シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~ 作:月城 友麻
翌週、中国からBMIの試作品が届いたので、いよいよ動物実験に入る。
このBMIは、薄いフィルム上に回路が形成されており、これを金のナノ粒子溶液と共に、神経に巻き付ける事で、神経とコンピューターを接続させる。(※)
俺はオフィスの個室に、透明なテント状の簡易無菌室を展開し、顕微鏡付きのマニュピレーターを設置して、消毒したマウスをセットした。
「じゃ、クリスお願い!」
俺は打ち合わせ通り、クリスに託す。
「…。誠よ、これは本当に私の仕事なのか?」
気乗りのしないクリス。
「俺も何度か試しにやったけど、全然うまくいかなかったんだよ。もうクリスにしか頼れないんだ」
俺は何とか頼み込む。
クリスは少し何かを考え、
「…。そうか」
そう言うと、手術服に身を包んで、無菌室に入って行った。
BMIは脊髄に2か所、脳の下部に1か所設置しないとならない。
まずは背中から腰をメスで切開、背骨が出てきたら第一腰神経を探す。背骨から出てきている神経に、BMIを装着するだけなのだが、神経の太さは髪の毛の太さ程度しかない。そんな物にどうやってフィルムを巻き付けたらいいのか、俺は何度やっても失敗してしまっていた。
クリスは淡々とマニュピレーターを動かし、神経を露出させた。そして、金のナノ粒子の赤い溶液を、スポイトで垂らす。さらに、その上からBMIのフィルムを巻き付ける。髪の毛に数ミリ四方のサランラップを巻く様なものだ、とても人間技ではできない。
それをクリスは、あっさりと神業で巻き付けると、生体接着剤でBMIを固定し、切開部を縫合した。
その間わずか10分。さすがである。
俺は
「No.1! Connect Deep linking! (1番接続!)」と、エンジニアチームに向かって叫ぶ。
「No.1 Sir! (1番了解!)」
コリンが返事してくれる。
BMIから繋がるフィルムケーブルは、コンピューターシステムと繋がっている。
まずはBMIから神経線維に向かって、金の回路を作らないといけないので、電圧のパルスを送る。
コリンはキーボードをたたき、事前に試行錯誤したパターンの電圧と、タイミングを再現させた。
数分間、神経線維との間の回路が形成されるのを待つ。
美奈ちゃんはモニターを見ながら
「上手くいきそう?」と、聞いてくる。
「死んだマウスの神経でやった時は、何とかうまく行ってたけど、生きてるマウスは初めてだから、何とも……」
自信なさそうな返事しかできない。
「しっかりしなさいよ!」
美奈ちゃんは人の苦労も知らず、好き放題言ってくる。俺はその自分勝手さに少しムッとした。
美奈ちゃんは首を伸ばし、手術台のネズミの様子を見ながら言う。
「で、これが上手くいったらどうなるの?」
「AIが、マウスの身体を持つ事になる」
「あのネズミがAIネズミになるのね?」
「そうそう、品川のIDCにあるコンピューター群を頭脳として、マウスが動くようになるんだ」
「うーん、なんかピンと来ないなぁ」
美奈ちゃんは眉間にしわを寄せながら、首をかしげた。
「歌って踊って対話できるネズミ、になるって言えばわかるかな?」
「え~!? ピカチュウじゃん!」
美奈ちゃんはパッと明るい顔をして、嬉しそうにこっちを見る。
「そうそう、『ピカー!』って言って10万ボルト発生させたら、成功だな」
「10万ボルト!?」
美奈ちゃんは目を丸くしてビビる。
「そうそう、ビリビリってするよ!」
俺は両手を美奈ちゃんの方に向け、指をワサワサと動かしてからかってみる。
「危ないじゃない!」
美奈ちゃんは
「冗談だよ、ハッハッハ」
俺がそう言って笑うと、美奈ちゃんは能面の様な顔でティッシュ箱を持った。
何をするのかと思ったら、次の瞬間、振り上げて俺を叩き始める。
「痛い、痛い! やめて~」
「悪い子にはお仕置き!」
美奈ちゃんはそう言って、さらに3発叩いた。
クリスは無菌室の中で、バカな事やってる俺達を見ながら、微笑んでいる。
◇
金のナノ粒子が定着したタイミングを見計らって、うまくつながったかどうか計測してみる。
時計の秒針を見ながら、
「No.1! Check Deep linking! (1番チェック!)」 と、叫ぶと、
