Dies irae 〜 Silverio Godeater 〜 【工事中】   作:フェルゼン

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第三話 新たな出会い/Neue Begegnung 前編

1

 

 

 改めて踵(きびす)を返し、適合試験を無事に終えた青年は、訓練場を後にする。

 自然と逸(そ)らされた視線。そんなことなど気にもせず、シックザールは眼下の訓練場から出ていく青年の背中を見詰め続けた。

 

 「···何とか······無事に適合できた見たいだね」

 「ああ。お陰で現場(こちら)の方は大騒ぎだ」

 

 青年の背中が見えなくなると、やや安(あん)堵(ど)の色を宿した声音で黒のインバネスコートを羽織る男が口走る。

 シックザールは苦笑を口元に湛(たた)えつつ、大(おお)仰(ぎょう)な態度で肩を竦(すく)めた。

 

 実際、彼らの背後では予想外の結果を目にした科学者や整備班の人間が、慌ただしい様子で忙(せわ)しなく動き回っている。

 まさか件(くだん)の神機に適合出来るとは、想像だにしていなかったのか。一種の混乱状態に、彼らは陥っていた。

 

 「無理もない。何せ、あの神機は適合者が現れた前例が一(・)つ(・)も(・)な(・)い(・)からね。二度ある事が三度あると言うのなら、三度ある事が四度もあるかもしれない···と、考えるのが自然だろう」

 

 如(い)何(か)に常識外の現象だろうと、それが何度も繰り返し続けば、自然と人の感覚は狂い出す。

 これは、旧西暦1960年代に活躍した社会学者により理論が解明された、人として当たり前の心理現象だ。

 

 ゆえに──

 

 「実際、キ(・)ミ(・)も(・)少(・)し(・)は(・)期(・)待(・)し(・)て(・)い(・)た(・)んじゃないのかい?」

 

 黒コートの男は、口元に薄ら笑いを浮かべながら、シックザールに問い掛(か)ける。

 糸のように細く長い目が、薄(うっす)らと錫(すず)色(いろ)の虹彩を覗(のぞ)かせていた。

 

 「···············」

 

 問いに、ほんの僅か一瞬、シックザールの口元から柔和な笑みが消え失せ、黒コートの男へ向ける表情が怜(れい)悧(り)なものに変貌する。

 だが、一閃の雷(いかずち)が如く過ぎ去る刹那の間に見せた二人の睨み合いを、その場にいる誰もが気付いてはいない。

 再び柔和な笑みを口元に浮かべたシックザールは、大(おお)仰(ぎょう)に肩を竦(すく)めて、黒コートの男の問い掛けを鼻で一(いっ)蹴(しゅう)した。

 

 「···何を言い出すかと思えば······もう少し言葉を選んでは如何(いかが)ですか? 榊(さかき)博士。極東を預かる者が、神機奏者(ゴッドイーター)の適合検査で、あろうことか失(・)敗(・)を(・)期(・)待(・)す(・)る(・)などと······。それこそ、あってはならない思考回路だろう」

 「そうかい? なら、キミの弁を信じるとするよ」

 

 ニコッと、効果音が付きそうな笑顔を浮かべて、榊と呼ばれた男は、それ以上の言及を止めにする。

 した所で成果はないと判断したのだろうか。真意は不明だが、彼は急に思い出したかのように話題を変えてきた。

 

 「と、なると···あの子の面倒も僕が見る方になるのかな?」

 「ああ。貴方には負担が増える形になるが······、態(わざ)々(わざ)もう一人の適合者と分けて学ばせるより、共に学ばせた方が互いに良い影響を与えるだろう」

 「かなり現場寄りになるけど、それでも良いのかい?」

 「······任せよう。貴方のことは信用している」

 「りょーかい。任されたよ」

 

 言うと、榊は整備班や医療班に指示を出し、メディカルチェックの準備に取り掛かる。

 その黒い背中を、冷ややかな目で見詰めていた。当然、榊は気付いているが、敢(あ)えて口出しをするような真似はしない。

 そして、ある程度の指示を出し終えた榊が視線を戻すと、シックザールは一転して柔和な笑みを浮かべた。

 

 「貴重な新(・)型(・)だ。しっかり育ててくれたまえ」

 「勿(もち)論(ろん)だとも。そう言うキミも、こ(・)ち(・)ら(・)の新型くんに浮気し過ぎて、本(・)命(・)の新型くんに浮気されないようにね」

 「忠告として、受け取っておくよ。榊博士」

 

