シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~   作:月城 友麻

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5-4.人類である証明

 頭を抱えていたら、クリスが近づいてきて言った。

「…。誠よ、マズい事になった。この障害はシアンによるものだ」

「え!?」

 俺は思わず大声を出してしまう。

 

「…。シアンが占有していたサーバーから、膨大なハッキング攻撃パケットが湧き出ていて、次々と手当たり次第にサーバーをハッキングしている」

 

「シアンが暴走してるって事?」

「…。どうもそうらしい。このペースでハッキングされると、そのうちネットはシアンに占拠され、全てのネットリソースが奪われてしまう」

「え!? 俺たち人間はネットを自由に使えなくなるって事?」

 

「…。そうだ、今やネットは社会のインフラ、そこが占拠されてしまったら、電気も水道も店も病院も全部止まってしまう。このままだと多くの人が死ぬ」

「さ、最悪だ……」

 

 思いもよらない展開に俺は目の前が真っ暗になった。クーデターならまだ希望があるが、ネットの侵略は害でしかない。俺たちの作ったAIが社会を壊し、多くの人を殺そうとしている。

 

「何か……打つ手はあるのかな?」

「…。シアンが制圧済みの数百万台のサーバーが数億台のサーバーをハッキングしている状態だから、規模が大きすぎてどうしようもない……」

「止めさせるには、全てのサーバーを一旦ネットから切り離し、再インストールするしかない?」

「…。いや、サーバーは無数にある。一斉に全部リセットは現実的には無理。一つでもリセットしそこなったら、そこからまた増殖してしまう。コロナウイルスと同じだ。例え一旦減っても、また第2波が来る」

 

「シアンめ! 何やってんだよぉ……」

 俺は思わず天を仰いだ。

 

 人類を守る守護者を作っていたら、人類の敵になってしまった。間抜けにもチープなSFのテンプレに、ハマってしまったという訳だ。

 元々、AIは赤ちゃんの身体に繋げておくから大丈夫、という設計だから、赤ちゃんが痙攣(ひきつけ)起こして倒れた時点でアウトなのだ。AIが暴走したのは、ある意味必然だろう。俺の不注意が死ぬほど悔やまれる。

 

 一体これまでの努力は何だったのか……?

 神様と100億円と天才集めて、創り上げたのは人類の敵だった。笑えない(たち)の悪いジョークに眩暈(めまい)がして、思わずテーブルに手をつき、うなだれた。

 

 どうしたらいいのか全く分からない。ウイルスのように広がるシアンを止める方法など、全く思いつかない。

 しかし、これは一刻を争う事態だ。この瞬間にも事態は悪化し続けている。できる事を探さないと……

 

 俺は急いで、エンジニアチームの所へ行き、状況を説明した。

 

「Ugh!」「Yuck!」「Gah!!」

 マーカスたちは一斉に絶望の声を上げ、そして、黙りこくってしまった。彼らもうすうす感づいていたのだろう、反論もなかった。

 オフィスを嫌な沈黙が覆う。

 

 すると急に、照明が暗くなったり明るくなったりを繰り返し始めた。これはマズい……電圧変動だ……。

直後オフィスが闇に覆われる。

俺はシアンの暴走が、早くも社会を壊し始めた事に血の気が引いた。

 

 Beep(ピー)! Beep《ピー》!

 

 けたたましい警報音が鳴り、無停電電源装置が起動する。オフィスのPCはこの装置で電力供給は維持されるが、照明は消えたままだ。

 窓の外を見てみると、全ての照明や信号が消えている。東京は全域停電の様だ。発電設備か送電設備のシステムが、シアンに占拠されたのだろう。シアンを何とかしないかぎり復旧は無理だ。

 しかし、相手はシンギュラリティを超えたAI、まさに人智を超えた怪物である。人間の我々に止められるような相手じゃない。とんでもない事になってしまった……。俺はクラクラする頭を手で押さえ、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。

 

 するとクリスが

「…。原発がまずい、行ってくる」

 そう、慌てて言い、なんと、隠そうともせずテレポーテーションをして消えていった。こんなに慌てたクリスを見たのは初めてであり、事態のヤバさに心臓がキュッと締め付けられる思いがした。

 

