最強の姉と屑な男   作:藤猫

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戦闘シーンが入ります。
術式ないので肉弾戦一択。


逃げなかった信念、逃がした未来

 

五条命はひどく弾んだ足取りで道を歩いていた。

季節はすでに夏になりかけており、学生のみである命も夏休みになっていた。そうして、夏休みに付随して弟の願いで実家に帰っていた彼女は、数週間ほど甚爾に会えていなかった。

甚爾も甚爾で家の方で何かしらの事があったらしく組み手を久しぶりにできると彼女は喜んでいたのだ。

少しだけ、小高い丘の上にあるため、十数段の石段を登る。

 

「ぐ、り、こ。ち、よ、こ、れ、い、と。」

 

命はこの頃、甚爾に教わった子供の遊びをなぞるように階段を上がる。弟ともよく遊んでいるが、今のところ命が勝ち続けている。

本当は動体視力をフル活用して、五条の出すそれは見切っているのだが今のところはばれていない。

たん、たんと軽やかな足取りで石段を登っていくと、ふと、神社の方から気配がした。甚爾ではないそれに、命ははてと首をかしげる。

神社は、お世辞にも人が集まる場所ではない。

立地も悪く、熱心に信仰している存在もいないらしく荒れていたのだ。

ただ、命が甚爾を引きずって掃除をしたため落ち葉などは落ちていないが。

命の人よりも鋭い耳は、神社から数人の子供が何か話している。

 

(珍しいな、子供がこんなところにいるなんて。)

 

命は遊びに使っているのなら退散することも考えたが、聞こえてきた涙声に異変を感じて階段を駆け上がった。

命は境内に入り、そっと子供のことを伺う。

よくよく見ると、神社の本殿の裏側、山道に続いている場所で数人の子供が言い争っている。

 

「知らないって、お前が一緒にいたんだろ!」

「でも、気づいたらいなくなってたんだもん!」

「そんなに怒るなよ!お前が言い出したんだろ!」

「やめなよ!」

 

何かしらのことがあったと察する。命は少し考えた後に、わざと音を立てて子供に近づいた。

命は、にこりと弟に微笑むときのように少年たちに笑いかけた。

少年たちは、突然後ろにあらわれた銀の髪をした彼女に固まった。

 

「君たち、こんなところでどうしたの?」

 

命は少年たちと同じほどにかがんで視線を合わせる。

命の笑みは少年たちに効果てきめんであった。もともと、命自体自分に対してさほど優れたところがあるとは思っていないが、それでも彼女は整った顔立ちをしているのだ。

まるで、絵の中から抜け出してきたような可憐な命に、少年たちは固まる。

命は、できるだけ穏やかな口調で語りかけた。

 

「誰か、いなくなっちゃったの?」

 

その言葉に少年たちはびくりと体を震わせた。命はそれに、なんとなく当たりをつける。

元々、神社自体が不気味な雰囲気がある。甚爾も、怪談まがいの話は聞いており、人気がないためにたまり場にしていたと言っていたのだ。

それでも、命の記憶ではそこまでのものが発生した覚えはない。

 

(寄りつかなかった間に、呪霊が発生した?)

 

命は嫌な予感を覚えて、少年たちに聞いた。

 

「ごめんね。私も、人と待ち合わせをしてるんだけど。君たちの声が聞こえてしまって。何か、あったのなら教えてほしいな。少し、心配になってしまって。」

 

困り顔でそういった命に対して少年たちはちらちらと様子をうかがっていた。

 

「えっと、もしかして獣道の方で誰か、迷っちゃったの?」

 

焦った命がそう言うと、少年たちは顔を青くさせて、知らない!と叫んでそのまま駆けだしてしまう。捕まえるのは簡単だったが、だからといって怯えさせるのも戸惑ってしまう。

四人いた子供のうち、三人はいなくなった。命は、一人だけ残った子供を見る。子供は青い顔で震えている。

おそらく、怯えて動けないのだろう。

その子供は、命の赤い瞳をじっと見つめた。

 

「ねえ、君。」

「ひ!」

 

怯えた少年に、命は少し考えた後、持っていた鞄をその場に置き、そうして境内の中を走り出した。

たん、と勢いよく彼女は高く飛びひねりをくわえて降り立った。

そうして、子供に振り返る。少年は驚いたのか、ぽかんと口を開けて命を見ていた。命はその少年に向けて、にいと笑った。

 

「これでも、私ってすごいんですよ。」

だから、何があったか教えてください。あなたのこと、助けたいんです。

 

