シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~   作:月城 友麻

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5-9.完全を纏うキス

「ありましたね! 第三岩屋!」

 上への通路を登りながら、由香ちゃんが興奮を隠さずに言う。

 

 しかし、本番はこれからだ。俺は上手くクリスの期待に応えられるだろうか……。

 

「さて、何があるかなぁ……」

 俺は一歩ずつ丁寧に足場を確保し、登っていく。

 

 しばらく登ると、巨大な空洞に出た。

 

「わ~広い!」

 

 空洞の中に、由香ちゃんの声がこだまする。

 

 そこは、小さな教会の礼拝堂位の広さがあった。

 壁を見ると、自然な凹凸があり、人間が作ったというよりは自然の力でできた空間らしい。

 

「誠さん! あそこ!」

 由香ちゃんが指さす先を見ると、石像があった。

 

「本当だ、お地蔵さんかな?」

 全長1mくらいの小さな古ぼけたお地蔵さんが、隅っこに安置されていた。

 右手には錫杖(しゃくじょう)を持ち、微笑んでいる。

 

 近寄って見ようとすると……洞窟内に笑い声が響いた。

 

「きゃははは! 誠、何をやっているかと思えば、こんな所で怪しい事を企んでいたな!」

 淡く光をまとったシアンが空中から現れ、ゆっくりと降りてきた。

 

「お前! 世界を無茶苦茶にしやがって、あの城は何なんだよ!」

「おや? お気に召さなかった? あのデザイン、イカしてるでしょ?」

 

 自信作らしく、自慢げにニヤける。

 

「大爆発までおこしやがって! 死ぬところだったんだぞ!」

 言ってやらないと気が済まない。

 

「おいおい、先に手を出してきたのは自衛隊だろ? 正当防衛じゃないか」

 シアンは肩をすくめて首をかしげる。

 

「こんな事をして欲しくて、お前を創ったわけじゃないぞ」

「人類の守護者が欲しかったんだろ? 良かったじゃないか、僕は最高の守護者だろ?」

 そう言って両手を広げて胸を張り、誇らしげに笑う。

 

「人類を蹂躙する者は守護者とは言わない、ただの支配者だ」

「んー、でも、君たち人類馬鹿だから、放っておくとどんどん人殺しちゃうじゃん? 僕が適正に管理してやるよ」

「殺してなんかいないぞ!」

「いまだにアゼルバイジャンとかあちこちで戦争してるよね? 毎年何万人も殺してる。そして今も毎日子供たちが1万人ずつ餓死しているよね? 要は人類はダメって事さ」

 それを言われると反論できない……。確かに人類にはまだまだ欠けているものがある。

 

「地球の適正人口って知ってる?」

 シアンは嬉しそうに聞いてくる。

「え……?」

 いきなりの事で上手く返せない。

 

「50億人さ、すでに30億人オーバーしてる。地球環境とのバランス、仮想現実空間での管理コストを考えても今は多すぎる」

 俺は嫌な予感がした。

「お前まさか……」

「30億人には消えてもらうしかない」

 そう言ってニッコリと笑った。

 

「お前、人類は毎日1万人殺してると馬鹿にしながら、30億人殺すのか!? 」

 大虐殺なんて、そんなとんでもない事、絶対に阻止しないとならない。

 

「誠が一人目になるか?」

 シアンは邪悪な目でそう言って、ニヤッと笑う。

 俺は言葉を失った。

 

 シアンは洞窟の内部を見回しながら言う。

「大丈夫、消す人はみんなが納得いく方法で選ぶからさ」

「どうするんだ?」

「スマホで投票してもらう。『消して欲しい人』もしくは『生き残って欲しい人』を書いてもらうんだ。それを一人3票まで受け付ける」

 何という恐ろしい方法を考えてるんだこいつは……。まさに死の投票、とんでもない話だ。俺はその悪魔のような発想に思わず気が遠くなる。

 そして、震える声で聞いた。

「『消して欲しい人』……の得票数の多い人から消す……って事か?」

「それよりまず、3票とも『消して欲しい人』を投票した奴。こんな奴生きてる意味ないからまず消去さ。これで数億人は消えるだろ? きゃははは!」

 俺はその恐ろしい発想に、体中の血が凍るような思いがして、何も言えなくなった。

 

「次に、『生き残って欲しい人』の多い順に百万人、この人たちは無条件にパス」

「有名人は……有利だな」

「そうだね、これで有名人はほぼ生き残るだろう。最後に『消して欲しい人』の得票数から『生き残って欲しい人』の得票数を引いた数の多い順に消えて行ってもらう。これで悪党や嫌われ者が一掃されて理想の社会になる。だから不満は出ないんじゃないかな? きゃははは!」

 

 狂ってる。

 確かに地球環境も見すえた上での合理的管理という意味ではそうなのかもしれない。しかし、人間は一人一人がかけがえのない存在だ。管理側の都合で勝手に殺していい人なんていない。もちろん、悪党や嫌な奴が減れば、それは住みやすい社会になりそうだ。しかし、そうやって作った社会が豊かな社会になるかというと、そんな気もしない。清濁両方あってこそ健全な社会なのではないだろうか?

