていたかもしれない。
それでも代わりにウィタエがその言葉を告げてくれているし、フォースバトルトーナメントは、一年に一度とはいえ来年もまた開催されるのだ。
「カエデ、さ……うぅ、ぐすっ……うえええ、んっ……!」
「リリカさんは、優しいのですね」
過ぎた優しさは、この世界ではきっと毒になるとわかっていても、それでも──本当は、リリカのように小さな痛みを拾い上げていけるような人間が報われるべきなのだろうとカエデは思う。
それでもままならないからこそ、ままならなくてもできることはただ一つだけ残されているからこそ、その感情に従ってカエデは、泣きじゃくるリリカの頭を胸に抱いて、髪を優しく撫でるのだ。
使われすぎて、踏み砕かれすぎて、陳腐でバラバラになってしまったその思い。
まだきっと、リリカの中に答えは結ばれていないのであろうその想い。
そんな、愛に──ただ一つの言葉にできる精一杯を為すように、カエデはリリカの涙が止むまで一頻り、その細い身体を優しく抱きとめるのだった。
ひとりじゃない