◆ ◆ ◆
刹那、黄金と深紅の閃光が三匹の荒神を肉塊へと変える。破壊の神威を宿した黒鋼の刃は驚異的な斬れ味の下、まるで蜜蝋か何かのように、苦もなく敵手を斬殺した。
星辰光を発動した途端、急激に跳ね上がったコハクの出力。
著しく向上した身体能力は、荒神の知覚速度を振り切り、尚も激しく上昇している。
基準値と発動値。二つの差額が大き過ぎる影響で起こる、この別人と入れ替わったかのような不整合さ。
英雄と北風と同等の──或いは、それ以上の上がり幅を彼は見せていた。
星辰奏者や神機奏者の基本性能の強さを表す基準値と発動値は、その差額に比例した反動が使用者の身体に訪れるという特性がある。
言わば、完全停止した車のエンジンを運転手が突然、フルスロットルで車を発進させたようなもの。
当然ながら、唐突に何の準備もなく出力を上昇させれば、それに伴う全ての負荷が車のエンジンやモーターに掛かるのは、語るまでもない自明の理。
それと全く同じ原理が今、神宿コハクという一人の“人間”の身体では起きていた。
「ふッ────!」
短く息を吐き出すと共に、繰り出す光焔刃は流転無窮の破壊光。
原子核反応という実在する現象と相似した異能であり、多彩な反応過程で攻防バランスの取れた闘法を確立して、一撃必殺の攻撃や連続攻撃の使い分けも可能とする驚異の星光だ。
愛しい全てを今度こそ守りたいという姿なき声の祈りを帯び、一見すると激しく雄々しい光焔は、泉の如く湧き上がりつつも、コハクの身体に悪影響は与えていない。
信じられない事に、この光焔は優しく穏やかに地上を照らす太陽の陽射しとして、迫る荒神の群れを幾度となく迎撃していた。
「······ッ」
無論、その程度の出鱈目で彼の身体を蝕む強烈な反動まで無くなる訳ではない。
いや、そもそも他人の星光でありながら、基準値という出力面だけはコハクに完全依存しているということ自体、端から異常な光景なのだ。窮地に立たされた鼠が、自らの皮を捨て去って肉食獣になったようなもの。常識的に考えて、それこそ理屈が通らない。
ゆえに、その隔絶した基準値と発動値に比例した代償を支払うのは、今も戦い抗う少年の内から砕き壊していた。
「······く、···ッ!」
移動のたび、攻撃のたび、次々と破裂していく毛細血管。
鼻腔を擽る血生臭さは、限界量を超えて感応する星辰体と禍神体によって、五臓六腑が火を噴いているかしているからだ。
しかし、体内に埋め込まれている荒神由来の因子が、自壊した箇所を瞬時に再生させる。結果、星光を駆使する限り、自壊と再生を永遠に繰り返していた。
······その苦痛、常人ならば秒単位で発狂し、自我を喪失しかねない痛みの滂沱は、もはや辛抱や気力程度でどうにか出来るものではない。
戦闘どころか、立っているのもまず論外。
今すぐに戦闘を止めさせ、絶対安静の状態にでもしなければ、程なく彼は心も身体も際限なく人の形を失い、壊れ果てるだろう。
さながら、定められた“運命”を否応なく疾走する操り人形の如く──しかし。
「──させんよ」
神経を侵す激痛を、全身へ逆流する血液を、放射能治療の応用で治療し、苦痛や苦悶を和らげ、“死”が遠ざけられていく。
そう、いくら基準値だけはコハクに完全依存している状態とは言え、この星光は姿なき声が引き出す異星法則だ。ならば、その声の意志が反映されぬはずがない。
何故なら、光焔とは本来、こういうものである。一つ一つの制御施設は厳重かつ大掛かりではあるものの、使用方法により人類を滅ぼす兵器にも、命を救う治療道具としても役立たせる事が出来るのだ。
コハクが隔絶した基準値と発動値の負担を担いながら、それでも普通に戦い、意志疎通が出来た大きな理由がコレにある。
斬滅する黄金斉射。紅焔の噴射制御による炎翼加速を受けながらの絨毯爆撃を可能とし、圧倒的な性能差を見せつけながら、居住区に必要以上の損害を出していない。
流転無窮、朔月と耀け黄金の天駆翔──原子という普遍的な概念を操作する事に長けた、核反応操作の星辰光。
燃焼を核とし、融合・吸収・生成等を担う発生の紅焔の光と。減衰を核とし、分裂・散乱・崩壊等を担う収束の黄金の光を使い分ける事で、多種多様な攻撃と防衛手段を展開させる両義の星は、まさしく姿なき声の象徴だった。
「···悪ぃ······助かった······」
「卿が気にする事ではない。“生まれ”というモノは人を縛る。それは私も卿も例外ではなかった···ただ、それだけの話に過ぎんよ」
