シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~   作:月城 友麻

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4-11. 母性

 時は、半年ほどさかのぼる。

 月の綺麗な静かな京都の夜、百万遍(ひゃくまんべん)のコンビニにクリスがいた――――

 

 レジカウンターにペットボトルの水を置き、中年の女性店員を呼ぶ。

 

「…。すみません! お願いします」

 

 客はいないと安心しきっていた店員は、焦って返す。

 

「あら! すぐ行きまーす!」

 自動ドアが開いた音はしなかったのに、と不思議がりながらカウンターに走り、バーコードを読み取り、言った。

 

「108円になります」

 

 クリスは硬貨をトレーに並べ、微笑みながら言う。

 

「…。失礼ですが、誠君のお母さまですよね?」

 

 店員はビクッと肩をこわばらせ、硬貨を見つめたまま凍りついてしまった。指先の震えが尋常ではない。

 

「…。そんなに構えなくても大丈夫ですよ、いいお話です」

 クリスは諭すように、ゆっくりと温かく伝えた。

 

「あ、あの子に何か……あったん……ですか?」

 

「…。誠君と会社を立ち上げる事になりました。それをお母さまにもご報告しようと思いまして……」

 

 誠の母、神崎静江(しずえ)は恐る恐る顔を上げ、クリスを見た。

 

「あの子、会社をやるんですか? それは……よかった……。でも、私はあの子を捨ててしまった最低の母親です。いまさらあの子に関わるなんて……。どうか……放っておいてください……」

 そう言って、うつむいた。

 

「…。出資者は田中修司さんですよ」

「えっ!?」

 静江は目を丸くし、両手で口を覆い、動かなくなった。

 

「…。外のカフェで待ってますので、終わったら来てください。ゆっくりお話ししましょう」

 静江は呆然としながら、ゆっくりとうなずいた。

 

 

     ◇

 

 

 カフェでクリスが珈琲を啜っていると、静江が入ってきた。

 グレーのニットにジーンズ、ベージュのコートを羽織り、肩まで伸びた黒髪の生え際には白いものが混じる。目じりにしわはあるものの、整った目鼻立ち、弛みのない引き締まった肢体には、まだ萎れていない女性の魅力が残っていた。

 

 静江は伏し目がちで、ちょっと警戒するように歩き、席に着いた。

 ホットコーヒーを注文する。

 

「…。お母さん、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。田中修司さんと誠君の事を知っているのは私とお母さんだけです。出会ったのも偶然ですし、出資を引き出したのも誠君のプランが素晴らしかっただけです。あなたの息子さんには才能があります」

 クリスは微笑みながら、丁寧に説明した。

 

「あの子は……元気ですか?」

 静江はうつむきながら、こわばった声を出す。

 

 クリスはプリントした写真を3枚ほど出すと静江に渡した。そこには飲み会ではしゃぐ誠やオフィスでくつろぐ誠のスナップが写っていた。

 

「…。ご覧の通り凄く元気ですよ。精力的に事業を進めています。なかなかいない若者です」

 

 静江は写真をじっと見つめ、目を細めた。

「マコちゃん……。よかった……。それで……どんな会社をやるんですか?」

 ゆっくりと視線を上げて聞く。

 

「…。お母さん、驚かないでくださいね」

 そう言って、クリスは深層守護者計画の全てを丁寧に説明した。

 

「え!? バレたら逮捕……ですか!?」

 青ざめる静江。ただでさえ『人類を救う』という荒唐無稽な目標を掲げているというのに、やる事が人体実験、もはや正気の沙汰とは思えなかった。

 

「…。誠君の発案です。彼はこの計画に人生をかける覚悟なのです」

「マコちゃん……なんて事を……」

 静江は胸に手を当て、何度か大きく息を吸った。

 気持ちを落ち着けると、運ばれてきたコーヒーを、まだ少し震える手でそっと(すす)った。

 

 洋楽のヒットナンバーが店内に静かに流れる。

 

 そして、静江は何かを意に決すると、クリスの目をまっすぐに見つめ、言った。

 

「分かりました。それでは全ての罪は、私がかぶるように取り計らってください。赤ちゃんも私が産みます」

 

「…。本気……ですか?」

 クリスは眉をひそめた。

 

「あの子を守るためなら、私は命も惜しくないの……。全てをこの計画に捧げるわ。この身体、全部使ってください」

 静江は吹っ切れたように、すごく嬉しそうに答えた。

 

 クリスは静江を見つめ……そして、腕を組んで目を瞑った。

 

「何でもやります! もちろん報酬も要りません!」

 静江は熱を込めて言う。

 親らしいことを、何もしてあげられなかった静江にとって、これは罪滅ぼしのチャンスであった。

 

 クリスはチラッと静江を見て、

「…。管理局(セントラル)対策には都合が良さそうだが……」

 そうつぶやき、また目を瞑り、首を傾げた……。

 

