シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~ 作:月城 友麻
「お疲れ様でーす」
可愛くて明るい元気な声が、オフィスに響く。
由香ちゃんが出勤してきた。
ボルドーのトップスに、花柄のスカート、そしてフリルのパーカーを羽織っている。
由香ちゃんは、週に2回くらい出勤して、主に経理業務をやっているのだ。
パソコンでクラウド会計ソフトに繋げて、領収書を打ち込んだり、給与計算ソフトで給料や社会保険料を計算したり、結構忙しい。学生でここまでできるなら、インターンは合格だ。
俺は鼻歌を歌いながら、心を込めて珈琲を入れて、由香ちゃんに持っていく。
「由香ちゃん、はい、珈琲」
「あ、ありがとうございます」
由香ちゃんは書類の散らかった机を片付けて、珈琲を受け取る。
「うちの仕事には慣れた?」
「はい、何とか……」
少し不安な表情を見せる由香ちゃん。
「由香ちゃん頑張ってくれてるから、そろそろ太陽興産への推薦をしようかな、と思うけどどうかな?」
俺がそう言うと、由香ちゃんはモジモジして言う、
「あ……、その事ですが……」
「ん? 嫌なの?」
「そうじゃなくて……、このまま、こちらでお世話になる事は出来ますか?」
「え? うちで働きたいって事?」
予想外の返答に俺は驚いた。
「マーカスさん、クリスさんとか凄い人が居る会社、実は最高なんじゃないか、って思えてきてるんです」
キラキラ瞳を輝かせる由香ちゃん。
確かに、世界一のエンジニアと、神様がいる会社はうちしかない。でも、新卒を受け入れるような会社じゃない。そもそも会社は隠れ蓑なのだから。
「うちは吹けば飛ぶような会社だよ? 3年後無くなってるかもしれないよ」
「それでもこのまま居たいなぁ……って思うんです」
由香ちゃんは、そう言って両手を組んで、上目遣いでこちらを見つめる。
可愛い女の子に、真剣に頼まれると弱い。
「う~ん、なるほど……、ちょっとクリスに聞いてみるよ」
俺はメゾネットの階段を上り、赤ちゃんに付き添ってるクリスの所へ行った。
クリスは穏やかな顔をしながら、赤ちゃんに手をかざしている。
もう3日目だから、相当に疲れているとは思うが、全然疲れているように見えないのはさすがだ。
「クリス、申し訳ないね。赤ちゃんの具合はどう?」
「…。かなり安定してきたから、そろそろ付き添わなくても大丈夫になるだろう」
「それは良かった、ありがとう」
赤ちゃんをそっと覗き込むと、小さなピンク色の塊が羊水の中で浮かんでいる。
まるでウーパールーパーだが、これが本当に人間になるのだろうか?
頭では理解していても実感がわかない。
「あ、そうだ、由香ちゃんだけど、うちに就職したいんだって。どうする?」
「…。予定通りですよ」
淡々と答えるクリス。
「え? 最初からうちに就職させるために呼んだの!?」
「…。秘密です」
そう言ってクリスは優しく微笑んだ。
俺は唖然とした。クリスは何手先まで読んでいるのだろう?
そもそも、俺の彼女候補として呼んだはずではなかったのか?