「···そうか」
どれほどかを討伐したあと、幾許か会話の余裕を取り戻す。
たまに、理解できない言葉が姿なき声から紡がれるものの、分からないものは今、深く考えないようにしていた。
ゆえに、適当に相槌を打つ。
つい先程までは、徐々に喪失する自我をギリギリの瀬戸際で繋ぎ止めていた為、少しづつ余裕が削られていたのだが、今はそれ程でもない。
加え、荒神の洪水が止まった事もあり、思考も鮮明。反動の苦痛も、脳裏に響く姿なき声の援護もあり、反動の痛みも少し気になる程度にまで落ち着いていた。
だが、所詮は放射線治療を応用した急拵え。損傷の大元を絶たぬ限り、自然と体力が削られていくだろう。
体力とて無限ではない。ペース配分を間違えれば、すぐにエネルギー切れを起こす可能性が高かった。
ふと、足元に転がるボロ人形が視界に映る。
荒神の侵入に伴う混乱で、思わず持ち主が落としてしまったのか。その人形は煤や血で汚れながらも、未だに清潔さを残しており、ほんの数分前まで持ち主の手により大切に扱われていた事が手に取るように分かる。
それを一瞥したあと、まるで振り返るように辺りを見回した。
「······なんで、こんな事になっちまったんだ······」
小さく紡いだ呟きさえ、倒壊する建造物に紛れて消える。
燃えているのは瓦礫と、人の死体が含む油分だろうか。パチパチと、拍手を打つような音を奏でながら、耐え難い屍骸の臭気が辺り一面に充満している。
剥離した油が舌先にこびりつき、高熱が皮膚を炙るかのように、今も身体を焼いていた。
ああ、生の息吹が、此処にはもう、微塵も感じられない──
つい先程まで当たり前に存在した日常を想い、胸が軋む。
最初から分かっていた筈だ。理解していた筈だ。
何事も永遠には続かない。
いずれ終わるという事は、いつ終わっても可笑しくないということを。
「············っ···」
そうして、脳裏に過ぎった面差しに、鼓動が大きく跳ねた。
神機を担ぎ、荒神の群れに単身で挑んでいく黒髪の後ろ姿が。──まさか。
顔から血の気が引いていく。
あまりに今さら過ぎる事実を前に、コハクは慄然とした。
「親父···っ!」
彼は今、何処にいる。
無事なのか。無事ではないのか。
どうか、無事であって欲しいと身勝手に願いながら、コハクは再び走り出した、その時である。
「────醜い」
ぽつりと、感情のない言霊が響いたのは。
◆ ◆ ◆
コハクの背筋に悪寒が駆け巡る。
その声色には熱がなく、遊びがない。ゆえ、発露される殺意は、どんな生物よりも純粋で真摯な形で襲い掛かる。
まるで、害虫の駆除など早いに越したことは無い──
そう言わんばかりの言霊は、何一つ人類の命を認めていないことの証左だった。
無価値。無意味。ゆえ根絶する──死に絶えろ。
言葉の裏に隠れた真意。あまりに素直な暴虐の解放は、さながら演劇を見飽きた淑女を彷彿とさせる。
凛、と戦場の空気を揺らす冷気。
いいや、言葉通り外気温へと干渉して──
「──────、っ」
瞬間、己の感じ取った直感に従い、コハクは右足に重心を掛けると、その場から大きく飛び退いた。
それにより、大腿筋の繊維が切れる苦痛が身体を襲うものの、どうでもいい、とにかく逃げろ。あれは駄目だ。
全てが終わると予見し──ゆえにやはり、次の瞬間。
「余興は終わり。荒神に仇なしたその傲慢、今ここで償って貰おう」
見せつけるように、白群色のマントを広げて照準完了。
音を奏でるように、冷気を躍らせて、女の人面を持つ荒神は、絢美な冷笑を口許に湛えている。
この場で生き残る人類種の捕捉を完了。死を刻み付けろと言わんばかりに、まるで施しであるかの如く、一方的な裁定が下されるのだ。
「私が奏でる星の光に包まれて、後悔しながら凍てつくがいい」
宣すると同時、天空を覆う大気温が絶対零度に墜落する。
凝結と共に生まれた無数の種子。百、千、万と、空が落涙したかの如く、氷杭が驟雨となりて炎の海に降り注ぐ。
放たれた死の棘は全方位に満遍なく襲来し、差別も区別もすることなく住民を平等に鏖殺した。
ある者は脳天から股下まで串刺しにされ、ある者は心臓を貫通して血に縫われ、ある者は瓦礫ごと押し潰され、ある者は針鼠のように、またある者は、ある者はと······凄惨に、容赦なく。
生存した者のみならず、自己の周囲に転がる死体の山にも向けられる凍結の洗礼。
