Such a lovely place.   作:仁倉

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Such a lovery face.3

ペッシの容貌の変化に愕然としつつもプロシュートの頭は冷静に回転していった。何も思い出せてないというのにもかかわらずだ。

ペッシは苦しげに「あ…う…」と声を漏らしている。その姿はさながら早送りでも見ているかのようにゆるやかに老化していっている。

(コイツだ…ッ!このよくわからねー奴が出てきたからペッシがあんなになっちまってるんだッ!)

異形はなおもコックの動きを封じていた。あたりに紫煙が蔓延する。男に変化は見られない。

(マズい…コックよりもコイツの方がマズいッ!)

プロシュートはペッシの方にだっと駆け出しその手をつかむ。かさついて張りのない手にぎょっとしながら異形から距離をとろうと厨房の反対方向に回り込む。すると、異形は男から手を放してこちらへと台を乗り越え向かってくるではないか。

「ついて来やがるッ!」

周囲を見てプロシュートは咄嗟に冷凍室を蹴り開けた。そのままペッシとともになだれ込む。

(コイツは何だ!?見覚えがあるのに思い出せねえ!!)

異形はじりじりとプロシュートのもとに近づいてきていた。下半身が丸ごとないためかその歩みは遅い。先ほどまでコックを睨んでいた全身の瞳は今、プロシュートをひたと見つめている。万事休すか、とプロシュートがぎっと異形を睨んだ時、後ろにかばっていたペッシが声を上げた。

「兄ィ…体が楽になってる。」

「何?」

さっとペッシを見返すとその顔はいつもの弟分だった。異形は冷凍室に入ってくると一定の距離をおいてプロシュートの様子をうかがっている。……コックの時とは全く違う挙動だ。唖然としていたプロシュートは不意に思いつく。

(コイツ、ひょっとして寒さに弱いんじゃあないか?それに、俺から出てきたようにも見えた…こっちに敵意はねェのかもしれない。)

それはもうほぼ勘に近いものだった。常ならば数多もの可能性を提示し考察していくであろう彼だが、あいにくと今記憶にはもやがかかっている。しかし、そんな中でも彼はこの思い付きは正答なのだと確信できた。

(だが、依然コイツが何なのか分かったわけじゃねェ。どうするか…)

半透明の異形をじっと見つめ返していた時、ふいに「お客様ァァァ。」と低い唸り声が聞こえてきた。しまったと目をやるとコックがこちらに向かってギギギ、と歯ぎしりしながら向かってくるではないか。

「そこに立ち入るのは困るんですけどォォォ。」

「ちッ!てめえはお呼びじゃあねーんだよォッ!」

プロシュートが叫んだ刹那、異形は呼応するかのようにコックに向かって振り返り足をつかんだ。

「ぶっ飛ばせェェ!!」

ぐわっ。

異形がプロシュートの命令をきいた。太く機械的な3本指がコックの足をがしりと握りしめて勢いよく振りかぶった。

予備動作もなく行われたにもかかわらず、その異形のパワーは尋常ではないものだった。まるでプロのテニスプレイヤーがラケットを振りかぶるように力強く素早く豪快に、大の男一人をブンと放り投げたのだ。男は残像を残すこともなく冷凍室の棚の中に突っ込んでいく。がしゃーん!!とけたたましい音を立てて男は鉄製の棚に激突した。

「…!」

この異形の力には流石にプロシュートも戦慄した。人間ではありえないその威力。

…コックは沈黙して動かない。よくて重傷、といったところか。

「あ、兄貴…今の…」

ペッシは一瞬呆然とした後、かたかたと震えだした。

「…ビビってんじゃねー。多分、コイツは味方だ。」

一応ペッシをかばいながらプロシュートはそれに目をやった。異形はなおもコックの方を凝視している。

(超常現象かなんかかよ。まあこのホテル自体がそんなもんだがよォ…)

異形は動かない。やはりこちらに対して敵意はないようだ。…そしてプロシュートは確信した。

「コイツは……俺の言うことをきく。」

だがそうすると先程のペッシの老化が説明がつかないなと頭にもたげる。

(ひょっとして制御しきれない感じか?だが冷気でどうにかできるなら…)

コツコツとプロシュートは冷凍室から出る。ペッシは「兄ィ!?」と慌てるが気にかけない。異形はそんなプロシュートの後を二つだけの腕で器用についてくる。キッチンに戻ってからすぐ彼は冷凍庫をがらりと開けて氷をひっつかみ、手直なところにあった袋に乱雑に詰めペッシを呼ぶ。

