人は真に絶望した時、笑うことしかできないらしい   作:赤桃猫

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 平日はあまり時間が取れないこともありますが、本作の続きを書いていた筈がいつの間にか別のアークナイツ二次のネタを書き殴っていたのがいけないと思うのです。
 そんな感じの無計画マンですが、お付き合い頂けると嬉しみが溢れ出します。




彼女の寛恕、或いは──

 ──両者の間には、非常に微妙な空気が流れていた。

 

『いやぁ、まさかこんなに早く話し相手が増えるとは。思ってもみませんでした』 

 

「そ、そうかい」

 

『ああいえ。ケルシー先生がダメってわけじゃないんですけどね。でもやっぱり、同じ相手だといずれはワンパターンになってきてしまうといいますか。どうせなら相手は多い方がいいですし』 

 

「なるほど、そいつは、あー……光栄だ」

 

 正しくは、微妙な空気なのはこちらだけだ。向こう側にはその片鱗さえも感じられない。

 あまりにも、温度差がありすぎる。

 男の後ろで立会人として様子を見守るケルシーには、安堵すべきか呆れるべきか非常に迷う光景だった。

 

 ひとまず、最初の懸念点は突破したと言っていだろう。

 彼自身がどれほどのトラウマを抱えているのか推し量ることはできないが、再会して即座に発狂──という最悪の事態は免れた。

 ガラスの向こう側に安置された彼女を目にした時、僅かに呻きはしたものの本人が続行を希望。ケルシーが間に入ってタレスに彼を紹介し、今に至る。

 

 この男がタレスを保護した者の一人であることは──まだ伝えられていない。

 いや、厳密には伝えようとした。したのだが、それよりも早くタレスが彼に怒涛の勢いで話し始めたのだ。

 

 ──おお、こんにちは。 もしかしてあなたも私と話を? それはありがたいです。

 

 興奮気味に上擦ったそんな言葉から始まり、狼狽える男など知ったことかとばかりに捲し立てるタレス。

 早々に出鼻を挫かれた男は、彼女に相槌を打つのがやっとの状態だった。

 

『おろ、そんな畏まらなくていいんですよ? もっと気楽に話しましょう』

 

「あ、ああ。いや、すまん」

 

『うーん……あんまり変わってませんね』

 

 今のところ、男に危険な兆候は見られない。というより、いきなり友好的に話し掛けられたせいで、困惑が勝っているといったところか。互いに無言といった気まずい空気にならなかったことは男にとって僥倖かもしれない。

 

 ──助けて下さい、ケルシー先生。

 

 狼狽える男がケルシーへと横目で視線を向ける。口にはしなかったが、おおよそそんな意図を伝えようとしているのは理解した。

 問題が起きない限りは傍観していようと思っていたが、一度助け舟を出した方がいいだろう。

 

「タレス。彼が今日ここに来たのは、君に話があるからだそうだ」

 

『おや、そうなんですか? でも一緒ですよね、私も彼と話がしたいので』 

 

「……少しは彼の話を聞いてやれ、ということだ」

 

『あー、そういうことですね。すみません、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃいました』

 

 反省の意を表しているのか、タレスは声の調子を落とす。こういう部分を聞くと、やはり素直な少女のようにしか思えない。

 ケルシーは男に目配せし、再び後ろへと下がる。彼は目礼を返した後、強く息を吐いていた。あとは、彼次第だろう。

 目的は、男の精神的な傷の回復。そしてあわよくば、ロドスが彼女を受け入れる足掛かりに。

 どちらがより重要か。ケルシーは明確な答えを出さず、思考の奥に仕舞い込む。

 

「……まず、その。俺のことを覚えてるか、タレスちゃん」

 

『ええ、私のことを拾ってくれた方ですよね?』

 

 しどろもどろな男の問いに対する、迷いのない返答。それはつまり。

 

「分かってたのか」

 

