秘密遊戯 -I must be cruel, only to be kind- 作:流火
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自分がどんな酷い事を行うかが分かっていても怒りは抑えられない。人間に最大の禍をもたらすのが怒りである。
エウリピデス (ギリシャ三大悲劇詩人の一人)
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(最初から受け取っていたプロフィール通りではあるわね。正義感は強いけど、人間不信。誰も信じてない癖に、人を助けようとする――凄く、苛々する)
渚は冷めた目線で、自分を突き放した川瀬進矢の後ろ姿を見つめる。
どれだけ正義感が強かろうが、モラルに優れた人間だろうか……最終的にゲームに乗る。さもなければ、その前に死ぬ。
それを知っている渚であるだけに、別に焦る気持ちはない。
ただし、彼女に湧き上がる気持ちは止められない。
(でも、川瀬君は誰も裏切らないかもしれないわね。最初から誰も信じなければ、裏切られても傷つかない……傷つかなければ、本性を晒す事なんてないのかもしれない)
渚は自分の胸の内に昏い炎が燃え上がるのを自覚する。
その炎が怒りなのか、嫉妬なのか分からない。
ただ、渚には1つの目的意識が生まれた。
何としてでも、川瀬進矢の本性を暴き出そうと決意した。
もし、誰かに裏切られた記憶を失っているとしたならば――もう一度、癒えない傷を川瀬に刻みこまなければならない。
(でも、今裏切ろうにも川瀬君が私を信じてくれない限りはダメージは少ない。つまり、裏切る為に信じて貰わないといけないわけで――)
そしてそれは、渚にとってはいつもの事だ。
既に両手で数えられない程は繰り返したお仕事、それでいて渚の初ゲームの再演。
人間なんて誰もが裏切るのだ。
そう信じてるからこそ、渚は進矢に対して酷い憤りを抱いている。
同じ事を知っている筈なのに、全く異なる結論を出している進矢。
それは渚にとって、世界の異物にとって他ならず。
だからこそ、彼を今までと同じ人間である事を証明しなければならないのだ。
誰も裏切らない強い人間上等。
そんな人間も、誰かを裏切る事を証明できれば――綺堂渚の世界はより強固になる。
だからこそ、まずは川瀬進矢を守ってる心の鎧を剥がす必要がある。
仮面の下で決意を固めながら、思案を進める渚は、自分の服の中でPDAが振動している事に気付く。
(指令にしては早いわね……何かしら?)
疑問を抱きながら、PDAを取り……その内容に笑みを浮かべた。
どうやら、組織も同じ考えだったようで非常に――動きやすい。
「うーん、おかしいな。何故だ?」
「進矢君~、どうしたの~?」
「いや、このコンクリート壁なんですけど」
御剣さんと矢幡さんの証言を信じてなかったわけではないが、何か気付きがないかエントランスに来た俺達。
確かにエントランスには頑丈なシャッターが降りており、一部シャッターが破れ、その先でコンクリート壁が俺達が逃げ出す事を阻んでいる。
……それがおかしい。
ルールを見る限り、そんな事をする必要がないのだ。
「どうして、このゲームを運営している連中はコンクリート壁なんて作ったんでしょうか? なんというか、優しすぎるように感じます」
「そ、そうなのかな~? 私は怖いと思うけど~」
「確かに一目見れば怖いです。その後は怒濤の展開で気付かなくても仕方ないかもしれません。でも……冷静に考えれば分かります」
今はコンクリートがあるから、絶対に逃がさないという組織の意志を感じる。
コンクリート壁を壊そうとした痕があるから、このゲームは複数回行われたである事も推測はつく。
納得はする、だが――そうである必要性が分からない。
「俺はルールを読んだ時、最初に出るであろうルール違反は【ゲームから脱出しようとして、建物に出る】ルール違反で死人が出るんじゃないかと思いました。だからこそ、記憶を失う前の俺はエントランスへの移動を勧めたんだと思います。だけど、実際のエントランスは出れない構造になっている……ならばルール5に【屋外は進入禁止エリア】なんて書く必要はない。……これは、何かのヒントになり得るんじゃないでしょうか?」
