一頻り泣きじゃくった後に、リリカはしばらくその場に座り込んで、カエデと共に、何をするでもなくただ茫洋と仮想の月を眺めていた。
電脳空間にテクスチャとプログラムで構成されたそれは、現実と比べても遜色がないほどに作り込まれているのに、動かしているサーバーが、よっぽど変な原因がなければ止まったことがないという事実に僅かな関心を寄せつつも、リリカの胸の中でわだかまっていたのは、やはりカエデからかけられた言葉に他ならない。
──貴女を、お慕いしているからですわ。
それがどういう意味を持っているかは、そういうことに縁のない十六年間を過ごしてきたリリカにもわかっているし、あの時カエデがそう口にした時の目は、笑っていながらも真剣そのものだったのだから、何かの弾みで口を滑らせたとか、そういうわけではないのだろう。
そして、勝負に関する不文律──勝者と敗者の明暗についてのことがまだ尾を引いているのもあって、リリカの脳内ではいくつもの考えが混線して、ショートを引き起こしそうになっていた。
ばちばちと音を立てて神経が焼き切れていくような、そんな錯覚を抱きながら、ああでもないこうでもないと、言葉にし損ねた声が吐息となって、唇の隙間からそっと漏れ出る。
その姿はきっと、傍目から見れば滑稽に映るのだろう。
リリカは己の奇行にじわり、と涙を滲ませる。
何故カエデが自分なんかを慕ってくれているのか──については、フォースに加入したときに聞かされたけれど、正直まだまだピンとこない。
決意。リリカの内側で眠っている強い衝動に惹かれて、それを「リビルドガールズ」のアイカと重ね合わせて、カエデがこの「アナザーテイルズ」に加入したことは、今でもはっきりと覚えている。
そして、リリカにわかることといえば、カエデは決していつも意味のないことを言ったりはしない、という、その高潔ささえ感じるほどに真っ直ぐな人間だ、ということだ。
自分が口を開くにはまだ足りていないと判断しているのか、視線ではあたたかく見守ってくれてはいるけれど、決して答えを急かすことのない辺りに、その人徳は現れているといっていいだろう。
慕われている。好きだと言われている。
それはあまりにも唐突で、でも、カエデにとっては今きっと、言わなければならなかったことで。
最近、「アナザーテイルズ」が四人になってからはミワとカエデだけでなく、ユユとも話す機会が増えたことで、確かに結果として一人一人と個別に話している時間は、家でもたまに言葉を交わす姉以外、つまりカエデとユユの間で分けられて、減ってしまっているのだろう。
だからなのだろうか。
リリカはそこに、「ホロウ・ヴァイキング」のトルマリンが流していた涙のことを重ね合わせて、きゅっと唇を真一文字に引き結んだ。
きっと、トルマリンたちにも「今」でなければいけない理由があった。
だから、カエデにとってその告白は、どうしても「今」でなければならなくて、そしてずっと、答えを待っているのだろう。
すー、はー、と浅く呼吸を整えて、リリカは意を決したように小さく咳払いをすると、おずおずと遠慮がちに、傍で微笑むカエデへと問いかける。
「……え、えっと、あの……カエデさん……」
「どうかしましたの、リリカさん?」
「……そ、その……私のこと、あの……」
「お慕いしている、という話ですの? うふふ、それなら本気も本気、大マジですわ」
やはりあれは、告白だったのか。
リリカは人生でまるで縁がなかったしこれからもきっとずっとないであろうと思い込んでいた一大イベントが、唐突に側頭部をガツンと殴り付けてくるような錯覚を抱いた。
告白。
つまり、そういう、ライクじゃなくてラブの方で、相手に好きだと伝えるための手段だとか儀式だとかそういうもので。
それは、それこそカエデが言った通り相手に強く惹きつけられるものを感じたからこそ出てくる言葉で、じゃあ自分はそれに値するのかと考えると、まるで自信がなくて。
ぐるぐると益体もない思考が脳裏で渦を巻くのが、そのまま眩暈に変わったような感覚を抱きながらリリカは、なんとかその言葉を咀嚼して呑み込もうとする。
「……そ、その……失礼かもしれませんけど……訊いても、いいですか?」
「ええ、なんなりと」
「……そ、その……わ、私のこと……好きって……それなら、その……どうして、とか、なんで今なのか、とか……ごめんなさい、なんか……断ってるみたいで……」
