湯に体を浸すと、関節のあたりから熱を持った痛みが存在を訴えかけてくる。私の身体のぶんだけ木の香りがする浴槽から湯があふれ出て、白い石張りの床に薄い湯気の靄を作る。
膝を曲げ、浮力に身を任せて仰向けに寝転がるように肩まで沈む。ふぅ、と吐息が勝手に口から漏れた。
散々な日だったと一言で済ませるには、あまりにも衝撃的な体験だった。
大怪鳥イャンクック。飛竜の中では比較的小型で、気性もそれほど荒くはない――そんな私の『知識』に伴っていなかった『実感』が、文字通り目の前に押し寄せたのだ。ハンターはいつも死と隣り合わせ、そんなありきたりなフレーズもまで引き連れて。
私一人では、カレンがいなければ、おそらくこうして湯につかる代わりに血の海に沈んでいただろう。ただ、カレンがいなければ、私がこうしてハンターになることもなかったのかもしれないが。
うっすらと額に浮いた汗の粒を指ではじく。上げていた髪が一条落ちてきて視界を遮る。
黒い髪。まだカレンの髪が染められる前から、彼女は棒きれを振り回してハンターになることを望んでいた。その後ろに、私を連れまわしながら。
近所に同年代の子供がいなかったから、必然的に私たち姉妹はいつも行動を共にしていたが、私たちの性格は正反対だった。カレンは派手好きで活発。私はどちらかと言えば家で本を読んでいるのが好きだった。押しが弱いせいで、大抵はカレンに引っ張り出されてハンターズギルドなどをうろちょろとしていた。おそらく、カレンは私も一緒にハンターの世界へと巻き込みたくて、興味を持たせようとしていたのだろう。
今思えば、それが悪かったとは思わない。ギルドを訪れる様々な人から聞く冒険譚は、家に転がっていた数冊の絵本などよりもよほど面白かったし、鎧で着飾った彼らの姿は物語の登場人物そのものだった。
そして彼ら以上にハンターへの強い興味を抱かせたのは、ギルドにバックナンバーが保存されている『月刊 狩りに生きる』という雑誌だ。文字が書いてあれば何にでも目を通していた私は当然それに目を通し――感銘を、受けた。
『モンスターは、非常に興味深い存在だ。人間にはない様々な能力を進化の過程で身につけ、各々の生きるすべとしている。
火を、毒を、電撃を吐き、鉱石よりも強固な鱗に身体を包む、地上の覇者達。幾多の種に分岐した彼らの構造や生態は解き明かされていないものも多い。
それらは未知の土地に相違なく、王立古生物書士隊は未知の土地を開拓する冒険者である。』
ハンターたちの語る冒険譚では、モンスターは退治されるべき悪役に過ぎなかった。倒すべき敵、狩りの対象。そうやって一括りにされていたモンスターたちが、その時、ありとあらゆる顔を持った数多の存在に分岐したのだ。
私はいつしか、自ら望んでカレンと一緒にギルドに通うようになった。ハンターたちの話に出てきたモンスターのことを本で調べ、さらに詳しい話を聞いて自分なりに纏めたりするようになった(……ついでに、酒の入った彼らの話は話半分で聞くすべも取得した)。『狩りに生きる』に出てきた「王立古生物書士隊」というのは、有志のハンターによってつくられた研究機関だという。だから私は――ハンターを目指すようになった。
カレンが私の変化に気付いたのかは分からないが、彼女も今まで通りハンターになることを夢見ていて、16歳になったその日にギルドへと書類を提出した。――私の分も、一緒に。
私がハンターになったのは、カレンがいたからだ。それを恨むことなんてないし、むしろ感謝している。
けれど、唐突にやってきた通過儀礼はあまりにも強烈で、私はほとんど目の前で見たイャンクックを観察している余裕などまったくなかった。
今の私は、私たちは、未熟な駆けだしハンターに過ぎない。危険なモンスターに対してでも時に一人で接近しなければならない「王立古生物書士隊」への道は、まだまだ長く険しいだろう。
「アイナー、のぼせちゃうよー?」
「あ……ごめん、もう出るよ」
物思いにふけるうちに、少々ゆっくりとしすぎてしまったようだ。慌てて身体を起こすと、皮膚の上辺が薄い桃色に染まっている。
朝の光が、大きく開いた窓から注がれ、部屋を照らし出していた。
私は台所を併設した今の、木製の椅子に体重を預け、机上に開いた『月刊 狩りに生きる』のページをめくる。
そろそろ人々が一日を始める時間だ。話し声、足音、荷運びのアプトノスの鳴き声、窓から流れ出てくる村が動き出す音に、紙のかすれる音がかき消された。
流すように目を通す。めくった先は遠方で開発中の武器の話題だ。攻撃速度に優れる斧と攻撃範囲に優れる大剣の性質を持った武器。
