五条視点。
ちょっと、賢すぎるような、成熟過ぎてる気もするし、子供過ぎる気もする。
五条悟が、己に姉がいると理解してから実のところ、一年も経っていない。
それは、五条が幼く物心というものがついていなかったと言うこともある。それ以上に、五条という家が、彼から姉を遠ざけ続けていたせいもあった。
そんな五条が己の姉というものを認識したのは、そう、ある年の誕生日のことだった。
彼が小学生になり、初めての誕生日。
当時、未だに幼かった彼がようやくある程度の事ができるようになり、初めて外にお披露目される日のことだった。
今までは両親や近しい身内だけで細々と、といっても十分に華美なものであるが、祝われていたがそれとは全く違う。
それは豪勢な内容だった。
広い自宅の広間にて、派閥の人間を選りすぐった客人に、金に言わせた豪勢な食事、意味のわからないおべっかに、早々と五条を狙う親にたきつけられた同い年の少年少女、伝統だけしかないかび臭くて趣味の悪い贈り物。
全てが、つまらなかった。
なんとかその時間をやり過ごしてふらふらと布団に入った折のことだ。
(腹減った。)
上品すぎる内容の料理は、お世辞にも育ち盛りの少年の腹を満足させてはくれたとはいえなかった。
五条はそのまま布団から抜け出してまるで城の中のように広い廊下を歩く。すでに一人部屋を与えられている程度に人格というものが形成されていた彼にとって、暗闇というものを恐れる理由もなかった。
台所にでも行けば、まだ起きているものがいるだろうと、その程度の算段で五条は廊下を歩いていた。
(あれ?)
台所に近づくにつれて、くんと何か良い匂いがしてきた。それに五条は小走りでそのまま台所に近づいた。
もしかすれば、明日の料理を使用人か誰かが作っているのかもしれないと思ったのだ。
こっそりと、のぞき込んだ広々とした、台所というよりは厨房には明かりがついていた。暗さに慣れた目をぱちぱちとこらした。そうしていると、かすかに嬉しそうな声が聞こえてくる。
「やった、ラッキーだなあ。ハム残ってる!あと、わあい。卵もあるし。ネギも入れて。」
くんくんと、匂ってくる良い匂いに五条は無遠慮に入っていく。
「なあ、なんか作ってんの?」
「え?」
小柄な五条には台などで見えなかった、その声の主は驚いたような声を出した。振り返ったそれに、五条もまた目を見開いた。
それは、自分よりも幾分も年上の少女だった。それでも、何よりも驚いたのは、その少女というのが五条とうり二つと言えるほどにそっくりであったせいだ。
銀の髪に、うり二つの目鼻立ち。まるで、自分の時を少しだけ進めたようにその様相はそっくりだった。
けれど、たった一つだけ、違うことがあった。
赤い眼。真っ赤な、正反対の赤い瞳がじっと、自分を見ていた。それは、驚いたように口をぽかんと開けていた。
「お前、誰?」
そう問うた五条は頭の中で、そのぐらいの年の親類がいたかどうかと考える。けれど、ここまで、良くも悪くも血筋の出た容姿の人間はいなかったはずだ。
五条の言葉に、それは嬉しそうに、無防備に、ふらふらと近寄ってくる。そうして、低い五条の前に跪いた。
「わあ、すっかり大きくなったんだね。悟。」
そう言って微笑んだ少女は本当に、自分にそっくりだった。
「・・・・で、あんた誰なの。」
「誰って、君、ひどいなあ。いっくらなんでも。」
そこまで言って、少女はぴたりと口を閉ざした。そうして、少しだけ微笑みに苦みを含めて、ああとうなずいた
「そういえば、君とこうやって話すのは初めてか。」
含みがある台詞ではあったけれど、自分を知らないものなんてこの家にいないことも理解していた。だからこそ、五条は顔をしかめた。わかったようにうなずいた女が不快だった。
少女はゆっくりと眼を細めて、なんだか体がむずがゆくなるようなぬるい眼で五条を見る。
それが、なんだかしゃくに障る。
自分が何もわからずに進む話が不愉快だった。
「だから誰だよ。」
「・・・・・うーん。そうだなあ。いってもいいのかなあ。」
