ほろローン 作:すちいむ
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母はよく笑う人だった。
『どうして僕の名前はサクラなの?』
『んー?』
『ねぇ、なんで?』
『わっ……こ~ら、危ないでしょ』
僕は台所で料理をしていた母の隣に寄り詰めて、彼女を見上げて質問をした。
困ったように笑う母だったが、野菜に包丁を入れる手は止まらない。絶えず聞こえるまな板を叩く子気味の良い音にひどく不満を持って、頬をぷくりと膨らませた。
『どうしてそんなこと聞くのかな、サクラくん?』
『……ともだちに、女みたいだって言われた』
『ありゃりゃ……』
僕の様子を見て、母はようやく包丁から手を離した。所々あかぎれた手を水道水で洗ってから、腰に巻いていたエプロンで拭い、僕と目線を合わせるように膝を落とした。
『じゃあ教えてあげるから、今度はその友達に言ってやりなさい。僕の名前はとっても深くて良い名前なんだぞ~って』
『……』
『ふふふ……桜の木ってとっても綺麗な花を咲かせてみんなを幸せにしてくれるでしょ?』
『……しあわせ?』
『うん、みんなが笑顔になる。サクラが生まれた日もそんな幸せな日だったよ。だからね』
母は幸せそうにはにかんで、両の手で僕の頬を包んだ。
少し水に濡れて冷たい手。けれど温かくて、優しい手。
『あなたも桜の木みたいに、みんなを幸せに、笑顔にしてくれるような人になってほしいって思って、サクラって名前にしたの』
その笑顔を忘れない。
『どう?納得できたかな?』
『……ふかい?』
『はぇ……!?と、とっても深いじゃない!え……深いよね?』
『ふかい~?』
『深い~~~!』
優しい声を忘れない。
『……えへへ』
『ふふふ』
抱きしめてくれた温もりを忘れない。
『ぼく、お母さんをしあわせにできるかな?』
『ううん。あなたが生まれてきてくれただけで、それだけで私はもう幸せなのよサクラ』
そう遠くない未来に父が消えて、母の笑顔も見られなくなった。
「おかあさん……」
サクラが目が覚めると見慣れた天井が目に見えた。
どうやら教会の長椅子の上で眠っていたらしい。
……でも、外に行っていなかっただろうか。
どうしてここに戻っているのだろう。
疑問に思いながら上半身を起こして、ぼんやりとした思考を振り払うかのように頭を振る。
ゆられた脳がずきりと痛みを発し、小さくうめきながら右手で頭を押さえた。
そうだ、僕は確か何かを見て──
ザリザリとノイズが走る。
サクラは頭痛に妨げられる思考の中でなんとか思い出そうとしたが、その答えは彼がたどり着く前に向こうからやってきた。
「おはようございます、サクラさん」
「……!ローン様」
「服、お借りました、もともと私が持ってきたものですけど。……シュペーちゃんの服はさすがにちょっと小さいですね」
そう言って教会の奥にある扉からローンは姿を現した。いつもとは違った黒いTライン状の服。襟には赤のネクタイが通され、腰に巻かれたベルトの下は花びらのようなスカートの形になって膝元まで伸びている。胸元は少し窮屈そうだった。
サクラは「似合いますか」と笑うローンに一瞬だけ見惚れてしまったが、しかし彼女の顔を見たことですぐに自分が何を忘れているのかを思い出してしまった。
そうだ、自分は─────
「……ローン様。雪が降っていますけど、そんな薄着で寒くないですか?」
「このくらいなら平気ですよ。私は頑丈なので」
「そうなんですか……その、ありがとうございます。運んでいただいて」
「いいえ、逆にサクラさんが軽すぎて心配してしまったくらいです。ちゃんとご飯は食べていますか?」
「最近は、ちょっと小食気味です……へっくしゅ」
「いけませんね。風邪もひいているみたいですし、ちゃんと気を付けてくださいね」