『もちろん覚えていますよ。他にも何人かいたみたいですけど、あなたの声が一番聞こえてきましたから』

 

「……なるほど。確かに、あの場で情けない声を上げた覚えがあるよ」 

 

『"逃げるな"、でしたよね。あなたの言葉はすっごく力強くて、なんだか記憶に残っています』

 

「それは──」

 

 男は声を詰まらせて口ごもる。煮え切らない様子の彼の呻きを、タレスはじっと聞いていた。

 

「……あれは、君の思っているような言葉じゃないさ」

 

 後ろで見守るケルシーには見えていた。彼の右手が、血が滲むほどに強く、固く握り締められていることを。

 それは怒りであり、悔恨であり、ほかの誰でもない自らの肉体へと向けた自罰行為のようで。 

 

「君を最初に目にした時、俺は──ああ、正直、恐ろしかった」

 

 喉の奥に閊えたものを吐き出すように、男の言葉に熱が宿る。

 

「君を見て怖くなった。心臓が張り裂けそうで、頭が割れそうで。俺は君をまるで──いや、すまない。これだけは、口にするべきじゃない」

 

 彼が何を言わんとしているか、ケルシーには理解できてしまう。

 恐ろしき姿。人ならざる容貌。己の理解の範疇から超えた存在は得てしてそう呼ばれる。

 即ち、怪物。或いは化け物と。

 

「……他の皆だって、固まってた。震えて、立ち止まって、呻いて。けど、俺だけは違った。俺だけは……逃げようとした」

 

 血を吐くような告解は続く。タレスはなおも静かに彼の言葉を聞いていた。

 

「ああ、足が動いたさ。この場から離れたいって、そう思ったらいつでも足が浮いた。振り返って、全力で走り出して、喚き散らしてみっともなく逃げられた!」

 

 感情が昂ぶり、腕を振り回して言葉を重ねる姿は壮絶の一言に尽きる。彼女にはその全てが見えていないのだという事実は──少し酷だろう。

 

「だから俺は言ったんだ! 自分へ向けて、逃げるなって、叫んだ。それだけの、情けない話なんだ……!」

 

 掠れた悲鳴と共に、男は俯く。右手から赤い雫が零れ落ち、床面を静かに濡らした。

 

「……そしたら、皆思い出したように動き出して、俺もそれに付いて行った。俺たちが君を助けられたのは、そんなくだらない経緯さ」

 

 ──そして彼らはロドスへ帰還後、精神に異常をきたした。

 それが、ケルシーでさえ把握していなかった彼らの真実。

 

「俺は……君に会って、何がしたかったんだろうな。謝りたかったのかもしれないし、言い訳したかっただけかもしれない」

 

 小さな呟き。それはタレスではなく、己へと向けた疑念のようで。

 懺悔の跡に残る、男の激情の渦。ひどく矮小に見える彼の背中は、悲壮に満ちていて。

 

 

『なぁんだ、そんなコトでしたか』

 

 

 ──その一切を、なんでもないかのような声がねじ伏せた。

 

 タレスが笑う。その表情はなくとも、彼女の声は確かに笑っていた。

 男は理解が追い付かないのか、固まっていた。ケルシーもまた少なからず驚愕している。

 自らを恐れる男に、タレスが怒りを振りまく姿を想像していたわけではない。彼女の性格からして、彼を露骨に責めるようなことはないだろうと思っていた。希望的観測でいえば、呆気なく男を許すとさえ思っていた。それは認めよう。

 

『いえいえ、分かりますよ。私ってば異常ですからね。ちょっと怖がられる位ならへっちゃらです』

 

 だが、想像以上にあっさり過ぎる。

 その点においては、ケルシーと男の今の心情は全く同じだろう。

 

『あのですね。私、嬉しかったんですよ?』

 

 困惑するケルシーたちに気付くことなく、タレスは朗らかに語る。

 

『あの場所でずっと一人だったところを、ロドスの皆さんが見つけてくれた。放置されたっておかしくないのに、ですよ』 

 