「言えよ!なんか言われるなら、俺がなんとかするから!」
ふんと鼻息荒くした五条に、少女はきょとんと眼を瞬かせた。そうして、苦笑交じりに五条の頭を乱雑に撫でた。
わしわしと、今までされた事がないような乱雑な手つきだった。
思わず振り払おうとしたけれど、それよりも先に手はするりとなくなった。怒りの声を上げようとしたけれど、それよりも先に少女は口を開いた。
「わかりましたから。まあ、秘密というわけでもございませんから。」
それはそう言って笑った。苦笑交じりに、まるで五条を仕方がない子供を見るように老いた眼をしていた。
「はじめ、ましてですね。悟。私の名前は、五条命。あなたの実の姉に当たるものですよ。」
話すのは初めてですけどね。
たっぷりとした間が開いた。五条は見開いた眼で、初めて知ったそれを視る。
「・・・知らない。」
「でしょうね。父様も母様も私のことは、話されてないでしょうし。ですが、事実は事実。正真正銘、あなたと私は血のつながった姉と弟なんですよ。」
なんとなしにそういった女は、まるで五条の知らない全てを知っているかのように小首をかしげた。それが、なんだかひどく不愉快だった。
「なんで姉貴のくせに俺が知らないんだよ。」
それに彼女は少しだけ黙り込んだ。なんとも言えない、淡く浮かべた笑みのようなそれを五条に向ける。まるで人形のように無機質な眼をしていた。
「・・・・私は、この家のお荷物だからですよ。」
「五条の人間だろう?」
それに彼女は、苦みの走ったどこか諦めたような笑みを、五条に向けた。
彼女は、ひどく淡々とした口調で言い放った。
「私には、術式がないからですよ。」
それに五条は思わず固まってしまった。それに少女は予想通りの反応だったのか、またどんな顔をすれば良いのかわからないように申し訳程度に笑みを浮かべた。
改めて、五条は少女のことをよくよく視た。そうすれば、その体には術式など刻まれていないことを理解する。
「・・・・私の名前は、五条命。五条家の透明人間、そんなものでしょうかねえ。」
そういった女の目には、不思議と負の感情は宿っていなかった。
初めて会った姉の存在に固まった五条を無視して命はそのまま体を起こす。
「こんな夜中に台所に来たって事は眠れないんでしょう?ホットミルクでも作りますか?あ、そういえばお湯もいったん止めて置かないと。」
命は別段何かを思っている様子もなくさっさとコンロの近く歩いて言ってしまう。その、様子が五条にはひどく鼻についた。自分はこんなにも動揺しているというのに、それはあんまりにもあっさりしている。
五条はむすりと不機嫌そうな顔でコンロの側に立つ姉に近づく。
「火の近くは危ないですよ。」
「うるさいな。けがするような間抜けじゃない。」
ぴしゃりとそういえば命ははいはいと返事をする。その適当さが余計に腹立たしい。けれど、それ以上に五条の中で好奇心というものが沸き立つ。
自分の姉、自分と同じ親から生まれた、術式を持たぬ無能。
それにたいして、今までなかった存在への興味というものがわいた。
それと同時に、我慢ができない程度に腹が減ったというのもある。
「何か作ってんの?」
「あれ、あなたおなかが減ってるんですか?」
「あんな飯で腹良くなるわけないじゃん。」
「今日のご飯、ものすごい豪華だって聞いてますけど。まあ、料亭のご飯じゃあ物足りませんか。」
「聞いたって。お前も食べたろ?家にいた奴らも良いものくったって使用人の奴らが言ってたぞ。」
「私も、物足りなかったんですよ。」
どこか、齟齬のあるように聞こえる台詞に聞こえはしたが五条にとっては空腹を満たすことに意識が向いた。
「それなんだよ?」
「インスタントのラーメンだけど。」
「食いたい、食わせろ!」
「うーん。そうですねえ。夜食、でも。まあ、いっか。」
せっかくの誕生日ですもんねえ
そう言って命はくすくすと心の底から愉快にそうに笑った。ゆるりと細まった視線はやっぱり生ぬるくて、落ち着かない気分になった。