その言葉に、少年はひくりと喉を震わせて嗚咽のような声を吐き出した。

 

 

夏休みだから、そう誰かが言い出したのだ。

せっかくだからと肝試しをしようとしたのだという。

そこで名前が挙がったのが、神社の奥、獣道を進んだ先にある祠だった。ルールは簡単で、先にリーダーが置いておいた名前の書かれた石を持って帰るというもの。

五人組であった少年たちは、二人と三人に分かれていたらしい。

そうして、二人組のうち、一人の少年はなかなかの悪ガキで。

 

「やめなよって言ったのに。周りの縄も壊して、祠の中、開けて。そうしたら、中に、お札でぐるぐるに巻かれた、わかんないのがあって。それで、取り出してこれ持って帰った方がいいだろうって。」

 

止めたのに。それで、お札剥がそうとしてたから、怖くて逃げちゃって。

 

命は子供の話に、目を見開いた。

ああ、ああ、ああ。

これは、本当にまずいことになったかもしれない。

命は慌てて持たされていた携帯電話を取りだし、そうして五条の電話にかける。

 

(出ない。すぐに気づいてくれると思うけど。)

 

命は留守電に現状を説明して電話を切る。そうして、意を決して電話番号だけ知っていた高専に電話をかける。

事務員が出た電話に、命は実家の名前を告げ、現状について説明した。電話先は半信半疑であったが、呪霊の存在を知っていることと、五条という名前に動いてはくれそうであった。

 

(あー、家の名前を使っちゃいましたねえ。後で、絶対怒られる。)

 

それでも、なんとか対策は打てたのだから温情だろう。

呪術師の家系なら、実家を頼った方が早いでのはないかと思われるだろう。けれど、悲しい話、呪力のない命の話は下手をすれば使用人で止まってしまう可能性もある。だからこそ、一番に話がスムーズに進みそうな弟に連絡を取りたかったのだが。

次に命はうつむいて、罪悪感で嘆く子供を少しだけ見つめた後、そっと彼の肩に手を置いた。

 

「もう、あなたはおうちに帰りなさい。」

「で、でも!」

「大丈夫。こういうときの専門家とお姉さんはお知り合いなので。大丈夫ですよ。」

 

命は自分の中に駆け回る動揺をかみ殺して、少年に微笑みかけた。そうして、子供を抱え上げて、階段を降りきる。

 

「いいかい。絶対に、ここに戻ってきてはだめだよ。大丈夫、さっきも見たでしょう?お姉ちゃん、これでも強いから。だから、安心して帰りなさい。」

 

命はそう言って立ち上がろうとしたが、少年はそれに命の袖をつかんだ。

 

「あの、僕!」

「・・・・どうしたの?」

 

命はそれにもう一度、子供の視線まで腰を落とした。子供は命の服にすがるようにつかんでいた。

 

「僕、本当は、見えてたの。」

「え?」

「祠の周りの縄、とれたときとか、なんか、嫌な影みたいなのがあって。でも、言ったら変に思われるから、言えなくて。それで。」

 

その言葉に、命はなんとなく、目の前の子供が呪術師として才がある子供であることを察した。命は、それに子供の頭をそっと撫でた。

 

「・・・・それでも、怖くて、やってしまったと思っても。あなたは私に何があったか教えてくれたんですね。あなたは、とても勇気がある子だ。」

「僕が?」

「ええ。見捨てたと思って、怖い物がたくさんあると思って。それでも、あなたは怒られるかもしれないと思っても言えたんでしょう。なら、あなたは勇気のある子だ。」

 

命はそっと、子供の手を握った。そうして、にこりと微笑んだ。

銀の髪が揺れて、赤い瞳が細められた。子供の瞳に、日の光が反射して、キラキラと光る銀の髪が、映ってしまって。

 

「大丈夫です。お姉さんを信じなさい。」

「・・・・お姉ちゃんは、怖くないの?僕、怖い。あいつらが、とっても、怖い。」

 

かすれた言葉が吐き出された。怖いと、震える子供に命は少しの間考えた後、子供の肩を両手でつかんだ。

 

「少年、それでも、君はその怖さと付き合っていかなくちゃいけない。」

 

子供は、それに赤い瞳をのぞき込んだ。

 

「あなたが見える物は、見えない人が多く、そうして彼らは悪意を持って人にひどいことをします。あれが見えるあなたはそれに抵抗する術をもっているということです。今は、自覚ができなくても。これからの人生で、あなたはその力と折り合いをつけなくてはいけない。無視するにしても、受け入れるにしても。それでも、それはあなたの人生に付随された、あなたがあなたたり得るものの一つなのだから。」