「これ持っときゃあ大丈夫だ。」

さっと袋を3つ分作ったのち、ペッシに放り投げる。

「あっちの二人にも渡しとけ。俺はコイツを制御できないか試してみる。」

「へ、へいっ。」

ぱたぱたと走るペッシには目もくれずプロシュートは異形をはたと見据えた。

薄紫のボディに走る目がこちらを見てくる。おどろおどろしい外見だというのにひどく安心感を覚えるのが不思議でならなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あっちの二人は大丈夫でやした。止血も済んでます。」

ペッシが大事そうに氷を抱えながらプロシュートの傍に戻ってきた。紫煙は相も変わらず周囲を漂ったままだ。

「そうか。…煙だからか抑えが効かねェんだよな。多分(これ)のせいで老け込んじまうんだと思うんだが。」

おまけに敵にはそれが効かない。こんなのをずっと連れ歩くのも難儀だな、と口元に手を当てて考え込んでいると、あの、とペッシが声をかける。

「兄貴から出てきたってことは、兄貴が戻れって言ったら消えるんじゃあ…」

「!それもそうか…」

その言葉に戻れ、と願うと異形はすうっと姿を消した。途端に漂っていた紫煙もふっと霧散していく。

「当たりだな。グラッツェ、ペッシ。」

「へへ…。」

ぽんぽんと肩をたたくとペッシは破顔する。油断も隙もありゃあしないってのに、と思いながらもプロシュートは踵を返す。

「さて、これからどうするか、だ。とりあえず武器になりそーなモン持って出口探すぜ。」

言って二人はキッチンの引き出しやらを物色していく。果物ナイフや包丁を両手に二人組と合流した。

「ほれ、武器だ。自分の身は自分で守れよ。俺たちもヨユーがねェ。」

 

リストランテから出るためかすかに扉を開けて確認すると、先ほどの清掃員はいなくなっていた。降ってきた天井の鏡が無残に散らばるのみである。慎重に扉を開いていっても、一歩踏み出しても何も起こらない。

「…ったく。B級ホラー映画かっての。びっくり系ばっかで嫌になるぜ…」

「そういう兄貴は全然ビビってないじゃあないですか。」

「おれ…早く帰りたいよ。なんでこんなことになってんだよ…」

声を潜めて一行は愚痴を飛ばしあう。背の高い男は無口なのかうなずくだけにとどめた。背の低い方はナイフを構えて少々おびえているようで早口にぶつぶつとつぶやいている。

「とりあえずフロアマップ見てみません?まだ行ってないとこになんかあるかも…」

「そうだな。」

ペッシの意見を肯定して彼らは階段前のフロアマップに向けて歩き始めた。とりあえずは従業員など人影はない。

周囲に警戒を怠らないで進んでいく中、かすかにザザ、と音がした。はっと身構え耳をそばだてるとその音は天井付近から聞こえてくるようだった。

「…スピーカーだ。」

ペッシがごくりと息をのみ呟く。次は何だとプロシュートが半ばうんざりしたような心地で天井を凝視していると、だんだんと雑音が取れてきて声らしきものが聞こえてくる。

『……は……ませ…よ…』

まだ内容が聞き取れない。この場に残るべきか無視して先を急ぐべきか。逡巡していると一回ハウリングを挟んだ。そして。

 

 

 

『まだ業務は終わっていませんよ。』

その声がした瞬間、ペッシの足元が陥没した。

「!?」

「なっ…!ペッシ!!」

「兄貴ィィィ!!!」

プロシュートたちが必死に手を伸ばした時にはすでに遅く、その手はすべて空を切った。底なしの闇にペッシの持った包丁が落ちていく。

「つかまれェェェェ!!!」

背の低い方がナイフを投げ捨てて大声で叫ぶ。万事休すかと思われたその時。

ペッシが必死に右腕を伸ばした。そこから、ちゃりり、かしん、と何かが飛び出す。先端にかぎ針の着いたそれは一直線に背の低い方の伸ばした手のひらに向かってひゅんと音を立てて向かっていく。

