ダンジョンでできちゃった婚をするのは間違っているだろうか 作:たわーおぶてらー
お気に入りと評価がえぐい事になっててビビってます。ありがとうございます
例の件がティオネとレフィーヤに知られてから二日。事態は最悪の手前まで進行した。
ティオネの祈りも虚しくアイズの爆弾発言は聞き耳を立てられ、噂としてファミリア内外を駆け巡っていることが確認されている。
とはいえそれを直接確かめようとするものもおらず、そもそも団内でも一等特別な彼女に話しかける猛者もいなかった。
なお、どこぞの狼男はおろおろしながら話しかけようとした瞬間、闇討ちにあったとかあってないとか。
とはいえ、放置という訳にもいかないというのが首脳陣の結論だった。
胃痛に悩むフィンが出した結論は団員を集めて誤解のないようにアイズを遠征から外す旨を告知し、同時にその懐妊を理由として説明するというものだった。
それを決めたのが件の問題が起きた二日前の夜。
それからロキは噂がファミリア外に広まってしまったことで来た耳聰い神をアルスを盾にして追い返し、ガレスは噂を否定することなくだとしたらなんだ、という態度を取ることで大騒動になりそうな目を少々潰した。
暴露してしまった件を聞いた当初は怒ったリヴェリアだったが、身重である少女に強く出ることは出来ないのか、むしろ人として当然の営みに多少の不自由があることを私が不甲斐ないと悔しがる始末。
日頃からママだのお母さんだのと言われるリヴェリアだったが、フィンの目にはもはや初産の娘を甲斐甲斐しく世話する婆にしか見えなかった。
更に彼の胃を痛めつけるのは、アイズが身篭ったことを他派閥の神であるフレイヤに知られているというアルスの報告である。
しかも、因縁深いあの女神が祝いの品などと言って贈ってきたものは甘い果実と菓子の詰め合わせ。悪意の欠片もなかった。
相手の意図はともあれ、他派閥に知られている可能性があるという事実がフィンの中にある危機感を助長した。
そういった要因もあって決定した本日の夜における食堂での発表だが、始まる前から疼く親指と痛む胃にフィンは疲労を隠せない。
ところで、頑丈なはずのフィンの胃が痛むことを疑問に思った男がいた。
その名をアルス。齢十五の少女を孕ませた張本人であり、今も長椅子で幸せの絶頂と言わんばかりにアイズを膝に乗せるダメ男である。
「アルス、一つ君に言いたいんだが」
「おう」
「よく襲われて受け入れたね、君」
「ああ」
この胃の痛みを知らぬか貴様、と恨めしそうな目で見ながら文句になっていない文句をつけたフィンだが、あまりにも淡白な返事に己の敗北を察した。
「ぶっちゃけた話、俺の我慢が限界迎えるのが先かどうかみたいなとこあったしな」
「……ああ」
思わず遠い目をしたフィンの目の前でアルスはアイズに強請られてそっと唇を重ねる。
この差が生まれたのは果たしてどこだったのだろう。
ファミリアにおける年長組に属する年齢のフィンと未だ歳若い二人の差はあまりにも明白だった。
フィンとて決して好意を持たれない訳では無いが、襲われても許容できる相手や自分から手を出したいと思える女性はいない。
種族の英雄たらんとする在り方故の問題ではあったが、こうも幸せそうな姿を見せられると思わなくていいことも思ってしまう。
その上、アイズがアルスに迫った手口はフィンに他人事ではないという危機感を抱かせていた。
何を隠そうこの男、恐るべきアマゾネスであるティオネに好かれているのである。
酒を飲んで酩酊状態のところを襲われて子どもが出来てました、なんて笑えない事態に陥る可能性は十分にあった。