「ヒントって、実は外にでる方法があるって事~? でも、仮に外に出れたしてもルール違反である事は変らないんじゃないかな~」
「えぇ、その通りです。今すぐ役に立つ訳ではないですが……それでも、覚えておいて損はないと思います」
「うん、分かった~!」
実際、この思考実験が役に立つかは分からない。
だが、現状首輪問題を解決する切片がないため、1つずつ検証して何かを掴まなければならない。
同時進行で綺堂さんの反応を伺っているが、ややぎこちない気がする事しか分からない――まぁ、俺の所為なんだが。
まだ諦めるには序盤も序盤だが、閉塞感が強いのが心を蝕んでくる。
考えないようにはしているが、【Q】を殺すという別の安易な逃げ道が用意されているから尚更だ。
他に何かないかと、キョロキョロとエントランスを見渡していると綺堂さんが声を掛けてきた。
「うーん、総一君と麗佳ちゃんはもう戻ってこないのかな~」
「帰ってこないって事は、二人は無事合流できたという事ですね」
「そっか~……麗佳ちゃん、もう私たちとは一緒に行動するつもりはないのかな」
「彼女の解除条件は知りませんが、彼女がそう判断した以上は――そうした方が良いんでしょうね」
心配する気持ちはあるが、矢幡さんの事は御剣さんに任せよう。
矢幡さんに関しては……解除条件で嫌な予感がするが、それを上手く言語化できない。
何かが引っ掛かっている。
だが、答えを導き出す為のピースが足りない。
分からない事が多すぎる。
いずれにせよ、矢幡さんに対して俺にできることが何もない以上は考えるだけ思考リソースの無駄だ。
考えるべきは、今いない女性ではなく目の前の女性なのだ。
「むぅ〰……ね、ねぇ……進矢君? 私、何か悪いことしちゃったかなぁ~?」
「綺堂さんは何も悪いことしてないので、気にしなくていいですよ」
「で、でもでも! さっきから、進矢君何か事務的だし……私、家族や親戚からそういう事で、よく怒られちゃうから……」
「あぁ、苦労してそうですね。じゃなくて、今回の件に関しては100%俺が悪いので大丈夫ですよ」
「うぅ~、でも進矢君はゲーム壊した時の従兄弟と似たような雰囲気がある~」
自分で作った空気とはいえ、居心地の悪さをひしひしと感じる。
――せめて、綺堂さんを信じるフリ位はするか……?
などと考えてみるが、俺にそんな器用さはないと思うし、不誠実だ。
そういうのは態度に出てしまうものだと思うし、俺の中での綺堂渚は察しの良い人間だ。
【彼女が信用できない】と【彼女を守りたい】の二つの想いが対立し、いっそ綺堂さんの方が見限ってくれれば……なんて、考えてしまう。
ショックがないといえば嘘になるが、矢幡さんがそうしたようにだ。
さて、自分の決断に後悔するのはここまでにしよう。
選んだ以上、3日間我慢するだけだ。
しかしながら、今の関係に悔いらしきものが以上、多少の修正は考慮に入れるべきか。
記憶のない俺なりに考えてみるが、こういうのは多分だが双方の合意が居るんじゃないか?
今の状況は、俺が一方的に突き放している状態だから、綺堂さんも納得できてないんだろう。
……多分?
深呼吸して考えてみよう。
結論は変わらないとはいえ、先程の綺堂さんへの態度は一方的な通告のようなものだ。
相手の事情を一切無視して、コミュニケーションを断っている……これはよろしくない。
つまり、改めて角の立たない断り方を考えるしかない。
俺にその辺の記憶は欠片も無いが、幸か不幸か知識は生きている。
ならば、基本に忠実にいこう。
一つ、一方的になってしまった事の謝罪をする。
二つ、俺は綺堂さんを蔑ろにしたいわけではないこと。
三つ、今回の件の埋め合わせをすること。
その上で、俺の目的である『適切な距離感を保った関係をゲーム中に維持する』という要求を通す必要があるわけだな。
……行けるか?
