シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~ 作:月城 友麻
話の流れから、こうなるのは仕方ない……。
「う、うん、実はAIのロボットを作ろう、と思ってるんだ」
俺は覚悟を決めてプランを話す。
「えっ? ロボット!?」
美奈ちゃんは驚いて、俺を見つめる。全てを見透かすような澄んだ琥珀色の瞳に、一瞬動揺してしまう。
俺は、ゆっくり息を吸い、心を落ち着けて答えた。
「そ、そうなんだ。鉄腕アトムの様な、心優しいAIロボットを、クリスと一緒に作ろうと思ってるんだ。このAIロボットを子育てや温暖化対策に活用して社会の安定化を図ろうかと」
「えっ!? そんな事できるの!?」
「い、一応これでもAIエンジニアなんだぞ!」
俺は、わざとらしく胸を張りながら言った。
「それでも……ねぇ……」
美奈ちゃんは、怪訝な眼差しで俺を見る。
「もちろん、そう簡単にはできないよ。でももう人間は、囲碁や将棋ではAIには勝てないんだ。AIは部分的には人間を凌駕してるんだよ」
「そうだけどぉ、囲碁とアトムは全然違うわよ?」
首をかしげる美奈ちゃん。
確かに簡単ではない。でも、クリスの手前、自信なさそうな事は決して言えない。
「俺は作るよ! 必ず作る!」
そう力強く言い切った。
「AIできても、本当に心優しくなんてできるの? むしろ人類を滅ぼそうとしたりするんじゃないの?」
怪訝そうな美奈ちゃん。
「そこは大丈夫! 秘策があるんだ」
俺はそう言ってニッコリと笑った。
「秘策? 本当に大丈夫ぅ?」
美奈ちゃんは、ポテトチップスをポリポリ齧りながら言う。
「大丈夫、大丈夫!」
俺はそう言って、後ろめたい気持ちに
「…。で、具体的にはどうやって作るんだ?」
クリスが核心に切り込んでくる。いよいよ正念場だ。
「AIのエンジンを俺が作るので、それを育てる膨大なデータをクリスにお願いしたい」
俺はクリスの目を見て言った。
「…。誠が生んで私が育てるのか?」
「そう、AIを正しく導けるのは、クリスだけなんだ。ぜひやって欲しい」
クリスは腕を組んで、軽くのけぞって首を揺らす。
狭い部屋には洋楽のヒットナンバーが小さくスピーカーから流れている。
美奈ちゃんは興味なさげに、最後に残ったポテトチップスの破片を愛おしそうにチマチマと齧った。
「…。具体的には何をすればいいんだ?」
しばらく思案したクリスは、俺を見ながら聞いた。
俺はニコッと笑うと調子に乗って続けた。
「まずは、そもそも何で今のAIがこんなにバカなのか? という事から説明したい。なぜだと思う? 美奈ちゃん」
コンビニの袋をひっくり返して、次のおつまみ探しに夢中な美奈ちゃんがビクッとする。
「え? 何? いきなり振らないでよぉ……。なぜ馬鹿かって? うーん……コンピューターには魂が入ってないから……かな?」
「うーん、魂か。そもそも魂って何だよ? とは思うけど、当たらずとも遠からずかな、AIには世界観が無いのがダメな原因なんだ」
「世界観? どういう事?」
「例えば、『重力があって、リンゴは下に落ちますよ』って事はAIだって理解できる。でも『段差があって人が下に落ちますよ』って事はAIにはピンとこない。例えば段差が30cmなら安全だけど、3mだと危険だよね? では1mだったら?」
「1m? ちょっと怖い高さだよね」
美奈ちゃんは、首をかしげながら答える。
「そう、人間だったらピンとくる。でもAIには分からない。だって体験した事が無いんだもん。1mは若者だったら平気だけど、老人だったら危険。さらに若者でも、頭から落ちたら死んじゃうし、酔っぱらっててもヤバい。人間は自分で飛び降りたりコケたりして、体で重力の意味を覚えてるから、ピンとくるんだよね」
「そうか、体験しないと分からないのね」
ニッコリと笑って言う美奈ちゃん。
「そう! 高さだけじゃない、料理の味や香り、ジェットコースターのスリルなんて物は、体験しないと分からないんだ。この複雑な条件をひっくるめて、世界観と呼んでるんだけど、この世界観を、どうやってAIに学習させるのか? ここが今のAIの限界の原因になってるんだ」
「ふぅーん……」
曖昧な返事をしながら、美奈ちゃんは次の梅酒の缶を開ける。
シュワシュワとした炭酸に、思わず酸っぱい顔をして、目を瞑る。
そんな可愛いしぐさに見とれていると、横からクリスが突っ込む。
「…。誠よ、その世界観を学習をさせるのが、私の仕事という事か?」
俺は慌てて前を向く。いよいよここからが提案の本番だ。俺は軽く深呼吸をして言った。
「そうそう、そこをお願いしたい。そして世界観を学習するのに必要なのが……。あまり言いたくないんだけど……生身の体なんだよね。正直な所、生身の体でないと世界の理解は難しい」
俺はおずおずと核心を開陳する。
「…。人体実験に使う人体をこの私に調達しろと?」
クリスの言葉に、微かな怒気が混ざる。
言葉を選ばないと……。冷や汗が浮いてくる。
「いやいやクリス、これは言うならば献血だよ。人類の守護者に血を与える尊い行為なんだ」
軽く首を振りながらクリスは答える。
「…。物は言いようだな。で、そういう人を見つけたとして、何をやってもらうんだ?」