正直なところ、カエデからの告白が迷惑かどうかについても、リリカは判断がつかずにいた。
なんせ人生で初めての告白なのだ。
相手にそこまで強く思われているということは素直に嬉しくても、やはりどうして自分なのか、そしてどうしてこのタイミングなのか、といった──いや、準備万端という状況での告白なんてそれはもうプロポーズなのだろうが──ことが気にかかってしまう。
そんな、不躾とも取れるリリカの言葉にもカエデは動じる様子を見せず、いつものように豪胆で剛毅な微笑みを浮かべて優雅に立ち上がった。
そして、お手をどうぞとばかりに華奢な指先が差し伸べられる。
なんだかその所作は貴族のようで、時代が時代ならきっとカエデは宮廷とかそういう場所で暮らしていたのだろうな、と、リリカはどこか現実逃避をするような感想を胸に抱いた。
「好きになったことに理由はありませんわ。確かにリリカさんの目を、その決意をわたくしは尊敬してやまないアイカ様と重ね合わせておりましたけれど……リリカさんはアイカ様ではない。そして、リリカさんがリリカさんだから、としか答えられませんわ」
「……私が、私だから……?」
「ええ、誰よりも優しく、そして気高く……強い決意を秘めている貴女の澄んだ瞳に、わたくしの時は囚われてしまったのですわ」
そして、心は燦然と輝く星々よりも熱く燃え上がる。
詩的な言葉を臆面もなく紡ぎ上げるカエデの仕草はどこか芝居がかって見えるほど大仰で、だけどそれが様になっていて、リリカはそれが本気だからなのだろうと、その青い瞳を覗き込んでその結論に至った。
「そして、何故今か、でしたわね」
「は、はい……その……」
「わたくし、何事においても後悔したくありませんの」
それは勝負であっても日常の些細な選択であったとしても。
カエデは左で胸を握りしめながら、力強く断言する。
後悔。それは決して先に立つことはなく、いつかああしておけばよかった、こうしておけばよかったとたらればに変わって、道を歩もうと進めた足に絡みつく重い枷となる。
だからこそカエデは、今この瞬間に、ユユやミワがいない今だからこそ、そして──フォースバトルトーナメントという一世一代の大舞台に立っているからこそ、その秘めていた、秘め続けていた想いをリリカに打ち明けることを決意したのだ。
「後悔……」
「別にリリカさんと二人きりになれたなら、いつ伝えてもわたくしとしては構わなかったのですけれど……こういう機会ですもの。勝ったとしても負けたとしても、そこにそれまでの後悔を残して終わらせたくないと思ったからなのかもしれませんわ」
勝ち負け、というのはきっとフォースバトルトーナメントの勝敗という意味だけではなく、自分の告白が受け入れられるかどうか、ということも含まれているのだろう。
饒舌に語りながらも、少しだけ気恥ずかしいのか、頬を桜色に染めているカエデの姿は先ほどまでの、凛々しく燦然と輝く女傑といった印象から、うら若き等身大の恋する乙女へと装いを改めていた。
確かに、この戦いは──フォースバトルトーナメント自体は、「ホロウ・ヴァイキング」たちのように、「アナザーテイルズ」にとって何か大きな意味を持ち合わせているわけではない。
ただ、人生の節目なんてものは大概がそんなものだ。
人はそこに何かしらのドラマを期待するけれど、大概は日常の中に呆気なく埋もれていく。
それに、何もかも意味があって、何もかも重大な決断を迫られていたのでは、人が胸の内に抱えられずに取りこぼすどころか、破裂してしまう。
そうじゃなくたって、いくつも人は取りこぼしては、それを後悔という名前の呪いに変えていくのだから、カエデの、思い立ったが吉日とばかりに、今を決断の時とした行動力は、リリカにとっては素直な尊敬を抱くのに十分なものだった。
「……そ、その……カエデさん……」
「……リリカさん」
ここまで赤裸々に打ち明けてしまえば、流石に不安を隠すのは難しいのだろう。
カエデは今までに見たこともないほど心配そうな顔をして、リリカの瞳をずい、と、食い入るように覗き込んでくる。
答えなければならない。
それがどんなものであったとしても、曖昧に終わらせてはいけない。
例えそれが──自分には、まだ理解に至らないことだったとしても。