分からんが、やらないよりはマシだろう! 多分。
綺堂さんの反応次第でスタンスとかそういうのが透けて見えるかもしれないしな……。
ということで、借りてきた猫のように大人しくなっている綺堂さんに向き合う。
咳払いを一つ、改めてゲーム以外の事を話そうとしようとすると緊張してきた。
「綺堂さん! 冷たくしてしまって、ごめんなさい!」
まず、頭をさげる。
この作戦で大事なのは、俺が終始状況を握る事だ。
なので、多少身振りはオーバーでも良い。
頭を下げているので相手の表情は見えないが、急な行動で呆気に取らせる顔がイメージできる。
「し、進矢君……急に、どうしたの~? 大丈夫だよ、気にしてないから~」
「いえ、自分が悪かったんです。もう少し、自分の考えとか開示して相談するべきでした」
そして、俺のオーバーな対応に綺堂さんが緩く許す言葉を出したところに、畳みかける。
ここで、この状況を許容すると以前の緩い関係に逆戻りだ。
相手を尊重しつつ、自分の要求を通すのが大事になる。
「なので、僭越ながら……今ここで俺の考えを述べさせて頂きます」
「う、うん……分かった」
よし、綺堂さんの表情が真面目モードになった。
スタンスのすり合わせ大事、あとで決裂するのは俺も望むところではない。
やれるところはやっていこう。
要点は次だ……ぶっこむぞ、俺。
「改めて話しておきましょう、ゲーム中に完全な信頼関係を結ぶのは無理だと俺は考えています。現に俺は【綺堂さん】の事を完全に信じる事はできません。」
「私としては~。ほかの人は兎に角、進矢君の事は信じてるんだけどなぁ~……それで、考えって?」
「このゲームが終わったら、仲直りに二人でデートしましょう! なので、この3日間はドライに当たる事をお許しください!」
勢いのままに言葉を出し切り、頭を下げる。
デートという単語にちょっと顔が熱くなるかもしれないが、必要経費だと割り切る。
つまり、考えとしてはこうだ。
俺は綺堂さんと仲良くなりたいという気持ちはあるけど、ゲーム中はゲームに集中したいので、このゲーム中は一線を引きますよ~という意志表示だ。
綺堂さんが完全に白で、不安から過剰に俺に付き纏おうとしてるとしてもある程度不安は解消できるだろうし、逆に黒で俺を懐柔しようとしていたとしても口実を潰す事ができるだろう。
埋め合わせはゲームが終わった後の自分に投げればいいのだ。
完璧な作戦だ。
……あれ?
今更だが、なんで牽制みたいになってるんだろう?
――なるほど、記憶喪失の癖にゲームの本質をよく理解できてるわね
川瀬進矢の言葉に内心では、同意しつつ……どうしたものかと渚は思考を巡らせる。
このゲームでは誰も信じられない、さりとて一人でクリアするのは難しい。
なので、クリアするだけの最適解を求めるならドライなままで、裏切り前提の利害の一致だけの協力関係を保つ……というのは一つのは解と言えるだろう。
今まで、渚に対してこのようなアプローチをしてきた参加者は居なかった。
天然でほんわかとした害の少ないプレイヤーとして振舞う渚に対して、1対1でそういう事を提案するプレイヤーはいない。
適度に利用しようと考えるか、とりあえず同行し……その後は渚にデスゲーム中の清涼剤としての役割を求める事が多い。
渚に与えられた役割から、それが一番冴えたやり方だった。
(このままだと、郷田さんの作戦だけじゃ難しそうね……)
しかし、川瀬進矢にその役割は必要ないらしい。
組織の人選ミスじゃないの?
と内心愚痴りたくなる渚だが、自分のミスから始まった事だ。
今回の仕事はきっちりやり遂げなければならない、そして進矢の心をズタズタに引き裂く必要がある。
命がけの仕事だ。
セカンドプランだって当然用意はしている。
滅多に使うものではないし、失敗した時のリスクもある。
(記憶があれば、多分通じなかったでしょうね。でも、今の川瀬進矢なら……)
しかしただ殺すだけなら、かつてのゲームの再演にならず、ただの作業になってしまう。ショーも盛り上がらない。
故に渚は黒い覚悟を以って、その作戦の実行を即断した。
こうして渚は自分の中に叩き込まれた、ゲームマスター心得の一つ――『恋愛心理学と男の落とし方』の実践に移す。
「良かったー---! 進矢君に嫌われたと思ったよ~!」
「て、え……ちょ、綺堂さん!?」
まずは、川瀬進矢に飛び掛から勢いで彼の両手を包み込むように握る!