 二人の黒白の男は微笑み合う。

 和(わ)気(き)藹(あい)々(あい)とはしていないものの、何(ど)処(こ)か穏和な雰(ふん)囲(い)気(き)を終始、醸(かも)し出し続けた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 そして──

 

 「···ッ、······くしゅッ」

 

 無事に適合試験を終えたコハクは、突如として鼻(び)腔(こう)内(ない)を襲う異物感に耐え切れず、小さなくしゃみをラウンジに響かせる。

 見た目に似合わぬくしゃみをしたせいか、忙(せわ)しなくラウンジを行き交う神機奏者(ゴッドイーター)と思われる人々の視線がコハクへと集中した。

 

 無論、コハクは全く気づいていない。唐突なくしゃみに首を傾(かし)げ、誰かに噂(うわさ)でもされたかと胸中で呟(つぶや)く程である。

 脳(のう)裏(り)を過(よ)ぎる金髪の男。口元に柔和な笑みを湛(たた)えながら、此方(こちら)を見下ろす琥珀色の双(そう)眸(ぼう)には、感情らしい感情が見られなかった事を思い出す。

 底なし沼にも似た虚無の瞳に、コハクは産まれて初めて悍(おぞ)ましいとさえ感じた。

 

 光のように、己が定めた道を雄々しく進む訳でも。

 闇のように、愛しい過去(すべて)を守りたい訳でも。

 灰のように、迷い苦しみながらも生きていく訳でも。

 ──ない。断言しよう。あの男は光の殉教者でも、闇の代行者でも、灰の境界者でもなく何(いず)れにも分類できない存在である、と。

 

 絶望、諦(てい)観(かん)、厭(えん)世(せい)──この世の“何か”を悲観しながら、されど諦め切れぬ“勝利(こたえ)”があるから邁(まい)進(しん)しているだけ。他に深い理由はない。

 恐らく、あの男に取って生きることとは、己の目的を達成させるのに必要な、ただのオ(・)マ(・)ケ(・)程度の認識でしかないだろう。

 

 ──期待しているよ──

 

 聞いてはならないと理解しながら、なまじ目が良いだけに読心術の心得が無くとも、読み取れた唇(くちびる)の動きに、コハクの中で不快感が蘇る。

 感情無き期待ほど、信用できぬモノはない。心の籠(こ)もらぬ言葉ほど、説得力のないモノはない。

 にも拘(かか)わらず、先のような言葉を掛(か)けられる男の神経が理解できず、脳内で警(けい)鐘(しょう)が鳴り響いていた。

 

 “やれやれ······どうにも、あの男は好きになれねえな。やめるか、考えんの···”

 

 分かり合えるのかも分からない相手の事を考えた所で、それこそ草原に雪が降り積もるが如く、相手への苦手意識が募(つの)るだけ。

 訓練場で出会った男のことを頭の隅(すみ)に追いやり、コハクは再び歩き出すのだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

2

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 思いのほか緊張していたらしく、肩が凝(こ)りを訴えている。

 片手で軽く解(ほぐ)しつつ、ラウンジとエントランスを繋げる階段を下りた、その時──

 

 「きゃっ」

 「······っと」

 

 受付カウンターの死角から飛び出してきた10歳前後の少女と、出会い頭に衝突してしまう。

 その衝撃で被(かぶ)っていた白いアーミーベレー風の帽子を咄(とっ)嗟(さ)に左手で拾い、右手で身体を受け止めた。

 

 帽子が無事であることを確認し、コハクはその場で片膝をつく。

 

 「大丈夫か?」

 「···だい、じょうぶ······」

 「怪我、してねえか?」

 「···して······ない·········」

 「うし、なら良いな」

 

 恥(は)ずかしがりながらも、受け答えをしてくれた薄いオリーブグレイの髪が特徴的な納得し、受け止めていた身体を立ち直らせた。

 

 「危ねぇから、次からは気ぃつけろよ。ほら」

 

 ぶっきらぼうだが、優しい声色で注意した後、反射的に拾っていた帽子を少女の頭に被らせてやる。

 対する少女は、不思議そうな顔で青いつぶらな瞳をパチクリさせると、自分の頭に手を伸ばして被らされた帽子を確認。余程の思い入れがある帽子なのか、それが自分の帽子なのだと確信するや否や、少女は満面の笑みを顔に浮かべて見せた。

