甚爾の視点。
次で話が動くかな。
ちょっと続きがあるので、少しだけ書いていきます。
「甚爾君!」
禪院甚爾は、己の後ろから聞こえた声に体をびくりと震わせた。
わかっていたことだ。後ろから近づいてくる、軽く、そのくせ確かな足取りだけがやたらと耳についた。
そうして、恐る恐る振り返る。
ああ、やっかいだ。非常に、やっかいだ。
自分が、恐る恐るなんて感情を持ってしまっている時点で、やっかいなことこの上ないのだ。
甚爾はゆっくりと振り返る。甚爾の後ろ、そこには一人の少女がいた。
銀糸のような長い髪に、小作りな顔立ち。そうして、細い四肢をまとうセーラー服。そうして、まるでザクロのような赤い瞳。
全てが、可憐である。
だが、甚爾にとってその女が自分に近づく全てがやっかいなことこの上ない。
その女の容姿全てが可憐で、人目を引いた。
けれど、それ以上に、人目を引くのは彼女の頬にでかでかと張られたガーゼだろう。
甚爾は逃げることを諦める。逃げたところで無駄であるし、その女もなんだかんだで身体のポテンシャルは高い。
逃げたところで追いつかれるのが関の山だ。
すでにばれて久しい学校からの帰り道。たったと自分に走り寄ってくる少女は、ガーゼの目立つ顔でにっこりと微笑んだ。
「甚爾君!今日こそあなたから一本とりますから!」
ついこの前、自分に殴られた顔のまま微笑む女にどうしてこうなったと頭を抱えた。
全ての始まりは、女の狂気に飲まれて連絡先を交換した折のことだった。といっても甚爾自体は自宅暮らしだ。いくら日陰者とはいえ五条家の人間とつるんでいることがばれればやっかいだ。
そのため、電話が来ることはなかったが。
けれど、学校自体には突撃されたのだから笑えない。何よりも、無駄に目立つ容姿だ。
甚爾にとって、学校で目立つことなどにはさほど意味を持っていなかった。彼が認められたい場所はそこではなかったからだ。
何も知らず、何も見えない存在に認められても意味がない。自分と同じ土俵に立っていない存在に興味など持てないだろう。
だからといって、学校で騒ぎになり家に女の存在がばれるのもそれはそれで面倒だった。普段ならば相応に追い払い方というものもあるだろう。
けれど、はっきり言って、甚爾はそれと諍いを起こす気はなかった。
女の、純然たる狂気に触れた今、どこか抵抗するのさえも面倒だったのだ。そのため、さっさと用があるならば済ませて追い返し、二度と来ないように脅しをかける気だった。
けれど、蓋を開ければ笑えることだ。
その女はきらきらとした眼で、甚爾に手合わせを望んできたのだ。
最初はもちろん、甚爾とて嫌がった。全力で拒否をした。
けれど、妙に押しの強い、その赤い瞳に見つめられると何故か非常に断りにくい。
その目は、どこまで純粋で、きらきらとしていて。まるで、悲しいことなど知らない子供のように透き通っている。なじみがない感情があふれるように自分に注がれている。
特に、呪術師の家系の人間に向けられることのないはずのその目は、見つめられるとひどく居心地が悪くなった
とうとう根負けした甚爾はその手合わせを受け入れ、人の滅多に近寄らない、彼のたまり場になっている神社に連れて行ったのだ。
一度、本気でぶん投げれば二度と近寄ってこないだろうというもくろみがあってのことだ。相手も天与呪縛で身体能力が非常に高い。甚爾が殴っても死ぬことはないだろう。
別段、今のところ弱者をなぶることに優越はないが、さりとて躊躇があるわけでもない。
ならばいいだろう。
組み手のために向かい合ったそのうち、命がそれに先手を取る。
軽い動きのままに一気に距離を詰める。甚爾はそれを受け流して、横から拳を振るった。
命は自分に向かってくる拳を避けるのではなく、何を思ったのか鉄棒でもするように握って飛び上がった。高く飛んだ彼女は宙で体をひねり、足で甚爾の頭を狙う。
甚爾はそれに、刹那の時間のような中、足を寸前でつかみ取った。そうして、引き寄せる形で自分の方向に引っ張った。
そこに、甚爾は何の躊躇もためらいもなく命の頬に全力で拳を振りかぶった。
命はそのまま境内にたたきつけられ、勢いよく転がり、神社を囲む林に突っ込んだ。
甚爾は拳の感触に違和感を抱いた。そうして、それが何かを知るよりも前に林ががさりと揺れた。
そうして、鼻血がだらだらと滝のように流れ落ち、かつ頬が真っ赤に腫らした命が、今まで見たことのないような、あふれ出るような感情で瞳をいっぱいにして甚爾を見つめていた。
そうして、だだだと駆け寄ってきた彼女は、甚爾ににじり寄った
「すごい!!!」
これ以上にない大音量で命は甚爾に叫んだ。
「私、今までここまで綺麗に投げられたことないです!いえ、あんまり対人戦をしていないのでそこら辺はあんまり信用ができないんですが。でも、あの空中で私の動きに対応して、足をつかんで良いタイミングで殴りつけるなんて、本当にすごいですよ!?」
だんだくと、鼻血があふれて、流れ落ちる。ぼたりと、鮮血が境内の石にたれ落ちる。
それに甚爾は固まって、命の腫れ上がった顔を見た。
(こいつ、俺の突きを寸前でかすかに避けて致命傷を避けたのか!)