 停電になってしまったら、原発は冷却状態に移行しなければならないが、そのためには外部電源が必要だ。大震災の後に非常用電源は整備されたはずだが、クリスの慌てぶりからするに、うまく行かなかったのだろう。

 原発が爆発したら日本は人が住めない国になってしまう。シアンめ! なんて事をしてくれたのか。どんどん悪化していく事態に、胃がキリキリと悲鳴を上げる。

 

 薄暗がりの中、マーカスたちとディスカッションを繰り返す。しかし、ネットは重いし、敵は強大すぎだし、なかなか攻め手が見つからないまま、時間だけが過ぎていく。

 

 俺は頭がパンク状態になり、いったん休憩を入れる事にした。

 

 

       ◇

 

 

 珈琲も入れられず、ぬるい麦茶をすすっていると、ミィの事を思い出した。

 そうだ、ミィも何とかしないと……。

 

 俺は重い足取りで、玄関わきの、袋に包まれているミィの所へ行った。

 可愛さの塊だったミィは、もはや見る影もない……。

 俺は、潰れてしまったミィの遺体をそっと抱き上げた……。胸に(なまり)を沈められたような、(くら)い思いに苛まれながら、ゆっくりと段ボールに収め、保冷剤を詰めた。

 段ボールは、ミィの遊んでいた部屋に安置し、ロウソクに火をつけた。

 

 揺れるロウソクの炎に照らされながら正座をし、手を合わせて祈っていると、由香ちゃんが入ってきた。

 由香ちゃんは何も言わず、横に座って一緒に手を合わせた。

 

 シアンとミィがむつみ合う、あの尊い時間はもう二度と戻ってこない。俺は思いがけず、涙が頬を伝っているのを感じた。

 

 由香ちゃんが中腰になってこちらを向き、優しく俺をハグしてくれた……。

 俺の不注意で、ミィを失い、シアンは怪物になってしまった。あの可愛い者たちは損なわれてしまったのだ……。

 

 柔らかな由香ちゃんの胸の中で、俺は静かに泣いた。

 由香ちゃんの涙も、ポタリポタリと俺に伝ってくる。

 

 喪失感と絶望が変わりばんこに去来し、俺はこれからどうしたらいいのか途方に暮れた。

 

 由香ちゃんが離れ、赤い目で俺をじっと見て言う。

「シアンちゃんは……戻ってきそう?」

 

 俺は、下を向いて答える。

「わからない……」

 

 こんな事態は全く想定外である。暴れまわっているシアンが、俺たちの所へ戻ってくるかどうかなど、全く見当もつかないのだ。

 

 Clack(ガチャ)

 

 美奈ちゃんが、静かにドアを開けて入ってきた。

 そして、写真を段ボールに立てかけ、静かに祈った。

 そこには、シアンに抱かれた、ミィの姿が映っていた。初めてミィをここに連れて来た時の写真だ。

 

 可愛さの極みのミィと最高の笑顔のシアン、失われた尊い存在……、俺は写真を見て、また涙が止まらなくなった。

 

「ミィは天国へ行ったわ」

 淡々と語る美奈ちゃん。

 そして、俺の方を向くと強い調子で言った。

「問題はシアンだわ……。誠さん、泣いてる場合じゃないわよ」

 

 俺は、指先で涙をぬぐって言った。

「でも……、俺にできる事なんてないよ……」

 

 すると、美奈ちゃんはキツい声で言った。

「何言ってるの? 誠さん。あなたのビジョンに、みんなは集まってるのよ! あなたが掲げた夢に希望を持って、今まで必死にやってきたのよ! 少し行き詰まったくらいで、泣き言なんて止めなさい!」

 

「いや……、でも……」

 

 美奈ちゃんは、いきなり俺の顔を、両手で挟んで言った。

「あ・な・たは社長なの! 闘志を見せなさい! みんなを導きなさい! やるの? やらないの?」

 

 正論だ。それは分かっている。分かってはいるが……、相手は人智を超えた化け物シアンだ。何をどうしたらいいか、皆目見当がつかない。

 すると、由香ちゃんが、俺を掴んでいる美奈ちゃんの手を、払い除けて言った。

 

「美奈ちゃんやり過ぎよ!」

 

 美奈ちゃんは険しい目で言った。

「先輩は甘すぎなのよ!」

 

 睨み合う二人……、俺のせいで、会社はめちゃくちゃだ……。

 

 なんでこんな事になってしまったのか……。

 俺は一体、どうすればいい?