 

 「ありがとう。これ、エリナのお気に入りなんだ」

 「へぇ、よく似合ってるじゃねーか」

 「当たり前でしょ。エリックがエリナの為に買ってくれたのよ。エリナに似合わないものを、エリックは絶対に買ったりしないんだから」

 「そーかい。そいつは悪かったな」

 

 誇らしげに語る少女を和(なご)むように見据え、彼女の頭を軽く撫(な)でて立ち上がる。

 受付で普段の仕事に勤しむヒバリへ軽く手を振り、無事に適合検査を終えた事を報(しら)せながら、指定の待機所に向かおうとした時だった。

 

 「あ、待って」

 

 自分をエリナと言う少女に服の袖(そで)を引かれ、コハクはい(・)つ(・)も(・)の(・)癖(・)で立ち止まって、少女の方を振り返る。

 思わず袖を引いてしまったのか、エリナはハッと我に帰ると、慌てて袖から手を離した。

 

 一連の行動を目撃していたコハクは、二・三度ほど瞬(まばた)きをすると、踵を返して再び片膝を着いてエリナと視線を合わせる。

 彼は小さく首を傾(かし)げると、気(け)怠(だる)げながらも、穏やかな声で少女に問いかけた。

 

 「どうした?」

 

 自分で良ければ話を聞くぞと、言外に語られたことで改めて恥(は)ずかしくなってきたのだろう。

 少女はモジモジと頬(ほお)を赤らめ、チラッチラッと上(うわ)目(め)遣(づか)いで何度もコハクを見ては目を逸(そ)らすを繰り返していた。

 

 焦らせたりはしない。

 唯(ただ)、相手からのアクションを待ち続ける。

 見詰め合うこと数秒──一度だけ瞼(まぶた)を閉じた少女は、意を決したように再び瞼を開けた。

 

 「あの···あなた、ここの職員さん?」

 「一応、な。つっても、まだ来たばかりの新人だぜ」

 「ふーん······まぁ、そこにいるオペレーターの人にいろいろ聞けば分かるから、別にいいわ。···それで、なんだけど······」

 

 念の為に確認しておきたいのだろう。ヒバリに訊(き)くと言いつつ、少女は言葉を詰まらせながらも話を本題に移すのだ。

 

 「なんか、パパとはぐれちゃったみたいで······パパ、

どこにいるか知らない?」

 

 問いに、コハクは此(こ)処(こ)に来て漸(ようや)く少女が恥じらいを見せていたのかを理解する。

 よくよく見れば、身に纏(まと)う服装からして一般に出回るような代物ではない。少なくとも、ケープとブレザーが組み合わされたアウター等、コハクは見た事が無かった。

 

 恐らく富裕層の産まれなのだろう。この時世、富裕層と王族貴族は同義語であり、荒(アラ)神(ガミ)の出現に伴い、人類の文明が失われる中、自然と身分制度が淘(とう)汰(た)されたと聞く。

 だがそれでも、今まで彼等の先祖が築き上げてきた歴史と誇りが、全て一瞬で消え去る訳では無い。

 そも、今の人類が存続できているのは、彼らの強力なバックアップがあってこそだ。

 

 ゆえに、良い意味でも悪い意味でもプライドが高く、素直になれない。

 曰く、幼少期から汝(なんじ)、人類の規範たれ──という教えを叩き込まれ、それを地で行く者が多いのだとか。

 

 つまり──

 

 「迷子か」

 

 と、言う事になる。

 無論、コハクに悪意はない。

 ないのだが、その事実を必死に隠したい当事者からすると、彼の指摘は秘密の暴露と何も変わらなかった。

 

 「別にー、勝手にウロウロして遊んでるからいいんだ」

 

 刹那、少女の機嫌が悪くなる。

 頬を膨(ふく)らませ、露(ろ)骨(こつ)に拗(す)ねた態度を取る少女は、唇(くちびる)を尖(とが)らせながら、続く言葉を紡(つむ)ぐのだ。

 

 「そうだ。よろず屋さんで、こっそり買い物しちゃおっかな···」

 

 言うと、彼女は踵を返してよろず屋であろう、一階エントランスに居座る髭(ひげ)の生えた男の元へと駆け寄って行く。

 その背中を見送りながら、コハクは心の中で少し無遠慮が過ぎた事を人知れず反省した。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 改めて姿勢を正し、指定された待機場所へと足を運ぶ。

