ガンダムビルドダイバーズ アナザーテイルズ   作:守次 奏

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完結するので初投稿です。


最終話「これはわたしの物語」

 久しく袖を通していなかったワイシャツに、腕を潜らせる。

 胸の前で留めるボタンは少しだけ窮屈になっていて、あんまり大きくなってもいいことなんてないのに、と人が聞けば贅沢な悩みに聞こえるような言葉を溜息に変えて、梨々香は憂鬱な自分を鼓舞するようにぴしゃりと頬を叩いた。

 フォースバトルトーナメント、Aブロック第三回戦で「アナザーテイルズ」が敗退しても、自分たちのGBNにおける日常が変わったわけではなかったし、むしろトーナメントに臨む前よりも姉とカエデが叩き合う軽口が増えたり、ユユが時折提案するスリリングな賭けに乗ってみたりと、その結び付きは一層強固になったと、梨々香はそう思っている。

 そして何故梨々香が久しく袖を通していなかった制服などを着込んでいるかといえば、答えは、敗退した翌日のユユの提案にこそあった。

 

『オフ会なるものを、ユユもしてみたいのです』

 

 あまり人様に誇れるような戦績でなかったとしても、一応フォースとして挑んだ初めてのトーナメントということで何かの記念といえば記念になるし、何よりユユのどこか切羽詰まったようなその提案に、一抹の寂しさのようなものを感じ取ったから──と、いうのはきっと野暮になるのだろう。

 ミステリアスで、妖艶で、何を考えているのか時折わからなくなることもあるし、自分たちより遥かに腕前も上回っているユユだったけれど、その内心はきっと梨々香に近い、等身大の少女のそれなのだろう。

 そして今、梨々香が制服を着込んでいるのは、GBNのアバターと少しでも自身の印象を近づける為なのと、そして。

 こん、こん、こん、と、梨々香の部屋のドアをノックする音が聞こえたのは、ブレザーに袖を通し終えて、プリーツスカートのホックを留めた時のことだった。

 

「梨々香ちゃん梨々香ちゃん、準備できてる〜?」

「あ、えっと……うん、お姉ちゃん。ちょうど今終わったところ」

 

 フルブランシュは、アタッシュケースにも似た公式グッズである、ガンプラと武装類が収まる窪みが設けられた緩衝材が中に詰まっている輸送用ボックスに入れてあるし、リボンタイにもズレはない。

 鏡を一瞥してみれば、寝癖もちゃんと梳かして、美羽とは違う真っ直ぐ、腰の辺りまで伸びた栗色のロングヘアがそこには映し出される。

 

「うむうむ……ちょうどよかったみたいだねぇ、それじゃ行こっか」

「うん、確か……新宿駅の東口だったかな……」

「然り然り、その辺は美羽も覚えてるから大丈夫だよぉ」

 

 扉を開けば、蛍光灯の灯りに照らし出された廊下と、そして自身と瓜二つながらも、髪の毛だけは父親に似てふわふわとゆるくウェーブがかかっているそれをセミロングにまとめた姉の姿が視界に映し出される。

 考えてみれば、リアルで美羽と会話をしたのはあのベランダでのやり取りの他に、最近は晩ご飯を食べる時も家族と食卓を囲んでいるからその機会は豊富なのだが、随分と久しぶりなような気がするから不思議なものだ。

 苦笑する梨々香に、美羽は小首を傾げつつも、さながら梨々香がいいならそれでいいかと納得した様子を見せて、手にしていたアタッシュケースのような物体──ガンプラ用の輸送ケースを掲げてみせる。

 

「梨々香ちゃん梨々香ちゃん、フルブランシュ、持った?」

「うん、大丈夫……お姉ちゃんから教えてもらったコスメとかも、全部入ってるよ、えへへ……」

「うむ、ぐっどぐっどだよぉ梨々香ちゃん、まあ梨々香ちゃんはお化粧なんてしなくても十分キュートなんだけどねぇ」

 