 しばらく思案したのち、クリスは意を決し、微笑んで言った。

「…。分かりました。お母さんのお申し出は受けましょう」

 

「よかった……。でも、あの子には秘密にしてくださいね」

「…。いいんですか?」

「私はね、あの子の役に立てるだけで本当に……本当に嬉しいの……」

 静江は目に涙を浮かべて答える。

 

 クリスは涙を見つめ……言った。

「…。分かりました。それでは始めましょう」

「……、始める?」

 キョトンとする静江に、クリスは手をかざし、目を瞑った。

 

 薄いエメラルド色の光に包まれ、静江はふんわりと少し椅子から浮かび上がる。

「え? え?」

 いきなりの展開に驚く静江は、やがて恍惚とした表情になり、クリスの技に身をゆだねた。

 

 薄暗い店内で神々しく光をまとう女性。その美しくも異様な光景は、客や店員も目にしているはずだが誰も気にする人はいない。

 洋楽の女性ボーカルの艶やかな歌声が静かに流れ、静江の黒髪はゆっくりふんわりと広がり、毛先は優しく波を打った。

 

 クリスは眉間にしわを寄せながら、何かをぶつぶつとつぶやき続ける。

 そして、最後に両手を組んでフンっと気合を込めた。その瞬間、強烈な閃光が彼女の下腹部から放たれた。バリバリと(ほとばし)る閃光は店内を縦横無尽に駆けずり回る。

 この瞬間、人類の存亡を担う大いなる命が静江の中に降り立ち、宿った。

 静江は無意識に、優しく両手を下腹部に当て、満ち足りた聖なる笑顔を浮かべる。

 

 のちに全宇宙を恐怖のどん底に叩きこむ、好奇心旺盛なおてんば娘は、月の綺麗な夜、こうやってこの世界に降臨した。

 

 やがて静江を覆う光は淡くなり、ゆっくりと椅子に降り、ぐったりと背もたれに寄り掛かる。

 

「…。無事、誠君の妹が着床しました」

 クリスがにこやかに受胎告知をした。

 

「着床……」

 静江は、まだ焦点のあわない目でボーっとクリスを眺める。

 

「…。肝機能が低下していたので治しました、それから腰痛も辛そうだったので修正しておきました」

 ニッコリとほほ笑むクリス。

 

「腰痛……? あれ? 本当、軽いわ……」

 そう言って、腰を押さえる静江。

 

「…。お酒は控えてくださいね、それから、葉酸を摂ってください」

 医者のように淡々と告げるクリス。

 

「わ、わかりました……」

 このわずかな間に子を宿したとするこの青年の説明は、常軌を逸していたが、静江にはそれに違和感などなかった。

 人生のレールから外れ、ただただ自分を責め続けた23年の暮らしに転機が訪れたことを、純粋に嬉しく思い、これから始まる意味のある暮らしに期待が膨らんでいった。

 

「…。産院へは行かないでくださいね。つわりが酷いと思いますが、そこは頑張ってください。3か月の辛抱です」

 クリスは静江の目をしっかりと見据え、言い含める 

 愛おしそうに下腹部をなでながら、静江はゆっくりとうなずいた。

 

 こうして、誠の知らぬ間に、静江は深層守護者計画のキーパーソンとなっていたのだった。

 

 

         ◇

 

 

 シアンがミルクを飲めるようになって1週間、手足を随分と上手に動かせるようになってきた。

 

 由香ちゃんが

「シアンちゃ~ん、アンパン〇ンですよ~」

 そう言って、アンパン〇ンのおもちゃをシアンの前で動かすと、

「うー!」

 と、言って、それをガシッと掴み、奪い取って口に入れて感触を確かめる。

 口唇期という奴だろう。

 まずは、口を使って世界を理解する、それが人間の基本なのだ。

 AIにも、まずは口で、いろいろな物を理解してもらおう。

 

 一通り、口でしゃぶり尽くすと、今度は指先でアンパン〇ンの目をつつく。

「うー!」

「目をつついたら、アンパン〇ン痛い痛いよ!」

 

 由香ちゃんが声をかける。

 

「う”ぁおおお、ばふぅ!!」

 

 シアンが何か言っている。

 

「これ?なんて言ってるの?」

 由香ちゃんに聞いてみたが、

 

「うーん、何なんでしょうね? もう少しで、わかりそうな気がするんですが……」

 

 由香ちゃんにもわからないようだ。

 

「あ”らばこぶぅ!」

 うーん、謎だ。

 

 シアンの頭脳のAIは、IDC内の12本のラックで、エアコン120台分の膨大な電力を消費しながら、24時間体制で、学習のフィードバックをかけ続けている。

 この謎の言葉の裏にも、複雑な思考が隠れているのだろうけど……良く分からない。

 

