シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~ 作:月城 友麻
エンジニアチームは、赤ちゃんとの接続準備に忙しい。人間の赤ちゃんを動かすAIは、マウスの様にはいかない。処理しなくてはならない情報量は格段に増えるので、サーバーも増強しないとならない。
そこでAIチップを、さらに10ラック分追加することにした。約12億円である。IDCの利用費用も月間300万になる。
まだまだ金はあるとはいえ、12億円の振り込みをするときは、さすがに手が震えた。
AIチップ担当のマーティンも、これだけ巨大なシステムは初めて。この規模を安定的に動かすのはさすがに難しく、大変さを一生懸命説明してくれる。
でも、早口な英語なので、半分くらいしかわからない。ごめん、この情けない英語力を許してほしい。
IDCでのラックへの設置作業は、朝から社員総出で行った。
IDCの倉庫にはAIチップサーバー50台、特注のハイエンドサーバー20台と、巨大SSDストレージ10台の段ボールが、山のように積みあがっている。総額12億円の山である、思わず武者震いがする。
まずは、これらを一つずつ開梱し、順次ラックへ取り付けていく。
持ち上げてみると……思った以上に重い。
重さにめげてる俺を横目に、マーカスがヒョイっと軽々と持ち上げる。
「マコトサーン キンニクハ セイギ ヨ!」
そう言って笑いながら、事もなげにラックに設置していく。
うーん、規格外の筋力だ。
俺も筋トレ始めようかな……。
すると美奈ちゃんが、マーカスが作った、二の腕の力こぶにぶら下がって
「Sweet!(すごーい!)」
と、歓喜の声を上げた。
俺はその光景を無表情で眺めながら、圧倒的な『負けた感』に軽いめまいを覚えた。筋肉を侮っていた俺の生き方は間違っていた。
『筋肉は全てを解決する』その名言が俺の脳髄に今、叩き込まれた。
ジム通いしてやる、と密かに決意したのであった。
とはいえ、サーバーは全部で80台もあるから、マーカス一人に頼ってはいられない。
俺はコリンとチームを組んで、二人がかりでサーバーを、ラックのレールにはめていく。
これだけで午前がつぶれてしまった。設置するだけで大変なAIシステムとは圧倒的なスケールである。
「Let's go out for lunch! (ランチ食べに行こうよ!)」
俺はそう言って、みんなをお昼に誘った。
すると、由香ちゃんが、
「あれ? この小さな箱はいいんですか?」
と、隅っこの小さな段ボールを指さす。
「ん? 何それ?」
俺は箱を開けて、顔が青くなった。
中にはたくさんの増設メモリが、ずらっと並んで入っていたのだ。
「しまった! メモリ増設するの、忘れてた!!」
俺は思わず天を仰いだ。
マーティンは、駆け寄って箱を見るなり顔を青くして、
「Holy cow! (なんてこった!)」
と、頭を抱える。
計画では、50台のAIチップサーバーに、増設メモリを挿してから、ラックに設置する予定だったのだ。設置にばかり注意が行っていて、すっかり忘れていた。
当然、ラックに設置したままでは、メモリは挿せない。一度取り外さないとならない。
3時間かけて取り付けた物を、もう一度全部取り外して再設置……俺は目の前が真っ暗になった。
「誠さん! 何してくれてんのよ!」
美奈ちゃんがプリプリしながら、俺をなじる。
「ゴメンよ、すっかり忘れてたよ……」
「私はもう、力仕事なんてできないわよ!」
いや、君は応援してただけじゃないか……と思ったが、応援は応援で大切なのだ。
反論できずに立ち尽くしていると、遅れてクリスがやってきた。
美奈ちゃんの膨らんだ頬を見て、微笑みながら言う。
「…。迷える仔羊たちよ、どうしたのです?」
「誠がポカやったのよ! 午前の作業が台無し!」
ここぞとばかりにアピールする、美奈ちゃん。
俺はうなだれて説明する、
「メモリを挿しそこなったまま、設置しちゃったんだ……」
するとクリスは、
「…。誠よ、何を言ってるんです。挿しそこなったメモリなどありませんよ」
と、穏やかに笑った。
「いや、クリス。ここにたくさんあ……!? あれ!? ない!!」
箱を見ると、さっきまで確かに、たくさんあったメモリが、一つもなくなっていた。
「…。メモリはみんな挿されてますよ。さぁお昼に行きましょう」
そう言って、クリスはみんなをねぎらって、ランチへといざなった。
試しに1台起動して見ると、確かに増設メモリは認識されていた。
クリスが挿したのか? 一瞬で?