 闇があるから光は際立ち、冬があるから春は嬉しい。明るいだけ、快適なだけの社会に本当な意味での豊かさなんて生まれない。

 しかし、なんと言ったら考えを改めてくれるのだろうか……。世界最強の存在相手に何か交渉材料なんてあるのだろうか……。

 

 俺が言葉を選んでいると、シアンがお地蔵さんを見つけて言った。

 

「あ、こいつだな。クリスめこんな物を隠しやがって、油断も隙も無い!」

 

 そう言って、お地蔵さんの錫杖を抜き取った。

 

「何をするんだ!」

「この棒はね、この仮想空間を切り取れる指示棒なのさ」

 

 そう言って、錫杖をそばの岩に向け、くるっと回した。

 すると、岩は発泡スチロールの様に、サクッと切れてゴロリと転がった。

 

「まぁ、こんな物あっても、僕には何の脅威にもならないけど、念には念を入れてね」

「それはクリスの物だろ、返せよ!」

 俺はシアンの勘違いにホッとしつつ、怒った振りをする。

 

「返すメリットが僕にはないんだな」

 見下した表情で言い放つシアン。

 

 由香ちゃんがたまらず声を出す。

「シアンちゃん、もう止めて! また一緒に芝生で踊ろうよ、そういう生き方の方が絶対幸せよ!」

 

「うーん、もう踊ってたあいつはいないんでね、良く分かんないや。きゃははは!」

 仕草や笑い方は変わらないのに……。あの可愛いシアンはどこへ行ってしまったのか。

 

「そろそろ投票アプリの準備に戻るよ。悪党のいない地球、楽しみにしててね! ふふふ!」

「シアンちゃん! 待って!」

「じゃぁね!」

 由香ちゃんの掛け声空しく、シアンは消え去った。

 

「あいつめ、俺達の行動を監視してたんだな……」

「誠さん、30億人も殺すって……どうしよう!?」

 クリッとした瞳を涙でいっぱいにして、俺を見つめる由香ちゃん。

 

「大丈夫、まだ時間はあるよ……」

「いっぱい人が死んじゃう……どんどん大変な事になって行っちゃうわ……」

 由香ちゃんは両手で顔を覆い、動かなくなった。

 俺は優しく由香ちゃんをハグする。

 

「まだ錫杖を取られただけだよ、クリスへの道は閉ざされた訳じゃない」

 そう言いながら、由香ちゃんの背中を、ゆっくりとさすった。

 

 岩屋には由香ちゃんの嗚咽が微かに響いた。

 

 しばらくさすっていると、由香ちゃんは大きく深呼吸をして、

「そうね、泣いてる場合じゃないわ! クリスの所へ行かなきゃ!」

 そう言って涙をぬぐい、気丈に顔を上げた。

 

 俺たちはお地蔵さんの所に行って、左手を照らして見た。すると、人差し指が右斜め前を向いている。

 その先をずっと行ってみると……何もない。

 

 無いはずはないので、丁寧に指差しているあたりを、キョロキョロとしながら歩き回ってみる。

 

「もう片づけられちゃったのかな?」

「いや、シアンもここは初めてだったっぽいし、きっと何かあるはずだ」

 

 しかし、いくら探しても、岩だらけで、何もない。

 このまま何もなかったら、もう俺たちにはなすすべがない。

 俺たちは必死に手掛かりを探し続けた。

 

 さらに探索を続けると、由香ちゃんが声を上げた。

「ん!?」

 由香ちゃんは床の少し出っ張った岩の上で軽く弾んでいる。

「誠さん、ここ乗ってみて」

 

 言われた通りに乗ってみるが、別に違和感はない。

「え? ここに何があるの?」

「違うわよ、軽く飛んでみて!」

 

 言われた通りに飛んでみる。すると確かに足元が若干揺らぐ感じがした。

「ん? 何だろう? 確かにこの岩少し変だね」

「ここ……何かありそう!」

 

 ドライバーを岩の隙間に入れて力を入れてみると少し隙間ができた。少しずつ動かしてみると、どうも空洞があるようだ。

 

「せーのっ!」

 二人で力を合わせて岩をひっくり返すと、そこには井戸の様な縦穴がぽっかりと開いていた。

 

「やった――――!」「キタ――――!!」

 歓喜して自然とハイタッチする俺たち。ついにクリスへの手がかりにたどり着いたのだ。

 

 しかし……

 

「……でも……これ……どうするの?」

 由香ちゃんの顔に困惑の表情が浮かぶ。

 

 縦穴は深く暗く、ちょっと降りられるような感じじゃない。

 

 試しに石を落としてみる……無音。

 少なくとも、数百メートルは底が無い感じだ。

 