 

 「〜♪」

 

 不意に、目的地から妙な鼻歌が聞こえてきた。

 

 音源を辿り、外部居住区とエントランス一階を繋ぐゲートの左脇に設置された鉄製のコーナーソファへ視線を向ける。

 どうやら先客がいたようで、一人の少年がソファに腰(こし)掛(か)け、鼻歌混じりに何かを咀(そ)嚼(しゃく)していた。

 

 コハクは、そんな少年の元に歩み寄り、一言。

 

 「隣、良いか?」

 「ん、いいよ」

 

 許可を貰(もら)い、少年の隣に腰を下ろす。

 準備とやらが終わるまで、音楽でも聞いていようかと思い、上着のポケットから無線イヤフォンを取り出して耳に宛(あて)がおうとした──その時。

 

 「ねぇ、ガム食べる?」

 「は?」

 

 唐突に話しかけられ、思わず返答に遅れてしまう。

 別に、食べるとは一言も言っていないのだが、隣に座るフライト・キャップにフリジア帽を組み合わせたような帽子を被(かぶ)る少年は、ズボンの後ろポケットをゴソゴソと漁り始めた。

 

 そして──

 

 「あ、切れてた。今食べてるのが最後だったみたい。ごめんごめん」

 

 と、苦笑混じりに謝罪される。

 ガムが欲しかった訳ではないが、コハクは一瞬だけ冷やかしを疑った。だが、再び鼻歌を鳴らし始めた少年からは悪意らしい悪意はなく、また裏表のある性格にも見えない。

 

 「···別に、気にすんな」

 

 ゆえに、軽く水に流した。むしろ、こんな些細な事で一々怒る方が疲れるというもの。

 

 再び流れる静寂。

 コハクは無線イヤフォンを耳に宛てがい、ポケットタイプの音楽プレーヤーを再生する。

 だがしかし、その静寂は少年の手により、一秒を経たずして破壊される事となった。

 

 「ねぇ、アンタも適合者なの?」

 「······あぁ」

 

 返答しつつ、コハクは早々に趣味の音楽観賞を諦める。何せ、この手の類(たぐい)の人間は話し始めると止まらない傾向にあるからだ。

 実際、そんなコハクの心情も露(つゆ)知(し)らず、無邪気な少年は嬉々として会話を弾ませていく。

 

 「おれと同い年か、少し年上っぽいけど···年、いくつ?」

 「18だ。今年で19になる」

 「えッ!? よ、予想以上の年上······でも、まぁ、一瞬とは言え、おれの方が先輩ってことで!」

 

 言いながら、彼は右手を差し出してきた。

 

 「おれ、コウタっていうんだ。藤木コウタ。これからよろしく!」

 

 にこやかな笑顔を浮かべ、握手を求めてくるコウタ。

 思わず呆気に取られてしまうが、その底抜けに明るい笑顔を見ている内に、自然と笑みが零(こぼ)れた。

 

 「神宿コハクだ。フツーに、呼び捨てで構わないぜ」

 

 と、手袋を外した左手を差し出して握手を交わす。

 その後、コウタは不思議そうに首を傾げ、素の疑問を投げかけてきた。

 

 「あれ? 極東の人なんだ? すげぇ綺麗な金髪だし、肌も白いから、てっきり海外の人かと思ってたよ」

 「海外つーよりもハーフだな。日独ハーフ」

 「マジで!?」

 

 瞬間、コウタの食い付きが良くなり、コハクは咄(とっ)嗟(さ)に身を逸(そ)らす。

 

 「ドイツってアレだろ? 新西暦千年代に活躍した鋼の英雄、クリストファー・ヴァルゼライドが産まれたっていう、あのドイツだろ?」

 「ら、らしいな···ま、アドラー帝国自体、欧州のほとんどを制覇してたみてぇだし······肝心の鋼の英雄様も貧民窟(スラム)出身で、そこら辺の真偽は不明だがな」

 「いやいや、でもさ今じゃもう聖地みたいなもんじゃん! それに、アドラーって言ったら、英雄の他にも有名人が沢山いるって聞くしさ」

 

 その熱意たるや、コハクにして光に目を灼(や)かれているのではないかと心配するレベルだ。

 

 ゆえに──いいや、だからこそ。

 

