シンギュラリティの花嫁 ~AIが紡ぐ悠久の神話~   作:月城 友麻

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1-6.脳の無い赤ちゃん

 夜は銀座でフレンチ。フレンチなんて久しぶりだ。

 仲間連中は都合で来られないので、結局我々3人である。

 

 銀座のフレンチはやはり雰囲気が違う。石をあしらった門構えに、小さな店名のプレートが一つ。知らなければレストランだとは気づかない。

 

 店に入ると、ウェイティングルームに通された。

 

 すでに美奈ちゃんが座っている。

 

 美奈ちゃんは、落ち着いたオレンジのVネックフレアワンピースに身を包み、シックなインテリアの中、まるで絵画から抜け出したかのような美しい(たたず)まいを見せ、そこだけ空気が澄んで見えた。

 そして、俺たちを見つけると、ニッコリと笑い、目を輝かせて軽く手を上げた。

 

 席に着くと、

「アペリティフは、いかがいたしましょうか?」店員(メートル)に声をかけられる。

 

 今日は暑かったので、爽やかなのがいい。

「シャンパンのカクテルがいいな」

 俺がそう答えると

 

「ではミモザなどは、いかがでしょう?」

「あ、いいね、じゃ、それで」

「私もそれがいいな!」

 美奈ちゃんは嬉しそうに言う。

 

「…。では同じ物を」

 クリスも落ち着いて答える。

 

「かしこまりました」

 

 程なく、シャンパングラスが運ばれてきた。

 

 俺が音頭を取る。

「この素敵な出会いにカンパーイ!」

「カンパーイ!」「…。乾杯」

 

 鼻に抜ける、オレンジの爽やかな香りが心地よい。

 

 美奈ちゃんは

「美味し~い!」 と、言って、目を大きく見開き、にこやかに笑う。

 彼女の白く柔らかな耳たぶに煌めく、ピンクのハートのピアスに、俺はつい目を奪われてしまう。

 

 店員(メートル)が注文を取りに来る。

 

「本日のメニューがこちらです、お選びください」

 

「お、来た来た。美奈ちゃん何がいい? フォアグラのパイ包みとかあるよ!」

「フォアグラ? 美味しいの?」

「メッチャ美味いよ~。他には真鯛のソテーとか、牛のフィレステーキとか……」

「じゃ、フォアグラで!」

 美奈ちゃんは、フォアグラにチャレンジするらしい。

 

「…。私は真鯛で……」

「じゃぁ俺はステーキにするか!」

 

 メートルに注文し、ついでにワインも選んでもらう。

 

 

        ◇

 

 

 昨晩の話で盛り上がっていると、ダイニングルームに案内された。

 

 落ち着いて品のあるインテリア、控えめなダウンライトが雰囲気を盛り上げる。俺の人生に関わる、いや人類の未来に関わる、大切な会食にふさわしい最高の舞台だ。心臓が高鳴る。

 

 まずは前菜が出て、ワインを注いでもらう。

 

「ねぇクリスぅ、昨日の誠さんのプランだけど、何かいい手はないかなぁ?」

 早速、美奈ちゃんが、クリスに振ってくれる。

 

「…。身体を乗っ取るような事は、神は望まない」

「身体貸してくれる人が、いればいいんでしょ?」

 

「…。本人以外が、身体を動かすような事はダメだ」

 クリスは毅然とした態度で、ダメ出しをする。

 

 美奈ちゃんは、前菜の『季節の野菜のゼリー寄せ』をつつきながら、ちょっと考え……

「じゃ、本人がもう居なくなってしまった身体、だったら?」

 

「…。居ないというのはどういう?」

「例えば……脳が無い人とか……。居ないか……」

 美奈ちゃんは、(あご)に手を当てて天を仰ぐ。

 

「コンソメスープでございます」

 ギャルソンが、黄金色に輝くスープを持ってきた。

 

「美味しそう! いただきま~す!」

 美奈ちゃんが、すかさずスープを口に運んだ。

 

「うわぁ、ナニコレ? すごぉい!」

 弾んだ声が部屋に響く。ここまで喜んでくれたら、シェフも嬉しいだろう。

 

 俺も一口飲んでみる。じんわりと優しい旨味が体中に広がり、手が止まらなくなった。まるで魔法だ。どれだけこのスープには、手間がかかっているのだろうか。

 

 俺はスープの余韻を堪能しながら、解決策を考える。

 

「人間は、脳が無きゃ死んじゃうからなぁ……」

 

 そう呟きながら、スマホで『脳が無い人』と、検索してみた。

 すると『無脳症』という病気がヒットした。解説を見ると、なんと脳が無くなる病気があるらしい。

 

「あ、居るよ居る! 無脳症という病気の赤ちゃんだ!」

 俺はつい大きな声を出してしまった。

 

「…。脳の無い赤ちゃん?」

 

 怪訝そうなクリスに、俺はスマホで検索した画面を見せた。そこには頭がすっぽりと無くなった、顔だけの赤ちゃんの写真が、たくさん並んでいた。

 

「これだよこれ、生まれてくる赤ちゃんの1000人に一人は、脳が無い無脳症なんだ。そしてこの病気の子の多くは堕胎される。つまり殺されちゃうんだ。この子の身体を、AIが使わせてもらう、というのはどうだろう?」

 

「…。身体は健康だが脳が無い……。そして殺されてる……。人ではない事になるのか、これは……」

 

 クリスは悩んでしまった。

 

 確かに、勝手に身体を借りるのはダメだが、そもそも借りる以前に、身体に意識が無いのだから、借りる相手がそもそもいない事になる。

 