「じゃあ、このまま作りましょうか。卵と、ハムとねぎで。」
くすくすと笑って、命はそのまま鍋に視線を向ける。自分が隣にいても、けろりとして、平然としたその態度の少女の横顔を五条はぼんやりと眺めていた。
「箸、綺麗に持つね。」
置かれた小さな器に盛られたラーメン。一袋は多いと、半分こにした出来たてのそれを五条は食べた。
まずくはない。それでも、店のものと比べれば劣るところは多々ある。
それでも、なんとなく、自分のために作られた雑な料理はなかなかに新鮮だった。
ハムと、卵とネギ。簡潔なそれを、五条は口に運んだ。
夜中にこっそりと食べるそれは、きっと日常で食べればたいしたことはないのだろう。けれど、こっそりと大人に内緒で食べているという事実が妙に味を良くしていた。
「普通だろ?」
「ううん。いやね、君がご飯を食べるのを数年ぶりぐらいだから。ふふふ、前は人に食べさせてもらってたのにねえ。」
どこか、嬉しそうな眼で命はそういった。
「・・・・俺、あんたのことを知らなかった。」
「そりゃあ、まあ。あなたとは会うなと言われていましたし。誕生日だとか、晴れの日もできるだけ家の奥にいるようにと言いつけられていましたから。」
「術式がないから?」
「うーん。まあ、そんな感じですねえ。」
命は自分が日陰者であるという事実を口にされても特別な感情など存在しなかった。それが、なんとなく五条にとっては面白くない。
自分と血がつながっているという、面白そうなやつの、その淡泊な態度が不愉快だった。仮にも、真実自分の姉であるというならばもっとするべき態度があるはずだ。
「ふん、なんだよ。馬鹿にされても平気なのか。お前みたいな、術式が使えないやつにプライドなんてないか。」
皮肉そうにそういった。そうして、ずるずると麺をすすった。沈黙が走る中、五条は女がてっきり泣くだとか、怒り狂うだとかそんな様子を思い浮かべていた。
そんな態度を期待して言葉を吐いた。
「悟。」
けれど、呼ばれた名前を吐き出した声はそれのどれとも違った。五条はそれに命の方に視線を向ける。命は目を伏せて、淡く申し訳なさそうな顔で、やっぱり微笑んで。
「ごめんね。お姉ちゃん、悟とおんなじじゃなくて。」
別に、謝ってほしかったわけではない。
五条は、自分の予想した全てと違って戸惑ってしまう。黙り込んで、五条はラーメンに視線を向ける。
「謝ってほしいわけじゃないし。」
「そうですか。ええ、そうですね。」
謝っても、しかたがないことですね。
命はそのまま幾度もうなずいていた。五条は、そのまま黙り込み、無言でラーメンをすすった。
「悟、少しだけ私の部屋に来てください。」
「は?なんで?」
「まあまあ。ラーメンを作ったお礼だと思って。」
ラーメンを完食した後、後片付けを終えた二人はそのまま眠ることにした。五条も、なんとなく気まずい思いを抱えており、姉のことは適当に周りから改めて聞くことにしたのだ。
そんな中、命はそう言って、暗い廊下を歩いていた五条の手を取った。五条は、それを振り払うか迷ったけれど、それ以上になんとなく女が自分を部屋に招く理由も気になった。
別段、襲われそうになってもここは家の中だ。害されても抵抗する手段ぐらい、いくらでもある。
そうして、自分の手を取った、その手。
自分よりも少しだけ大きくて、そうして、暖かくやけに堅い手。豆の目立つ、その手は、どこか自分の知らない何かのようだったから。
命はそのまま、家の奥側に向かう。物置だとか、日当たりの悪い真ん中の方だ。
そうして、たどり着いたのは五条の部屋よりもずっと小さな部屋だ。電気をつけたその先は、どこか陰気で湿気っている気がした。
命はそのまま、部屋に置かれた数少ない家具の一つであるタンスをあさる。そうして、中からプレゼント仕様に包装された四角く、薄い何かを取り出した。
「はい、これ。」
「・・・・なに、これ?」
渡されたそれはやけに軽い。
「今日、誕生日でしょう?お小遣いで買ったんですよ。お金だけはある程度くれますしねえ。」
