1
使い古された銃剣の柄部分を嘴に咥えた傷だらけの鴉。
以前、坂本にその絵を見せられた時、楠里は頭の中に疑問符を浮かべた。
「この絵は?」
「501の皆からの贈り物だ。お前の第一印象はと聞いて回ったら、全員が全員こう言ったからな」
使い魔がハシボソガラスとはいえ、此処まで傷だらけのイメージが付いていたとは。
などとズレた思考をする楠里の横で、休憩がてら分離顕現していた使い魔が呆れたような視線を送った。
楠里の使い魔であるこの鴉も傷だらけである。その使い魔が、器用にも野戦服から銃剣を取り出し、その絵の通りに咥えた。
そしてどうよと言った風に坂本に向き直った。
「変な雑菌とか持ってないですよね……」
「おお似合っているぞ! 歴戦の兵士と言った風貌じゃないか」
楠里の言葉に不機嫌になった鴉は、手の甲に嘴をペシペシと当てた。
「で、この絵がどうされたんですか」
鬱陶しいと軽く払いつつもじゃれ合いながら、楠里は坂本に質問をした。
「さっさとパーソナルマーク決めてくれないと地上戦力から見分け難いと苦情が来ていてな」
「はあ」
「501の総意と、扶桑司令部の辞令の下、正式にお前のパーソナルマークとして決定した」
「まぁ良いですが、私個人の意見は……」
坂本は楠里に紙とペンを渡し、希望があるなら描いて良しと伝えた。
それを受け取って暫く悩んだ後、ペンを動かし始めた。
「こんなので如何でしょうか」
「うむ……うむ。何だこれは」
この日、津家楠里は絵心が壊滅的という評価が下された。
パーソナルマークは当初の予定通りの絵が採用予定となった。因みにではあるが、このマークは扶桑海軍大将である軍令部総長と、カールスラント空軍ウィッチ隊総監であるガランド少将の2名が中心となり、北郷や501の意見も取り入れられた、割とヤバイ代物である。
そして正式採用寸前となったのだが、それはもう厳正な辞令と途轍もなく長い理由により、楠里が欧州へ飛んだのだ。
本人同意という名のサインが取れなくなった事で、総長や坂本が頭を抱える事となった。
もういっそ上官命令で強制的に決めようかとの話も上がるほどだ。
▽
そういった裏話を思い出しながら、楠里は自分のユニットを整備していた。501で受領してから半年も経過していないため、軽くメンテナンスを行うだけで十分であった。
「あぁ……。こっちも、あとここも……」
「……」
先程から楠里の横で悲壮な声を出しながら、大破したユニットを修理するサーシャ。壊し屋な魔女3名の齎す物理・金銭的被害は凄まじく、ラル中佐に代わり経理を管理するサーシャは胃薬が手放せない。
国や型番によって多少の差異はあれど、ユニット1機が凡そ4万円だ。だがこの4万円というのが途轍もなく高価な金額である。
1円=1000円の時代であるが故に4万円=4千万円となり、修理費用や予備部品の料金・諸経費を合算すれば、余裕で5千万円近く吹き飛ぶ計算である。
そんな高額なものを下手すれば連日ぶっ壊されるともなれば、経理を預かるサーシャとしては堪ったものではない。
円換算で説明はしたが、各国の通貨に置き換えるとまた値段も変動する。
先日扶桑から来た追加物資の中にユニット2つがあったが、本体と予備部品など合わせれば、現代の換算で1億円すら突破する。
「ぶ、部品が……うううう」
楠里は自分のユニットの整備を終えると、その場を離れようとした。楠里自身は整備面で役に立てる知識も無いし、経理の書類など金輪際視界に入れたくない代物である。
―――軍曹ですから。下っ端は体を動かすのが仕事ですから。
などと、基地司令クラスの書類を捌ける軍曹擬きは心の中で宣う。
「その、雷がね?」
サーシャと楠里の後ろで正座しているニパは、目を泳がせながら目の前の嵐が去るのを待っている。
ニパの凄まじい不幸具合は本人の意図した事ではない為仕方ないが、同じく正座をしている菅野はまた別の話である。
「まぁ不可抗力だな……」
「ッ! 津家軍曹は管野さんと似たような事をするのにユニットは壊しませんでしたよ!?」
「あぁ!? 俺の剣一閃と同じ事だと!?」
キレる管野に対し、楠里は逃げだすタイミングを失った事を悟った。
「銃剣に魔法力を流して折れないようにして、刃先に魔法力を集めて刺してましたよ」
サーシャからその説明を聞いたニパは感心したように楠里に視線を送った。
だが管野には凄まじい衝撃が走った。
「お、お前それ……まさか烈風斬か!?」
『れっぷーざん?』
ニパやサーシャは聞き慣れない言葉だが、扶桑のウィッチらには分かるのだ。
「お前ら知らねえのか!? あの坂本少佐が使う技だぞ!? 今サーシャが言ったように魔法力を刀身に乗せてネウロイを両断する決戦魔法なんだぞ!?」
坂本のネームバリューは全世界に響き渡るほどであり、バレンタインには世界各国のウィッチから本命チョコを送られる程である。
「アレは魔法力の少ない私の最後の足搔き用です……坂本少佐直伝ではありますが」
当初坂本も技の伝授には反対した。教えたら銃弾が尽きても撤退しない事は目に見えていたからだ。
その予想は的中し、先日の戦闘であのような事をやったのだ。
「坂本少佐って501だろ? テメーどうやって知り合ったんだよ」
無論この様な質問をされた時用のカバーストーリーも用意されている。
「私が扶桑本土配置の時、1度だけお会いする機会がありまして。魔法力操作の評価を頂けたのがきっかけですね」
そういってカバーストーリーを説明していくが、管野やサーシャは訝しんだままだった。
1,fin.