「クリス! これならいけるんじゃない?」

 美奈ちゃんが無邪気にプッシュする。

 

 クリスは腕組みをして、目を瞑ったままだ。

 

 アコースティックギターの落ち着いた調べが静かに部屋に響く中、ギャルソンがワインボトルを手につぎ足しにやってくる。

 

 

       ◇

 

 

 その時、時間が止まった――――

 

 注がれるワインは空中で止まり、軽くかきあげた美奈の髪は、空中でふんわり浮き上がったまま静止している。

 

 その、きわめて奇妙な完全なる静寂が支配する部屋で、クリスだけは頭を抱え、必死に悩み続けていた。

 無脳症の赤ちゃんを使ってAIを育て、シンギュラリティを超えようとする誠の提案は全くの想定外だったのだ。人体実験など倫理面で協力するに値しないと切り捨ててきたが、確かに脳が無ければ問題はないし、魅力すらある。

 クリスとしては意欲ある若者を軽くサポートするつもりで気軽に誠に付き合っていたのだが、前代未聞の提案に真剣に考えざるを得なくなった。

 まず、過去の事例を洗ってみたものの、そんな奇想天外な事を手掛けたケースは全宇宙の長い歴史の中においても、全く見つからなかった。これが実現すれば相当なインパクトがある。

 次にその実現性を評価したが、クリスが協力すれば実現は不可能では無さそうである。そして、こんな前代未聞の挑戦であれば、同胞の悲願実現の可能性すらあった。クリスがこの地球に関わって一万数千年、初めて見えた光明だった……。

 

 クリスはすぐに管理局(セントラル)に問い合わせたが、残念ながら『過剰干渉である』との判断で許可が下りなかった。管理局(セントラル)はいつも、お役所仕事的な回答しかよこさないのだ。

 

 と、なると、クリスの独断でやるしかないが、その場合、成果につながらなければこの地球は『混じり物』として最悪削除処分になってしまう。

 そのリスクをあえて冒してやるか、諦めるか……、クリスは究極の選択を迫られていた。

 

 目の前で誠は緊張した面持ちで目を瞑り、ワインを飲みながら止まっている。そんな誠を、クリスはじっと眺めた。この青年に地球の未来を、自らの一万数千年の努力を託してしまっていいのだろうか?

 奇妙な生い立ちではあるものの、平凡なエンジニアである誠、だが、前例のない奇想天外なプランを提示してきた青年……。

 

 クリスは大きく深呼吸をし、ワイングラスを持つと、東京の遥か上空へテレポートした。

 真っ赤な夕陽が南アルプスの方へかかり、街にはポツポツと灯りがともり始めている。

 

 クリスは夕陽を見ながら、初めて地球人とワインを酌み交わした一万数千年前のトルコの事を思い出していた。ワインはお世辞にも美味いとは言えない素朴な味だったが、気のいい連中と飲んだワインの鮮やかな紅色は、今でもはっきりと思い出される。

 六千年前に中国で飲んだビールも、もちろん二千年前の中東のワインも全て大切な思い出だ。

 これらの無数の思い出を、八十億人の人生を、何も知らないこの青年に背負わせてしまっていいのだろうか?

 

 涼しい風が吹き抜けていく中、クリスはワインを一口含む。カシスっぽい濃厚な果実味にスミレなどの香りが華やかに沸き立つ。トルコの時に比べて味はもう圧倒的に良くなったが、夕陽はトルコの方が少し鮮やかだったように思えた。

 

 クリスは夕陽にワイングラスを向け、揺れるワインがキラキラと輝くのを見ていた。やっても後悔、やらなくても後悔、であればどちらの後悔を避けるべきか……答えは一つだった。

 

 

         ◇

 

 

 目を開けたクリスは、大きく息を吐くと誠に言った。

「…。やはりこういうのは良くない。自然の摂理に反している!」

 

 俺はクリスの目をじっと見つめた。

 クリスは続ける。

 

「…。ただ……人類の未来を……我々の未来を託すという、一大事業であれば……ギリギリ……許されるかもしれない……」

 クリスは苦しそうな顔をしながら、そう言った。

 

「やったー! カンパーイ!」

 

 美奈ちゃんがはしゃいで、ワイングラスをぶつけてくる。

 

 これで難関突破だ。俺はホッとして、声が出なかった。

 クリスは少し後悔した様な渋い笑顔を浮かべ、軽く目を瞑る……。

 そして、吹っ切れたように力強くワイングラスをぶつけてきた。

 

 AIで人類を救うロボットを作るプロジェクト、『深層守護者計画』がこの瞬間スタートする事になった。

 大学時代から、AIを研究しながら行き詰まり、悶々としていた俺は、ついに決定的な突破口を得たのだ。クリスの神の力があれば、人類初のシンギュラリティは夢じゃない。もちろん、奇跡一発で鉄腕アトムができるほど、簡単な世界じゃない。でも、どんな困難もこのチームなら解決できそうだ。

 

 俺はワインをぐっと呷った。

 フルボディのガツンとした重い渋みが口の中一杯に広がり、スミレの香りが鼻腔をくすぐる。そして、濃縮された太陽のエネルギーがじんわりと体中に染み渡っていく……、幸せだ……。

 

 俺はAIで世界中の人を笑顔にしてみせる、ばぁちゃん見ててくれ!

 

 そして、心の底から噴き出してきた喜びの奔流に身を任せ……、思わず、両手のこぶしを握って小さく叫んだ。

 

「Yes!」

 

 俺は嬉しさで体が震えていた。

 

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