五条は命の台詞なんて無視して、ガサガサと乱雑にプレゼントを開ける。
自分に今まで送られた高価なものたちを思い出す。それに、こいつがどんなものでご機嫌伺いをしてくるのかと興味がわいたのだ。
そうして、プレゼントを開けて、出てきたものに五条は目を見開いた。
「これ。」
それはこの頃五条が気に入っているアニメの原作になったゲームのソフトだった。五条は、予想外のそれに固まって、思わず命を見た。彼女は五条の顔にどこか不安そうな顔をした。
「えっと、悟、そのゲームのキャラ?の鉛筆とか筆箱を使ってるんですよね?最新のシリーズ?だって聞いたのでほしいかと思ったんですが。いりませんでしたか?」
「えっと。ううん。」
五条はそのソフトの入った箱をぎゅっと両手で握りしめた。
「これ、ほしかったんだ。」
何故か、出てきたのはかすれた声だった。かすれた声で、五条は呟いた。
「誰か、プレゼントしてくれないかって、思ってたんだ。」
それに命は嫌でないことだけを一応は理解したらしく、ほっと息をついた。
「そうですか。でも、ゲームは明日にして今日はちゃんと寝なさいね?」
そう言って、また彼女は五条の小さな頭をそっと撫でた。
けれど、五条はその手を振り払うことはけしてなかった。
五条は部屋に戻って布団に潜り込んだ。そうして、自分の手の中にあるゲームソフトを見る。
夜目のなかでうすぼんやりと見えるそれ。
自分の小遣いで買えないわけではない。それを一本どころか、それこそ他のゲームを買おうと余るほどにはもらっている。
自分でも買えた。いっそのこと、自分で買った方がずっと早く簡単に遊べたことだろう。
けれど、それでも、誕生日を五条は待っていた。
(まあ、プレゼントされた方が金使わずに得だしさ。)
もぞもぞと布団の中で動いて、五条は暗闇の中で、くしゃくしゃになったプレゼントの包装紙を伸ばした。
それには、メモ書きのできるシールが貼られており、誕生日おめでとうと、堅い印象の文字で書かれている。
きっと、それは姉が書いたものだろう。そんな確信があった。
誕生日は特別な日だ。生まれた日、それを誰かに祝ってもらえる日。
学校で、ろくに口も聞かない同級生たちが言っていた。
その日は、自分の好きなものを食べられて、家族が自分をまるで王様みたいに扱ってくれて、そうして自分の欲しい物を贈ってくれる。
そんな日らしい。
なるほどと、思った。
丁度良い。そんな日だというならば、きっと、一人ぐらいは自分の欲しい物を贈ってくれるはずだ。
けれど、五条という少年はそれを素直に回りに言うような子供ではなかった。
だから、せめてとこっそりと、必死にアピールをした。
例えば、そのアニメを熱心に見るとか、鉛筆だとかの文房具にそれを選ぶだとか。
小さな積み重ねだ。それでも、きっとおや、と思うぐらいは誰かがしてくれないだろうかと。
(してくれるに決まってる。誕生日に来る奴らなんて俺に媚び売りたいやつばっかだし。ある程度、欲しそうなのぐらいわかってるだろ。)
誕生日。
父は呪術師としての立場や仕事があるし、母は母で付き合いというものであまり家にはいなかった。誕生日も、小学生に与えるにはつまらない着物だとかそんなものばかりで。
けれど、今回は違う。
五条悟という存在に気に入られたい奴らばかりだ。ならば、きっと、一人ぐらいはわかっているやつがいるだろう。
そう、思っていた。
与えられた、贈り物。あふれかえった、プレゼント。
中を見れば、黙り込む。
老舗の反物、謂われのある焼き物に、外国の有名なブランド品、価値のある呪具まであった。
きっと、五条のほしがっていたものよりも数倍、数十倍に価値のある贈り物。
誰もが、それを贈るほどに価値があると認められた証。
けれど、けれど、五条悟が欲しがっていたものはそこにはなかった。
五条悟が望んでいたものはそこにはなかった。
(あいつ、知ってたんだ。)
五条悟の好きなもの、望んでいたもの。
誰かが見ていた。
その少年のことを。