「あぁ……そうなのね……」
俺はそう言いながら、釈然としない思いのまま部屋を後にする。
下を見ると、由香ちゃんが両手を組んだまま、こちらを祈るように見ていた。
俺は階段を駆け下りて、にこやかに笑って言う。
「クリスもいいってさ、では来年4月からは、うちの社員という事でよろしく!」
「え!? そんなに簡単に決まっちゃうんですか!?」
可愛いクリっとした目を見開いて驚く由香ちゃん。
「うちはクリスがOKなら、何でもOKなんだよ」
「ふぅん。でも良かった! 就職先が決まった!」
晴れやかな笑顔の由香ちゃんだが……カミングアウトタイムだ。
「ただ、うちの社員になる以上、秘密も話さないとならないな」
「え? 秘密?」
キョトンとする由香ちゃん。
「……。うちはね、本当は会社じゃないんだ」
「はぁ?」
由香ちゃんが口を開けて、固まってしまった。
「形式上、法人にした方がうまく回るので、会社の形態を取っているだけで、本当は会社じゃないんだ」
「え……? じゃ、何なんですか?」
怪訝そうに首をかしげながら聞いてくる。
「人類の問題を解決してくれる『人類の守護者』を作ろうという、深層守護者計画の秘密組織なんだ」
「人類の守護者?」
「人類は残念ながら、このままだと近い将来滅びるだろう、と我々は考えている。少子化や温暖化に歯止めをかけられない人類は、確実にいつかは滅びちゃうんだ」
「えっ? そんなに深刻なんですか?」
ただの就活をしていたら、人類の滅亡を予言されてしまう由香ちゃん。
ちょっとかわいそうな気もするが、避けては通れないイニシエーションだ。
「このままだと、人類という種はもう100年も続かない。そしてそれは、人類は自力では解決できそうにない」
「そんな事…… 考えた事もなかった」
うつむき加減に力なく言う由香ちゃん。
「で、これを解決してくれる存在が欲しいよね?」
「そう……ですね」
「じゃぁ作ろう!」
「えっ!?」
由香ちゃんは固まってしまった。
「俺達には、世界一のAIエンジニアチームも神様も金もある。俺達にできなければ誰にもできないんだよ」
「そんなに……」
「でも、そんなこと公言したら狂人扱いされるし、ちょっとヤバい物扱ってるから、捕まってしまうかも知れない。だから俺達は必死にAIベンチャーの体裁を取り繕って、秘かにうまくやってるのさ」
「ヤバい物……ですか?」
百聞は一見に如かずである。見てもらう事にする。
「おいで」
そう言って、メゾネットの階段を上がって、赤ちゃん部屋に連れて行く。
「クリス、由香ちゃん連れて来たよ。見せてあげてくれるかな?」
クリスはにっこりとほほ笑み、赤ちゃんを指さした。
恐る恐る近づいてくる由香ちゃんを、俺は赤ちゃんのそばまで誘導して言った。
「これがヤバい物、無脳症の人間の赤ちゃんだよ」
「赤ちゃん!?」
両手で口を押え、かわいい目を大きく見開く由香ちゃん。
「無脳症で堕胎されて、医療廃棄物として処理される途中の、赤ちゃんを貰って来たのさ」
「え? 無脳症?」
「この赤ちゃんは病気で脳が無いんだ。だからまともに育たないし意識もない。だから普通殺されちゃうんだ。それをAIの学習のために使わせてもらう」
「人体実験!……ですか? は、犯罪……です……よね?」
想像を絶するヤバい事態に、由香ちゃんの目には恐怖の色が浮かぶ。
「まぁ、そういう事になるな。医療廃棄物を育てただけだが、バレたら逮捕だよ。どうだい、それでもうちで働くかい?」
「えっ? それは…… この人体実験は必要なんですか?」
「他に手は思い浮かばない」
俺は肩をすくめ、首を振って言った。
もちろん、人間に近いロボットを作れば、できない事もないかもしれないが、それでも人間が感じる世界とは、大きくずれが生じてしまう。人類をちゃんと理解するためには、どうしても人間の肉体を使わざるを得ない。
「もしかして……、凄く儲かる話なんですか?」
怪訝そうな顔の由香ちゃん。
「え? 金儲けは全然考えてないなぁ……」