明らかに殴った感触が軽かったことに合点がいく。そうして、地面にたたきつけられるその瞬間も、受け身をとったことを察する。
その技術に引きながら、甚爾は女の赤い瞳を見た。きらきらと、きらきらと、まるで星が瞬くようにその瞳がきらめいている。
そうして、すごいと、子供のように連発していた。
固まってしまう。女の態度にも、ここで立ち上がって甚爾を賞賛する言葉にも、固まってしまう。
この女は異常だ。それでも、けれど、すごいと連発されるそれらはあんまりにも未知であったのだ。
「正直言って、下手な術式を持ってるよりもずっと甚爾君ってすごいじゃないですか!」
「何言ってんだ?」
「だって、そうじゃないですか!そりゃあ、武器がないといろいろとやっかいですけど戦い方を考えれば絶対下手な一級よりも甚爾君って強いですよ!?私も、もっと強くならないといけませんね!」
高らかな声がした。
気圧されてしまったのかもしれない。それは、あんまりにも狂っていたものだから。あんまりにも、何もかもから逸脱していたから。
血の臭いがする。目の前で満面に笑う女は、お世辞にも腫れた頬のせいで美しいなんて言えない。
ぼたぼたと、ぼたぼたと、血が、流れ落ちて。
「すごい、すごいですよ、甚爾君!うっわ、もしかしたら悟よりも強くなれるかもしれないですよ?」
いつもの甚爾ならば、馬鹿にでもされているかと怒りを向けたことだろう。
けれど、そのとき口から漏れ出たのは乾いた笑い声だった。
「ばかだろ、お前。」
ウソだと、一喝できなかった。馬鹿にするなと叫べなかった。
そう言うには、その女はあんまりにも狂いすぎていて。そう突き放すには、あんまりにもその瞳は無邪気すぎて。
その瞳は、子供のようだった。
子供が憧れに手を伸ばすかのように、子供がヒーローを見つめるように、遠い星を眺めるような、そんな眼をしていたから。
だから、理解してしまったのだ。
ただ一度の手合わせ、それだけでその女は五条悟に向けていたような、憧れに満ちた眼で甚爾を見つめるものだから。
笑える話だ。
所詮、目の前にいるのは狂った、自分と同じ術式を持たぬ落伍者であるのに。
自分がさげすんだ家の者たちの価値観をゴミのように捨て去って、甚爾の全てに憧れる女に、五条と同等だとたたえる、鼻血まみれの、狂った女の瞳に。
確かに、甚爾は、己の尊厳を見いだしたのだ。
それから、幾度も命は甚爾の元を訪れては、ボロボロになっては帰って行く。
そのたびに、女はすがすがしく笑うのだ。まるで、からりと晴れた空のように、笑って、甚爾の戦い方にきらきらと、きらきらと、瞬くような光を帯びた目を向ける。
今日も、変らずにくそな毎日で。
全ての物事は変らない。家では疎まれ、学校ではちやほやするもの、恐れるもの。
変る事なんてありはしない。
少数派の少数派である自分が、多数派での多数派になれるなんて誰が言ったのか。
それ故に、甚爾は一人であった。
だからといって、何かを思うことはなかった。
嘆く意味はない。
自分を理解しない、価値を知らない誰かになんぞ興味はない。
己の価値を無視し続ける禪院にも、どれほどの言葉や態度があろうと自分の本質を理解しない非呪術師も、ことごとく無価値なだけだ。
変らない、この世はくそだ。
ただ、持たなかっただけだ。ただ、持ち得なかっただけだ。
それだけで、それだけで、自分は世界から爪弾きにされ、なじむこともままならない。
あがくだけ無駄だ。願いを持つだけ無意味だ。星を仰ぎ見ることすら、空しいだけの夢想に過ぎない。
昔、もっと幼くて、世界に対して無知であったころならば。己の無知さを恥として、思い出すことも忌々しい昔であるならば違っただろう。
きっと、走り続ければ星にさえ手が届くだなんて、思っていたのだ。
そんなことは、なかったのだけれど。
何故だろう。何故だろう。
禪院甚爾は、あまりにも優秀であった。
それ相応の頭もあった、飛び抜けた肉体があった、見目も良く、認められる程度の実力があった。