彼女は見ていた。五条悟の望みを。彼女は、確かに見ていた。
(俺を、見ていた。)
ぼんやりと、そう思って。五条はそのまま欲しかったゲームを抱えて眠りに落ちる。
明日は、休みだ。
そうだ、さっそくそれで遊ぶんだ。
(あいつにも、見せてやろう。少しだけ、貸してやろう。)
ああ、そうだ。それがいい。特別に、遊んでやろう。
五条は口元にうっすらと笑みを浮かべて、そのまますうすうと眠りに落ちた。
次の日、五条は使用人たちに命のことを聞いた。彼らはひどく気まずそうに、どこでそれを知ったかと慌てた様子で問うてくる。
どこでもいいだろうと、威嚇を込めてうなれば誰もがそれに黙り込む。そうして、そのまま命はあれよあれよと五条と同じ食卓に着いていた。
「・・・・悟。あなた、使用人の人たちを脅しましたね?」
「いいだろう。聞いたぞ、お前、使用人とおんなじもの食べさせられるらしいじゃんか。」
「いや、そんなものすごい変なもの食べさせられてるわけじゃないですし。」
「俺の姉貴がそんなんじゃ情けないって話!」
五条はそう言って用意された食事を食べる。命は躊躇をしていたが、五条に睨まれると、苦笑交じりに食べ始めた。
久しぶりに、誰かと食べた朝食だった。たわいもないことを話して、つらつらと話をした日だった。
その日、五条は一日命を引きずり倒した。
といっても、所詮は家の中での話だ。
プレゼントのゲームを一緒にして、庭先で鬼ごっこをした。
珍しいことではあったけれど、その一日はひどく楽しかった。
ゲームをすると言っても命はそれを横で見ているだけだった。それでも、五条がゲームの説明をすればそうかいとにこにこと笑って聞いてくれた。
鬼ごっこも、普段、五条についてこれるものはほとんどいないが、命の超人的な肉体のおかげかあっさりと捕まえられてしまう。
たんと、命は木に、果ては屋根にさえ飛び乗って、五条を振り切る。
自分と同じ、銀の髪が揺れて、はねていた。
自分に気を遣うものはいない。その姉は、五条に対して気を遣うわけでも、こびを売るわけでもない、ただ、ただ、遊んでくれた。
自分に劣るわけでもない、対等に遊んでくれる。
五条はそれが気に入った。
五条を見てくれる、それを気に入った。
その日、五条は命と遊んだ後、共に食事を取った。命はそのまま自室に帰り、五条は風呂に入った。風呂に入った後、ゲームを持って命の部屋に向かった。寝る前にまだ時間はある。
ゲームのストーリーの続きが気になっていたようだし、きっと喜ぶはずだ。
そう思って、部屋に行った。
命は、部屋にはいなかった。どこにいったかと探す内に、ふと、家の中がやけにざわついていることに気づく。
使用人に訳を聞けば、彼らは言いづらそうに、五条の両親が珍しく帰宅している事を教えてくれた。
普段ならば、珍しいと思う程度だった。けれど、けれど、五条はそれに何かを察してしまった。
そのままに使用人たちの言葉も振り切って、両親の部屋にたどり着く。
中から、何かを殴りつけるような音がした。
それは、父の声だった。
それは、母の声だった。
父が言う。
悟に近づくな。術式も持たぬ、恥知らずが。あれには、お前と関わるような暇などないのだと。
母が言う。
何故、出しゃばるようなことをするのか。悟には近づくなとあれほど言ったというのに。
生まれなければよかったと、そう。
それは、命を否定する声だった。それは、五条の姉を否定する言葉だ。
(あんたたちがそういうのか。)
五条と命に何の違いがある。銀の髪、うり二つの容姿、健康な体。
五条は知っている、一日でなんとなしに理解する。彼女は善良だ。そうだ、ずっと、五条よりも善良だ。
命と自分の違い、そうだ、術式を持たぬか、持たないか。
そうして、命への言葉は、五条が術式を持たなかったいつかだ。
彼女は見ていた、彼女だけが見ていた、五条悟のこと。
欲しかった、プレゼント。暖かな夜食。
媚びのない、むずがゆくなる眼。
悟を、見てくれていた、眼。
自分と正反対の、赤い眼。
ばき!