ごくり、と息を呑み込んで、リリカは呼吸を整えると、今の自分にできる精一杯を、そして悔いを残さない答えを、カエデの瞳を覗き返しながら、その唇から紡ぎ出していく。
「……えっと、その……嬉しい、です……でも。その……好きとか、嫌いとか、私、よく分からなくて……その……お友達すら、いなかったから……えへへ……」
「リリカさん……」
「だから……きっと、カエデさんが納得できる答えに辿り着くのには、時間がかかるかもしれません……でも、その、良ければ……お友達から、始めてくれますか……?」
それはきっと、ずっとリリカが探し求めていた願いだった。
恋とか愛とか、それに至るまではまだ遠く、例えば放課後の帰り道にクレープ屋によって、二人で頼んだメニューをシェアしたり、休日にふらりと街に出かけて、予定もなく彷徨い歩いたり。
そんな、他愛もなくて、水面に浮かぶ泡沫のように危うい、思春期の繋がりをずっと、ずっと探し続けて、リリカはこの電子の海に潜ってきたのだ。
そして、それがリリカに答えられる精一杯だった。
しどろもどろになりながらも紡ぎ上げられた答えに、カエデは一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐにくすくすと口許に笑みを湛えて、顔を真っ赤にしているリリカにどこかくすぐるような言葉を返す。
「……ふふ、リリカさんらしいですね。でも……わたくしたち、もうお友達ではありませんこと?」
「……え、あ……それは、そ、その……言葉の綾、とか、そういうので……」
「冗談ですわ。なら……今日ここで、改めてお友達から始めましょう、リリカさん」
──わたくしは、今はそれで十分ですわ。
にっこりと、満面の笑みを浮かべるカエデの顔に、「後悔」の二文字はどこにも記されていなかった。
いつか、どこか、今じゃない遠く。
もしかしたら、カエデが望んでいたような未来が来るのかもしれないしそうでないのかもしれないけれど、きっとそこに後悔はないと、リリカと共に歩んだ時間は例え途切れたとしても旅路と呼べるものであると、その笑顔は何よりも雄弁に物語っているようで。
強いひとだな、と、リリカは思う。
月並みな言葉ではあるけれど。そして、陳腐ではあるけれど。
カエデだって──十分に、決意に溢れた人なのだ。
キスの代わりに差し伸べられた手を取って、電子の海に浮かべられた大地へとリリカは立ち上がる。
後悔。
勝った負けたはその時に考えればいいとしても、カエデが勇気を出してくれたなら、精算しなければならないことは自分にも存在しているのだ。
「……その、カエデさん……」
「なんですの、リリカさん?」
「……ありがとう、ございます」
──私を選んでくれて。私を見つけてくれて。そして、私に勇気をくれて。
万感の思いを込めて、リリカははっきりとその言葉を口に出した。
あなたは何のためにゲームをしますか、と問いかけられたとき、きっとこのGBNに迷い込んできたばかりの頃の自分はその答えを持たなかった。
でも今は、違う。
そしてそれは、カエデが見つけてくれたから、彼女の振り絞った勇気が照らし出してくれたことだから。
きゅっ、と強く掌を握りしめると、リリカはカエデの掌を頬に添えて、善は急げとばかりにログアウトを選択する。
さらさらと現実へと解けていくリリカの躯体を見送りながら、カエデは、相変わらず思い込んだら一直線なその、頑なで強い決意に苦笑を浮かべながら、いってらっしゃいませ、と、小さくエールを口にするのだった。
◇◆◇
「くぁ……急にどしたの、梨々香ちゃん」
時刻は午前三時を過ぎて、草木が眠ったとしても眼下に見つめる東京の街は煌々と地上にその人工の星座を描いている。
ベランダに美羽を呼び出した梨々香は、何から話したものかと迷いながらも、身体を突き動かしている情動に任せるままに口火を切った。
「……その、あのね、お姉ちゃん。私……カエデさんに告白されたんだ」
「……おお、おお……うん? なんと……それはびっくりだねぇ」
なんとなくそんな感じはしてたけどねぇ、と付け加えて小さく欠伸をしながらも、美羽の瞳ははどこか動揺を湛えて静かに揺れていた。
カエデがいきなりアクションをかけてきたこともさながら、梨々香がそれを自分から口に出したことも、美羽にとっては意外だったし、なんなら今まで抱いていた眠気が吹っ飛びかねないぐらい驚いている。