太陽興産には還元しないとだが、金儲けを画策したりしたらクリスに切られてしまう事を考えると、金を目的にはできない。
「じゃ、純粋に人類を守るためって事です……か?」
由香ちゃんはひどく驚いた様子で俺を見る。
「そうだよ。エンジニアは嘘つけないしね」
そう言って俺はちょっと自嘲気味に笑った。
「人類を守るため……。そういう事なら……」
由香ちゃんは目を瞑り、大きく息を吸った。
しばらく眉間にしわを寄せて、何かを考えているようだったが、キッと目を見開くと、
「決めました! 私も仲間に入れてください。その深層守護者計画に!」
まっすぐに俺を見つめて、迷いのない声で言い切った。
「いいのかい? もう後戻りできないよ?」
「人類の守護者を作る極秘プロジェクト、最高じゃないですか!」
両手にこぶしを握って興奮気味に言う。
「そう?」
「そうですよ! 私、これを……これを探してたんです!!!」
由香ちゃんは瞳をキラキラと輝かせながら言う。
「これ? というのは?」
「何の迷いもなく、人生をかけられる仕事ですよ!」
「そんなに?」
「そうですよ! 深層守護者計画は人類に必要な仕事です! 私も仲間にしてください!」
驚くほどノリノリである。
「あー、そう? じゃ、よろしくね」
「はい!!!」
由香ちゃんは満面の笑みで言った。
「さっそくですが、私でもできる事ないですか?」
「できる事……? 由香ちゃんは血液型何型?」
「え? AB型……ですけど……」
俺はガッツポーズをした。
「じゃ、とりあえず血を下さい」
俺は両手を合わせてお願いする。
「え……? もしかして、赤ちゃんに使うんですか?」
「そうそう、定期的に人工胎盤の血液を、変えないといけないんだよ。今は俺一人なので大変なんだ。頼むよ」
「そのくらい全然大丈夫ですよ!」
由香ちゃんはニッコリと笑う。とてもいい娘である。
やった、これで少し楽になる。一応、薬を服用していないか確認として……
「由香ちゃんは、病気持ちだったりしないよね?」
「もちろん健康……あ、まぁこれはいいのかな?」
ちょっと顔を曇らせる由香ちゃん。
「え? 何か病気あるの?」
「いや……そう言う訳では……ないんですが……」
モジモジしながら、はっきりしない由香ちゃん。
クリスが由香ちゃんの方をジッと見て、頷いて手をかざした。
由香ちゃんの身体が淡く光り、少し浮かぶ。
「えっ!?」
そう言いながら、自分の身体を見回す由香ちゃん。
そのうち、気持ちよさそうに恍惚の表情を浮かべた。
何か、治療されているようだ。
しばらくして光が消え、ゆっくり着地をすると
「あっ! マズいです!」
と言って、腰を引いた姿勢で固まった。
俺はビックリして、由香ちゃんの身体を支えて、
「大丈夫!?」と、聞くと
「ちょっと、放してください!」
必死な表情で叫ぶ由香ちゃん。
「いや、具合悪いなら無理しちゃダメだよ」
そう言って、由香ちゃんの身体をしっかり支えた。
ふんわりと漂ってくる甘く優しい香りに、ついドキッとしてしまう。
「ダメダメ! 放して! もぅ、誠さんのバカ!!」
そう言って俺の手を振り切ると、走って部屋を出て行ってしまった。
「バカ……?」
唖然とする俺。
「…。今のは誠が悪いよ」
そう言って、クリスがクスクス笑っている。
「え? どういう事?」
「…。彼女はトイレに行ったんだよ」
「え……?」
トイレに行く病気?
「あ、便秘だったのか……」
でもそんな事、言ってくれなければ分かる訳がない。
手に残る、由香ちゃんの柔らかな手触りを思い出しつつ……複雑な表情をする俺を見て、クリスは笑いだしてしまった。
「…。誠はこないだから女難続きだな」
「何とかならないかなぁ?」
「…。まだまだ、女難の相が出てるぞ」
そう言ってニヤッと笑うクリス。
「マジすか!?」
賑やかな未来が俺を待ってるらしい。冴えないエンジニアの俺が女難の相だなんて、全く似合わないが、神様の予言は当たってしまうだろう。今から憂鬱である。