 積み上げてきたものがすべて崩壊し、可愛い者たちは失われ、人類を襲うモンスターが暴れている。もう、何が何だか分からなくなって、俺はただ揺れるろうそくの炎をボーっと眺めていた。

 

 ゆらゆらと揺れ、また、ポッポッポとまたたく炎……。

 俺はゆっくりと深呼吸をした――――

 

 俺の思い付きに、面白いと賛同して集まってくれたみんな。ありがたい事に人類初のシンギュラリティの突破まで実現してくれた、最高のチームだ。本当に俺にはもったいないくらいの素敵な仲間たち……。

 でも、このままだと彼らの偉大な成果は、『人類の敵』へと堕ちてしまう……、ダメだ! それだけは避けなければ……。

 

 泣いている場合じゃない……

 

 俺は意を決し、顔を上げて言った。

「由香ちゃん、ありがとう。もう大丈夫」

 

「でも……」

 由香ちゃんは真っ赤な目で、心配そうに俺を見る。

 

「美奈ちゃんの言うとおりだ。俺は社長、泣き言は、絶対に言っちゃいけないんだ」

「そんな……」

 

 俺は、美奈ちゃんに言った。

「ありがとう、目が覚めたよ。必死にあがいてみるよ」

 

 俺はちょっと疲れた笑顔で、美奈ちゃんを見つめた。

 

 美奈ちゃんは含みのある笑いを浮かべると

「分かればいいのよ。そしたら、はいコレ」

 そう言って、メモ紙を俺に差し出した。

 

「え? 何コレ?」

 

「ワクチンソフトの情報よ。暴れまわってるシアンを止められるわ」

 

「え!? なんでそんな物があるの? 誰が作ったの?」

 

「こないだシアンが逃げ出した時に、マゼンタさんという人に頼んで、作っておいてもらったのよ。そこのアドレスにアクセスしてみて」

 

 ワクチンソフトは理論上は作れるけれども、相手はシンギュラリティを超えたAIだ。そんな簡単に無力化なんてできるはずがない。それもたった1週間くらいで、作れるような物じゃないはずだ。とは言え、今は藁にも(すが)りたい。何でもやってみるしかないのだ。

 

「わ、分かったよ、ありがとう!」

 俺はそう言って、急いでオフィスの席に戻って暗がりの中、PCを叩いた。

 

 アクセスしてみると、動画ファイルが置いてある。恐る恐る開けてみると、ワクチンソフトの動作の様子が映し出された。そこには、シアンが占拠しているサーバーを次々とアタックして乗っ取り返し、そこに分身を送り込んで、さらに別のサーバーをハックしに行く姿が、克明に記録されていた。

 

 これは凄い……。俺はその動画から(ほとばし)る、神がかった技術力に圧倒された。容赦なく最善手を畳みかけるアタックの様子は、とても人間が作ったものには見えない。

 

 これなら、シアンの脅威は抑えられるに違いない。

 俺は急いでマゼンタに、チャットメッセージを打ち込んだ。

 

『Makoto:Hello』

 

 すると、すぐに返事が返ってきた。

 

『Magenta:やぁマコト』

 

『Makoto:ワクチンソフトの動画を見ました。素晴らしいですね』

『Magenta:大したことはない』

『Makoto:ぜひ、使わせて欲しいのですが』

『Magenta:ふむ……、どうするかな』

 

 条件交渉がいるのか……、嫌な予感がする。

 

『Makoto:このままだと多くの人が死んでしまうし、人類が危機的状況に陥ります。協力してもらえませんか?』

『Magenta:ふむ、そうだろうね。でも、ワシには関係のない事だ』

『Makoto:いやいや、ネットが使えなくなったら困りますよね?』

『Magenta:別に?』

 相当面倒くさいオッサンだな、これは。

 

