シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~   作:月城 友麻

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1-3.フレンチ・フルコースの勝利

 彼女は少し茶色のセミロングパーマの髪を夏の風に揺らしながら、白いワンピースに薄い迷彩のパーカーを羽織り、微笑んでいる。

 アイドルグループに居てもおかしくない美貌に、心臓が高鳴る。

 

「も、も、もちろん、どうぞ! 美味しいよ!」

 俺は飛び上がるように席を立ち、少し震える手で彼女にプラカップを渡し、注いだ。

 

 彼女は片手をそっと添えて、丁寧に受け取る。

 品のいい娘だ。

 

 彼女はにこやかに一口、ワインを含む。

 透き通るような肌に、シャープなギリシャ鼻、そして心を捉えて離さない大きな琥珀色の瞳……もし、女神がいるとしたら、彼女のような風貌かもしれない。

 

「うわぁ~! これは凄いですねぇ!」と、眩しい笑顔で歓喜の声を上げる。

 

 今の瞬間を撮ったら、TVCMにでも使えそうなビジュアルだ。思わず見惚れてしまった。

 

 話を聞くと彼女は応京(おうけい)大学の学生だそうだ。今日はサークルのBBQでお隣に陣取っていたらしい。

 

 サークルでBBQ、実に羨ましい。

 ばぁちゃんとの約束を果たそうと、バイトに研究に必死だった俺の貧乏学生時代とは大違いだ。

 

 ワインを交わしながら歓談してると、若い男がやってきた。

 

「ダメだよ。美奈(みな)ちゃん! お隣さんに迷惑かけちゃ!」

 ボーダーのインナーに、紺のシャツを羽織った、少し甘いマスクの男が女の子に声をかける。

 

「え~、ワイン貰っただけだし」

 美奈ちゃんはムッとした表情で、面倒くさそうに答える。

 

 俺もすかさず言う。

「迷惑なんかじゃないですよ、良ければ一緒に、ワインどうですか? 美味しいですよ」

 

 男はちらっとテーブルのペットボトルを見ると、

「ペットボトルのワインなんて、美味い訳ないだろ? 僕はパパから、いつも一流のワインを飲ませてもらってるんだ。ちゃんとしたワインじゃないと、体が受け付けない」

 

 またこれか、ワイン好きというのは本当に面倒な連中だ。

 

「じゃ、このワインが美味しかったら、どうする?」

 俺がそう聞くと、

 

「はっ! パパ行きつけの、三ツ星フレンチに招待してやるぜ!」

 ふてぶてしい態度で小僧は挑発してくる。これは神様の力を、思い知らせてやらんとならん。意地でも『美味い』と、言わせてやる。

 

「よーし、みんなー! フレンチ行くぞ~!」

 俺は仲間連中に向けて叫ぶ。

 

「おぉぉぉ!」「やったー!!」「キャ―――――!」

 

 奇声が上がる。

 酔っ払いたちは、騒げるネタならなんでもいいのだ。

 

「美味かったら、だからな!」

 男が念を押してくる。

 

「まぁ、飲んでみろ」

 俺は微笑みながらカップを渡す。

 

 男は受け取ったワインの香りを嗅いで……眉間にしわが寄った。

 

「なんだ……この香りは……」

 

 そして、軽く口に含んだ

 

「んんっ……」

 

 黙ってしまった。

 

 俺はニヤッと笑うと、

「フレンチは明日の晩、10名様で予約してくれよ」と、言ってやった。

 

 男は憤慨しながら、

「いや、僕は認めないよ! こんなの全然美味くない!」

 

 俺と目を合わさないようにして、ふてぶてしく言い放った。

 

「シュウちゃん、嘘ついちゃダメよ、こんな美味しいワインに、ケチ付けるなんて最低よ!」

 美奈ちゃんは、クリっとした可愛い目を見開いて諭すが、男は引かない。

 

「美味いかどうかは主観で決まる、僕が美味くないと言えば、美味くないのだ!」

 

 そう言って、残りのワインを、その辺にパッと撒いて捨てた。 

 向こうで、クリスの表情が堅くなったのを、見てしまった。俺はこの小僧の事を少し哀れに思った。

 

 クリスが静かに歩み寄ってきて、問いかける。

「…。この聖なるワインを侮辱するのであれば、それなりの神罰が下るが良いのか? 太陽興産の、跡取り息子の修一郎(しゅういちろう)君」

 

「な、何で俺の事知ってんだ? 美奈だな! 勝手に個人情報話すなよ!」

 憤慨する修一郎に、美奈ちゃんはムッとして返す。

「私じゃないわよ!」

 

「…。美奈さんは関係ありません。私はあなたの事を良く知っています。その右ポケットに入っている物が何かも知っています」

 

 修一郎という名前らしき男の顔色が変わった。

「お、お前には関係ないだろ!」

 

