シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~   作:月城 友麻

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4-9.女難の相

 シアンはもうAIの制御下なので、放っておくとピクリとも動かない。呼吸や心臓の鼓動くらいまではやってくれるが、自分の意志で動かす動作は、全て止まってしまっている。

 しばらくミルク飲みも無理なので、栄養は点滴で摂ってもらうしかない。

 

 次の工程は、感覚神経と運動神経のマッピングである。赤ちゃんのすべての神経線維をAI側に確実に接続していくのだ。これはマウスの時に経験済みではあるが、規模が圧倒的に違うので、手間と難度は格段に高い。エンジニアチームには申し訳ないが頑張ってもらうしかない。

 

 試行錯誤に憔悴していくエンジニアチームを、美味しい物で支えたり、シアンの健康をチェックし、体を拭いてやったりしながら一週間、ようやく接続に目途がついた。

 

 これでシアンは、品川のIDCにある膨大なコンピューター群を頭脳に持った、人類史上初のAI生命体となったのだった。

 

 

         ◇

 

 

 いよいよ本格的な学習フェーズに入る。まずは、AIの好奇心回路から発生する欲求を、手足の筋肉の運動に繋げ、その結果を感覚で、フィードバックを得てもらうようにした。

 シアンは最初は、手足がピクピクするだけであったが、そのうち、手を上げ下げするようになった。

 しばらくして、上からアンパン〇ンのおもちゃを垂らすと、手を伸ばすようになってきた。最初は、ぎこちなく触るだけだったのが、そのうち段々と動きが速くなってきて、最後にはパンパンと叩き始めた。

 

 さらに、声をかけると「あー」とか「うー」とか返事をする。

 

 学習のためには多様な刺激を与えた方がいい、という事で、子守はメンバーが変わりばんこで対応している。

 

 俺はシアンの目の前で、アンパン〇ンのぬいぐるみを動かしてみる。

 目がぬいぐるみを追いかける。

 

 近づけたり遠ざけたり、右に左に動かすと…… ちゃんとついてくる。

 

 では、これはどうかな?

 

 右手から左手に、素早くぬいぐるみを投げる…… ついてくる。

 

 うーん、すごい。

 

 今度は、メロンパ〇ナちゃんのぬいぐるみも出してきて、2つを同時に動かしてみる。

 

 二つを目の前においてアンパン〇ンは右に、メロンパ〇ナちゃんは左にそーっと動かしてみる。

 すると目が、左右に別々に開いて行ってしまった。

 アンパン〇ンだけ動かすと左目だけ動いてる。

 

 左右の目が別々に動くというのは、初めて見たが、極めて気持ち悪い。

 

 さすがにこれはマズいので、マーカスを呼ぶ。

 マーカスは見るなり、

「ウヒャー! コレハ ダメ デース!」

 と、天を仰いだ。

 

 AI的には、それぞれの物を追いかけるのは正しいのであるが、人間の守護者になるなら、人間の目の動きをトレースしてもらわないと、人体実験の意味がない。

 

「I'll fix it! (直すよ!)」

 

 そう言ってオフィスに降りて行った。

 

 しばらくして、直したというので、もう一度やってみると、今度は両目がちゃんと同期している。

 メロンパ〇ナちゃんは無視し、アンパン〇ンだけ追いかけ続けるようになった。

 メロンパ〇ナちゃんより、アンパン〇ンの方がお気に入りらしい。

 

 シアンと遊んでいると、美奈ちゃんがやってきた。

 

「はーい、誠さん、交代よ!」

 ニッコリと可愛い表情に癒される。

 

「あー良かった。結構疲れるんだよね、子守」

 

 そう言って出て行こうとすると、美奈ちゃんに後ろ襟をガシッと掴まれた。

 

 おえっ!

 首が締まって吐きそうになる。

 

「ちょっと待ちなさい! これを見て!」

 美奈ちゃんはそう言いながら、シアンのオムツを開いた。

 

 黄土色のねばねばが、異臭を放っている。

 うんちだ。

 

「乙女に、こんな物を処理させようとしたわね!」

 澄んだ瞳に怒りの色が宿る。

 

「え? ちょっとまって、気づかなかっただけだよ!」

「うんちに気づかないなんて、ちゃんと子守やってたの!?」

 鋭い正論に言い返す言葉が無い。

 

「……ごめんなさい」

 

 俺はお尻ふきを持ってきて、シアンのお尻を丁寧に拭く。

 アソコの所にも、うんちがついてしまっているので、丁寧に拭く。

 