 

少年には、その言葉の意味がよくわからなかった。それでも、セーラー服の少女の手の熱さだけが、ただ、ただ、優しくて。

命は少しだけ困ったように首をかしげて、そうして体の前で手を合わせた。

 

「私も、昔はこの力怖かったんですが。でも、それと同時にわかったんです。誰かを助けられる力があるんだって。」

 

命は拳を握って、子供を見た。

 

「力を持ったなら、私は何も無視ができない。誰かを助けられるなら、助けたいと思います。私にしかできないことがあるなら、命をかける価値があると。お姉ちゃん、これでも強いので、だから、弱い人を守りたいとそう思うんです。」

 

命は立ち上がり、子供の頬をそっと撫でた。弟と同じ、まろくて、そうして柔らかな頬だった。

 

「夏油傑君。あなたがこの力をどう扱うかはわからないけれど。でも、叶うなら、それで誰かを傷つけるようなことはしないでほしいと、そう、思いますよ。」

 

真っ黒な瞳が自分を見ていた。

弟とは正反対の、夜のような瞳が見ていた。

綺麗だなと、思うのだ。その瞳を、命は心から美しいと、そう、思うのだ。

 

 

 

命は子供を帰した後、境内の中で震える心をなだめるように自分で自分を抱きしめた。そうして、子供の手前、必死に押し殺していた恐怖に自分の肩を握りしめる。

 

(どうしよう。)

 

呪術師への連絡はした。五条にもすでに連絡は取ってある。

けれど、それでも、命は獣道の方に視線を移した。

死んでいると、わかる。だって、生き残る可能性なんてぜろじゃないか。

きっと、死んでいる。すでに、子供は手遅れだと。

わかる、わかるのだ。

呪術師の中で生きてはいるから。だから、きっと、子供は死んでいるとわかる。

仮に自分が行ったとしても、全てが無駄だ。抵抗のできる術なんてない。

行ったとしても、同じように死ぬだけだろう。

わかる、わかるのだ。

それでも、命は、己の手に残った柔く、まろい頬の感触を思い出す。今、今、すぐ先で、もしかしたら子供は生きているのかもしれない。

もしかしたら、万が一の可能性で、自分は助けられるかもしれない。

犬死にだ、無意味だ。

わかっている。それでも。

命は歯を食いしばって立ち上がった。そうして、鞄から弟から持たされたお守りを取り出した。

ぐるぐるに布で覆われた短刀を命はぐっと握りしめた。

 

「決めたんだ。そう、決めたんだ。なら、行かなくちゃ。」

 

そう言うと同時に、命は足に力を入れて走り出した。

何もできないと、そう思った。

なのに、なのに、命の足は走り出す。死んでいるのだとわかっている。話をしてくれた彼をせめて、安心させたいから。だから、大丈夫だなんて言った。

ウソだ、信じたかっただけだ。自分が、そう、信じたかっただけだ。

手遅れなのだろう。子供が、死ぬかもしれない。誰かが、誰かの未来が、潰えてしまうかもしれない。

脳裏に浮かんだのは、少年たちと同じほどの年の、青い眼が瞬くように光る弟のことだった。

それに、命は走り出してしまった。

呪力をろくに持てない自分には、何もできない事なんてわかっていた。

けれど、それでも。

走り出さずにはいられなかった。

 

 

彼女は山肌をまるで獣のように駆けていく。山肌に生えた木をまるでアスレチックのように飛び越えて、降りていく。

かすかな獣の鳴き声に、何かが動く音。

命はそれに耳を澄ませる。

がさがさ、と音がした。鳥の鳴き声がした。

そうして、明らかに何かから逃げているような軽い音が聞こえた。命はそれに、ばっと顔を向け、そうして足に力を込めた。

 

 

それは走っていた。子供は、ただ、走っていた。

どうしてこんなことになったのだろうか。いや、そんなことはわかっている。

お化けなんていないと証明するために、自分が勇気があるのだと証明したかっただけだ。

祠に入った何かの封を解いた、それだけだ。

自分を置いて、走って行ってしまった友人のことだって弱虫だと笑っていた。

何かをしたなんて意識もない。ただ、祠の中にあった物が石だとかではなかったことに好奇心を刺激されたこともあった。

ころりと転がり落ちた堅い何かをなんだとみていたそのとき、突風に巻き込まれた。

それが何だったのかなんてわからなかった。ただ、それに斜面をどんどん転がり落ちていった。

その子供が幸運だったのは、すぐに山肌の木に引っかかったことだろう。それにほっとして、彼は上を見た。どれほど転がり落ちたのか、上れるだろうか、そう思って。

だからこそ、上を見上げたその瞬間、自分の目に飛び込んできたそれに目を見開いた。

 