そんなものは、呪術師の名家にとってあまりにも無価値でしかなかったのだけれど。
放り込まれた非呪術師たちの言葉さえも、ことごとく無価値でしかなかった。非呪術師たちの賞賛の言葉を聞けば聞くほど、己の家での扱いとの落差に吐き気がした。
どこにいようと、自分の特異さだけを自覚した。
一時期の享楽に手を出すようになったのは、それがひどく気楽であったからだ。
自分の尊厳さえもずたずたにたたき壊すのは、ひどく楽だった。転がり落ちれば転がり落ちるほどに遠くなるそれは、手を伸ばすことさえも億劫になっていけば言い訳が立った。納得したふりもできた。
所詮、自分はこの程度なのだと。
喧嘩をして、相手を殺しかけるほどに暴れて、酒を飲んで、たばこを吹かして、女と戯れて。
ああ、そうだ。
それでいいだろう。
呪術師たちの侮蔑の瞳を無視して、非術士たちの目に見えない脅威を知らない無知さをあざ笑って。
それでいいだろう。
あがいたところで報われまい、助けたところで徳はない。
けれど、けれど、半端な心が騒いでいて。
自分を、屑だと、割り切れない青すぎる何かが己にがなり立てて。
それも、死んでいく。
己の家に、世界に、ことごとく殺されていく。
それでいいと思っていた。それで、いいと。
なのに。
「甚爾君!」
瞬くような、赤い星が自分を見る。
ぼこぼこに殴られて、吹っ飛ばされても。それは、まるで、やっぱり子供のように笑う。
そうして、いつだってすごいと叫ぶのだ。
甚爾君。
ああ、声がする。
すごいですね、甚爾君。
甚爾の痛みが、その声で跳ね返って、心の奥に沈めた自尊心が泣きじゃくりながら手を伸ばす。
甚爾君、あなた、とっても強いんですね!ああ、すごいなあ。私も、あなたぐらい強くなれたら良いのに。本当の殺し合いであなたに勝てる物がどれほどいるのでしょうか。
ああ、ああ、すごいです!
ねえ、さっきってどうやって私のことを避けたんですか?教えてください。私も、あなたみたいになりたいんです。
ねえ、甚爾君。
己の痛みが残響する。
やめろ、やめろ。
今更、今更、それをゆすり起こすことをやめてくれ。やめろ、やめろ、我が尊厳。どうか、泣きじゃくりながら、その無邪気な尊敬を求めるな。
否定され、ことごとく、ゴミのように捨てられ、廃れるはずだった心が、狂った女の瞳に映った尊厳に息を吹き返していく。
それを否定するように、それを殺すように、甚爾は女に拳を振るった。
けれど、女は鼻血にまみれて、痣のついた体で、そうして甚爾の拳に応えるように向かってくる。
笑って、狂った瞳で、それでも女は笑うから。
甚爾をまるで、まぶしい太陽のような眼で、敬意を抱いて笑うから。
振り切ってしまえば良いのだろう。
二度と来るなと、そういえば、きっと命はそれに素直に従うだろう。
ごめんなさいと、そういって。二度と、来なんてしないだろう。
それでも、甚爾は、それを拒絶できもしないまま。
「・・・・おい。」
「あい。」
甚爾は投げ飛ばしたまま動かない命のことをのぞき込んだ。女の頑丈さは、今までの組み手で散々理解したことだ。
命はぼんやりとした顔で甚爾を見返した。
「へばったのか?」
「いえ。ただ、全然勝てないなあって。へこんでます。」
そう言って、しゅんとしている女を珍しいと思いながら甚爾はそれをまるで猫のように持ち上げた。両脇に手を差し入れ、ぶらんと持ち上げた。それの体は、さすがは女と言えるのか柔らかかった。
(こいつ、ほんとにぬくいな。)
頭の奥底でそんなことを考えながら甚爾はそれを神社の階段に座らせる。そうして、ポケットの中からあめ玉を取りだした。
「やる。」
「わあ!ありがとうございます!」
先ほどの泣きべそなどどこへやらで、それはあめ玉一つにニコニコと笑ってご機嫌に笑っている。
何をしているんだろうと、そう思うのだ。
命がやってくるのは、いつも週末だ。おまけに、連絡も取れないというのに決まった周期もなく、本当に気まぐれにやってくる。
甚爾とて、週末になれば家にも帰らずに適当にうろつくのがほとんどだ。無駄ながたいのよさのせいである程度の言い訳も立つため適当に歓楽街で遊ぶことだってあった。