栄養失調で死んでしまったなんて言われたら私は悲しいです。
ローンは心配混じりに微笑みながらサクラの隣に座って、そう締めくくる。
彼女の様子があまりにも普段と変わらないので、サクラは踏み込むべきか否か尻込んだ。心の中の臆病な自分が、このままうやむやにしてしまった方がいいと囁く。
でも、分からないままにしていたら、彼女のことを理解できない。
ずっとローンに恐怖を感じたままだ。
それは嫌だった。笑顔の仮面の裏に隠れた彼女を、知りたいと思った。
「ローン様、その……あの腕は……」
「うで……?ああ、アレなら外に置いてありますよ」
「……そうですか」
あっけらかんとしたその言葉。
サクラは改めてローンとの価値観の違いを知った。
戦争をしているとは聞いていた。
戦争をしているのなら、人が死んでいくのは当たり前だ。
初めて出会った際に、彼女の死にかけている姿も見た。
でも……彼女が他人の命を奪う光景は、想像できていなかった。
そういう世界なのだと知れば、彼女への漠然とした恐怖は消えた。
けれどサクラは、命のやり取りをして何でもないように笑顔を作る彼女のことが、少しだけ悲しいと思った。
「ローン様は怪我、していませんか?」
「……んー、腕を少し切った程度ですね」
その言葉の通り彼女の右腕はわずかに切れていて、いまだに血がにじんでいる。
傷つけられたことがよほど気に食わないのか、拗ねたように唇を尖らせて、ちょっとだけ油断しましたと嘯いた。
それを聞いてサクラは、待っていてくださいと伝えて椅子から立ち上がる。まだ調子が戻らないのか若干ふらつきつつ奥の部屋へと行き、道具箱の中から目的の物を手に取ってローンのもとまで再び戻ってきた。
「それは……?」
「ヨモギの葉と、ローン様に頂いた服の切れ端です。失礼しますね」
言うや否や彼はローンの傷口に葉を当てて、包帯代わりの布でくるくると巻き始めた。
ローンが目を丸くして見ているのにも気づかず淀みのない動きで処置を終わらせると、
彼女に向かってくしゃりと笑顔を向ける。
「あくまで民間療法なので、家に帰ってから病院で治療をお願いします」
「……」
「ローン様?」
「! ああ、いえ……治療されるのは、あの時以来だったので」
「……ちょっと安心しました。あんまり無茶をしないでくださいね」
たとえ彼女が他者を害するのだとしても、それでもサクラは彼女に死んでほしくないと思った。彼女の笑顔が見たいと思った。
ローンは普段の彼女に似つかわしくない呆けた表情で、包帯の巻かれた右腕をまじまじと見つめる。正直なところ、今サクラが行ったこれには意味は無い。KAN-SENの怪我は余程の重症でない限り時間が経てば治るのだ。
意味はないのだから、この物資はただの人間であるサクラのために取っておいた方が有用だ。ただでさえヒトは死にやすいのだから。
「あと、この巾着袋も持って行ってください。止血作用のある薬草が詰め合わせてあるので」
なのに、どうして拒否せずにそのまま治療を受けてしまったのだろう。ローンは合理的ではない自分の判断に戸惑って、無意識のうちにその袋を受け取っていた。
「……サクラさんって底抜けのお人よしですよねぇ」
「怪我をしている人がいたら治療するのは、当たり前のことです」
「もし、怪我をした相手が敵だった場合でも?」
「それは……その時にならないと分かりません」
「ふふ、分かり切った質問でしたね。私を助けたくらいですから」
「……ローン様は敵じゃありませんよ」
「まあ嬉しい。でもサクラさんが鉄血に来たら優しすぎて死んじゃいそうです」
「い、行きませんよ。絶対に行きませんにょ」
「冗談です、動揺してますよ」
戸惑ったけれど、そう不快なものでもない。
ローンは慌てる彼の様子を見て、もう少しだけこのままでもいいかと思った。