「……でも、俺は」

 

『私、思うんですよね。人間にとって恐怖というのは、決して捨てられるものじゃないって』

 

 男の声に重ねられた語り出しは、ケルシーにとって少しだけ聞き馴染みのある、彼女が己の価値観を語る時と似ていた。

 

『でもそれは、恥ずべき事とかそういうわけではなく、当たり前のことなんです』

 

 まるでそれが覆りようのない真実かのように、タレスは断言する。

 

『私を見て驚くなんてむしろ当たり前じゃないですか? だから、そのことについてはどうでもいいんです。貴方たちは、私を拾ってくれた──それが全てです』 

 

 彼女の言葉は当事者ではない筈のケルシーの胸にさえ染み込んでいく。

 それほどまでに強く、曇りなき寛恕の声。

 

『なんだか私のことを凄く怖がってたみたいですけど、こうして会いに来てくれたじゃないですか』

 

 彼女は語る。先ほどまでとは逆に、沈黙する男を前に。

 彼の肩は震えていた。それが如何なる情動か、追求してやる必要性はないだろう。

 

『つまり。これでもうあなたは怖い者知らず、ということです。あ、これだとさっきの話と矛盾してますね』

 

 冗談めかした彼女の声はどこまでも純粋で、どこまでも無垢で。

 

『私は気にしません。──だから、これからも一緒にお話しましょう?』

 

 その唇の歪みは、きっと優しい微笑みだったのだろう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 その男にとって、感染者とは同胞だ。

 

 自らと同じ不幸を受け、同じ境遇に嘆き、同じ宿命を背負う者たち。鉱石病。それを身に宿すだけで、心と肉体を蝕む苦痛に苛まれる日々を送る者たち。

 ただ、男が多くの感染者と違ったのは、ロドスという組織に所属していること。

 

 ロドスは感染者に対し、非常に友好的だ。

 鉱石病に立ち向かうと公言するだけのことはあり、ロドスでは多くの感染者が治療を受けている。構成された職員もまた、鉱石病を持つ者が多数在籍していた。

 男もまた感染者である己に絶望しかけ、ロドスへと流れ着いた者の一人だ。

 そして彼のオペレーターとしての主な仕事は、特定の感染者などをロドスへと護送する保護・回収任務。

 

 非常にやりがいのある仕事だった。仲間と共に自らの手で同胞を守護し、ロドスへと送り届ける。その度に受け取る彼らの感謝の声は、男にとって万金に勝る報酬だった。

 

 だから、その任務を請け負った時、男はいつもと変わらぬ心持ちでいた。

 情報は不明瞭。情報源のとあるオペレーターは何故か対面不可。ただ指定された場所にいる感染者を保護するように、とのこと。

 多少は訝しんだが、ロドスが自らの部隊を騙す理由などない。同じチームである同胞たちと共に現地へと赴き──

 

『おや。初めましてですね、皆さん』

 

 ──そして、それを始めて目にした時、心の底より沸き上がった感情は、恐怖だった。

 

 本当に、なんでもないことのように彼女は喋っていた。ありふれた少女のように。

 理解が追い付かない。いや、脳が理解することを拒んでいる。目の前に鎮座するのは他でもない()()()()なのだから。

 見てはいけない。これは認識してはいけないものだ。そう断定する理性と共に、思考のどこかでは彼女が今回の『保護すべき感染者』であると察していた。

 

 逃げようと思えば逃げられた。後から考えても、その行為を実行に移すことは可能だったと思う。

 けれど、それだけはできなかった。

 回りの誰も動けなかったことの意味を、無意識に理解していたからだろう。彼らは逃げない。逃げようとしない。

 そんな中で自分だけが逃げるのは──そう。ロドスの人間として、()()()と思った。

 

 だから、自分を奮い立たせるために叫んだのだ。"逃げるな"と。

 