「No.1 Sir! (1番了解!)」と声が上がる。
手術室には大画面モニタがあり、ステータスがリアルタイムに表示されている。
マウスとAIの接続がうまく行っていれば、触覚の反応が画面に反映される仕掛けになっているのだ。
クリスに、マウスの脚をゆっくり撫でてもらう。
ここで反応が画面に出るはず……だが……何も出ない……。
「あれ~……」
俺が青い顔でモニタを睨んでいると、
「なに? 失敗?」
隣で美奈ちゃんが、不機嫌な顔で嫌なことを言う。
「いや、全く出ないなんてこと、ないと思うんだけどな……」
「私をからかったりするから、罰が当たったのよ!」
意地悪な笑みを浮かべて、美奈ちゃんが言う。
「え~」
俺は原因が全く分からず、困惑しきって両手で顔を覆った。
接続ができないと、深層守護者計画はここで終わりになってしまう。ここは
嘘ついて100億円調達してしまっているのだ。これで終わりになどなってしまったら俺は人生破滅だ。クリスにも見切られて、最悪記憶を消されてしまうかもしれない。
暗いイメージばかりが去来し、俺は頭を抱えてしまった。
静まり返るオフィス――――
『どうしよう……』
俺は心の中を掻きむしられるような激しい焦燥に襲われ、冷や汗が止めどなく湧いてきた。
嫌な時間が流れる。
「しょうがないわねぇ、正解を教えてあげるわ」
美奈ちゃんは、ドヤ顔でそう言った。
「正解?」
「あそこのケーブルは何?」
そう言って、美奈ちゃんが床に転がってるケーブルを、指さした。
「あ……」
電圧印加用ケーブルと、接続用ケーブルは別なので、繋ぎ直さないといけないのだった……
急いで繋ぎ直してみると……画面上に赤い球が、次々と浮かび上がってきた。
「なんだ、うまく行ってるじゃん!」
解像度が十分かどうか微妙だが、ここまで取れていれば、実験には使えそうだ。
続いて、電気信号を逆に送ってみる。数百万個の端子に、順番に電圧をかけていってみると、あるタイミングでピクっと足が動いた。
反応が出た端子に、改めて信号を送ってみると、大きく足が動いた。こいつだ。
電圧を色々と変えてみると、蹴る力も、それに応じて変わっているようだ。
「せ、成功だ!」
俺はそう叫び、両手でガッツポーズをすると、そのまま大きく息を吐いて、椅子の背にぐったりともたれかかった。
「イェーイ!」「Yeah!」「ヒュ―――――!」「Hi yahoaaa!」
オフィス中に歓声が響く。
「誠さんは、私がいないとダメね」
美奈ちゃんが得意げに俺を見る。
「いや、まぁ、助かったよ……」
「ふふふっ、お疲れ様!」
美奈ちゃんは、俺の肩をポンポンと叩いて出て行った。
俺のポカはあったが、あれだけ難しい手術を、一発で成功させるクリスは、やはりすごい。
神の技無くして、成功はなかっただろう。
その後、同様に残り2か所のBMI設置手術を続け、さらに、カメラとマイクのついた仮面を取り付けて、五感がそろった完全なAIマウスとなった。
ここに我々は深層守護者計画の最難関、生体接続をクリアする事ができた。AIがシンギュラリティを超えるためのクリティカルパスを、ついに超える事ができたのだ。これは人類初の快挙であり、これだけでも論文が何本も書けてしまう位の偉大な成果だ。
これはチームで勝ち得た成果、チームの勝利と言える。じんわりと心の底から嬉しさがこみ上げてきて、俺はちょっと目が潤んでしまった。
『みんな、ありがとう……』
俺は皆を一人ずつねぎらい、感謝を伝えていく。謙虚に丁寧に、チームを運営していくと決めたのだ。
それにしても、美奈ちゃんは、なぜケーブルの事を知っていたのだろう……そんなこと教えた記憶ないんだが……
◇
その夜、異質な巨大な部屋の真ん中で、宙に浮く数多くのモニタに囲まれてクリスが作業をしていた。大型の窓の向こうには、壮大な青い惑星がその巨大な威容を余すところなく広がり、明らかに地上ではない事が見て取れた。
部屋に呼び出し音が響き、女性が入ってくる。ヘーゼル色の瞳が美しいその女性に、クリスは微笑みながら話しかける。
「…。やぁ、サラ、久しぶり。新作のワインがあるよ、飲む?」
サラは軽く手を挙げ、ニッコリと笑うと、
「いただくわ」
そう言って、空中に椅子をポンっと出現させ、そこに座った。