自分以外はその骸さえ目障りだという対応は、そこに命の尊厳や死者の弔意というものが完全に抜け落ちていた。
無論それは、コハクとて例外ではない。
躱し切れないと瞬時に理解した彼は、コンマ数秒以下の間に盾を展開し、防ごうと試みたが──
「───ッ、ぐあぁぁぁぁぁあああッ」
大きな衝撃に耐えられず、その華奢な身体ごと、吹雪く氷嵐により吹き飛ばされた。
「···クソッ···タレ······っ!」
罵倒と共に崩れた体勢を立て直す。
長剣の重量を利用し、空中で身体を横回転。足りぬ機動力は旧暦の遺物である燃料加速装置と同じ原理で駆動する炎翼加速で補い、瞬く間に受け身を取る。
無事、地面に着地したコハクは、攻撃の元へと視線を向けた。
そこには、一匹の荒神が悠然と佇んでいる。
虎を彷彿とさせる荒神──ヴァジュラ神属と酷似しながら、その荒神は、女神のような顔を持つ不気味な風貌を有していた。
あちらが獣神に対し、こちらは正しく女帝。
薄汚く汚らわしい。
自分がそう思ったから消えろ邪魔だと傲慢不遜な態度が、その印象を強くさせる。
魔の力を見せつけながら、女神像のような人面の口元に浮かぶのは愉悦の笑み。陶酔したように漏れる吐息は、ぞっとするほどの美しさに満ちていた。
そして──
「咲き誇りなさい」
氷麗女帝の命をうけ、萌芽していく氷の樹木。臓物を零す骸がグロテスクに砕かれたまま、永遠に保存されていく。
幹が生え、枝が伸びた。領土を広げる氷結の星。着弾点から結晶の如く華が咲き──殺害した住民を内包しながら、氷の花園を現出させる。
何かの諧謔じみた光景に、コハクは目を瞠る事しかできない。
気付けばそこは、屍骸の見本市だ。
人も荒神も例外なく、あらゆるモノが死の瞬間で凍てついている。
硝子より遥かに高い透明度を誇る氷は、溶ける兆候を一切見せない。それはこの氷の棺が外気の影響を全く受けていないからであり、熱力学の法則を完全に無視していることの証明だった。
原理としては簡単である。しかし、ただ温度を下げただけだと理解出来るからこそ、逆にその凄まじさが浮き彫りなっていく。
一体、どれだけ捕食を繰り返せば、こんな芸当が可能になるのか。理解が追いつかない。
そんな攻撃を避ける事が出来たのは、偏に直感だけではなかった。
単に一度、これに巻き込まれ掛けたからだ。
予備知識の有無が、単純に生死を分けたのである。
そう、何故ならこの攻撃があった時──
──さっさと逃げろ。目障りな上、足でまといだ。
常に神機を所持していた父に助けられ、自分と姉は逃げる猶予を得る事が出来たのである。
しかし今、彼が一番最初に対峙した荒神がコハクのすぐ目の前にいて。
「ああ、幸せでしょう劣等種。これで貴様らは見目麗しい氷結の華······老いも朽ちもしない、標本の一部となれたのだから」
生前の人間へ向けていた侮蔑が嘘のように、微笑みを浮かべ、女帝は死の標本を愛でている。
その心理、人外の者が抱く情動がどういったものに関してかは全く理解出来ないものの、それが何を意味しているのかを徐々に見当がついてしまった。
「······嘘、だろ······?」
鼓動が跳ねる。
この手に握る長剣が誰のものか、知っているが故に動揺が隠せない。
ああ、少し考えれば分かる事柄ではないか。
「─────ッ!」
直視した現実に、見開いたままのコハクの目から一粒の滴が溢れ、頬を伝い落ちる。
自分はなんて馬鹿なんだろう、と胸中で吐き捨てるがしかし、姉を亡くし、その遺志を汲み取る為に剣を執ったとは言え、彼はまだ齢七の子供なのだ。
それがたとえ、状況証拠という現実から目を逸らす行為であろうとも、安否不明の父親が発見されるまでは無事を祈る······それは、人として当然の心理だろう。
だがしかし──いいや、だからこそ。
何もかもが今さら過ぎる結末を前に、少年は己を罵倒せずにはいられない。
なのに──炎と氷の地獄絵図が広がる中、コハクは涙で頬を濡らしながら、ゆっくりと立ち上がった。
結末は、悲哀と慟哭に染められ、残酷な現実に踏み躙られ、もはや二度と元には戻らない。
だけど──あの、穏やかで安らげる日常だけは、今も色褪せることも、誰に否定されることも、覆されることもなく、この心の内に刻み込まれたままなのだ。
如何なる神にも運命にも、けっして奪えない、穢せないモノ······。
その価値をこそ、コハクは誰よりも知っている。
ゆえに──
「やって···くれるじゃねぇか······」
“変化”は、当然のように訪れた。
◆ ◆ ◆