嬉しい表情を作り、至近距離で彼の表情を見つめると彼は頬を赤く染め、顔を逸らした。
渚は内心で第一関門の突破を確信する。
完全に嫌悪感を持たれてたらこの作戦はアウト、ちゃんと異性として認識されているということだ。
「き、綺堂さん……!? 俺の話を聞いてましたか??? ゲーム中は距離を置いてください! ドライでいましょう!?」
「うん、勿論聞いてたよ! 約束の、ゆびきりげんまんしようよ~」
「え、えぇ~。いや、良いですよ!? もう……ゆびきりしたら約束履行してくださいね?」
「は~い! ゆびきりげんまん、嘘ついたらハリセンボンのーます! やったぁ! 進矢君とデートできる~!」
「あぁ……はい、喜んでもらえて良かったですよ」
恥ずかしそうに小指を差し出す川瀬進矢に対して、ぐいぐいと小指を絡めて『約束』する。
もう、この場の主導権は渚のものだ。
主導権を握り返そうと、川瀬進矢が言葉を発する前に強襲をもう一発入れておく。
「進矢君……『約束』、だから……絶対に一緒に生きて帰ろう、ね?」
渚はサッとテンションを切り替えて、自分の両手を祈るように組み、悲しそうな表情を作って上目遣いで進矢と目を合わせながら言う。
このようにサッとギャップを意図的に作ることで、男性の心を揺らがせる事ができるのだ。
人の心を操るのはそのメカニズムさえ把握しておけば、難しいようで割と簡単なのである。
「え、えぇ……分かりましたよ! それは、ズルいですよ……綺堂さん……」
川瀬進矢は顔を染めながら、半ば自棄になって渚の言葉を肯定する。
ズルいのはズルいが第二関門突破だ。
これでこの場は完全に渚が支配した。
なので、最後の仕上げに移る。
「うん! じゃあ、私も進矢君との約束を守るね~。 つーん、つーん~」
「その擬音要ります? というか、離れすぎでは???」
「だって、進矢君の負担になりたくないも~ん」
最後の技はあえて離れる! オーバーに離れる!
近くに居た人がいきなり遠くに行くことで、逆に意識させる手法である。
同時に、『約束』を大事にするというアピールも兼ねている。
言うならば恋とは魚釣りであり、今の渚は餌だ。
まずは餌の存在をアピールした後に、わざと離れる事で相手の方から追わせるのである。
「私も、もっと近くに居たいけど~、進矢君の為に心を鬼にして離れます~! つーん、つーん~!」
「……目が届く範囲と、すぐに助けに行ける範囲には居てくださいね?」
「は~い~!」
小言を言いながらも、真っ赤な顔で頭を抱えている川瀬進矢を見て、渚は自身の作戦の成功を確信するのであった。
(お膳立ては済ませた……後は熟練のゲームマスターさんの手腕に期待、かしら? 川瀬進矢、貴方は最期にどんな顔を私に見せてくれるのかな?)
今の俺の気持ちをたとえるならなんて言えば良いだろうか?
ひたすら壁を殴りたい?
ベッドに寝転んで、足をじたばたさせたい?
例えるならそういう感情で、つまり自分の中に制御できるかよくわからない熱い感情が生まれたようなもので。
(どうして、こうなった……! どうして、こうなった!)
最初は自分の目的の達成に上手くいっていたと思っていたが、蓋を開けてみれば後半ずっと綺堂さんに翻弄されてしまった。
一見すれば、彼女に悪意がなさそうな動きをしているのが本当に性質が悪い。
……綺堂さんの顔をまともに見れる自信がない。
だが、こうして急に綺堂さんに距離を取られると、逆に不安になってくる。
あの手塚という男のように、危険人物がどこかに隠れてるかもしれないし、あるいは罠が仕掛けられているかもしれない。
綺堂さんの笑顔が、苦痛や恐怖に変貌するのが非常に……怖いのだ。
それならいっそ近くに居てくれた方が……と思わなくもないが、それは本末転倒なのである。
(あぁもう、今後の事を考えなきゃいけないのに……! 俺の馬鹿、綺堂さんの馬鹿……)
平常心を取り戻すにはもう少し時間が必要そうであった。