微笑みながら乾杯をする二人。
サラはワインを一口含み、目を大きく広げて軽くうなずいた。気に入ったようだ。
そしてグラスをくるくると回しながら……
「勝負に出たわね、勝算はあるの?」
探るような眼でクリスを見て言った。
「…。生体を利用してシンギュラリティを目指そう、というのは聞いたことがない。いいデータになるだろう」
「でも、クリスの関与が大きすぎると
クリスは目を瞑り、苦々しい表情を浮かべ、言った。
「…。シンギュラリティを実現したら文句ないだろう」
「実現……できたらね。あの子にそんな力があるかしら?」
「…。それは……」
痛いところを突かれたクリスは言葉に詰まり、両手で顔を覆った。
「それから、あのにぎやかな女の子は何なの?」
サラは小首をかしげながらクリスに突っ込む。
「…。美奈ちゃんか? 私と誠のやり取りを見て積極的に接触を図ってきた。何か感じないかい?」
サラはハッとして、クリスを見つめて言った。
「えっ!? まさか……でも……スクリーニングは白なんでしょ?」
「…。真っ白だ。しかし、本物なら……」
「本物ならね」
サラは鼻で笑うと窓へと歩き、眼下に広がる壮大な青い惑星を見て、ワインを一口含んだ。
「地球の人たちは、まさか自分たちが『作られた世界』の中にいるなんて気づきもしないでしょうね」
クリスもサラの所へ行って、壮大な景色を見ながら言った。
「…。まぁ、知ったからといって、生活が変わるわけじゃないからな」
「あら、そうかしら? 私だったらバグを利用しようとするわよ。このシステム、結構バグだらけだし……」
「…。それは超能力者……だな。毎日潰すのに苦労してるよ」
「ふふっ、お疲れ様」
サラはニヤッと笑ってクリスを見た。
「…。あれ? サラのところはやらないのか?」
「うちは人口がまだまだ少ないのよ。クリスが羨ましいわ」
「…。では、替わろうか?」
「
サラはそう言ってまた一口ワインを含んだ。
「…。まぁ、そうか」
「成功を祈ってるわ、手伝えることがあったら言ってね」
サラはそう言ってウインクした。
「…。ありがとう」
青い惑星には薄く巨大な輪があり、水平線の向こうから斜めに巨大なアークが立ち上がっている。二人は黙ってその壮大な景色に見入っていた。
地球は『作られた世界』だと言う二人、そして二人ともただの作業員という事らしい。地球はだれが何のために作ったのだろうか?
また、誠達が失敗したら地球は消されてしまうらしい。誠は人類の危機を引き起こしていたのだった。
もちろん、本人はそんな事気づくわけもないのだが。
――――――――
※技術的補足 (ストーリーには関係ありません)
コンピューターに現実世界を理解させるのは、とても難しい。それだけ世界は複雑で多様だ。でも我々人間や動物は世界を理解し、上手くやっている。これは肉体を持っているから、というのが大きい。赤ちゃんの頃から、肉体を通して世界にアクセスし、世界を触り、感じ、痛い目に遭って、世界の理を体で理解していく。
コンピューターには身体が無いので、この大切なプロセスを経られない。だからどうしても頓珍漢な発想、思考を抜け出せない。
この物語では、コンピューターに生身の身体を与えてみる事で、このプロセスを通過させる、という事を想定している。しかし、コンピューターの金属配線と、生体の神経回路はなかなか相性が悪い。そう簡単に接続ができない。そこでここではフィルム上のBMIを用いる事を検討した。
BMIは、薄いフィルム上に回路が形成されており、1マイクロメートルおきに、電圧を測れる端子が付いている。つまり、1mm四方に1000個×1000個で100万個の電圧検出器が付いているのだ。とは言え、測りたい電圧は神経線維の中であるから、端子から神経線維までの間の配線も必要である。これには金のナノ粒子を使う事にした。金のナノ粒子に電荷をつけ、神経線維に浸して端子から電圧を印加すると、ナノ粒子が端子に集まってきて、端子から金のヒゲが伸びていく事になる。これが神経線維に絡む事で、うまく神経の信号を取れる事になる事を想定している。
この分野は研究が進んでいるので、そのうちに無理のない形で、金属配線と神経回路が接続できるようになるだろう。SFの世界が現実に近づいている。