「脳に電極を入れて、AIと直接身体と繋がってもらう。そうすると、AIは自分の身体の様に協力者の身体を動かせるので、そこで身体と世界を感じてもらう」
「…。それは、AIに身体を乗っ取られる事じゃないか!」
クリスは冷たく言い放つ。
美奈ちゃんも拒絶する。
「えー、そんなの絶対ヤダ!」
ですよね……、俺でも嫌だからな。
でも、ここで引いたら計画がお終いだ。
「もちろん、未来永劫乗っ取る訳じゃないよ、一時的に借りるだけ。終わったら元の生活に戻れるんだから……」
頑張ってみたけどクリスは、
「…。私は協力はできないな」
「私もー」
ちょっとストレートに言い過ぎたかもしれない。
ここは無理に頑張らない方がいいか……。
「そもそも私の身体を貸したら、例えば『服を脱げ』とか指令が来たら、脱いじゃうんでしょ?」
美奈ちゃんが痛い所を突っ込む。
「うっ、まぁ……理屈としては……そうだね」
「それでエッチな事、させられちゃうんでしょ?」
美奈ちゃんは警戒する風に、両腕で胸を隠す。
「いやいや、そんな事しないよ!」
「絶対?」
「エンジニアはそんな事しない!」
俺はエンジニアの誇りをかけて言い切る。
「ふーん、そんなに私の身体魅力ないの?」
不満げな美奈ちゃんは、身体をよじって首周りの服を少しずらす。
俺は、綺麗な鎖骨のラインに、目が釘付けになる。
「この身体が自由にできるのよ? 何もしない……の?」
そう言って、上目づかいで俺を見る。
「いや、ちょっと、美奈ちゃん! 梅酒飲みすぎ!」
俺は両手を美奈ちゃんの方に向け、目を背ける。
ただ…… 男には抗えない力がある事は、認めざるを得ない。
「……。参りました」
俺はそう言って、うなだれて負けを認める。
「だから私は貸せないわ、この身体は愛する人にしか触らせないの」
そう言ってニッコリと勝ち誇り、俺は言葉を失う。
「誠さんも『愛する人』になれたら……触れるかもね」
そう言ってつややかで弾力のある胸元を強調し、ウィンクする美奈ちゃん。
『さ、触れる!?』本能的に俺はつい反応してしまう。男とは本当にどうしようもない生き物である。
「お、俺にもチャンスはあるんだ?」
「誰にだってあるわ。私は『愛の秘密』を解いた人を愛すの」
そう言って、夢見る女の子になった美奈ちゃんは宙を見上げ、手のひらをゆっくり上に向けた。
「愛の秘密?」
意味不明な事を言われて聞き返す俺。
「ふふっ、そんな調子じゃ無理だわ」
美奈ちゃんは人差し指を振りながら、ニヤッと笑った。
『なんだよー! 愛なんて知らんわ!』
俺は内心毒づきながら、缶ビールを呷る。
『愛ゆえに人は傷つく。愛になんて軽々しく近づいてはならない』とねじ曲がったトラウマが耳元でささやく。親に捨てられた俺にとって、愛という言葉には警戒があるのだ。
もちろん、いつまでもこんな調子じゃ困るとは……一応、思ってはいる。
それにしても出だしから散々だ。AIの開発計画も行き詰まり、美奈ちゃんにも呆れられる……
ションボリしながらビールを呷ったが……、もう空だった。
ビールにも馬鹿にされている気がして、俺は空き缶をメキメキと潰した。
「はいはい、元気出して! 最初のプランが通らない位で、凹んでてどうすんのよ!」
美奈ちゃんはそう言いながら、次のビール缶を俺に差し出す。
「いやまぁ、そうなんだけど」
俺は受け取った缶をプシュッと開ける。
「何かやり様はあるはずよ、明日また話しましょ。はい! カンパーイ!」
「…。乾杯」「カンパイ……」
確かに、前人未到の偉業への道など、サクっと決まる訳がない。そんなに世の中甘くないのだ。
明日の俺にバトンタッチだ。
『今日の俺は十分頑張った、営業終了!』
そう気持ちを入れ替えると、俺はビールをぐっと呷った。
その後、美奈ちゃんはターゲットをクリスに絞り、言葉巧みにクリスから規格外の楽しい話を次々と引き出していった。
核ミサイルを撃ち落とした話や、津波を割って街を守った話は、それだけでも小説が書けそうだった。
こうして八丁堀の夜は、あっという間に過ぎていったのだった。
◇
美奈ちゃんは始発で帰るらしい。
帰り際、玄関に見送りに出た俺に、靴を履きながら美奈ちゃんが言った。
「男の人の家でオールなんて、よく考えたら危なかったわ」
俺はムッとして
「俺は女の子の嫌がる事は、絶対にやらないよ!」
と、胸を張って言った。
ところが――――
「うーん、だから誠さん、モテないのね」
美奈ちゃんはそう言って、肩をすくめ、天を仰いだ。
「えっ!? ちょっと、それはどういう……」
俺が言い返そうとすると、美奈ちゃんは、ピンと伸ばした人差し指で、俺の口をふさぎ、
「安全地帯に居るから大丈夫、なんて一番ダメな発想だわよ!」
そう言い放つと、軽くウィンクをして、クルっと背を向けて帰路についた。
俺は
「また明日~」
と、美奈ちゃんは向こうを向いたまま、手を振りながらエレベーターに入っていった。
確かに俺は人との距離の取り方が下手だ。仕事での人付き合いなら事務的で簡単だが、プライベートの関係となると、踏み込んだ言動はどうしても気おくれしてしまっていた。深い関係になる事は怖い事だと、俺のトラウマがささやくのだ。
会って間もない女子大生に、そんな欠陥を一突きされた俺は、玄関口で呆然とし、立ち尽くした。