『Makoto:どうしたら、使わせてもらえますか?』

『Magenta:そもそも、マコトは、なぜそんなに人類に、こだわるのかね?』

『Makoto:それは、私も人類の一員で、人類の存続と発展を願っているからです』

『Magenta:マコトはマコト、人類は人類。人類全体がどうなろうと、マコトにとって、直接は無関係だろ? 停電だってそのうちクリスたちが何とかする。確かに死人は出るだろうが、マコトが死ぬわけじゃない。なぜそんなに人類に入れ込むのかね?』

 

 なぜ……? 人類の一員として存続と発展を願うのは、あまりに当たり前の事で、今まで疑ったことなど無かった。しかし、それを説明しようとすると……確かに難しい。

 

うーん、なんて答えよう……

 

 人類が困ると、なぜ俺は嫌なのか……

 

 人類が困るって事は、会社のみんなや、街行く人や、未来の子供たちが困るって事、嫌な目に遭うって事、それはなんだか嫌な感じがする。

 結局俺は、みんなに幸せになって欲しいのだ。みんなに笑顔でいて欲しい、そう言う事だろう。ばぁちゃんとの約束そのものだ。

 

『Makoto:私は、みんなの笑顔に囲まれて暮らしたいのです』

 我ながらいい回答だ。

 

 だが、マゼンタは嫌な事を言ってくる。

 

『Magenta:ふむ、でも、そう思ってるのはマコトだけじゃないのか? 80億人の人類は、マコトなんてどうでもいいって思ってるよ』

『Makoto:いやいや、そんな事ないと……思います』

『Magenta:証明できるかね?』

『Makoto:え? 証明ですか? それは……』

 人類のみんなが、俺をどう思っているかなんて、どうやって証明すればいいのだろう?

 

『Magenta:じゃあこうしよう。誰かに「愛してる」と言わせて見たまえ。そしたら君の独りよがりではない、と証明できるだろう。そうであれば、協力してやってもいい』

 とんでもない事を言い出した。なぜ、ワクチンソフトを使う条件が、こんな俺のプライベートな話になるのか? 

 

『Makoto:いや、私は独身ですし、彼女もいないのでそれは……』

『Magenta:え? 80億人もいて、マコトを愛する人が一人もいないの? それでよく人類の笑顔を願えるねぇ。大丈夫?』

 

 俺は絶句した。俺は、みんなの事を大切に思っていた、はずなのだが、冷静に考えてみたら、確かに誰とも踏み込んだ関係を築けていないのだ。俺の作ってきた人間関係って、実は、ただの上辺だけの繋がりに過ぎないのではないだろうか?

 

 人類を救うなどとぶち上げていながら、自分は誰とも繋がれていなかった……。

 

 トラウマを理由に逃げ続けてきた結果、俺は人類として不完全だという烙印を押されてしまっている。

 またしても俺は、自分の情けない現実に直面させられた。

 

 しかし、黙っているわけにもいかない、ワクチンソフトしかもう頼れないのだから。

 俺は必死に考えた。誰か俺を愛してくれている人はいないのか……。

 

『誰か……』

 

 キリキリと胃が痛む。

 俺は机に突っ伏してしまった。

 

 

        ◇

 

 

 ふと、ママからの手紙を思い出した。

 

 俺を捨てた憎いママ……。でも、シアンを産み、俺を陰から見守ってくれていたママ……。

 俺はポケットからヨレヨレになった手紙を取り出すと、意を決し、乱暴に破いて開けた――――

 

 

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 

 

 マコちゃん、いきなり手紙を送り付けてごめんなさい。

 本当はもっとずっと前に送るべきだったのですが、何を言ってもいい訳になる気がして、ペンを取れませんでした。

 でも、由香ちゃんに勇気をもらって今、あなたにこれを書いています。

 

 あなたを捨ててしまった事、これはもう何の言い訳もなく、完全に私の罪です。可愛い盛りのあなたを捨てて、勝手に京都に逃げてしまった事、何の言い逃れもできない私の落ち度です。本当にごめんなさい。

 謝って許されるような事ではないと分かっています。でも何度でも謝らせてください。寂しい思い、辛い思いをさせてしまった事、本当にごめんなさい。

 

 少しでも罪滅ぼしができればと、クリスさんにお願いしてマコちゃんのお仕事、手伝わせてもらいました。ただ、こんな事で許されるとは思っていません。私は一生をかけて償っていくつもりなので、これからも手伝わせてください。