五条は己の術式で部屋を隔てていたふすまを吹っ飛ばした。そうして、見えたのは、父親と母親、そうして、畳にうずくまり土下座の形を取る命。
なあ、教えてくれよ。あんたらにそいつのことがたがた言う理由なんてあるのかよ。姉と弟が一緒に遊んでちゃ悪いのか?
俺が気にくわねえことしたんなら、俺に言えよ。
てめえよりも弱いやつにしか威張れねえくせに何してるわけ?
言えねんだ?
俺が怖いんだろ?俺の方が強いから、俺からの恩赦が欲しいから、ヘイトを買いたくないんだろ?
はは、わっかんねえよな。くだらねえことをばっかしか考えねえよな。
「なあ、なんで俺があんたたちのことは殺さないって思うんだ?」
五条は命を背にする形で両親をぎょろりをにらみつけた。
その言葉は、嘘ではない。
殺してやろうか、本当にそう思った。自分を恐れて、固まった両親。おびえの含んだ眼、怪物でも見るような目。
いつだって、自分に向けられるものは、そればかりで。
その時だ。
ごん、と自分の頭にげんこつが降り注いだ。
「いってえ!」
うずくまった五条は自分にげんこつをくわえた少女を見た。彼女はひどく不機嫌そうな顔をしていた。
なんだか、ひどく、らしくない顔だった。
「悟、殺すなんて軽はずみに言うものではないです!」
叱りつけるようにそういった。五条はそれに固まる。だって、自分を叱るやつなんて、今の今までいなかったのだから。だから、固まってしまった。
命は、殴られたらしい頬を腫らして両親に断りを入れて五条を連れて部屋を出る。
五条は、初めてげんこつを入れられ、尚且つ叱られたことに驚いてされるがままになった。
命はそのまま厨房で氷をもらい、自室に帰る。
狭い部屋で、手当を自分でしている命に五条は我に返って吐き捨てた。
「なんで止めた。」
「当たり前です。殺すなんて軽はずみに言うことじゃありません。」
「お前、なんで怒らないんだよ!あいつらに何言われたのか、わかってるのか!?」
「・・・・うーん。まあ、そうですけど。でもね。」
私、父様のことも、母様のことも、嫌いにはなれないんですよね。
そう言って、痛々しく晴れた頬で微笑んだ。
どうして、五条は思わず言った。それに、命はとつとつと言った。
だって、忘れられないのだと。
父に頭を撫でてもらったことも、母に抱きしめられたことも。君を孕んだ腹に耳を当てて、喜んだことも。
「だから、今でも嫌えないんですよ。まあ、仕方がありません。私には、術式がありませんから。」
「だからなんだよ!お前、あんなにも、運動神経があって!恥じることなんてないだろ!?