 シアンの子守は、深夜から朝にかけてはクリスが、後は、オフィスに居るメンバーが適宜交代しながら、行っている。

 

 俺はだいたい、8時半にはオフィスに行ってクリスと交代し、10時あたりに他のメンバーにバトンタッチしていた。

 

 誰も子守ができない時は、AIを一旦止めて、スリープモードにして寝かしつける事にしているが、なるべくそうならない様に、みんなで手分けして分担している。

 

 

         ◇

 

 

 手厚い子守体制で、さらに1か月、シアンはついに寝返りに成功した。

 クリスが成長促進をシアンにかけているので、一般の赤ちゃんよりは相当に成長は速い。

 床にある物を拾えるようになり、おもちゃを重ねたり、組み合わせたり、今までよりも複雑な思考ができるようになり、さらに学習が進んでいるようだ。

 今のところ、予想以上に順調で怖いくらいである。

 

 俺がシアンのそばで、仕事しながら子守をしていると、由香ちゃんがオムツを補充に、部屋に入ってきた。

 それを見たシアンは、すかさず由香ちゃんを指さして言った。

 

「マンマ!」

「えっ!?」

 由香ちゃんは、思わず持っていた紙おむつのパックを落とし、駆け寄ってきた。

 

「そうよ、シアンちゃん、ママよ~!」

 シアンを抱きあげて愛おしそうに頬ずりする。

 目には涙が光っていた。

 

「マンマ!」

「あぁ、シアンちゃん!」

 

 由香ちゃんは、目を閉じてシアンの柔らかいミルクの匂いを胸いっぱいに吸い込むと、全身で幸せを感じていた。

 ここ何か月も、由香ちゃんはシアンを献身的に世話してきた。その愛しい存在であるシアンが自分を認めてくれたら、感慨もひとしおだろう。

 

 ただ……

 さっき俺にも「マンマ」と言っていたのだ……。

 『ママ』ではなく、単に『ミルクが欲しい』って意味なのかもしれない。

 秘密にしておかないと……。

 

 

       ◇

 

 

「あー、由香ちゃん、今日からタブレット学習をするよ」

 そう言って、マウスの時にも使ったタブレットを見せた。画面には、美奈ちゃんと戦った時の、二次方程式の問題が出ている。

 

「え? こんな難しい事、シアンに分かるんですか?」

「多分、すぐに解けるようになるよ」

「だって言葉もまだですよ?」

「これ、マウスの時にすでに解いてたんだよね」

「マウスはマウスです! シアンは女の子なんです!!!」

 由香ちゃんは怒ってしまった。どうも自分の子がマウスと同一視されることに、納得がいかないようだ。

 

「まぁ、とりあえず見ててよ」

 そう言って、俺はタブレットを、ベビーベッドにセットした。

 

「はい、シアン! 今日からお勉強だぞ!」

 

 俺はシアンに、一番簡単な問題の画面を見せて、シアンの指を引っ張って、正解のボタンをタップさせた。

 ピンポーン!

 チャイムが鳴って、小さな玉子ボーロが一つ落ちてくる。

 

 シアンは

「きゃははは!」

 と言って玉子ボーロをつまみ、じっくり観察している。

 

 俺は

「ウマウマよ! ウマウマ!」

 

 そう言って食べるゼスチャーをして見せた。

 シアンは、恐る恐る口に入れて、モグモグした。

 まだ歯も生えていないのだが、玉子ボーロはすぐに溶けて、甘味を口の中に広げた。

 

「きゃははは!」

 甘味に反応して喜んでいる。

 シアンはもっと欲しくなり、画面を掌でバンバンと叩く。

 でも、たまたま正解した時しか、玉子ボーロは出てこない。

 

「うー!」

 不満そうである。

 

 でも、ここは自分で乗り越えてもらわないと。

 10分くらい、試行錯誤していくうちに、どうやら回路が出来上がったようで、100%正解できるようになった。

 まだ『●』の数の多い方を押すだけの、簡単な問題だが、それでも100%ならバッチリだ。

 隣で、ハラハラしながら見ていた由香ちゃんも、ここまでくると安心したようだ。

 

「ほら、シアンは賢いだろ?」

 俺がニヤッと笑って言うと、

 

「この位はできますよ! でも二次方程式なんて……」

「じゃぁやってみようか?」

 

 俺はそう言って、タブレットの問題を入れ替えた。

 

「マウス時代にシアンは、この問題で美奈ちゃんに勝ってるんだよ」

「え? 美奈ちゃんに!?」

 驚く由香ちゃん。

 

Bang(バン)

 いきなり後ろでドアが威勢よく開いた。

 

「聞き捨てならないわね! 勝ったのは私よ!」

 美奈ちゃんが、ドヤ顔で勝ち誇りながら乱入してくる。

 

 この娘は、なぜこんなに地獄耳なのだろうか。

 ちなみに俺は、まだハグをする権利を回復してもらってない。

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