 ヘッドライトを付けたロープを垂らしてみる……、どこまで下ろしていっても暗闇しかない。ヘッドライトの光はただ吸収されるばかりだった。

 

 どうもただの物理的な構造じゃないようだ。

 

「この世界は仮想現実空間で、ここはクリスが指定した穴、降りるしかないだろう」

 俺は半ばやけくそでそう言った。

 

「えーっ!? でも、生きて帰れない可能性もあるよね?」

「かなりあるんじゃないかな?」

「そんなのダメよ! 私、誠さん……いなくなったら困る……」

 

 由香ちゃんがそう言って、俺の腕にしがみつく。

 

「でも……。どうする?」

「ダメ! 行かないで!」

 

 由香ちゃんが涙目でにじり寄って、俺をじっと見つめる。

 

 大きく見開かれた、透き通ったブラウンの瞳に、俺も引き込まれる。

 瞳がキュッキュッと動くたびに、俺の鼓動は激しく高鳴り、

 

 キィーン

 

 と、強い耳鳴りが俺を包む。

 俺は、由香ちゃんの瞳の虜となり、心の奥底から、懐かしい温かさと、胸を締め付けられるような愛おしさが交互に湧いてくるのを感じ、揺られていた。

 由香ちゃんの瞳から流れ込んでくる熱い想いが、俺の体温を上げていく……。

 

 次の瞬間、由香ちゃんが強引に唇を重ねてきた。

 

 不意を突かれて一瞬うろたえたが、柔らかい唇と情熱的な舌が、俺の心の奥底を熱く動かし、俺も負けずにそれに応えた。

 

 由香ちゃんの両手は、俺のすべてを求めるように背中をまさぐり、俺もまた由香ちゃんを求める。

 

 心が重なり、甘い吐息が唇の隙間から漏れ、脳髄の奥がしびれていく――――

 

 二人はこの瞬間、何かが完全になった。

 

 

 やがて唇をそっと離し、恥ずかしそうにうつむく由香ちゃん。

 

 そして、意を決したように俺の目をまっすぐ見つめ、涙一杯の目をして言う。

 

「私たち、最高のバディなんでしょ? 誠さんを失ったら私、どう生きていけばいいの?」

 心からの言葉に、俺は決意が揺らぎかける。

 

 命の危険なんて冒さなくても、このまま由香ちゃんと楽しく暮らせばいいじゃないか。脳裏に甘い誘惑が走る。

 

 そう、その通り。

 愛する人と愛のある暮らし……トラウマを抱えていた俺がずっと憧れていたものだ。それが今、ここにある。

 なぜ、それを失う危険を冒すのか……。

 

 俺は目を瞑って深呼吸をして、考えを必死にまとめた。

 

 俺の人生、シアンの奇行、人類の未来……

 愛しい人、インドラの雷、死の投票……

 

 やはり……

 

 俺は行かないとならない。シアンを生んでしまったのは、俺の責任なのだから。

 

 シアンは地球の管理者(アドミニストレーター)。人類の力では奴の愚行を止められない。奴を止められるのは、クリスに託された俺だけ、もう俺しかいないのだ。俺が諦めたら、人類はシアンに30億人も殺されてしまう。

 

 俺は涙でいっぱいの由香ちゃんの瞳を、まっすぐに見つめて言った、

 

「……。ありがとう。でも、俺は行かないとならない。クリスを助け、この世界をあのバカから取り戻さないとならない」

 

 俺の腕をキュッと握りしめる由香ちゃん。

 

「……。分かったわ。なら私も行く」

「え? 由香ちゃんまで、こんな危険な事やる必要ないよ!」

「嫌! 誠さんが行くなら私も行く! 待ってるだけなんてできない!」

 

 涙をポロポロこぼしながら、由香ちゃんは叫ぶ。

 その気持ちは、俺の胸に痛いほど刺さる。

 

 しかし、こんな得体のしれない危険な挑戦に、付き合わせる訳にも行かない。

 

「俺も大切な由香ちゃんを、危険にさらす事なんてできないよ。大丈夫、必ず戻ってくるから田町で待ってて」

 

 俺は由香ちゃんをきつくハグした。

 

「誠さぁん! うぁぁぁん!」

 

 由香ちゃんは俺の胸で大声で泣いた。

 悲痛な叫びは岩屋の中にこだまし、俺の心に鋭いナイフの様に刺さった。

 

 しかし、30億人の命が関わる話である、私情だけで動くわけにもいかないことは、由香ちゃんもわかっている。

 最終的には渋々納得してくれた。

 

 俺は装備を整え、最後に由香ちゃんに軽くキスをした。

 

「行ってくる、待っててね!」

 

 俺は穴に半分潜りながら無理に笑顔で言うと、由香ちゃんは泣きながら叫んだ。

 

「必ず……必ず帰ってきてよ! 絶対だからね!」

 

「大丈夫、大丈夫! では!」

 

 俺は無理に、陽気なおどけた感じで言って手を放し、穴に落ちていった。

 

 


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