怒れよ!なんで、なんで!」
訳がわからない、まるで宇宙人とでも話をしているようだった。
命には、何の落ち度もない。そう生まれ落ちただけだ。ただ、ただ、くじ引きで外れを引いた、それだけだ。
けれど、彼女は微笑んだ。
「そうですねえ、怒るよりも、私、夢があるんです。だから、怒るよりもそのために努力をしたいんですよ。」
「夢?」
「ええ。」
私、呪術師になりたいんです。
それを聞いて、五条ははっと思わず笑ってしまった。
「術式も持たない、お前が?なれるわけないだろう。」
「まあ、呪具を使ってする手もありますよ。それに、私、強くなりたいですし。」
夢があるんだと、命は笑う。まるで、小春日和模様に柔らかで、淡い笑みを。浮かべて、言うのだ。
「私ね、お前を守れるぐらいに強くなりたいんです。誰かを、守れるぐらいに、強い呪術師になるのが夢なんです。」
何を言っているんだと、心底思った。だって、術式がないくせに。
五条を、六眼と、相伝の術式を持って生まれた自分を守れるほどに強くなんて。
「無理に決まってるだろ呪術師なんて、もってのほかだ。術式持ってないくせに。」
「それでも、それが私の夢なんです。だって、私、少なくとも普通の人よりも強いですもの。なら、なら、せめて、自分よりも弱い人を守りたいと思うんです。」
「どこにそんな理由があるんだよ。あんな、あんな。」
この世界は、幼い五条が知る分にでもくそったれで。理不尽で。どこまでも残酷で。
才能一つで子供を否定する親、恩赦が欲しくて自分に群がる大人たち、自分になんて興味のない子供、無価値なプレゼント、大人たちの道具になった誕生日。
ああ、くそったれの人生だ。
けれど、命は変ることなく微笑んだ。
「だって、世界はとっても綺麗で、素敵なものがたくさんあります。そんな世界で、誰かの幸福を守れたら、それ以上に素敵なものなんてないでしょう?」
「なんだよ、それ。そんなもの。」
「だって、この世界には、あなたがいますもの。」
五条は、命を見た。どこか、狂気的とさえいるような、澄み切った赤い瞳で微笑んだ。そう言って微笑んだ彼女は、いっそのこと、母親よりもずっと母であった。ずっと、ずっと、そうだった。
「生まれたとき、あなたを見たんです。とっても綺麗で、かわいくて。これが、私の弟なんだと思ったら、嬉しくて!」
こんな子供が生きる世界ならば、こんなにも綺麗なものがどこかにある世界なら、こんな誰かが笑っている幸せを守れるなら。
「死んでもいいぐらいに、価値があるでしょう?」
狂っていると、心底思った。
たったそれだけで、命をかける少女を心底狂っていると、そう思った。
それでも、ああ、それでも、五条悟は理解したのだ。
わかったのだ。
その目には、確かに、笑えることに誰よりも、誰よりも、五条悟への慈しみがあったのだ。
才がある故の媚びでもなく、血筋への敬いでもなく、自分の利益のためでもない。
ただ、ただ、己の弟への無邪気な愛だけが、そこにあった。
きっと、彼女以上に五条悟をまっとうに愛しているものだっていないのだ。
ただ、ただ、それだけで強者を守りたいと、弟だからとそんな願いを持つなんて狂っているはずだ。恵まれた五条と、恵まれなかった命。両者の間にある溝はあんまりにも深すぎる。けれど、それでも命は、星のように遠い五条のことを追いかけている。
命は黙り込んだ五条に近づき、その手を取った。
「悟。あなたは力のある子だ。誰かを守られる程度に強い子だ。だから、誰かをたやすく殺せてしまう。でもね、悟。それは獣の理論だ。強いから、弱い何かを好きにして良いというのは、それは獣の道理だよ。私たちは、人間だ。だから、弱さを赦す人であって欲しいと思います。」
「それで、弱い奴らに、強い俺が事情を合わせるの?反吐が出る。」
「うーん、少し言いたいことは違うんですけどね。あなたが本当に行きたい場所があるならば、お姉ちゃんは止めません。でも、あなたが誰かを傷つけた事実は、いつかあなたを傷つけるかもしれない。」