 それでもお化粧は、自分を世界に際立たせるものだから。

 美羽はきっと、母親からの受け売りであろうその言葉をナチュラルメイクが施された美貌に乗せて笑ってみせる。

 二卵性ではあるけれど、双子として生まれてきたこともあって、梨々香の顔立ちは美羽とよく似通っていて、それが本当ならきっと自分も容姿に自信を持っていいのかもしれないけれど、まだそれはちょっとだけ難しい。

 薄いピンク色のリップグロスを塗った唇を引き締めて、梨々香は長く自分の生活拠点となっていた自室にどこか別れを告げるような気分で、ガンプラ用輸送ケースをトートバッグの中に仕舞い込んでから扉を閉めた。

 

「それじゃあ行こっか行こっか梨々香ちゃん」

「うん。えっと……えへへ、こうするの、久しぶりだね」

「うむうむ……GBNだとカエデさんに取られちゃったからねぇ」

 

 梨々香がおずおずと差し出した手を取って、美羽は心底嬉しそうに微笑みながら、恋敵、なのかそうでないのかはともかく、梨々香が告白を受け入れた相手の名前を呼ぶ。

 そういえば、すっかり舞い上がっていたというか処理落ちを起こしていたけれど、オフ会を開くということはカエデのリアルにも出会うということだ。

 梨々香はとくん、と心臓が高鳴るのを感じながらも、今は姉から寄せられた温もりにすがるように、指先を絡めるようにして手を繋いだ。

 きっと、全部を抱え込んで歩いていくことなんて誰にもできない。

 梨々香自身がそうだったように、取りこぼして、拾おうとしたらまた別なものがこぼれ落ちて、気がつけば両手に収まるか収まらないか程度のものしか残らないのが、人生というものなのかもしれない。

 ──それでも。

 空いた時間を利用して見た、GBNでアーカイブ化されている「機動戦士ガンダムUC」の主人公、バナージ・リンクスのように心の中で梨々香はそう呟いて、新しい旅への一歩を踏み出していく。

 それでも、きっと拾い続けようとすることはできるから。

 取りこぼしてしまっても、誰かと一緒なら──こぼれ落ちてしまったものだって、拾いあっていけるはずだから。

 かつての自分が聞いたらきっと疑うか、ありえないと切り捨てるようなことを心の中に浮かべて、梨々香は美羽と手を繋いだまま、家の玄関から澄み渡る日差しが照らす外の世界へと踏み出していくのだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 オフ会を開きたい、というユユの要望に当たって、場所をどこにするかが考えどころであったのだが、それについては意外なほどあっさりと解決の目を見ることになった。

 と、いうのも、自分たちと対戦していた「リビルドガールズ」も、あの非公式第三次有志連合戦こと「ELダイバー争奪戦」の後にオフ会を開いていたようで、その伝手があるからと、「いいところ」を紹介してもらったのだ。

 いいところ、というのは取りも直さず、信頼がおける場所ということで、一も二もなく梨々香たちはそれを承諾したのだが、驚愕することになったのはその店の名前を見てからだった。

 

「あら、アナタたちが梨々香ちゃんと美羽ちゃんかしら? 会うのは随分久しぶりねぇ、梨々香ちゃん。アタシよ。マギー」

 

 そう、GBNを始めたばかりの頃、初心者狩りから自分を助けてくれたマギーが経営しているバー「アダムの林檎」が、GBNにおけるオフ会の聖地みたいなものだと紹介を受けた時、梨々香はずっと連絡を取っていなかったこともあってひっくり返りそうになったものだが、それでも嫌な顔一つせず引き受けてくれた辺り、彼女の人徳というものが窺えるだろう。

 GBNと比べれば細身で、褐色だった肌は透き通るように白いという違いはあれど、その独特の息遣いから、梨々香は目の前にいる紫色に染めた髪を束ねている人物がマギー本人なのであると確信を得る。

 

「お、お久しぶりです、マギーさん、その……」

「いいのよぉ。梨々香ちゃんの活躍、アタシもばっちり見てたんだから。そしてこっちは……美羽ちゃんね。アナタのことも色々知ってるわよ? うふふ」

「どうもどうも……あの頃の二つ名は返上できるように鋭意努力中だよぉ」

 