別段、家の人間はそれに無関心だった。
けれど、その女がやってくるようになって、甚爾は今では週末の夜遊びをすっかりとやめてしまっていた。
夕方頃、女が来るのを神社でまち、暗くなるまで散々殴り倒す。女を駅まで送った後、ぼろぼろになったまま町に出るのも面倒で、嫌みを言う家人の言葉を聞き流して風呂を浴びで、残り物を食って寝る。
家に帰るのは嫌いだ。自分の無価値さだとか、求められていない事実を自覚する。
けれど、それでも、命がすごいと、弾むように笑う姿を思い出すとくすりと笑って眠る自分がいた。
何をしているのだろうか、考える。
甚爾は自分の荷物に放り込まれるようになった、ハンカチだとかティッシュや甘味を見て思う。
ハンカチは手当に、ティッシュは鼻血用に、甘味は女にやると笑うから。
いつのまにか、手持ちの中に持っているようになった。
さすがに、見目だけはいい女の顔が真っ赤に腫れているのはどうかと思って。そうして、鼻血を気にすることもなく流し続けるのは本当にどうかと思って。
そうして、よく笑い、よくしゃべるそれを黙らせるには口に何かを放り込むのが早いと知って。
「今日も一本も取れませんでした。」
「・・・・鼻血は、垂らしてねえだろう。」
「あ!そうですね。ちょっとは進歩しましたね!」
にこにこ、にこにこと、それは笑って。ぼろぼろの、傷だらけで。
けれど、無駄に頑丈な体は、少しの傷ならばすぐに治って消えてしまう。
神社の社に、不敬なことに座り込んで、そうして、少しだけ話をする。
互いに、簡単に、組み手の後は、本当に少しだけ、訥々と話すことがある。
些細なことだ。
学校のことだとか、組み手の話だとか、少しだけ、家の話をすることもある。
甚爾は、その女に家のことを話したことがあった。
自分を認めない、いつだって、闇のように重い帳がのしかかったあの家について。
それに、命はああとうなずいた。
「みんな、自分が特別だって勘違いがしたいんですよ。」
静かな声だった、本当に珍しく、凪いだ水面のような声だったのを覚えている。
「自分たちは特別で、選ばれているって。だから、自分たちだけは死なないって。ひとがあっさりと死んでいく世界で幻を見ていたいんですよ。」
死んじゃうのに。
夏になりかけた春のような女は、真冬のように微笑んでそういった。
そこには、本当に心の底から不思議そうで。
やっぱり、甚爾には女を理解することはできなかった。
たった一つだけ言えるのは、その女は甚爾を哀れむことも同情をすることがないと同時に、傷のなめあいをする気がないと言うことだけだった。
命の話題は、大抵、弟の五条悟のことだった。
別段、聞かない理由もなく適当に聞いているが、命の話す五条は良くも悪くも六眼持ちの後継者ではなくて、どこまでも年相応の子供であった。
一緒に散歩に行っただとか、祭りに出たのだとか、組み手をしたのだとか。
それを聞くのは、嫌いではなかった。
けれど、何故だろうか。その話を聞くと、凍り付く何かがあった。
それは、善性に狂っていた。それは、正しさに魅入られた狂人だ。
けれど、それでも、その女には確かに自分とは違い縁があったのだ。
五条悟が姉を慕っているのは甚爾にだって理解できる。その、幼く、そうして優秀な未来が約束された少年には、確かに少女は愛されていた。
二人のやりとりと聞くたびに、心が冷えていく。
別に、それは自分がいなくとも、誰かがいるのだ。
きっと、その女は自分がいなくとも、誰かを愛して、大事にできるのだろう。
自分とは違う恵まれた人間の間抜けな話を聞くのは、嫌いではなかった。
けれど、女がそれを愛しているのだとまざまざと理解できる話を聞くと、唐突に空しくなった。
(くだらねえ。)
そんなことを考える自分に。はらわたが煮えくりかえるような思いを抱いて、そのくせ、結局女を待ち続ける自分がいた。
自分とは違い認められ、それでも誰かに大事にされている女が気にくわなかった。それでも、己の願いのために狂った女のあり方を面白いと思っていた。