 あまりにも情けなくて。みっともない話だろう。こんな自分が、再び同胞を助けることなんてできるのだろうか。胸に突き刺さり続けるこの恐怖を残して、同じように誰かに手を伸ばすことができるのだろうか。

 そんな自問自答を繰り返し、繰り返し続けて。

 

『だから、これからも一緒にお話ししましょう?』

 

 ──けれど、もう乗り越えた。

 

 その赦しの言葉は、男の人生で聞いてきたあらゆる音よりも鮮明で、福音に満ちていて。

 簡素な表現で言えば、救われたような気分だった。

 ああ、彼女を怪物と呼び示した自分を呪いたい。彼女はともすれば並の人間よりも優しく、慈愛に満ちていた。

 

 少女のような声。子供のような爛漫さ。その声に違わぬ、純粋無垢な意思。

 今ならもう、彼女を恐れることなどない。

 いや、違う。もっとだ。この胸のすくような思いは、それ以上の解放感を与えてくれる。

 言うなれば、恐れるものなど何も無い。

 まさかこんな古臭い騎士のような宣告を己の胸に刻むとは、考えたこともなかった。

 

 その全能感にも似た感情は、面会を終えて、ケルシーに礼を告げ、その日の晩に床に付くまでも続いた。

 それから、朝目が覚めてからも。その日の昼食を取る時も。その日の晩を迎えて、朝日が昇っても──仕事に復帰し、次なる任務へと赴く間も霞むことはなかった。

 

 場所はヴィクトリア王国、首都ロンディニウム市。

 依頼者は現地のとある経営者夫婦であり、保護対象はその娘。

 やるべきことは何一つ変わらない。同胞を守護し、ロドスという安息の地へと案内する。それだけだ。

 

 けれどもいつもと違うのは、この胸に滾る情熱。

 気合が入りすぎたのか、保護対象の少女は気後れしていたように思う。

 任務の同行者にも窘められたが、やる気があることはそう悪いことでもあるまい。浮ついた思考を引き締めながらも、やはり奥底の心持ちは変わらず。

 

 ──そしてその熱意は、少女を狙った刺客が現れた時も変わらなかった。

 

 そう珍しい話でもない。ある程度の地位に関わる者たちは、どのような形であれ悪意を抱く者が付きまとう。それが感染者という絶好の名分を得た時、奴らが取る手段というのは直接的なことが多かった。

 そういった者達から保護対象の身を護るのも、男たちの仕事の内だ。そのための鍛錬は積んでいるし、実戦経験も幾度かある。

 だから、変わらない。ひとつしか変わらない。

 覚悟。それだけだ。

 

 それは、敵の一人が放ったクロスボウの矢が少女へと迫る時も、やはり変わらなかった。

 

 やることは同じ。護る。言葉にすればそれだけだ。

 だから、少女の前へと己の身体を滑り込ませることにも一切の躊躇は沸かなかった。敵の状況、味方の状況を考慮し、それが最善だと判断したからだ。

 恐れはない。むしろ、そこに一切の恐怖を抱かなった自身を称賛さえしよう。

 あの彼女を乗り越えたのだ。これ以上、何を怯え、誰を見捨てようと言うのか。

 頬が引きつる。恐怖ではなく、これは──なんだろうか。己が笑みを浮かべていることは分かる。だが悪い気はしない。

 

 矢が迫る。仲間の叫び。

 そこでふと思い出す──死の予感。

 

 心臓を抉る絶痛。走馬灯などという御大層なものは無かった。

 一瞬にして崩れ落ちる視界。顔面に衝撃。赤、赤、赤。

 誰かの悲鳴が鼓膜を揺さぶる。頭が痛い。

 熱い。痛い。

 寒い。

 

 そして、そして。そして──。

 

 

 ふと脳裏に過る、()()の満面の──

 

 

 






はい。

ちょっと慌てて書いたので誤字等あったらすみませぬ。
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