 「···興味ねぇな······」

 「えぇッ!?」

 

 あからさまに驚かれ、今度はコハクが不思議そうに首を傾げる。

 無論、彼に悪意はない。無いからこそ、心の底から抱く純粋な疑問を投げ掛けた。

 

 「なんだ? 俺はあくまで俺個人の感想を述べただけだぜ」

 「いや···だってさ、男児たる者、一度は憧れるだろ? 生ける伝説! 邪悪を滅ぼす悪の敵! 気合と根性で不可能を可能にするとか! バガラリーのイサムと同じぐらいカッコイイじゃん!」

 「······アホらし」

 

 さらりと言い切るコハク。新暦二世紀に入ろうとなお、衰えを見せる事のない鋼の英雄に対するコウタの純粋な憧(どう)憬(けい)に、彼は気(け)怠(だる)げな声で冷水をかけるかの如く一(いっ)蹴(しゅう)したのである。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

3

 

 

 呆気に取られるコウタを見据え、コハクは言葉を続けた。鷹(おう)揚(よう)と。

 

 「別に、光や未来を好きになるのを止めろと言ってる訳じゃないぜ。手を伸ばしても届かねぇ理想の方が魅力的だし、浪(ロ)漫(マン)があると俺だって思うぐらいだからな。ただ······」

 

 ただ、それゆえの恐ろしさを感じずには居られないのだと、コハクは輝きに魅せられる危険性を指摘する。

 

 「それは同時に、今この手にある身近な幸福より、完全無欠な英雄様を選んじまいたくなるような瞬間が来るって事だろ?」

 「···············」

 

 瞬間、呆気の色を宿していたコウタの瞳に、感心の色が宿り始めた。

 それに気付いているのかいないのか、コハクはコウタから視線を切ると、忙(せわ)しなくエントランスとラウンジを行き交う人々へ視線を向ける。

 

 「少なくとも、俺はそんな瞬間が訪れて欲しいとは思わねえな。今この手にある身近な幸福が、どんだけ在(あ)り来(きた)りでありふれたモノでも、俺からしたら何があろうと捨てたくない宝石だ。

 同じ出来事が同じ状況で繰り返される事は二度もあるとは限らねぇように、昨日と同じ今日や今日と同じ明日なんてモノも有(あ)り得(え)そうで、ありえなかったりする」

 

 年下の後輩を叱(しか)る年上の先人。水掛け論争を繰り返す同世代の者たち。一見して平々凡々とした光景が、今も世界中の誰もが繰り広げて体験している。

 だがそれも、所(しょ)詮(せん)は泡(うた)沫(かた)の夢だ。このご時世、そんな日常は硝(ガラ)子(ス)細(ざい)工(く)か何かのように壊れやすい。

 

 「それに、気合と根性でどうにか出来たら、世の中法律も宗教も要らねえだろ? アッラーもブッダも、イエスも現れないと思うぜ。何せ、心一つ想い一つで何でも出来ちまうからな。

 こないだも荒(アラ)神(ガミ)を信仰してる連中が事件起こして、大騒ぎになってたろ? あれと同じさね。誰にでも真似出来ることじゃねぇから、ああいう風に心の拠(よ)り所(どころ)が欲しくなる。ま、ちとやり過ぎだとは思うがな」

 

 無造作に後頭部を掻(か)きながら、コハクは愛おしいものを見るように目を細めた。

 

 「そーいうの鑑(かんが)みたら、英雄様の気合と根性なんてモノはな、多分きっと馬(・)鹿(・)専(・)用(・)の(・)概(・)念(・)だ。ま、英雄様の功績は素直にスゲーとは思うが······今この時が好きな俺からすると、心(・)底(・)ど(・)ー(・)で(・)も(・)良(・)い(・)お(・)人(・)なんよ」

 

 夢がないのは百も承知。

 だがそれも、無理からぬ事なのかもしれない。当時の帝国アドラーの情勢を考えれば、鋼の英雄のような男が産まれて来ても何ら可(お)笑(か)しくないのだ。

 

 不正と悪徳を嫌い、民草の善性や母国を愛するが故に内部から国を変えるべく軍に入隊。そんな、王道物語の主人公は探そうと思えば簡単に探し出せるだろう。

 彼の場合、それが現実レベルの話になっただけであり、そ(・)れ(・)以(・)上(・)で(・)も(・)以(・)下(・)で(・)も(・)な(・)い(・)。

 ゆえに、コハクは鋼の英雄のことを特別視など、した試しなど無かった。

 