「何言ってるのかわかんねえよ。」
「悟。」
彼女はやっぱり微笑んだ。
「君はあんまりにも強いから。きっと、一人で完結してしまうかもしれない。それでも、一人は少しだけ寂しいですよ。」
「寂しいなんて思ったことはない!」
「・・・・寂しくはなくとも、退屈ですよ。今日、あなたが私を助けてくれたのだって、弱さへの赦しです。」
悟、もしも、これから生きていく中であなたが何か欠片でも気になるものがあるのなら。それを絶対に手放してはいけませんよ。それは、きっと、あなたの人生には必要なものだと思います。
命は五条の頭を撫でた。優しく、穏やかに、撫でた。暖かくて、優しい手だった。
「悟。ねえ、それでも、やっぱり悪役よりもヒーローの方がずっとかっこいいと思います。だから、あなたにはヒーローでいて欲しいと思います。」
私も、ヒーローに憧れたから。
女はそう言って、微笑んだ。それは、その言葉はきっと正論だ。
だから、五条は思う。
正論なんて、大っ嫌いだと。その正論は、けして自分もお前のことでさえも守ってはくれないだろう。
それから、五条と命の交流は続いている。
両親はそれっきり何も言わなかった。それならば、それでいい。すでにその頃には五条からの両親への感情は醒めきっていた。
この家はいつだって、嫌な臭いがした。呪術師からすべからく嫌な臭いがした。
血の臭い、生臭い匂いがした。
誰もが血をかぶって、くさい匂いがする。
それでも、結局、こんな世界でしか生きていけない自分たちだ。
(ああ、日向の匂いがする。)
あるとき、命にじゃれついた折、ふと気づいたのだ。
命から、家の人間にしては珍しく、血の臭いでもなく、生臭いわけでもない、太陽の匂いがした。
まるで、干したての布団のような、外で遊び回った子供のような、日向の匂いがした。
命の言葉を思い出した。
呪術師は好きではない。強者だとおごり高ぶって、結局誰もが五条よりも弱い。うるさいだけの、それだけの奴ら。
それでも、命からした、その日向の匂い。
夏の青空のような匂いに、少しだけ思ったことがあった。
非呪術師から、こんな匂いがするんだろうかと。
こんな、日向の匂いがする奴らがたくさんいるならば。血なまぐさい臭いよりも、死の臭いよりも、こんな日向の匂いのほうが数倍ましだ。
五条は少しだけ、本当に少しだけ、呪術師になることに納得しようと思った。
その、自分のことを見ていた、狂った姉の願いを聞き入れても良いと思った。
命は狂っていたけれど、それでも、狂った女の清廉な夢を眺めても良いと、そんなことを思っていた。
だから、連絡があった折、馬鹿だと思って、それでも納得した。
あの姉ならやるだろうと、そう思った。
禪院甚爾から受け取った姉は、日向の匂いさえも消し飛んで、そうして、自分の嫌いな生臭いにおいがした、赤いそれがべったりとこびり付いていた。。
「・・・・怒るな、責めないでやってくれ。」
「お前が言うのか。こんな、こいつがこんなにも!」
「そいつは、自分の信念と願いと、そうして祈りのためにあがいたんだ。俺たちは、どうしようもなく、お前らに踏みつけられてばかりだ。だからこそ、てめえの願いぐらいてめえで守らねえといけねんだ。」
そいつのことを、侮辱しないでくれ。
やけに、男が小さく見えた気がした。自分よりも、ずっとたくましく、そして強いそれは、どこか幽鬼のようにかすかに見えた。
「・・・・命に言っといてくれ。借りは返す。待ってろってな。」
きっと、何かがあったのだ。何かがあって、そうして、男は五条の知らない姉を知っている。
わからない、わかるわけがない。
自分よりも弱い誰かの事なんて、知るはずがない。
それでも、わかるのは姉が死ぬかもしれないと言うことだけだった。
「あんた、死ぬのか?」
命の治療を待ちながら、五条はあんまりにも当たり前のことを呟いた。
一応、書きたかった部分はざっと書けた感じです。
五条さん、が優しすぎる気もするような。
感想、待っております。燃料をいただけると嬉しいです。