そうは言うものの、言葉少なくアルスに甘える少女の姿にフィンとて明るい気持ちを何も感じない訳では無い。
その前途を祝いたい気持ちは真実であるし、リヴェリアではないが彼等は娘と息子のようなものだ。
この立場さえなければ小躍りでもして酒を飲んでいたことだろう。
現実はそうもいかないのが世知辛いところだった。
「まあ、今日は一発二発殴られるといい」
「簡単に殴らせてもやらんけどな」
まず、第一級冒険者以外は萎縮する。そうであってもラウルは無理だろうな、とフィンは次代として期待する男を思った。
確実に殴りに行くのは二名だとして、それだと不足だし煽ってみるかなどと考えていれば、定めた集合時刻が間近に迫っていた。
まさかここから阿鼻叫喚の地獄絵図に苦しむことになるとは、フィンも予想だにしていなかった。
※
ホームである黄昏の館に存在する食堂は大きい。
そもそも居住の為にあるホームである以上、食事の場である食堂は大きく、遠征に関しての発表であると集められた第二級以上の冒険者を全員収容することも容易だった。
そうして集められた彼らは、発表があるというフィンと共に立つガレスとリヴェリア。そして、普段と違ってそこに並んでいるアイズとアルスを目にする。
この時点でティオネはわなわなと震えるレフィーヤの肩を抑えており、自分たちの対面の席が空いてるのはそういう事なんだろうなと諦めて嘆息した。
「突然集められて戸惑う者も多いと思うが、次回の遠征について大きな変更があったためにこうさせてもらった。まずはこの場を借りて、ダンジョンにいたのを呼び出した者には感謝と謝罪を述べる」
出だしはなんとも無難だった。ロキが酒を飲むを準備していること以外は極めて順調な滑り出しと言えるだろう。
「さて、あまり長々と話すのも時間の無駄だし簡潔に伝えよう」
小人族の勇者に食堂中の視線が集中する。
慣れきった彼はそれに動揺することも気負うこともなく、あくまでも自然体で言い放った。
「今回の遠征からアイズを外す。今後どうするかは不明だが、向こう一年ほどは参加させないつもりだ」
「えー!?」
「こらティオナ!」
立ち上がって声を上げるアマゾネス妹をアマゾネス姉が抑え込み、食堂内は隣や正面とコソコソ話し合う声で満たされた。
この二日で広まった噂について話す者もいれば、アルスがキメたかと納得するような者もいる。
そんな無秩序な空間はフィンが手を叩いたことによって瞬時に沈黙した。
「色々と詮索したくなるのは分かる。よって、本人たちの了承の元で理由を公表することにした」
暴れ出すような愚か者はいないはずだが、なぜだかフィンは親指が疼いて仕方がなかった。
「アイズが離脱する理由は
瞬間、黄色い声と昏い慟哭がフィンの聴覚を破壊した。
彼の発言に注目していた者たちはあらゆる秩序を喪失したかのように騒ぎ、彼もそれを止める気が完全に失せた。
わーきゃー騒ぎながら会話するのは主に女性陣であり、昏い空気を隠そうともしないのは密かに焦がれていたであろう男たちである。
ロキが酒盛りを始めたのを見てフィンの中の本能が警鐘を鳴らしたが、もはや離脱する機会を逃したことを悟る。
気がつけばアイズとアルスの姿は食堂の片隅にあるテーブルにあり、彼らはティオナやレフィーヤと軽食を摘み始めていた。
あまりの速さに思わず瞠目するが、その僅かな遅れが全てを終わりへと導く。
「酒を持てぃ、男ども! 祝いの酒盛りじゃあ! 祝杯を掲げよ!!」
「飲むでぇ飲むでぇ! アルスはあとでぶっ殺したるわァ!!」
だから、ガレスが宴会にしてやると酒盛りを始めたのにロキが便乗するのを止められなかった。
これが後に続く事件の幕開けであることなど、知る由もなく。