 聞けば、梨々香がGBNを始める以前、「エーデルローゼ」周りのゴタゴタがあって以来の美羽は荒れに荒れていたということで、「赤砂」、「緋きスナイパー」の異名が轟いていたのもその辺が多少噛んでいるといえなくもないらしい。

 だが、過去は過去で今は今だ。

 冗談よ、と、ばちこーん、と擬音が聞こえてくるような濃いウィンクを美羽に飛ばして、マギーはその、荒れ果てていた頃からは想像もつかない美羽の姿に穏やかな笑みをそっと浮かべてみせる。

 

「もし、貴女、ハンカチを落としませんでしたこと?」

 

 不意に、背後から声が聞こえたのはその時だった。

 踵を返して振り返れば、そこには赤毛に碧眼という出で立ちながらも、自分たちと同じ制服に身を包んだ少女が、確かに梨々香の持ち物である、フリルのあしらわれたハンカチを手にしている姿がある。

 どことなくその所作に気品や優雅さを感じながら、梨々香は呆然とハンカチを受け取りつつ、恐る恐るといった調子で問いかける。

 

「え、えっと……ありがとうございます。その、もしかして……カエデさん、ですか……?」

「ええ、いかにもわたくしは楓・フロレンス・新見と申しますけれど……んん?」

 

 小首を傾げると同時に、梨々香の全身を舐めるように凝視すると、楓と名乗った少女は、どこか合点がいったようにぽん、と右の拳で左の掌を打ち据えた。

 

「ええ、ええ、そうですわ。わたくしはカエデ。カエデ・リーリエと名乗った方がわかりやすいですわね、リリカさん?」

「わぁ、やっぱり……えへへ、会えて嬉しいです、楓さん」

「わたくしもですわ! この時を一日千秋の思いで待ち侘びていたのですわ! ええと……」

「梨々香……蔵前梨々香、ですっ。えへへ……その、おんなじ学校だったんですね……」

 

 楓が着ている制服は、リボンタイの色から何から梨々香が着ているのと同じものであり、それは彼女が同じ学年──一年生であることの証でもあった。

 

「本当はもっといいよそ行きをお見せしたかったのですけれど……こういった機会ですから、制服の方がいいかと悩みましたわ、でも結果的には正解だったようですわね!」

 

 ぎゅーっ、と、それこそ会えるまでの間待ちわびていた想いを体温に乗せて伝えるように、楓は気高く、しかし柔らかく咲いた大輪の笑顔を浮かべると、梨々香へと熱い抱擁を交わし、頬を擦り合わせる。

 その様子に美羽は少しだけ複雑な表情を浮かべながらも、なんだかんだでリアルでも変わった様子のない腐れ縁で結ばれた相手に苦笑を浮かべながら、場を譲るようにマギーの隣へと歩み寄っていく。

 

「まあ、お熱い……ということは、結々が一番遅れてしまったようですね……ふふ」

 

 そして、最後の一人が訪れたのはたっぷり五分間ぐらい梨々香と楓が熱い抱擁を交わしていたのを、通行人からの視線に気付いて解こうとしたまさにその瞬間だった。

 GBNではいわゆるお嬢様結びに結えた黒髪を黒いリボンで括って、更には黒い和装に身を包んでいる黒尽くめな出で立ちではあったが、梨々香たちのそれとは違う制服に身を包んでいる黒髪の少女──ユユこと、山南結々が、蠱惑的でいたずらな笑みを浮かべて梨々香たちへと歩み寄ってくる。

 

「いえ、わたくしたちも今来たばかりですわ、誤差ですわ誤差」

「然り然り、結々さんもなんだかリアルでも変わらないみたいで安心したよぉ」

「そうですか? ふふ……このリボンは、お兄様から頂いたものなので気に入っているのです……」

 

 GBNと同じく黒いリボンでお嬢様結びに結えた髪を掻き上げながら、少しだけ照れ臭そうに頬を赤らめて結々は口元を綻ばせる。

 はじめてのオフ会ということもあって緊張していたことは確かだったけれど、変に身構えていたのがなんだか馬鹿馬鹿しくなるぐらい、「アナザーテイルズ」はリアルでも変わらなくて。