その間にもペッシの体は落ちていた。だがそれよりも早くペッシの手のひらから飛び出たそれをペッシがしっかと握りしめた。

「!!」

それを目視したプロシュートは直感した。…型は違えど自分の、先ほどの異形と同質のものだと。

プロシュートは咄嗟に背の低い方が引きずり込まれないように彼を支える。それに背の高い男も加わった。

がくん、と反動がしてペッシの体重が伝わってくる。一瞬前のめりになるが踏ん張りなおし、三人は力を入れて引いた。

「待ってろ!今引き上げるからなッ!」

手のひらを握りこみながら男が叫ぶ。……ややあってペッシが手の届く範囲まで来たときに全員でその体を引っ張り上げた。その瞬間開いた大穴はすうっと消えていった。

「あ、危なかった…!こんなことまで起こるなんて…ッ!」

ペッシは手のものを握りしめながらドクドクと暴れる心臓を落ち着けようと息を整えているようだった。プロシュートは改めてそれを確認する。

それは釣り竿だった。大きめのかぎ針が付きリールのところには何かの頭骨のようなデザインがあしらわれている。

(これは……包丁だなんて目じゃねェ。使える。)

何より自分が見込んだ弟分のことだ。この能力は、役に立つ。

「ペッシ、それは多分俺のもんと一緒だ。いつでも出し入れできるように用心しとけ。」

「は、はいッ」

 

 

 

 ***

 

 

 

道中新たな力と手に入れたペッシをしんがりに彼らは階段前に到着した。相も変わらずぐちゃぐちゃなのか正確なのかわからぬフロアマップがそこにはある。今のところ奇怪なことは起きていない。

「あと行ってないのは…って言ってもいっぱいありやすよね。個室一つ一つ見るのはリスキーだろうし…」

「だな。それに今更部屋にも戻れねえな。階がわからねェ。」

4人はマップを見て唸る。

「そういえばあんたらはどこの部屋だったんだ?」

「602だ。…幸い荷物がまだ届いてなかったから戻る意味もないとは思うけど…」

片方が困惑しながらプロシュートの問いに応じた。それに乗じて背に高い方もぼそり、とつぶやく。

「…荷物。」

「ん?」

マップから目をそらさずに男は続けた。

「荷物ってどこに預けたんだったかな、と。」

その言葉にプロシュートははっとしてズボンのポケットに手を突っ込んだ。……ライターしかない。

(携帯がねえ!いつも入れてるはずだったのに!)

「ペッシ、お前携帯は?」

「え?そんなの従業員室に…あっ。」

思い浮かべてペッシも気が付いた。自分たちの記憶につながる何かがそこにあるのではないか。

「スタッフルームはどこだ?!」

プロシュートたちはマップに目を走らせる。…が、そこにスタッフルームの記述はない。

「畜生、一階か…!そもそもこの空間に一階が存在してねえってのに!」

ギリ、と歯噛みしたプロシュート。だが、待てと声をかけるものがいた。…背の高い方の男だった。

「上の方に支配人室がある。」

男が指をさしたのはマップ上方ぎりぎりのところにある小さな記述。客室がなく事務室やらVIPルームやらが集中しているその階層の一角にそれはあった。

「これは……親玉がいそうだな。」

苦々しく思いながらも、プロシュートの目には好戦的な光が灯っていた。

 

コツコツコツと一行は階段を上っていく。どれだけ警戒しても何かしらの現象がのべつまくなしに起きる中、階段では遭遇した覚えがない。それを思って足音には注意を払っていない。

「ところでよ。俺は入ってきた時の記憶がねェんだがお前らはどうなんだ?」

「俺も気が付いた時には働いてやした…なんでかわかんないけど。」

「俺たちも覚えてない…!普通チェックインとかするためにカウンター行くと思うんだけど。」

背の低い方が漏らしたチェックインの言葉に何か引っかかりを覚えながらプロシュートは考える。

(今までの奴らのこと考えてみると…ここはホテルって形式でもって閉じ込めようとしてやがる。じゃあ支配人は何してくるんだ?)