そこだけなら聞こえはいいが、斬撃だけでなく打撃攻撃としての側面を持つ前衛の武器に複雑な機構を搭載することはなかなか難しいらしい。大剣の特徴である刃を盾にすることも、内部のフレームが歪んでしまうのを防ぐためにできないらしい。攻撃特化の武器、ということか。
そこで一息つき、湯気の立つコップを手近に寄せる。中身は自家製の薬草を煎じたもので、気分を落ち着かせてくれる。
それを飲みながら離れて聞こえる雑音を背景曲とし、再び雑誌に目を向ける。
私の小さな幸せだ。
どのくらい経っただろうか。ページが中ほどまで進んだ時、背後の戸が開かれた。
「ただいまー!」
「おかえり、姉さん」
日課のジョギングを終え、帰宅したカレンだった。肩に掛けた布で軽く汗を拭き、土間にある簡易式の水くみ機の蛇口から直接水分を補給する。
一連の動作を横目で見つつ、声をかけてみる。
「今日はどうする? 昨日の今日だけど、クエストを受ける?」
「当たり前でしょ? せっかく五体満足で帰ってこれたんだから、行かなくちゃ罰があたるわよ」
平然と返すカレン。流石、タフな神経をしている。私はといえば、昨夜の寝つけはだいぶ悪かったし、あまり密林には近寄りたくないという気持ちがある。
「それに、仕事しないとお金もはいらないしね。せっかく素材集めても、つくるのにお金とるんだもん、ケインさん」
「当たり前。あっちも商売なんだから」
言うと、むぅ、と頬が膨らむ。
貯蓄がないわけではないが、長期的視点で見た場合、出来るなら仕事はするべきだろう。ハンターなら昨日のこと程度はままあることだろうし、その度に一々気にしていても仕方ない。心中でそう自分に言い聞かせ、私は口を開く。
「ともあれ、生きるにはお金が必要。仕方ないね」
両手で雑誌を音を立てて畳み、コップの中のやや冷めた中身を飲み干す。
「あまり気は進まないけど……とりあえず、どんなクエストがあるかの確認だけ行ってみようか」
村の中央、簡素な板を組まれてつくられた店舗が並ぶ中、住居を数個あわせたような大きさの木造の立派な建物がある。
掲げられた看板は「ハンターズギルド」。観音開きに固定された出入り口を、絶えず足音が通過していく。
それは中に設けられた酒場に物資を納品する商人のものや、ギルドにクエストを依頼しに来た近隣の村人のものも混じっているが、最も多いのはハンター達の具足の音だ。
インナー姿のハンターはほとんどが村に居を構える者。近隣の村々に在住する者はあらかじめ防具を着込んでここへ来ることが多い。
往来の激しい入り口を抜けると、人ごみの発する熱気が出迎える。耳に流れ込むのは景気や狩り場の情報といった雑談や酒の勢いを借り虚構交じりの武勇伝、そして防具のこすれる音。
建物の内部の半分を埋める丸テーブルとカウンターからなる酒場のおかげで、ここの騒々しさは絶えることがない。
耳慣れた喧騒を聞き流しつつ、クエストの貼られた掲示板へと向かおうとする、その背中に声が投げつけられた。
「ひさしぶりー! 最近どーよ?」
周囲の騒ぎの間を抜けるような、良く通る、女性の声。手を振り、こちらに近づくのは、人ごみでも目立つ金と銀の髪を持つ二人の少女。
「クシエと、ルヴィア! 久しぶり!」
カレンの反応に二人は笑みで返した。
クシエとルヴィア。私たちの知り合いのハンターだ。見かけの年齢は同じくらいだが駆けだしの私たちとは違い、歴戦の、という冠詞をつけるべきハンター。
声をかけてきた、輝く金髪に明るい光を宿す金眼――クシエは轟竜の素材を使った黄土色の鎧に身を包み、傍らの、銀の髪に揺るぎのない水面のような静かな銀の瞳――ルヴィアは火竜リオレイアと対になる存在、リオレウスの防具を着込んでいた。
どちらも二人が、並みのハンターでは歯の立たない相手を屠ってきた証しだ。出身は王都だという彼女たちだが、詳しい生い立ちはしらない。そもそも、名前すらギルドの登録名であり、本名かどうかもさだかではない。
実力には圧倒的な隔たりがあり、経歴も不詳だが、それでも歳の近さからか、仲が良い、といってよい関係の相手だ。
「お久しぶりです。今、お帰りですか?」
「そ。ラティオ火山ってわかる? あっちの方でちょっとクエストにね」
暑くてやんなっちゃった、と顔を仰ぐそぶりをするクシエ。ルヴィアが続ける。
「採れた鉱石やらの売却と報酬でだいぶ稼いだし、こっちに戻ってきたのは休暇かな。今日はバカンスついでに密林の湖で素材ツアー」
「休暇とはまた、タイソーな身分ねー」
半目で睨むふりをするカレン。対抗するようにクシエが腕を組む。
「ま、新米ハンターさんはせいぜい密林でキノコでもとってりゃいーのよ。で、イャンクックにガシガシかじられてなさい」
ふふん、と鼻を鳴らす。カレンは、う、と小さく呻き一歩引いた。
「き、昨日のあれは、準備不足のせいよ! 本気でいけばイャンクックなんて……!」