「いつまで?」

 

女の顔があった。真っ黒な髪に、教科書で読んだ平安時代の女性のような、そんな様相。それは、人ではなかった。

蛇のような体、そこから生えた羽。牛ほどまである体。

それは、子供のことをじっと見ていた。

 

「い、づ、ま、で?」

 

それに、子供の喉からかすれた声しか出てこなかった。

 

そのまま、子供は命からがら木を伝って降りていき、ようやく走れるところまでやってきたのだ。子供は走った。けれど、鳥のようなそれが、迫って。

その時だ。

自分を追う獣の影のほか、何かの影が地面に映った。

 

「あああああああああ!」

 

絶叫のような声が響き渡った。ぐんと、高度の落ちたそれに何かが乗っている。そうして、その何かは勢いよくその化け物を蹴り落とした。

それは、短刀を持ったセーラー服の少女だった。真っ黒な服と、銀髪がやけに生えていた。

 

「逃げなさい!」

 

たたきつけるような声で、彼女は叫んだ。それに、子供は少しだけ躊躇する。けれど、それ以上に、もう一度少女は叫んだ。

 

「死にたいのか!!」

 

雷鳴のような声に子供は脱兎のごとく走り出していく。それに命はほっと息をつくが、それと同時に下にいた呪霊が暴れ始める。命は自分に迫る蛇の尻尾を避けるために飛んだ。

そうして、それと向かい合う形で短刀を構える。

そこで、視界の端に子供の姿が映った。

 

「逃げろって・・・・」

 

その時、子供に迫る蛇の尾が見えた。それに、命は足に力を入れて子供まで飛び、そうしてそれをすくい上げて走り駆ける。

呪霊から逃げながら子供に怒鳴る。

 

「どうして逃げなかったんですか?」

「だって、走ったはずなのに戻るんだよ!」

(結界か?)

 

命がそう思っていると、同じような風景が続いていると思った中で、視界の端に呪霊の姿を捉える。

 

「いつまで、いつまで、いつまで?」

「条件下で結界の中から逃がさない?でも、何かしらのことをやってくるわけでもない。」

 

命はちらりと抱えた子供を見た。そうして、一つの賭けをする。

 

「あなたが消えるまで!」

 

それと同時に手の中にいた子供が消える。そうして、まだ日が高かったはずの森の中に茜色の光が差した。

そうして、女の顔が鈍色に輝くぎざぎざの歯をむき出しにして、命を見た。

 

「そーれーまーでええええええええ!!」

 

自分に向かってくるそれに、命は覚悟を決めて向かい合った。口元には笑みを向ける。

満面の笑みを彼女は浮かべる。

 

「よかった!」

 

すがすがしく、嬉しそうに、彼女は笑った。

 

 

命はそのまま自分に向かってくるそれをうっそうと茂った木を足場に飛んで避ける。けれど、呪霊もまたそれを追って羽を広げた。宙に飛んだ時点で逃げられる場所はない。

けれど、命には移動手段があった。

命は少し遠くにある木に向けて、短刀を向けた。

短刀の刃が伸びる。そのまま木に刺さったことを命は確認した。それと同時に、命の体はそのまま刃の刺さった木に引っ張られる。

交わした呪霊を、命は木に刺さった短刀に掴まって睨んだ。

 

(本当に、これだけが頼りだ。)

 

命の持っている呪具は、姉を心配した五条が持たせたものだ。

名前を刃鑓といい、能力は単純で視認できる程度まで刃が伸びる、というものだ。

それの様子からして、おそらく結界の中に閉じ込めてじっくりと狩りをするのだろう。それも、いつまでという言葉に返答したものだけ。

 

(あああああ。叶うならもう少し障害物がなければ立ち回りも考えられたんですが。でも、まあ、こうやって移動手段もできたわけですし。ましです、まし。)

 

そう思って、それでも命の口元には笑みが浮かんでいた。

彼女は、本当に嬉しそうに、笑っていた。

ああ、だって嬉しいのだ。

死んでいると思った、きっと、自分が言っても無駄だと思った。

でも、でも、五条命は救えたのだ。

死ぬはずだった子供。きっと、呪術師を待っていれば間に合わなかっただろう子供。

子供、柔くてまろい頬を思い出す。その感触を思い出す。

子供、青い瞳、瞬くような光、夜のような瞳を見つめたことを思い出す。

 

ああ、ああ、ああ!