 何かヤバい物を持っているらしい。おおかたマリファナとかその手の類だろう。イキがる若者はそういう物に惹かれるからな。

 それにしても、太陽興産という会社名は聞いた事がある。確か、中国との貿易で最近業績を伸ばしていた会社だ。

 

 スマホで検索すると……株価もここの所右肩上がりである。社長は田中修司(たなか しゅうじ)、きっと修一郎の親父さんだろう。

 

「太陽興産だって? 最近絶好調な所じゃないか」

 俺が声をかけると、

 

「そう! パパは凄いんだ。応京大学OB会の理事もやってるのさ」

 修一郎は自慢したくて仕方ないらしい。

 

 クリスは俺のスマホを覗き込むと……

「…。なるほど、それじゃ神罰は太陽興産に下るだろう。『太陽興産には失望させられたよ』」

 

 そう言った瞬間、太陽興産の株価の表示が真っ赤になった。

 

 俺はその表示に焦った。

 

「うわ、株価が暴落し始めたぞ!」

 

 修一郎は俺のスマホをひったくると

 

「な、なんだこりゃ!?」と、言って、顔面蒼白になった。

 

 とんでもない数の売り玉が、次々と買い板を飲み込んでいく。

 さっきまで前日比プラスだったのに、もうマイナスに落ちている。

 

 修一郎は焦ってクリスに絡む。

 

「お前! 一体何をやったんだ!?」

「…。別に何も? 単に失望しただけだが? 『太陽興産には失望させられたよ』」

 また大きな売りが追加された。

 

 株価の下げは、留まるところを知らない。

 修一郎は、食い入るようにスマホを見つめるが、売りは増えるばかりで、株価はどんどん落ち続ける。

 もうすでに、50億円近く時価総額は落ちている。

 修一郎が下らない嘘をついただけで、50億円が飛んだのだ。

 

 そもそも株価はマーケット参加者の気分で決まる。これから値上がりすると思えば、買いが増えて値が上がり、値下がりすると思えば、売りが増えて値が下がる。

 クリスがどうやってるのかは分からないが、マーケット参加者の気分を弱気にしたのだろう。皆が値下がりすると思えば株価は下がる一方なのだ。

 みるみるうちに、株価はどんどん下げていく。

 

 修一郎は真っ青となり、クリスに食って掛かる。

「ワインが美味いかどうかで、なんで株価暴落するんだよ!」

「…。美味いかどうかじゃない、侮辱をするかどうかを、神は見ているのではないかな?」

「俺にとって美味いかどうかは俺が決める! 俺が美味くないと言ったら、美味くないでいいじゃないか!」

 

 その瞬間、また多量の売りが出て、さらに株価の暴落が加速していく。愚かな事だ。

 

 クリスは軽く首を振りながら、憐みの表情で修一郎を見つめている。

 

「パ、パパに電話しなくちゃ……」

 震える手でスマホを操作した。

 

「パパ、僕だよ、修ちゃん。え……? やっぱり暴落は本当なの? まずいの? あれ? パパー? パパー?」

 

 切られてしまったらしい。

 株価はさらに落ち続け、もう時価総額は100億円くらい消えてしまった。

 

 修一郎はしばらく呆然としていた。

 理屈は分からないが、とんでもなくダメな事をしてしまったのを、本能的に理解したようだ。

 

 修一郎は意を決して、クリスに向き直ると、

「僕が悪かった……。何でもする。だからパパを助けて……」

 

 そう言って頭を下げた。もはや涙声である。

 イキがって、調子に乗った奴の末路は悲惨である。ちょっと胸がスッとする。

 

「…。ワインはどうだったかね?」

 クリスは淡々と聞く。

 

「美味しかった! 美味しかった! 最高でした!」

 修一郎はクリスの手を握って必死にアピールする。

 

「…。無理して言わなくていいんだよ」

 クリスはゆっくり諭すように言う。

 

「大丈夫っす! カベルネソーヴィニヨンですよね? メッチャ美味いっす!」

 

 クリスはがっくりとして目を瞑り、首を振った。

「……。ピノノワールだよ……」

「あ、あれ……?」

 ばつが悪そうな修一郎。

 

 カベルネソーヴィニヨンは渋い葡萄(ぶどう)の品種で、ピノノワールはその逆でフルーティ。普通間違えないのだが……。これからいろいろ飲み比べて覚えていってもらうしかない。

 

 俺は修一郎の肩をポンポンと叩いて言った。

「フレンチ10名様、予約入れろよ!」

 すると修一郎は

「入れる! 入れる! 今すぐ入れる!」と、必死に言った。

 

 クリスは気を取り直し、修一郎の目をじっと見つめ、小声でつぶやいた。

「…。『太陽興産は言うほど悪くなかったな』」

 

 すると、あれ程多量にあった売りがパッと消えた。

 