思考の海を漂っているうちに目的の階に到着した。フロアに入る前にいったん立ち止まって呼吸を整える。

(敵の本丸だといいんだがな…。従業員の一人ってカウントなら今までと変わらねェ雑魚敵の一人か…)

目的が決まった以上は迷わずに突き進む。ずかずかとプロシュートは支配人室へ向けて足を運んだ。扉の前でぴたりと止まって一拍おき、バンと勢いよく蹴り開けた。それと同時に出てこいと念じる。…紫煙とともに己の中から異形がゆらりと現れた。

「…邪魔するぜ。」

比較的広い一室。木製のアンティーク棚に書類や本がきちんとしまわれている。窓ガラス前には同色のどっしりとした書斎机と事務椅子がある。置かれていた観葉植物からはらりはらりと葉が落ちた。

「…誰もいねえな。好都合だ。」

プロシュートはポケットに入れていた手を出しながら戸棚へと向かう。

「なんか手掛かりありそうだ。ペッシ、探すぞ。」

「へいっ」

ききィと音を立てて戸を開き書類を取り出す。…古びた書類は英語で書かれている。が、癖の強すぎる筆記体で書かれており解読ができない。

「なんだこりゃあ…?暗号か?それにしては量が多すぎる…」

一度ざっと目を通した書類は放り出しながらプロシュートは言う。それに対しペッシは本を一冊一冊戻しつつも答えた。

「こっちも文字が変です…なんか単語にもなってない羅列って感じ。」

バサバサと振っても何も出ない。これははずれかと早々に切り上げプロシュートは書斎机の方に向かった。

「ペッシとあんたらは本棚見といてくれ。俺はこっちの…」

「何をしてらっしゃるんですか。」

 

 

 

 ***

 

 

 

酷く静かで低い声。はっと振り返ると扉をふさぐようにスーツの男が立っているではないか。

(来やがったか…!)

物音もなく戸を閉めた偉丈夫は黒い瞳でプロシュートを見やる。今まで出会った従業員のように抑揚ない声で告げた。

「いくらお客様といえど狼藉が過ぎます。お引き取りください。」

ひゅっ、とプロシュートの耳元で音がした。

……びぃんと壁に刺さるペーパーナイフ。それは丁度プロシュートの後方、書斎机から飛んできた。つうっと彼の頬から血が一筋流れる。

「お引き取りを。」

「…じゃあ出口を教えろってんだよッ!!」

プロシュートが吠えたと同時に、机からはさみやカッター、万年筆がふわりと浮き上がった。…支配人であろう男は冷淡に告げる。

ホテル(ここ)を離れることはできません。」

「なら素直にお引き取りはできねェェなァァ!!」

それが引き金となった。刃物のすべてがプロシュートにびっと飛んでくる。プロシュートは異形に弾けと命ずると支配人に突っ込んでいく。異形は片腕で難なく刃物をいなしたが、それらは弾いた先から再び弧を描いて戻ってきた。

「ペッシ!こいつは俺がひきつけるッ!お前は机をあされ!」

「え!?は、はい!!」

慌てて机に走り出すペッシを尻目にぐんと距離を詰めたプロシュートは支配人に上段蹴りを放つ。しかしそれを支配人は腕で受け流した。そのままプロシュートの胸倉に手を伸ばしてきたため彼は身を半回転させていったん距離を置く。

「ちッ!」

(支配人ってだけあって面倒くさそうだな!異形(アイツ)に刃物任せてる以上コイツは俺自身がやるっきゃねェ!)

部屋中の刃物が宙を舞うが異形の手では掴み切れない。巻き添えを食って同行の二人が悲鳴を上げるのが端で聞こえる。

支配人は扉の前で構えも取らず泰然と立っている。こちらから近づかなければ何もしなさそうだがそうすると退路がない。

(全員で無事に脱出するためにはコイツを何としてでもどかさなければならない…!)

こうなったら刃物を無視して異形で支配人を攻撃する。そうプロシュートが決めた時だった。

「兄貴ィィ!!!」

ペッシの腹からの声が耳に届いたのは。

 

刃物が舞う中、ペッシは必死にそれを躱しながら机にたどり着く。大振りで引き出しのたくさんある書斎机の上には何も置かれていない。たった今すべてが宙を舞っているからだ。

(急がなきゃ…兄貴たちが傷つく前に!)

同行した二人は頭を守りながら壁際に退避しているが、異形が弾いた刃物そのものが目の前をかすっていっている状態だ。金髪の男は悲鳴を上げ、黒髪の方はコックに負傷させられた腕をかばいながらひたすら壁に身を寄せている。

(でもどうすればいいんだッ!何を探せばいいっていうんだよォ!)

身をかがめながら引き出しを上の方からガラガラと開ける。書類、書類、書類。子供が書きなぐったかのようなのたくった文字の羅列。糸口は全くつかめない。

(どれだ…!?なんだ!?ここには何もないんじゃあ…!?)

