シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~ 作:月城 友麻
クリーム色のワンピースに薄紫のカーディガンを羽織った美奈ちゃんが
「あれ、結局どうなったのぉ?」
と、愛の管理システム『マインド・カーネル』の実装結果について、マーカスに突っ込む。
「アー ウマク イキマシタガー……」
ちょっと歯切れ悪い感じだ。
話を聞くと、マインド・カーネルの効果でシアンたちは喧嘩もなく、仲良くリンゴを配分するようになった。
そう言う意味では上手くいった。だが、残念ながら初代シアンの進化は、ここで止まってしまったそうだ。
マーカスの説明によると、リンゴの捕獲を、ゴリゴリと最適化チューニングする方向にしか、進化は進まず、初代シアンはただの『高効率リンゴ捕獲マシーン』と化してしまったそうだ。
確かに画面を見ていると、一糸乱れぬ連携での狩りはすごいのだが、狩りばかり上手くなっても次につながらない。
これも確かにAIなのだろうけど、人類の守護者としては、全くどうしようもない。
「歌とかダンスとか、文化は出てこないのかな?」
「100マン バイソクデ 1マンネンブン マワシタケド ヘンカナシ」
美奈ちゃんは
「え~! つまんな~い!」
と、膨らんでいる。
今のシアンは、バボちゃんの様な単純ボディでリンゴを獲るだけだから、複雑な概念が生まれないという事かもしれない。
脳みその代わりの、AIのパフォーマンスは相当に高いはずだが、文化は生まれない。
つまり、歌とかダンスとかの文化は、人間の身体から湧き出てくる物だったのだ。脳みその問題ではないという事だろう。
AIを考える上で、生身の身体が重要だというのは、こう言う所にもあるようだ。
◇
AIの基本的なシステムは完成したから、次はいよいよ、生体を使った実験に入る。マウスの登場だ。
AIを生体に接続するには、生体の神経繊維の1本1本に流れる電気信号を取り出し、また送り出さないといけない。
人間でいうと、筋肉に指示を出す運動神経の方は数万本で済むのだが、視覚、触覚などの五感の感覚神経の数は膨大だ。
感覚神経を、五感で分けてみるとこうだ
視覚神経 1000万本
触覚神経 100万本
聴覚神経 10万本
嗅覚神経 1000本
味覚神経 1000本
視覚神経だけで1000万本ある。これを目玉から取り出すのは現実的ではない。
仕方ないので、視覚は小型カメラで代用する。同様に、聴覚はマイクで代用だ。
しかし、触覚は代用できないので、頑張ってBMI(ブレイン・マシン・インタフェース)で取り出すしかない。逆に言えば、代用できない触覚こそが人間のコアを形成しているともいえる。人間は皮膚の生き物だという事なのだ。
BMIはすでに、中国の半導体工場に無理にお願いして、開発を進めてもらっている。
「3億円かかる」と言われたので、「4億円払うから最速で作ってくれ」と言ったら、凄い喜んで開発してくれている。
来週試作品が届くはずなので、それで実際にマウスと接続してみよう。
神経に微細な電極を繋ぐなんて事は、やった事もないから不安だらけではあるが、今更止められない。
クリスの神の技がどこまで通用するのか……。もう神頼みである。
◇
その晩、会社のみんなで飲みに行った。
マーカスが、イタリアンがいいというので、近所の小さなお店にする。ここは狭いながら本格的なピザ窯もあって、とても美味しくお気に入りなのだ。
まずはスプマンテで乾杯。
「Hey Guys! Thank you for your great job! Let's make a toast. Cheers!(お疲れ! 乾杯!)」
「Cheers!」「Cheers!」「Cheers!」
賑やかにグラスをカチカチとぶつけ合う。
一口含むと、豊潤で繊細な香りを放ちながら炭酸が爽やかに弾け、ディナーの期待値を上げてくれる。
仕事頑張ったらごほうびが無いとね。
俺はシーザーサラダを取り分けながら、マーカスに聞いた。
「Are you used to life in Japan? (日本には慣れた?)」
「Yup! ニホン ブンカ イイネ。センソウジ イッタ!」
聞きだしてみると、どうも先週末、美奈ちゃんと一緒に浅草寺に行ったらしい。そんな話初めて聞いた。
俺は、嫉妬とも不安ともつかない
「もしかして、美奈ちゃんと付き合ってるの?」
俺は落ち着かない気分を押さえながら聞いてみる。
「マダネ!」
そう言ってニヤッと笑った。
まだ、っていう事は、狙っているという事らしい。
「ミナ ハ ボクノ ヴィーナス ネ」
そう言って、マーカスは美奈ちゃんの方を、ジーっと見つめている。
「Good Luck! (うまくいくと良いね)」
そう言ったものの、俺の心の奥底で何かが波立ち騒ぎ、落ち着かなくて思わずスプマンテを一気に空けた。
美奈ちゃんは単なる同僚に過ぎない。彼女のプライベートに意見する権利もないし、本来気にするような話でもないはずだ。しかし、何だろう、このイライラは……。
美人でスラっとした美奈ちゃんと、ガタイの良いマーカスは、確かにお似合いかも知れない。仲もよさそうだし、本来であれば応援してあげるべきだと思うのだが……どうも心がついて行かない。
他人の恋路にイライラしてしまうのは、俺に色っぽい話が無いからだろう。