「……その……お友達から始めよう、ってことなんだけど、伝えたいのは、そっちもだけど、そっちじゃなくて、その……」
「……フォースバトルトーナメントのこと?」
「……う、うん……せっかくの機会だから、その……勝っても負けても……後悔とか、したくないって、私も思ったから……」
きっとそれは、ずっとやり残してきた宿題のようなものだった。
自分が言いたかったことを察してくれた姉の器量の良さに、ずっと憎んでいたはずのそれに今は感謝をしながらも、梨々香は意を決して、おずおずと、しかし臆することなく言葉を紡ぐ。
「……私ね、どうしてお姉ちゃんが生まれた時に、私の分を全部持ってっちゃったんだろうって、ずっと思ってた」
「……」
何をやっても梨々香は美羽に勝てなかったし、両親だってそれを薄々察していたからこそ美羽の方に期待を寄せるようになって、そして今、部屋という狭い世界に篭っている自分にさえも関心を寄せていないのが梨々香の現状だ。
だから──正直に口にしてしまえば、梨々香はずっと、美羽のことを羨んで、そして恨んでいたことになる。
才能を全部持って生まれてきた姉と、どんなに頑張っても姉を超えることのできない鈍臭い妹。
人間関係も、勉強も、運動も、何もかも全部。
それを一言にまとめてしまうなら、梨々香はずっと、美羽のことが嫌いで嫌いで仕方なかったのかもしれない。
「……いつか言ったよね、お姉ちゃんのこと、全部が全部好きになれないって……」
「うん、うん……覚えてるよぉ、梨々香ちゃん」
「……でもね、今は……違うの」
「……梨々香ちゃん?」
「……私は、多分……運が良かっただけなのかもしれないけど、きっと意味なんてないのかもしれないけど……お姉ちゃんと違うところがあって、それに気付けたのはカエデさんが……ユユさんが……お姉ちゃんがいてくれたからで、だから……」
──今は、大好きだよ。大嫌いなところも。
それはリリカにとって、一世一代の告白だった。
きっとうやむやにしたままでも生きていけることなのかもしれない。
深夜のテンションと、カエデからの告白に舞い上がって、恥ずかしいことをしているだけなのかもしれない。
それでも──フォースバトルトーナメントを一つの転機として捉えるなら、それだけは、梨々香が呪いに変えてしまいたくない、ずっと抱き続けてきた後悔であり、精算すべきことだったのだ。
もちろん、全てがきっちりとゼロで割り切れるわけじゃない。
美羽も梨々香も、互いに浮かべている表情は微妙なものだ。
それでも、どこか示し合わせたように交錯した視線には、互いの本気が絡みついていて。
「……随分、遠くに行っちゃったんだねぇ」
「……お姉ちゃん?」
「ねえねえ、梨々香ちゃん。美羽はね、梨々香ちゃんが立派になってくれたことが悲しいんじゃないんだよ、むしろ嬉しいんだ」
「……お姉ちゃん……」
「……そっかぁ、美羽をまだ、お姉ちゃんって呼んでくれる……それだけでね、うん……らしくないなぁ」
ごしごしと、浮かんできた涙を擦る美羽は、その理由がちっぽけなものであることはわかっている。
カエデのことは人間として好ましいと思っていても、やっぱり最愛の妹とは片時も離れたくなかったわけで、そして、そこに独占欲とかそういうものがなかったかと問われて首を横に振れば、それは嘘になるわけで。
すっかり遠くまで行ってしまった、まだ頼らないところはあってもたくましくなった妹の成長を喜ぶ心と、そんな寂しさが綯い交ぜになって、涙がこぼれてしまうのだ。
「……お姉ちゃん、その……お姉ちゃんは、私のお姉ちゃんだから……」
「然り然り……美羽は、いつだって、梨々香ちゃんのお姉ちゃんだから……」
「……困った時は、その……ちゃんと、助けて、って言えるように……なるから……その、変な話だけど……よろしくね……」
「梨々香ちゃんが困ったときは、世界のどこからでも飛んでいくよぉ、だから……美羽も、よろしくねぇ」
グッドゲーム。
ゲームじゃないし遊びでもないけれど、きっと割り切れない全てを割り切って、新しく気持ちを切り替えるのなら、その言葉こそが相応しい。
だからこそ、その言葉に代えて梨々香は、そして美羽は、後悔を残さないように、そして過去をここで足元に埋めて、明日へと向かう証とするように、かつて仲が良かった頃のように、月明かりが朧に照らす互いの額へ、口付けをそっと落とすのだった。
それは未来に向けての一つのピリオド