 梨々香は、すー、はー、と、呼吸を小さく整えると、本当であれば「アダムの林檎」に着いてから言おうと思っていたことを伝えるべく、全員に視線を配って、唇を引き結んだ。

 

「あら、梨々香ちゃん。何かあったのかしら?」

「え、えっと……マギーさん。本当はお店についてからの方がいいんですけど、聞いてほしいことがあって……」

「今じゃなきゃダメなのね、それで……何かしら?」

 

 野次馬たちが何かを囃し立ててきたなら容赦はしないとばかりにマギーは周囲を鋭い眼光で舐めつけると、何かを言い出そうと背筋を疼かせている梨々香に視線を戻して、元の穏やかな笑みを浮かべる。

 きっとこれも、縁がなせるものなのだろうと梨々香は思う。

 マギーが気を配ってくれなければ、きっと自分は店に着いてから、で引き伸ばして、多分オフ会の間もずっとそれを伝えることを先延ばしにして、なあなあにしてしまったかもしれない。

 だからこそ、ここで。

 明日に踏み出すために、梨々香は過去に決着をつけることを決意する。

 

「えっと、その……私、ずっと学校に行ってなかったんです……」

「梨々香ちゃん……」

 

 梨々香は、自分が俗に言う引きこもりであることと、そして長い間学校に行っていない身であることを、事情を知っている美羽を除いた「アナザーテイルズ」の面々と、そしてマギーに包み隠さず打ち明ける。

 

「で、でも……その……遅いかもしれないですけど、ちゃんと……明日から、学校に行こうって、そう思ったんですっ……! その、それは、えっと……皆が、いてくれたから……皆が、勇気をくれたから、私も、頑張ろうって……そう思って……」

 

 しどろもどろになりながら、途中で言葉を詰まらせながらも、梨々香はしっかりと胸の内側でわだかまっていた思いを、全員から視線を逸らすことなくはっきりと言葉に出して紡ぎ上げる。

 その眦にはじわり、と涙が滲んでいて、最後の方は消え入りそうになりながらも、梨々香はきちんと、過去の自分にけじめをつけるべくそう言った。

 

「遅いなんて、そんなことはありませんわ」

「楓さん……」

「そうだよぉ、梨々香ちゃん。美羽も頑張ってサポートするから、ね?」

「お姉ちゃん……」

「……ふふ、やはり結々が見込んだ通り、貴女は優しく、勇気がある人なのですね、梨々香さん」

「結々さん……」

 

 世間体もあって、何を言われるかわからないと恐れを抱いていた自分が恥ずかしくなるくらいに、「アナザーテイルズ」の面々は、そしてマギーは穏やかな笑みを浮かべると、拍手の代わりにそっと視線で激励を送って、梨々香の小さな、だけど精一杯に振り絞った勇気を肯定する。

 繋がりたかった。

 誰かと、いつか、どこかで。

 それはきっと、世界にありふれた願いで、いつもどこかで誰かがそう願って、時には叶って、時には叶わなくて、運命の女神様の掌で弄ばれ続けている。

 いってしまえば、自分は運が良かっただけなのかもしれない。

 それでも、梨々香は、梨々香自身が掴み取ったその繋がりに、ずっと求め続けていた願いの結実にただ、涙と共に感謝を捧げる。

 いつもどこかで誰かが何かを願い続けるように、今、この駅の周りを行き交う人々にもそれぞれの感情があって、物語があって、梨々香のそれは一つだけの青空に照らし出される無数の欠片の一つでしかないのかもしれない。

 それでも、これは梨々香が描き出した、そして、梨々香が掴み取った──自分だけの物語に他ならない。

 誰かにとってのアナザーテイル。もう一つの御伽噺。

 それでも、梨々香にとってはかけがえのない、憧れから始まった、長い旅路のフェアリィ・テイル。

 そこにいくつもの困難が横たわっていることを知りながらも、貰った勇気の追い風に帆を張って、梨々香は明日へと船を出す。

 きっとその勇気が、笑顔が、そして流してきた涙が、いつか自分を照らし出してくれると、そう信じて、梨々香は涙に飾られた笑顔で、新たな一歩を踏み出すのだった。




それは、誰かの物語。そして、梨々香の物語。

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