 「英雄様は英雄様なりに今、自分に出来る事を精一杯やって、命の限り生きた一人の人間だ。だから俺らも、何が起こるか分からねえ先のこと考えるよりも、今、俺らに出来ることを出来る範(はん)囲(い)でやる。そっちの方がよっぽど、俺は重要な気がするぜ」

 

 そう断言しながら、コハクは自然な所(しょ)作(さ)でコウタへと視線を戻す。

 刹那、豆(まめ)鉄(でっ)砲(ぽう)を受けた鳩(はと)のような顔でコハクの事を凝(ぎょう)視(し)していた。

 

 「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」

 「···え、あッ! いや······逆にすげぇ〜なって思ってさ。コハクが言ってる事は正しいし、実際におれもその意見に賛成なんだけど···なんつーかさ······フツー、あの英雄・ヴァルゼライドの事をおれらと同じ人間だ、なんて言えないだろ?」

 「············」

 

 指摘され、コハクは僅かに口を閉ざす。

 理解はしていたが、や(・)は(・)り(・)そ(・)う(・)な(・)の(・)か(・)と思いながらも、再び口を開いた。

 

 「だから、言うんだろ」

 「え?」

 「言える奴がいねえから、俺は英雄様を俺らと同じ人間だって言いたいのさ。じゃねえと、本当の意味で英雄様が俺らと同じ人間なくなるかもしんねえ。

 俺、そーいうのあんまり好きじゃねえんだ。例えそれが、とっくの昔に死んじまった人間だとしても関係ない。メディア媒体で取り上げられた英雄様の姿は確かに、生(・)を(・)全(・)う(・)し(・)た(・)一(・)人(・)の(・)人(・)間(・)に俺の目には映った······ただ、それだけで充分さね」

 

 生きる伝説。理想の指導者。悪の敵。

 誰もが認める英雄は、新暦一世紀を越えてもなお、その名を轟かせている。それでもコハクは、鋼の英雄を指して命の限り生きた一人の人間だと言い続けるのだ。

 

 普通ではないと言われても構わない。それ以上に、人間だと思えないと言われているのが好きになれないから。

 こうして齟(そ)齬(ご)が生まれたとしても構わない。人間だと思えないと言われるよりもマシだから。

 

 だけど──ああ、それでも。

 ならば、誰か教えて欲しい。普(・)通(・)と(・)は(・)何(・)な(・)の(・)だ(・)。

 

 心に湧いて出てきた疑問に唇を噛み締める。

 すると、コハクの様子が変わった事に気付いたのか、コウタが首を傾げながら声を掛けてきた。

 

 「···コハク?」

 

 ハッと我に返り、思考に没頭していた事を自覚する。

 即座に謝ろうとした次の刹那に、甲高いヒール音がエントランスに鳴り響いた。

 

 

 




 本作におけるクリストファー・ヴァルゼライドですが、歴史のミステリー番組や報道番組などで特集が組まれ、その生きる伝説とも呼べる生涯がアニメ・漫画・映画・ドラマ化などしてノルンのデータベースに残っております。
 ゼファーさんの立ち位置はカグツチに誑(たぶら)かされた閣下の目を覚まさせる為に、立ち向かった準主人公的立ち位置。

 殉職したというプロパガンダが成されたグランド√ver.と、チトセ√ver..があり、特にチトセ√ver.は生存して親友アルバートと幼馴染の少女と共に某ご隠居様みたいな連続ドラマになっております。
 チトセ√の閣下生存ver.は言わばお茶の間向け。
 アニメは「英雄出撃→ガシッ、ボカッ→悪は滅びたガンマレイ♪」みたいな、ヒーローもの仕立てです。

 コハク君は基本的に、どんな形であれ命の限り生きた一人の人間として見えたのなら、閣下だろうがゼファーさんだろうが、対等な人間として接します。
 ただ、ゼファーさんの悪役ムーブや閣下の死に急ぐような戦い方を見たら、流石にドン引く。
 あくまでメディア媒体だからね、仕方ないね。

 余談

 タツミさんの性格と外見のせいなのか分からないけど、彼の星辰光(アステリズム)の詠唱を考える時、Fateに登場するアーラシュが出てくる。
 アーラシュを元ネタにするのは流石に厳しい!

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