自分がいなくとも何の支障もなく生きていく女が憎らしかった。それでも、己の星に手を伸ばし続ける生き方がたまらなくまぶしかった。
気にくわない、腹立たしい。その反対に、まぶしくて面白くて。
好ましくて、いじらしいと思う己がいた。
そんなことを思う自分に呆れる。それでも、ふとしたときに女が自分に向けた憧れの瞳に痛む何かが収まる気がした。
ああ、だって。だって、仕方がないだろう。
その女は、五条命とは、禪院甚爾にとって、生まれて初めて出会えた人間だった。
呪術師は嫌いだ。自分たちを選ばれたと思って、術式を持つものだけが人のように振る舞うそれが嫌いだ。
いいだろう、それで。ならば、自分とて、同じものなのだと思う必要もない。
非呪術師は嫌いだ。自分が見えている世界も理解しようとせず、甚爾の苦しみをわかることもできない非力なそれが嫌いだ。
けれど、けれど、それだけは違った。
五条命だけが、初めて出会えた。甚爾と同じ人間だった。
呪術師の名家に生まれ、術式を持たず、されども非呪術師たちからは逸脱した、銀色の獣。
呪術師たちのなかでは、人になれず。非呪術師たちの中になじむこともできない。
それは、自分と同じだった。自分と同じで、けれど、惨めさを共有するわけでもなく、ただ、甚爾の強さに心からの尊敬と憧れを示した、女。
それでも、甚爾にはわかっていた。
きっと、その女は自分と同じところにまで落ちてはくれないのだと。
呪術高専に行くんだ。
そう、女は笑って言った。それに、甚爾は呆れた。
「死ぬかもしれないのによくやるな。」
「でも、私は守りたいと思うんです。」
だって、この世界は綺麗でしょう?
まっかな、夕焼け色の瞳が瞬いた。それを、甚爾は、ぼんやりと綺麗だと思う。
「笑う人が好きです。あがいている人が好きです。ささやかな何かを大事にしている人が好きです。慈しめる人が好きです。」
優しい人が、私は好きです。
わらって、笑って。女は世界へ微笑むのだ。
「そんな素敵な物を守れたのなら、守りたちと願える誰かと戦えられたら。それ以上に素敵なことなんてないでしょう?」
「守る価値なんてネエだろう。」
「でも、給与は良いですよ?」
「いらねえよ。割に合わねえ。」
命はそれに、そうですかと笑った。その笑みを見て、甚爾は、一緒に行こうとは言ってくれないのかと、そんなことを思って。
吐き気がするじゃないか。
自分の尊厳だなんて、無意味だと、さっさとことごとく捨てようとしていたのは自分だったのに。
なのに、今更出会った輝かしい生き方の女に、自分を引き上げてほしいなんて。
いつかに憧れた星へ手を伸ばすために、その先に連れて行ってほしいなんて。
心のどこかで思っている自分に、心底呆れて、吐き気がした。
知っている。
命というそれが、呪術師をすることの危険さだとかと割にあわない事実を抱えて、甚爾の意思を大事にしているのだと。
けれど、それでも、思うのだ。
甚爾によって救われていると言った。甚爾がいたから歩いてこれたと言った。
そのくせ、彼女は最後に自分を置いていくのだ。
遠く、遠く、甚爾の諦めた生き方で、颯爽と走って行ってしまうから。
その背中をまぶしいと思う幼い自分がいる。
女の瞳に映った尊厳を求め続ける自分がいる。
だからこそ、この、戯れのような時間をずっと、抱えて生きている自分がいた。
(そうだ、どうせ、いつかは終わる。)
命が高専に入れば、自分との関係など切れるだろう。
そうだ、自分の尊厳を叩き潰す日が、少しだけ、遠くなっただけの話で。
自分の足はすでに止まって沼にはまってしまっていて。自分の心はとっくにさび付いて腐るだけの末路で。
所詮、自分は狂うこともできずに半端な心を抱えて、落ちきれないまま生きている。
終わる日よ、早く来いと、そう思って生きているのだ。
一応、甚爾は中学生でまだ屑になりきれない、思春期を抱えて、承認欲求だとかを捨て切れてない年の話です。
感想、いただけると嬉しいです。