「あら、誠さん上手いじゃない」

 美奈ちゃんがニヤニヤしながら褒めてくる。

 

「それもセクハラだぞ」

 

 うんちがアソコの所に残ると、感染症になるので、綺麗に拭かないといけない。

 俺は鼻を突く臭いに顔をしかめながら、丁寧に拭く。

 

 あらかた拭き終わったら、新しい紙オムツをお尻の下に敷いて、後はテープを留めるだけ。

 

「はい、さっぱりしまちたね~!」

 

 俺はうんちの紙オムツを丸めながら、シアンに話しかける。

 

「あー」

 

 シアンは半ば機械的に返事を返す。

 

「女の子の扱い方上手じゃない! 慣れてるの?」

 美奈ちゃんはニヤニヤしながら言う。

 

「残念ながら慣れてないんでちゅよ~」

 そう言いながら、シアンの足を優しく動かしてみる。

 

「うー」

 オムツは上手くフィットしているようだ。

 

 改めて、マシュマロより柔らかな赤ちゃんの感触に、感動するとともに、こんな繊細な生き物を、ちゃんと育てて行けるのか不安がよぎる。

 

「こんな赤ちゃんが、人類を背負う守護者になるとか、まだ想像できないよなぁ……」

「何よ、急に弱気になって」

「弱気って訳じゃない、ただピンと来ないってだけ」

「えー」

 シアンが何かを言っている。

 

「ほらシアン、何かすごい所見せてやって!」

 シアンに無茶振りする美奈ちゃん。

 

「えー」

 

「まだ無理だよなぁ?シアン」

「ぶー」

 

「……この子、言葉分かるの?」

 美奈ちゃんが怪訝そうにジッとシアンを見つめる。

「あー」

 

「いや、まだ音声認識回路は、出来上がってないと思うんだが……」

「ぶー」

 

「ねぇ、シアン、私って綺麗?」

「あー」

 

「ほら、分かってるわよ」

 美奈ちゃんは嬉しそうに言う。

 

「いや、その確認方法はおかしい」

 俺は腕組みをして、首を横に振って言った。

 

「えぇ……、じゃぁ……私がママよ~!」

「ぶー」

 

「ママは由香ちゃんだよな?」

「あー」

 

「むむ、認識してるっぽいな」

 

 美奈ちゃんは、ブスっと膨れた顔で言う。

「なによ、シアン、面倒見てやんないぞ!」

「ぶー」

 

「そんな大人げない事言っちゃダメだよ」

「あー」

 

「誠は先輩ばっかり贔屓(ひいき)して、私には冷たいの! 酷いと思わない?」

 美奈ちゃんは俺をにらみながら、シアンに言う。

「あー」

 

「あぁ、シアン、あなたは分かってくれるのね!」

 嬉しそうに、小さな可愛い手を取る美奈ちゃん。

「あー」

 

「いやいや、贔屓なんてしてないって!」

「ぶー」

 

「ほらほら、シアンはちゃんと分かってるんだから。こないだだって先輩のことハグしてたじゃない」

 睨みつけてくる美奈ちゃん。

 

「いやいや、あれはすごいショックを受けてたから……」

「私がショックを受けてる時は放置なのに~」

「ぶー」

 

「んんん? ショックを受けてる時なんてあった……?」

「ほら、私の事なんて全然見てないのよ!」

「ぶー」

 

「悪かった、悪かった」

 

 俺はすかさずハグしようとすると、

 

「今やれ、なんて言ってないわよ!」

 そう言って俺の手をピシッと叩く。

 

 一体どうしろというのか。俺はシアンに聞いてみる

 

「シアン、この女心分かる?」

「あー」

 

「ほら、赤ちゃんにでも分かる事なのにねぇ」

「あー」

 

『なんだよ、お前達!』

 こんな理不尽な話聞いたことがない。

 

「じゃぁ! 俺がショック受けてる時は、ハグしてくれるの!?」

 

 俺がそう憤慨すると、美奈ちゃんはすっと俺に近寄り、ハグしてきた。

 

「なに? こうやって欲しいの?」

 俺はふわっとブルガリアンローズの香りに包まれ、動けなくなった。

 

「い、いや、別に今やらなくてもいいよ……」

「今やらなくていつやるの?」

 そう言いながら、ギュッときつくハグをしてくる。

 

 いや、これは本格的に……マズい。

 柔らかく温かい美奈ちゃんの胸が押し付けられ、俺は理性が飛びそうである。

 