祈る気持ちで最後の引き出しに手をかける。ここに何もなければすぐにでもプロシュートに叫ぶ心持ちで勢いよく引き出しを引いた。

はたしてそこには一冊の帳簿のようなものがあった。今までこの部屋で見たものとは違う外観にこれは、とペッシは目を止める。

(何かだッ…!これは何かあるッ!!)

慌ててその帳簿をめくると、水を零したかのようににじんだ文字の羅列。その隣は空白になっており不自然な印象を受けた。何か手掛かりはないかとペッシは素早く隅まで目を走らせながらページを急速にめくっていく。

と、あるページでペッシの手が止まった。『pesce』のか細い筆跡と『Prosciutto』という力強い筆跡の文字を最後に記述が途切れている。

そのページの上の欄には「宿泊者名簿」の文字。その下の左側には「チェックイン」。右には……

「チェック、アウト…」

ぽつりとつぶやいた瞬間ペッシは確信した。()()()()()()()()

プロシュートに急いで告げようと顔を上げた時だった。銀髪の支配人がプロシュートに掴みかかろうとしたのを彼がすんでで躱したのをペッシは目撃した。……そして予想が付いた。次にプロシュートがとるであろう行動を。

「兄貴ィィ!!!」

ペッシは思わず叫んで机に足をかけながら立ち上がる。右手に力を籠めると先程己を助けた釣竿を出現させた。

臆病な自分にどうしてこんなことができるのだろうか、という考えは取り去らわれていた。

ブンッと大きく振りかぶって針と糸を一直線に支配人に向けて放つ。猛スピードで突き進んだそれはどんな刃物よりも早く支配人の胸に食い込んだ。

ギュルギュルとリールを巻きあげつつ手足にぐっと力を込める。そして一本釣りの要領で支配人の体を釣り上げた。

「ペッシ!」

「うおおおおお!!」

その勢いのままペッシは支配人を窓ガラスに向かってたたきつける。案の定ガラスは割れることはなかった。ずるり、と支配人の体が崩れ落ちる。

「兄貴ッ!見つけました!!早く離れましょうッ!!」

その声にはっとしてプロシュートは黒髪の方へ駆け寄り手を貸した。ペッシも金髪の方に手を差し出しながら扉に向かってかけてゆく。

「ま…て……」

支配人が手を挙げる。

刃物が飛んでくる中彼らは廊下を駆け抜けた。刃物はプロシュートを追尾するように執拗だ。プロシュートの異形が振り返りつつ撃ち落としていく。飛んでくる速度は落ちたが、その勢いはとどまることを知らない。

「こっちは俺が何とかする!ペッシ!何を発見したっていうんだ!?」

怒鳴りながらプロシュートは振り返った。ペッシが手にがっしりと掴んできた帳簿をさっと見せる。

「これですッ!『宿帳』だ!!あの部屋ン中で唯一読める文字でした!俺たちの名前も書いてありますッ!!これがこの現象を引き起こしてるんじゃないかって!」

「よく見つけたッ!!」

ばっとプロシュートはその宿帳をペッシから受け取るとポケットに入っていたライターを取り出す。

「これさえどうにかすれば帰れるッ!」

かち、と彼が火をつけようとした瞬間ペッシの中で勘が働いた。

「待ってくだせえ!兄貴ッ!!」

「なんだ!?なんだっていうんだペッシ!!」

プロシュートが吠える中、ペッシは真っ正面から彼の目を見てこう答えた。

「ここはホテルなんでやしょう!?だったら()()()()()()()()()()()ッ!!」

その言葉にプロシュートは目を見開いた。

「そうかッ!それが条件かッ!!」

プロシュートはページをバラバラとめくって自分たちの名前の欄を見つけ出す。胸元からボールペンを取り出し床に宿帳を置いて。

「これで詰みだッ!!」

『pesce』『Prosciutto』とチェックアウト欄に()()()()()

 

 

 

 ***

 

 

 

その瞬間、刃物が空中停止した。ぴたりと止まった刃物は4人の目前ではらはらと霧散していく。

「…やった!!」

ペッシが叫ぶとともに、ふわりと体が軽くなる感覚がした。足元が不安定になる感覚に慌ててプロシュートは残る二人にボールペンを渡す。

「これで出られるぞッ!お前らも早く名前をかけ!!」

喜色をにじませながら声をかける。

 

だが、それを裏切るような一言を、金髪の背の低い男が言った。

 

「名前って………なに?」

体を浮かせ呆然とする二人に、ペンを持って亡羊とする二人。黒髪の背の高い男も何も答えない。

「…え?」

その時になってプロシュートたちは愕然とした。

何故、自分たちは彼らの名前を聞きもしなかった?