勢いよく迫り来る女性陣に嫌な予感とともに顔を引き攣らせながら、フィン・ディムナは己の失態を悟ったのだ。
「……妊婦いるのに酒盛りってありなのか?」
「馬鹿どもが……」
僅か数十秒で大宴会の様相を呈した食堂にリヴェリアは思わず顬に手をやり、アルスは顔を顰めて苦言を呈する。
とはいえ彼らに悪意がある訳ではなく、ガレスとロキに至っては酒を飲ませていい思い出にしてやろうという意図すらある。
アルスは知る由もないが彼とてアイズほどではないにしろ人気はあり、相手が彼女であるからといって諦めきれない女性団員だっていた。
そして、男も女も関係なく心とは複雑なものだ。
たとえどれだけ認めざるを得なかったとしても。
たとえ主神のお気に入り二人、尊敬する二人だったとしても。
たとえ憧れていただけで手を伸ばさなかったと分かっていても。
そういう関係というのには嫉妬するし羨ましいのだ。
そういう意味で、彼らのいいガス抜きにはなる。
良いことがあったら酒を飲んで騒ぐ。
悪いことがあっても酒を飲んで騒ぐ。
昇格したら酒を飲んで騒ぐ。
いいドロップを拾ったら酒を飲んで騒ぐ。
何かあったら酒を飲んで騒げば割となんでも解決する。
世の中の半分くらいは酒が解決してくれるという理論に基づき、彼らは飲んで騒いで飲んでいた。
だが、ここに例外が存在する。
飲めぬ者、飲んではならぬ者もまた存在するのだ。
それをアルスとリヴェリア、レフィーヤとティオネとティオナはよく理解していた。
かつてとんでもない速度で酔っ払ったアイズがロキを半殺しにして魔法までぶっぱなした事実を、彼らは決して忘れていない。
その上、今の彼女は妊婦だ。そして如何なる悪影響も許してなるものかと意気込むリヴェリアの決意はオリハルコンよりも固い。
よって、彼らが出した結論は色々話したいけどとりあえず食堂から離脱することだった。
あっという間に撤収の準備を終え、思考に追いつけなかったティオナとレフィーヤはそれぞれ姉と師匠に担がれる。
この間僅か数秒であり、第一級冒険者としての能力が遺憾無く発揮された無駄な機会であった。
だが、酒を飲んでいようと第一級冒険者は第一級冒険者である。
離脱しようとする憎き男をその目に捉えた醜い男の嫉妬はその数多の腕を以てアルスの足を引いた。
それを見て振り返る彼女たちに彼はやけに締まった顔で向き合った。
「お前ら、俺に構わず先に行け……!」
まるで感動の光景で吐かれる台詞のようだが、実態は酒盛りから逃れる数人とその足を引く醜い者たちに捕まっただけの男だった。
やろうと思えば強引に引き離せるアルスだが、彼とて幹部の端くれ。人の心情についてもある程度の理解があるゆえに、ここは俺も甘んじて酔い潰されるかと諦めていた。
そんなくだらなさの極みのような茶番を終えてアイズたちが離脱した結果、残るのはオアシスのない砂漠である。
ロキが度数と値段の高さで酒に強い団員を殴り、ガレスがドワーフの火酒をがぶ飲み。それに便乗した団員が次から次へと潰れたり出来上がったりする地獄のような光景だった。
辺りを見回してもフィンの姿はアルスの目には映らない。
そして、目の前に座る古参のドワーフを見る。
馬鹿みたいな度数の酒を飲んでも酔い潰れない酒への耐性を持つ彼が器と酒を持って目の前に座っているということはつまりそういうこと。
差し出された器を受け取ってまずは一杯。
喉が焼けるような感覚を堪えながら一気に飲み干し、あまりにも高すぎる酒精に苦しみながら耐え抜いた。
周囲から感嘆の声が漏れる。
「ほう、中々やるの」
「……ま、まだまだいけるぞ。舐めんなよガレスぅ!」
「言いよるわ若造が!」