「……。お、俺がショック受けた時にお願い」

「なに? 嫌なの?」

 あたふたする俺を見上げ、楽しむかのように笑顔を見せる美奈ちゃん。

 

「い、嫌なんかじゃないよ……」

「なら……いいじゃない……」

 そう言ってまた、きつく抱きしめてくる。

 女性の身体ってこんなにも柔らかかっただろうか? 俺の心臓がかつてなく早打ちし、目の前が真っ白になった。

 

 Clank(ガチャ)

 

 いきなりドアが開いた。由香ちゃんだ。

 

「シアンちゃん、新しいオムツ、よ……」

 

 抱き合う俺達を見て固まる由香ちゃん。

 持ってた紙オムツのパックが床に転がる。

 

「あ、由香ちゃん、こ、これは……」

 

 Bang(バタン)

 

 由香ちゃんは走って出て行ってしまった。

 

「あーあ」

 俺をハグしたまま、嬉しそうに言う美奈ちゃん。

 

「ちょっと! 誤解を解かなきゃ!」

「何? 逃げるの?」

 上目遣いでニヤッと笑う美奈ちゃん

 

「社内で抱き合ってるなんてマズいよ!」

「自分は先輩とハグしてたのに?」

「いや、あれとこれとは……」

「何が違うの?」

「え? な、何がって……?」

「なぁに?」

 勝ち誇ったように、嬉しそうに言う美奈ちゃん。

 

「そ、それは……」

「冗談よ!」

 

 そう言って美奈ちゃんは、俺を軽く突き飛ばし、

「早く行きなさい、私はシアンの子守だから」

 そう言って、つまらなそうな顔をしてベビーベッド脇の椅子に座った。

 

 いきなりハグされ、そして突き飛ばされる。一体彼女は何を考えているのだろうか?

 俺は翻弄されて頭が回らない。

 ただ、美奈ちゃんなりに不満がたまっていた、というのだけは良く分かった。

 

「……。悪かった……よ。気配りが足りてなかった」

「バカじゃないの! 早く出てって!」

 美奈ちゃんはそう言って、紙おむつを俺に向かって投げた。

 

 俺は転がる紙おむつを拾い、棚に置いて、

「ごめん……、後はよろしく」

 と、力なく言って部屋を出た。

 

 怒られてしまった……。

 トボトボと階段を下りる俺。

 

 オフィスフロアで、由香ちゃんはPCに向かって仕事をしている。

 

 俺は一瞬ためらい、しかし意を決して言葉をかけてみる。

 

「あー、由香ちゃん、さっきのは美奈ちゃんがふざけてただけだから……」

 

 由香ちゃんは、PCの画面を見ながら淡々と言う。

 

「なんでそんな言い訳じみたこと、私に言うんですか?」

 

「あー、いや、俺と美奈ちゃんが、特別な関係だと思われちゃうとちょっと……」

「別に、誰が何してたって自由じゃないんですか?」

 

 由香ちゃんはPCを見たまま、棘のある声で答え、さらに追い打ちをかけてくる。

 

「それより早く領収書清算してください! いつも遅くて困ってるんです!」

「あ……ごめん」

 

 俺はトボトボと自分の席に戻る。

 

『女難の相だ……』

 一体どこで間違ってしまったのだろうか? 俺は頭を抱える。

 

 だが、何度思い返してみても、俺に非があるとは思えない。なぜ俺は怒られ続けているのだろうか?

 

『理不尽だ……AIならこんな事態にならないのに……』

 そう憤慨したが……、何かを見落としているような違和感が俺を貫く。

 

『なんだ……?』

 

 俺は大きく息を吐き、丁寧に違和感の正体を追った……。

 そして、ようやくその正体にたどり着く。

 

『逆だ……』

 理不尽だから人間なのだ。全部合理的なら従来のコンピューターでいいのだ。

 俺はここで初めて『人間とは何か』に一歩近づいた。

 

 俺は思わず天を仰ぎ、そしてつぶやいた。

 

「そうだよ……、人間は理不尽の中に宿るのだ」

 

 美奈ちゃんも由香ちゃんも人間なのだ。だから理不尽に輝くのだ。俺は胸のつかえがとれたようにニヤッと笑った。

 しかし……、喜びもつかの間、今後を考えて途方に暮れる。

 

「何も解決してないじゃないか……」

 

 俺は頭を抱え、深くため息をついた。

 

 


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