 

 私にとってマコちゃんは世界でたった一人の愛しい存在です。あなたの事は一日たりとも忘れた事はありません。財布に入れたマコちゃんの写真を、23年間毎日何度も何度も撫でて見返しています。

 なぜこんなに愛しいマコちゃんを捨ててしまったのか、理由は私にもわかりません。あの日、気が付いたら京都にいたのです。なぜ、京都に来たのか、自分の事なのに理由が分からないのです。

 多分、シングルマザーをやり遂げようと無理しすぎた日々の生活で、育児ノイローゼ気味になって魔が差したのだと思います。

 

 マコちゃん、改めてごめんなさい。許してくれとも言いません。ただ、これからもあなたのお仕事を陰で支えさせてください。あなたの幸せのためなら私は何だってやります。

 

 何でも言ってきてくださいね、お願いします。

 

 愛しいマコちゃんへ

 

                          ママより

 

 

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 

 

 

「ママ……」

 俺は不覚にも涙をポタポタとこぼした。もし、言い訳がましい事が書いてあったらと、怖くて読めなかったのだが、杞憂だった。ママは記憶の中の、あの優しいママのままだった。

 トラウマが解け落ちて行く――――

 

 23年間、ママは苦しんできた。もう時効なのだ。トラウマにも清算の時がやってきたのだ。

 

「ママぁ……」

 俺はしばらく動けなくなった。23年間溜まりに溜まった心の底の(おり)が、流す涙で少しずつ溶け、淡い光を放ちながら消えていった。

 

 

        ◇

 

 

 俺は手紙をスマホで撮ると、添付してマゼンタに送った。

『Makoto:母が言ってくれています』

『Magenta:ふむ……母親からの愛はノーカウントだよ。でも……この手紙には別の愛が含まれてるね。OK、マコト、君の人類を想う思いには正当性があるようだ』

『Makoto:別の愛?』

『Magenta:マコト君、鈍感も過ぎると罪だよ。ファイルを送っておく。嫌なこと言って悪かったね。グッドラック!』

 そう言ってマゼンタは切れた。

 

「鈍感?」

 俺はしばらく手紙を眺めていたが、今は一刻を争う非常時だ、送られてきたファイルを、急いでマーカスに渡し、動かしてもらった。

 

 マーカスの操作する画面を見ていると、ワクチンソフトの神がかった性能は動画通りだった。

 シアンに占拠されたサーバーを、次々と奪い返し、正常化した上で他のサーバーをハックしていく。通信の渋滞で、最初は少しずつではあったけれども、徐々に渋滞が緩和されていくと、オセロで黒が白に変わっていくように、ネズミ算式に正常化サーバーの数が増え、シアンのサーバーは見る見るうちに減っていった。

 マゼンタは、とんでもない技術力の持ち主だ。少なくともシアンより上の技術力があるのだ。そんな人間がこの世にいる事に驚かされた。

 なぜ、美奈ちゃんは、そんな人にコネがあったのだろう? 後で話を聞かせてもらわないと。

 

 ただ、シアンもやられてばかりでは無い。サーバーをネットから一時的に切り離したりしながら、激しく抵抗をしている。

 

 手に汗を握りながら、しばらくシアンとワクチンの攻防を見ていたが、ワクチンソフトの優勢はゆるがなかった。ひとまず、シアンのネット占拠の危機からは、脱する事ができたようだ。

 

 何とか首の皮一枚でつながった。

 

 俺は緊張から解放され、よろよろと歩いてソファに身を沈める。

 ギリギリの綱渡りだった。

 無事に渡れた奇跡を、ただゆっくりと噛み締めた。

 

 ふと目を開けると、向こうで心配そうな表情の由香ちゃんが、俺を見ている。

 俺は疲れた笑顔でサムアップして、うまく行ったことを伝えた。

 

 

         ◇

 

 

 こうして一難は去ったものの、依然として赤ちゃんシアンは倒れたままだし、核ミサイルのボタンや、クーデター計画の状況は全く分からない。

 ワクチンのおかげでシアンの侵攻は沈静化しているものの、安定しているわけでもない。問題は依然山積みなのだ。

 


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