トラウマを理由に人と関わる事を逃げ続けてきたのだから当たり前だ。いつまでも親に捨てられたことを、引きずっていてはいけない。前向きに彼女を作って愛を育て、トラウマを克服するのだ。
とは言え、最近はオフィスにいるばかりで出会いが無い。
俺はペンネアラビアータをつつきながら、何か手はないのかと思索を巡らす……。
ふと顔をあげると、クリスが美味しそうにワインを飲んでいる。そうだ、こう言う時はクリスに限る。
俺は赤ワインのグラスを持って、クリスの隣の席に移動した。
「Hi Chris! Are you having fun?(クリス、楽しんでる?)」
「…。Sure!(もちろん!)」
酔ってくると、なぜか英語になってしまう。
「我有一个要求(一つお願いがある)」
「…。怎么了?(何?)」
王董事長の時の余韻で、中国語でも試してみたが、さすがクリス、ついてくる。
「私もそろそろ……彼女が欲しいなとか、思うんですが!」
「…。いいんじゃないかな?」
「ところがですね、なかなかいい出会いが、無いんです!」
「…。それは深刻だね」
淡々と答えるクリス。
「ぜひ、いい人を紹介して……欲しいなーと……」
「…。私が紹介するのか?」
クリスはパスタを巻くフォークの手を止め、驚いたようにこっちを見る。
「クリス顔広いじゃん、世界中の人知ってるじゃん、きっといい人知ってるよね?」
「…。まあたくさん候補はいるが……」
「ほらほら、ちょっと何人か紹介して!」
俺は酔いも手伝って図々しくお願いをしてしまう。
そこにグラスを持った美奈ちゃんが乱入。
「なに? 誠さん、私じゃダメって言うの?」
そう言って、上目遣いでこっちを見る。
俺は琥珀色の瞳にドキッとしながら、ワイングラスをカチンと合わせ、
「美奈ちゃん、浅草寺連れてってくれないし~」
そう言って、そっぽ向いて拗ねてみる。
「あら、マーカスに聞いたのね、秘密って言ったのに」
嬉しそうにニコッと笑う。
「まぁ、仲良くやってくださいよ。社内恋愛禁止じゃないし」
俺はぶっきらぼうに言う。
「ふふふ、どうしようかなぁ……」
上を向いて人差し指を顎に当てた。
「また、もったいぶって……悪女だなぁ」
「悪女とは失礼ね! 私は『愛の秘密』を解いた人と付き合うのよ」
また訳わからない事を、言いだした……。
「『愛の秘密』? 何それ?」
「秘密を教える訳ないじゃない。バカなの?」
美奈ちゃんは軽蔑のまなざしで俺を刺す。
だが、いきなりそんなこと言われても、そんなの分かる訳がない。
「ヒント位くれよ~」
俺は間抜けな顔しながら頼み込む。
「しょうがないわねぇ……」
美奈ちゃんは、ワインを一口飲んで言った、
「こないだシアンに、愛の機能つけたんでしょ?」
「え? あれはAIの喧嘩防止機能だろ?」
「ふぅ……だからダメなのよ」
美奈ちゃんはため息をつき、ダメ出しをする。
「えっ!? ちょっと待って、シアンと俺って同列なの?」
「そんくらい自分で考えなさいよ!」
そう言って、美奈ちゃんは席を立ってしまった……
いや、ちょっと待って欲しい。確かにAIの喧嘩を防止するためにマインド・カーネルを実装した。それで喧嘩はなくなった。でも、それと美奈ちゃんと付き合える条件に、何の関係があるのか?
この禅問答の様な捉えどころのない設問に、俺はすっかり困惑した。
俺はクリスに聞いた。
「クリスは美奈ちゃんの言う事分かる?」
「…。もちろん」
そういって微笑んだ。
「え!? 分かるの!?」
俺は言葉を失ってしまった。
美奈ちゃんはクリスのレベルに達していて、俺はただのお子ちゃまだって事らしい。
一瞬、クリスに教えてもらおうか、とも思ったが、女子大生でも分かる事を、今さら神様に聞くのも
これは自分で解決しないとならない。
俺は赤ワインをクルクル回しながら、必死に考える――――
そもそも愛ってなんだ……?
シアンでは、他人が喜ぶと嬉しくなるように、マインド・カーネルで調整を入れた。愛とは、他人と自分の関係を変えるものって事だ。ここに秘密があって、それを解くと美奈ちゃんの彼氏になれる……。
ダメだ……、全く関連性を見い出せない。本当に繋がりなんてあるのだろうか?
しかし、クリスは納得しているのだから、悪いのは俺の頭の方らしい。女子大生にも負ける俺の知力。俺の28年間の人生は何だったんだ……。
思えば俺は、親に捨てられた事でいじけ、PCを叩いてばかりいたような気がする。人付き合いを忌避し、楽しくやってる連中を『パリピ』と馬鹿にし、世間をひねくれた目で見ていたかもしれない。ある意味、人間関係について、真面目に考えることから逃げてきたのだ。だから彼女もできなかったし、『愛』についても何もわからない。
事、ここに至って初めて、俺は自分の人生の薄っぺらさに愕然とした。
なるほど、美奈ちゃんが呆れるのも当たり前だ。『人類の守護者を作るんだ!』とぶち上げたものの、実は俺自身が、人間の事を全く理解していない現実を突きつけられてしまっているのだ。人間は知恵だけの存在ではない、社会の生き物なのだ。愛とは何か、心とは何か、ここの理解をできない者が守護者づくりなんて、おこがましかったのだ。
人間の姿をして人間社会で活動しているだけでは、『まともな人間』の条件は満たさない。俺は初めて人間の本質に触れた気がした。
俺はグラスの中で揺れる赤ワインを眺めながら、自らの浅はかさを深く恥じた。そして、親に捨てられたトラウマなど早く卒業して、前向きに、一人一人と丁寧に向き合っていこう、と誓った。
その晩、俺はなかなか寝付けなかった。