「え、なに? まさかホントにクックにガシガシ?」
「え、あっ、うぅ?」
自白。自らの犯罪を告白すること。
自爆。自ら自分に火をつけて爆発させること。東方では墓穴を掘るともいう。
硬直した姉を横眼で見つつ、小声でルヴィアに問う。ルヴィアも小声で返してきた。
「知らなかったんですか?」
「なに、本当にイャンクックに負けたの?」
「負けたというか……その、逃げたというか……」
「逃げてない! 本気で行けばあんな鳥の一匹や二匹、秒殺できるんだから!」
硬直から復帰したカレンが声高に言う。
その肩を、クエストに出発するハンター達が軽く叩いていく。割と同情と憐れみを籠めて。
「ともあれ、それは新人最初の壁だからね。せいぜいがんばって登ってきなさい」
どこか眩しいものを見る目を浮かべてクシエが言った。
「そうそう。私もクシエもそっから始まったんだから。懐かしいわね、初めてのクエストでいきなり死にかけたわ」
ルヴィアの言葉に、この二人にも新人と呼べる時期があったのだ、というある種当たり前のことを思う。
「死にかけたって、イャンクックで?」
「そ。正確にいえば、罠にかけて動きを止めたクックの足元に爆弾おいて吹っ飛ばそうとして、起爆用の爆弾に火を着けたら導火線がめちゃくちゃ短くて、危うくこっちまで吹き飛びかけたわ」
ちなみにその爆弾つくったのはクシエ、と隣の金糸の髪を指す。指された方は頬をかき、
「ちょっと測り間違えただけよ。ま、失敗あっての新人だし、生きて帰ってこれたなら幸運に感謝しつつ反省を踏まえて、次のクエストを受ければいいの。だいたいみんなそんな感じなんだし。……いま私、先輩っぽい?」
「その一言がなければね」
ルヴィアがまとめると、私とカノンの口元に笑みが生じる。つられてクシエの顔にも笑み。
いつの間にか話題が逸らされていた。こういった話術というべきものも、時と標的次第では見知らぬ人間とパーティーを組まざるを得ない状況になりかねないハンターには必要なのだろう。
「じゃ、私たちはあっちで一杯ひっかけてくるから。なんか用があったらきなさいよ」
言い、二人は酒場の喧騒に消えていった。
私たちはそのまま掲示板を目指す。
人の群れをかぎ分け、難易度や必要日数に応じて貼り分けられた紙に目を通していく。
「どうする? コンガの討伐とか、そのあたり……」
「うーん、なんかこう、もっと強いのはない? イャンクックとは言わないけど」
「昨日の失敗を踏まえて簡単なクエストを受けよう、とかそんな気持ちは?」
「人間、向上心を失っちゃいけないわ。常に上を目指すのよ」
私の半目を受け流しつつ掲示板に目を向けるカレン。と、その指がある一点を指した。
「あ、あれとか調度いいんじゃない?」
「おう、イャンクックから死に物狂いでにげてきた新米姉妹」
クエスト受付のカウンター席に座った女性は開口一番そう言った。ギルドに支給された制服に豊満な肉体を納めた姿は受付嬢のそれだが、口から吐き出される言葉は姿に全く似合わない。
別に新人だから軽んじられているというわけでもなく、彼女、アセリアは大方の人間にたいしてそんな態度をとる。村の出身でハンター達に古なじみが多い、というのが理由の一つか。このギルドで従事する者や、行ったことはないほかのギルドの施設の者は、皆が皆彼女のような口調なわけではなく、むしろ彼女が変わり種だという話だ。
成熟した体つきに取り残されたように幼さが残る顔立ちや、明朗快活な口調は親しみやすい要素となっているため、別段不満を持つこともない。
「逃げてないって!」
一辺倒な反論をするカレン。アセリアはからかう口調で言った。
「さて、イャンクックから死に物狂いでにげてきた新米姉妹様、本日はどのようなご用件でしょうか?」
カレンは無言で掲示板から剥がした紙を机に叩きつけた。気にする素振りもせず、アセリアが紙を確認する。
一瞬、目つきが変わった気がした。
「これで、間違いないわね?」
「なによ」
口をとがらせるカレンの頭から足の先までを、同じように私を、観察するように眼を流す。
「ま、あんたらには調度いいくらいかもね……契約金は?」
「アイナ、出して」
言われ、腰のポーチから財布を取り出し数枚の硬貨をつまむ。カウンターに置かれた硬貨の額を確認したアセリアはそれをカウンターの机に収め、備え付けの大判を紙に押し付ける。
「じゃ、これで契約完了。期限は3日以内。失敗した場合は契約金が戻らないから気をつけて」
定型文となっている文句を口にし、片目を閉じる。
「ま、せいぜい頑張って。帰ってきたら一杯おごってあげるわ」
第2話です。いまだ戦闘なしです。次回、VSドスランポス……の、予定。たぶん、きっと、おそらく。