あっという間に、50台の筐体の中に挿したという事だろうが、どうやって挿したのか、俺には全く分からなかった。物理的には不可能だ。
さらに、正しい位置のスロットに正しく挿さないと、メモリは認識されない。
クリスがなぜ正しい位置を知っていたのか、想像を絶する。
ランチに行く道すがら、美奈ちゃんはご機嫌で話しかけてきた。
「あんな事できるなら、クリスに頼んだら、完成したシアンが出てくるんじゃないの?」
あんまり考えたくないが、その可能性は否定できない。
俺が考え込んでいると、さらに追い打ちをかけてくる。
「料理番組みたいに、『はい、完成したシアンがこちらです』って後ろから、出してくれるんじゃない?」
そう言ってケタケタ笑った。
俺はちょっとイラついて、
「いや、人類の守護者は人類が作らないとダメだ。神様に頼っちゃダメ!」
そう反駁すると、
「もう十分頼ってるじゃん」
美奈ちゃんはそう言って、意地悪な顔して笑う。
「いや、あくまでもサポートの範囲だから……」
と、答えたものの、確かに痛いところを突かれてる。
しかし、クリスに『完成したシアン出して』って頼んで、出てくるとも思えない。やはり、自分たちでやり遂げないと、ダメなのだろう。
と、ここまで考えて気が付いた。クリスは人類の守護者くらい自分で作れるはずなのに、なぜ作らないのだろう? 最初は『AIなんて分からない』と言ってたが、今回のメモリの件にしてもAIシステムを相当理解してる節がある。絶対に作れるに違いない。
ではなぜ自分で作らないで、俺たちにやらせるのだろう?
やってはいけない規則でも、あるのだろうか?
しかし、神様を縛る規則などあまり合理性を感じない。
やはり、クリスは人類に守護者作りをやらせる事、そのものに意味があると考えている事になる。
ここに、クリスが何者かを解くカギがあるかもしれない。クリスは傍観者として、人類の発展を見守ることに徹する存在……つまり、実験者であり観察者なのだろう。クリスは人類を実験台にして、何かを観察しているのだ。しかし、何のために?
さらに言うならば、クリスにとっては人類滅亡回避よりも、俺たちにシアンを作らせる方が重要だという事になる。
そんな……バカな……
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりである。
ランチのペンネアラビアータは、味がよくわからなかった。
◇
午後は400Gbスイッチなどの、ネットワーク機器の取り付け作業から開始する。
悩んでいても仕方ないので淡々と体を動かす。
取り付けが終わると、最後にそれぞれを繋ぐネットワークケーブルの配線が待っている。
これが一番大変だった。
事前に設計図は書いてきたものの、実際には、用意してきたケーブルが長すぎたり、短すぎたりして、てんやわんやだった。
美奈ちゃんは短いケーブルを強引に引っ張っている。
「あとチョットなのよね……えいえい!」
それを見たマーティンは、
「No! No! Mina-chan!! (ダメダメ! 美奈ちゃん!)」
と、言いながら駆け寄って制止する。
LANケーブルは、引っ張ったら壊れるのだ。
「でも長いの使うと随分余るのよね……。美しくないのよ……」
と、美奈ちゃんはあまり納得がいってない様子。
由香ちゃんは段ボール箱を潰して縛ったり、梱包材をゴミ置き場に持っていったり後方支援だ。
段ボール箱だけで100箱以上ある訳だから、決して楽ではない。
それでもみんなに気を配ってくれる。
「はい、誠さんどうぞ!」
温かいお茶のペットボトルを、持ってきてくれた。
IDCの中は冷房全開なので、めちゃくちゃ寒いのだ。厚着をしていないと凍死してしまう。まるで冬山だ。
みんなで温かいお茶をカイロ代わりにして、暖を取る。
◇
みんなの頑張りで、夕方にはラック設置作業は完了。
続いて動作チェックに入る。
「Oh! line B34-G55 seems dead! (接続が死んでる!)」
マーティンが叫ぶ。
俺たちは指定のケーブルを探すが……無数に並ぶケーブルの山で、どれだか全く分からない。
総出でケーブル探しである。
「見つけたわよ!」
美奈ちゃんが得意げに声を上げる。
でも……、そこは美奈ちゃんの担当だったはず。
「これも引っ張って壊しちゃったんじゃないの?」
「濡れぎぬよ! 濡れぎぬ!」
そう言いながら、目を合わそうとしない。
ケーブルを変えたら繋がったので、やはりケーブルの問題のようだ。
「ケーブルは精密品だからね、要注意!」
俺が厳しく指摘すると、
「アイアイサー!」
美奈ちゃんは敬礼して答えたが、こっちを見ようとしない。悪い子だ……。
その後も何カ所か不具合があり、その度に総出でトラブル探ししながら直していった。
結局朝から頑張って、終わったのは深夜、皆もうへとへとである。
でも、マーティンを見ると……ラックを見てうっとりとしている。
12本に渡るラックには、LEDランプが一面キラキラと明滅し、薄暗いIDCの中でまるでイルミネーションのように光り輝いていた。
AIチップを使ったので12本で済んでいるが、計算能力自体はラック100本分に相当する。
まさに人類の英知を凝縮した、至高の12本のラック、人類の守護者にふさわしい佇まいである。
俺は鼻先を冷たくしながら、しばらくそのLEDの明滅をぼーっと眺めていた。激しくバラバラに明滅したり、ウェーブを送るように調和して光ったり、その煌めきは刻一刻と表情を変え、飽きない奥の深さを誇っていた。
なるほど、これは生命だ。すでに命が宿っている……。
ここに人類の守護者たる、AIの魂を宿すのだ!
「The future of humanity is here!(人類の未来はここにある!)」
俺がそう声を上げると、
「Yeah!」「There you go!」「Woo-hoo!」
そう言いながら、みんなはハイタッチをやりあった。
クリスの思惑が何であれ、俺たちはシンギュラリティを超えてやる。俺たちが人類を救うのだ。
見てろよ、シアン、俺たちがお前に翼を与えてやる!