姿をよく見ようともしなかった?

この現象について詳しく尋ねなかった?

……何故、こうも離れたくないと思っている?

「おいッ!!なんでもいい!!思い出せッ!!」

空間がゆがむ中プロシュートは必死に叫んだ。二人に手を伸ばそうとするが、強固な力がプロシュートたちをホテルからはじき出そうと働いていた。

「なんでだよ!!お前ら!!お前らも出るんだ!!一緒に帰るんだ!!」

ペッシは釣り竿を………『ビーチ・ボーイ』を振りかぶって二人に向けて放つ。

「刺され!かかってくれぇ!!」

なぜこんなに泣きそうなのだろう。ここで逃したらこの二人とは一生あえなくなるような気がする。だが、百発百中のビーチ・ボーイの針すらも彼らのもとには届かなかった。

プロシュートはまだ手を伸ばす。喉がはり裂けんばかりに叫ぶ。

「畜生!なんでだ!!俺はあんたたちを知っている!!思い出せねェ!!なんでだ!!」

取り残された二人はプロシュートたちを見ていた。ただ、見ていた。

「思い出してくれ!!一緒に帰るんだ!!おいッ!!聴いてるのか!!」

二人が遠くなる。薄れていく。闇に飲まれていく。

 

 

 

ペッシのビーチ・ボーイの針も、最後まで抗ったプロシュートの叫びと手も、その二人のもとには届かなかった。

―――二人が消えたあとには、しんと静まり返った廊下と物言わぬマネキン2体がそこにあるだけだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

ドン、と体に重さが戻ってきたと同時に、プロシュートたちは元居た無人のうらぶれたホテルの中にいた。

ただ、呆然と立ち尽くす。……ややあって、ペッシががくりと膝をついて崩れ落ちた。

「あ…ああ…あああ…!」

ペッシの頬を涙が伝う。その理由をプロシュートは嫌というほどに分かっていた。

すべて思い出したのだ。よりにもよってあの二人から引き離された、無事に帰ってこれたこの瞬間に。

「ソルベ……ジェラートぉ……!」

呻くようにすすり泣くペッシに対して、プロシュートは叱咤することもできなかった。

長い沈黙の後「ちッ」と盛大な舌打ちをして、プロシュートはふらりとホテルのカウンターに向かっていった。

そこにはチェックアウト欄に自分たちの名前が刻まれた宿帳がただ置かれていた。

「………」

プロシュートは暫し宿帳を睨みつけるとおもむろに手を伸ばした。パタリ、とそれを閉じて窓辺に向かう。

無性にタバコを吸いたかった。ポケットから箱を取り出して一本咥える。ライターをかちりと鳴らして火をつけた。そのまま、宿帳の角に火を持っていく。

ぱちぱちと静かに宿帳は燃え始めた。何もないはずなのに、どこからか悲鳴が聞こえたような気がした。

ホテルにはしばらく、ペッシの押し殺した泣き声と火がはぜる音しかしなかった。

 

『pronto』

相も変わらずワンコールで相手は電話をとった。

「…プロシュートだ。任務遂行。ペッシも無事だ。」

『…そうか。無事だったか。』

淡々としたその声に、プロシュートはあの支配人――リゾットの姿をしていたものの言葉を思い出す。

“ここを離れることはできません。”

確かにあれはそう言った。そして、それはある意味正しいのではないかとプロシュートは思う。

『…どうした?』

常なら無い沈黙にリゾットが訝しげに問う。慣れ親しんだものにしかわからない優しさをはらんだその声に、プロシュートは思わずつぶやいていた。

「…あいつらが助けてくれた。」

不審そうに問いかけてくるリゾットに詳しいことは答えないまま一方的に言う。

「取るぞ。栄光も……仇も。」

言ってプロシュートは電話を切った。行くぞ、とペッシに静かに声をかけて扉を開ける。あたりはもうすぐ夕日が沈み切るところだった。

 

 

――後日、女性の焼死体が見つかった。麻薬をやっていたという形跡が残るのみで身元は不明。

あの宿帳に何人の名前が記帳されていたか、プロシュートたちは知らない。

 

 

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