豪快に笑いながら注がれる火酒を見て、アルスの脳裏に後悔の文字が浮かぶ。
しかしここで引くわけにはいかぬとそれを煽り、喉を焼く感覚を堪えながら嚥下する。
それを見た周囲の男どもは騒いで囃し立て、一気一気とコールが始まって数度の後に地獄の蓋は開かれた。
「お前らも飲めやァ!!」
顔を赤くして立ち上がったアルスが囃し立てる者たちに酒を勧めて飲ませ、飲み終わったら一発ずつ殴り合うとかいう謎ルールが発動。
喜び勇んでガレスが挑み、一瞬で食堂が地獄と化した。
酔っ払ったLv.6とLv.7が加減も忘れて互いの顔面を殴った結果、余波で机が数個吹き飛んで壊れた。
少なからず酒の入った愚かな男たちにそれを見て逃げようとか冷静な判断が出来るはずもなく、加速する酔いと増えていく被害という最悪の相乗が発生した。
気が大きくなった馬鹿が嫉妬する心を隠そうともせず叫びながら殴り付け、完全に酔って口の軽くなったアルスがブチ切れながら腹を殴って反対側の壁に叩きつける。
ラウルが泣きながら殴り、気持ちが悪ぃ! と顔面中央を右ストレートで撃ち抜いて壁をぶち抜いた。
蘇ったガレスの全力でアルスが壁をつきぬけ、戻ってきた勢いをそのまま載せた拳がドワーフを錐揉み回転させながら吹き飛ばす。
次から次へとやられていく者たちの中に幹部のが混じっていようが、ワンチャン誰か死んだのではという疑惑があっても止まらない。
「飲めェ!」
「死ねぇ!」「俺たちのアイドルをよくもぉ!!」「ぶっ殺してやらァ!!」「アイズさぁあああん!!」
「拳が軽いんだよォォォオオオオオ!!!」
拳と怨嗟と絶叫が絶え間なく飛び交う。
テーブルは砕け椅子は粉々になり吐瀉物は飛び散っている。
そして、騒ぎの序盤で目敏く逃走したロキ率いる女子軍団がいないことでストッパーも存在せず、ファミリアに所属する男の凡そ九割が食堂の床か壁の向こうに沈んだ。
それでもなお頑丈すぎるガレスは二桁に及ぶ連続挑戦で戦っていたが、二十を迎える直前で力尽きた。
「オラァ!! 伸びてんじゃねぇぞベートォ!!」
そしてガレスまでもが倒れた状況で他に生存者はいるはずもないが、酔っ払った馬鹿はそれに輪をかけて馬鹿だった。
どこかで倒したベートを叩き起して目の前に酒を差し出して飲むことを強要する。
「て、てめぇ……!」
「おら飲めやクソ狼! ヘタレ! チキン! アイズを見る目がやらしいんだよカスがッ!!」
「ッ!!?」
もはや言いがかりか何かなのでは? と他に人がいたら言いそうなことを言いながら、ベートが酒を口にする前に顔面を殴ってぶっ飛ばした。
最初に決められたルールもくそもない。完全無欠に理不尽な謂れなき暴力が悪口狼を襲う。
ベートもただ無抵抗でやられてなるものかと応戦の構えを取り、ルール無用の拳撃が開始する。
互いに
途中で起き上がった勇気ある者が横から殴ることに成功するも反撃で沈み、その隙を突いたベートの蹴撃がアルスの鳩尾を抉る。
僅かに怯んだ瞬間を狙い済ましたように復活したガレスが背後から強襲し、何回転かしながら吹き飛んだアルスが酔いもあって箍を外した。大笑しながら瓦礫を砕く。
「ハハハハハハハ!」
「クソがァ!」
「まだまだこれからじゃなあ!!」
ベートは完全なとばっちりだと嘆きながらも、日頃の思いをぶつける為に背を向けない。
ガレスは心底楽しそうに、喜ばしいと立ち向かう。
アルスは深く考えず、とりあえずぶん殴るという訳の分からない理由で二人に向けて加速する。
そうして、三者は一様に楽しそうな雄叫びを上げて仁義なき乱闘が再開される。
月に照らされたその夜、黄昏の館の食堂は完全に崩壊した。
【行方不明者】
フィン・ディムナ