 その後、徐々に買いが入り始めた。買いが出てくると動きは速く、株価は急速に元に戻って行った。

 それを見ると、修一郎は大きく息を吐き、力なくよろよろと椅子に沈んだ。

 真夏の日差しの中、修一郎の流した冷や汗が、お洒落な北欧の腕時計にポタリと落ちる。 

 

 決してクリスを敵に回してはならない、俺はそう強く心に誓った。

 

 それにしてもクリスの力は恐ろしい。株価を操れるという事は、無限にお金儲けができるという事。何億でも何十億でも好きなだけ儲けられるという事。とんでもない力だ。

 

 やり取りを見ていた美奈ちゃんが、するするっとクリスに近づいて眩しい笑顔で話しかける。

 

「すごぉい! 一体どうやったんですかぁ?」

 

 実にストレートな突っ込みである。

 

「…。私は何もやっていない。不誠実な者に天罰が落ちるのは、当たり前でしょう」

「ふぅん……。クリスさんは天罰を呼べるんですねっ」

「…。全て神の思し召しです」

 そう言って、クリスは祈る仕草をした。

 

 修一郎はレストランに電話しているようだ。

 

「予約取ったから、明日7時に銀座のここに行ってくれ」

 そう言って、ぶっきらぼうにスマホの画面を俺に突き出した。

 

「お、こないだ三ツ星になった店じゃないか! 本当にいいの?」

 俺がちょっと気後れして聞くと、

 

「男に二言はない! 今回の事は僕が悪かった。楽しんできてくれ! その代わり……、このワインを何本かもらいたいんだけど……」

 修一郎はそう言って手を合わせ、お願いしてくる。

 

 確かにこれは神の飲み物、お金で買えるような代物(しろもの)じゃない。良く分かってるではないか。

 俺はニヤッと笑うと、クリスに聞いた。

 

「クリス、ワイン欲しいんだって、いいかな?」

「…。いいでしょう、ピノノワールの心地よい酸味と果実味をしっかり勉強してください」

 そう言ってニッコリと笑った。

 

 

              ◇

 

 

 しばらく歓談していると、教授が声をかけてくる。

 

「誠君、ちょっと……」

 

 俺はテント裏に連れてこられた。

 

「ワイン美味かったでしょ?」

 俺がワイン片手に、上機嫌で自慢すると……

 

「美味すぎる、これはオカシイよ……」

 そう言って深刻そうな声を出す。

 

「こんなワイン、人の作れるものじゃないし、あんな株価操縦なんてできるはずがない。人間技じゃないよ!」

 確かにクリスは人間じゃない。それは良く知っている。

 

「うーん、だから神様なのかと思ってるんだけど……」

 

 教授は呆れた顔をして言う、

「誠君、君はエンジニアだろ? そんな非科学的な事言っちゃダメだよ!」

 

 教授はただのあだ名ではなく、大学で素粒子物理学を教えている本物の教授だ。非科学的な事なんて絶対に認めない。俺は工学系なので、理屈よりも結果が出る事を重要視する。だから、奇跡をどう使うかしか考えないが、理学系の教授には理屈の方が気になるらしい。

 

「じゃ、教授はクリスを何だと思ってるの?」

「可能性は三つ……」

 

「1.ナノテクノロジーを駆使できる、高度な科学文明を持った知的生命体」

「2.幻術を使う催眠術師」

「3.シミュレーション仮説上の管理者(アドミニストレーター)

 

「これしか考えられない」

 

「シミュレーション仮説って何?」

 俺が聞くと、

「この世界が仮想現実だって言う話。つまり、ここはVRゲームのフィールドだって事だよ」

 そう言って教授は眉をひそめた。

 

「え? これが仮想現実空間!? ま、まさか……いや……しかし……」

 とんでもない荒唐無稽な事を言われて驚いたが、技術的には不可能な話ではない。ただ、やる意味も価値もないから誰もやらないと思うのだが……。

 

「さすがに、それは無いとは思ってるよ。地球をシミュレートしようと思ったら、地球よりずっと大きなコンピューターと、天文学的な莫大なエネルギーが必要なんだから。そんなバカげたこと、何のメリットもない。だとすると、ナノテクか催眠術師か……」

 

「催眠術師だったら……俺達、化かされてるって事? このワインも水?」

 

 俺達はジッとワインを見つめた……

 

 しかし、どう見てもワインにしか見えない。

 

 そして再度慎重に味わってみた……

 

「美味い……よなぁ……」

 

「分かった! うちの大学の同僚に頼んで、成分分析をしてもらう。これでナノテクか催眠術か、白黒つくだろう」

「お願いします。結果わかったら教えてください」

 

 そう言って、俺達は秘密裏に、クリスの正体を探ってみる事にした。

 

 とはいえ、クリスが『ナノテク・マスター』か『スーパー催眠術師』だったとしても、俺からしたら十分に神様だし、人類の危機を救わねばならない事も変わりない。人類を救うAIはどっちにしろ必要なのだ。

 


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