 

潰えることはない。美しい物、未来のある柔らかな生き物。

命はここで死ぬことぐらいは覚悟していた。別段、死にたいわけではない。

まだ、生きていたい。戦い続けていたい、呪術師としてまだやれた事なんて欠片だっていない。

甚爾とまだ話したいことはたくさんある、もっと鍛錬をしたいと思う。誰かと友人になってみたいし、もっと素敵な物をみたいと思う。

 

命はそのまま刃鑓で木々の間を移動して、呪霊の追撃を避ける。幸いなのは、今のところ物理的な攻撃しかやってこないことだろう。

避けて、避けて、そうして上をとれた瞬間だけ、その背中に刃を突き立てる。

どれほど削れたかわからない。

 

(火力が足りない!せめて首を切り落とすかぐらいすれば。)

 

そう思っても飛び乗る瞬間、的が小さく背中に乗ることが精一杯だ。命はひたすら飛んで、避けて、傷をつけては逃げるを繰り返す。

そんな中で、命はずっと笑っていた。

だって嬉しい。

嬉しくて、嬉しくてたまらない。

脳裏に浮かんだのは、逃がした子供と同じぐらいの弟のことだ。

自分の視界に揺らぐ銀色と同じ髪、まろい頬、生意気そうな笑み。

瞬く星のような、青い瞳。

 

(ねえ、悟。私、今、少なくともあなたに胸を張れるお姉ちゃんですよ。)

 

死んでしまうんだろうなあと言う予想が脳の奥に張り付いている。きっと、生きて帰られる確率は低いんだろうなあと思う。

それがわかっていても、命はここで戦うことを選んだ。

小さな背中を覚えている。

強い子、小さく才ある、愛しい、命の弟。

小さなものは愛おしい。弟を思い出す。輝かしい未来があるのだと、願える背中が愛おしい。

もしも、もしも、命は少年の命を諦めていたら。

命は命であることを放棄したと同義だ。

それだけは嫌だった。

己の弱さを知っている。小さな弟に劣る己の才を知っている。それでも、それだけは止まれない信念が命にはあった。

だから、命は笑っていた。

自分には価値がない。才もなく、なせることなんて本当に欠片しかないだろう。

家の人間から冷たくされ、弟にかすかな尊厳を守られている。

それを仕方がないと諦めているし、才のない自分だからこそ仕方がないと思う。

けれど、けれど、今だけは確かに命は己の誇りと尊厳を守れたのだ。

柔らかな頬を覚えている。

怖いと言った少年にせめてと己の願った炎を見せられたのなら、それ以上に幸福なんてないじゃないか。

だらだらと汗が流れる。逃げては突撃を繰り返す中で、さすがに常人離れした体力も削られている。けれど、呪霊が削られるような様子はない。

どれほど移動を繰り返したのか、少しだけ集中が切れた。動きが遅れた命に、呪霊の蛇の尾がたたきつけられる。

 

「あ゛!」

 

潰れるような声の後に、命は地面にたたきつけられた。

全身がバラバラになるほどの痛みがあったが動けないほどではない。頑丈な体もさることながら、甚爾との戦いで鍛えられた受け身と、寸前で尾が少しだけそれたおかげだ。

何よりも、たたきつけられる高さがそこまででなかったことだろう。

 

(痛い、いたい、いたいいたいたい!!)

 

軋むような痛みがある。それでも、彼女は笑う。笑って、立ち上がる。

恐怖があった、痛みがあった、怒りもあった、焦りもあった。

それ以上に、命を歓喜が満たしていたのだ。

昔に憧れた、誰か。美しい星のように遠くて、輝かしいあり方。それに自分は確かに手を伸ばしているのだ。

逃げることもせずに立ち向かうことができた。

守れたものがある。それだけで、それだけで、命は笑って死ねるのだ。

 

「ええ、ええ!ああ、本当に、嬉しいなあ!」

 

命はそう言って、呪霊が自分に近づくその前にもう一度走り出した。それでも、負ける気はさらさらにないのだから。

 

 






自分の書きたいシーンまであと一万字は書かないといけないかもしれない。
二話に分けようかと。


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