2
MIAと略される軍事用語で、連絡が取れない兵士に対して使われる。
哨戒任務で空に上がった3名、ジョゼ、下原、ひかりの3名との定時連絡が途絶えた。
これを受けて基地に居た全てのウィッチが即応待機に入り、捜索の命令を待っていた。だが不運な事にも、寒冷前線の動きが活発化した事により、ウィッチの出撃が見送られることとなった。
仲間が危険な状態なのに、何もする事が出来ない悔しさが菅野らを襲う。
だが戦闘隊長のサーシャがそう決めたのであれば、それが最善の判断なのは間違いがない。
「……
嘗て楠里の部下であった扶桑海軍陸戦隊の生き残りは、1944年時点に於いて比類なき生存能力を誇る最精鋭部隊である。
オラーシャの西にあるこの地と、
だが手元にない手札を嘆き続ける程、この楠里は軟ではない。
▽
件の3名の捜索が始まるまでの間、問題が浮かんで来た。
「誰か、料理を出来る人は」
全員が全員視線を下に向けた。下原や炊事兵が普段から作る美味しい料理を味わっている分、こうなった時は誰も動けないのだ。
「しょうがないな、僕がなんとかしよう」
そんな中でも動ける人間は動けるのだ。
但しその人間が最適な行動を取れるかは別の問題ではあるが。
「あのクルピンスキーが?」
「あの偽伯爵が?」
そういった不安の声など耳に入らないクルピンスキーは、意気揚々と厨房へと入って行った。
暫く時が経ち、全員の前に出されたスープは、筆舌に尽くしがたい代物であった。
まず色合いからして食欲減退を誘い、鼻孔を刺激する匂いはただただ臭い。
全員が青い顔で口元を抑えて食す中で、楠里一人が平然とそのスープを飲み切った。
「あ……良く食べれるわね……私の分も食べていいわよ?」
余りの出来に、ロスマン曹長は楠里の下へ自分の皿を運んだ。行儀が悪いが、誰もそんなのを指摘出来る余裕など無いのだ。
だがクルピンスキーの一言が、ロスマン曹長に衝撃を与えた。
そこから始まるのは、ロスマン曹長怒りのお説教と、クルピンスキーの悲鳴のコンボだ。
「一芸に特化すると、それ以外の部分は駄目というお手本ですね」
サーシャがそう言うと菅野は鼻で笑った。
「だとしてもコレはアウトだろ……」
「希塩酸やアンモニアやシュールストレミングが入ってないだけマシですがね」
『は?』
「ちょっと待ってよ! 美味しいじゃないかシュールストレミング!」
「……そうですね」
楠里はニパの言葉を流しつつ、野戦服の内ポケットからボロボロな黒革のノート手帳を取り出した。
成人女性の手のひらサイズのソレは、最果て時代から愛用する物である。
コレは楠里自身の虎の巻といった物だ。
失敗した事への対処方法や改善点を始め、自分のユニットや銃火器の点検方法、互換性のある部品一覧など、楠里に必要なあらゆる情報が記されている。
中には特殊強心剤や無痛薬の作成方法や、烈風穿のアレコレなども記載されており、仮に扶桑の情報将校がコレを見たらひっくり返る程である。
ともかく、楠里のアレコレが載っているその手帳の中には、料理のレシピもあるのだ。
そのレシピは、501の解散時に料理の出来る人から教えて貰った物だ。
芳佳やサーニャを始め、意外な事にシャーリーやルッキーニからもそのレシピが授けられた。
なのでこの手帳には、扶桑・オラーシャ・リベリオン・ロマーニャ・カールスラント・ブリタニアの6カ国の料理レシピがある。
無論、味覚の無い楠里でも作れるようにと工夫されたレシピだ。
至れり尽くせりの贈り物をくれた501の皆に感謝しつつ、今の材料で作れる料理をピックアップしていく。
「どうだい、皆は美味しいかな?」
多発顔面骨骨折症とは行かないまでも、酷い顔のクルピンスキーが厨房から出てきた。
そのタイミングで楠里は静かに立ち上がり、クルピンスキーの手からレードルを毟り取った。
「ご休憩なさっていてください」
「え、でもまだ作るものが」
「……」
「ハイ」
大人しくなったクルピンスキーを背に厨房に入った楠里。
そこでは未だにショックから立ち直れていないロスマンの姿があった。
「下原さんがお戻りになられたら、残ったキャビアで1品作って貰っては如何ですか」
楠里はキャビアなど食べた事も無いし、食べられる程裕福ではない。なのでその調理方法も未知のものである為、下手に触れない。
キャビアの残骸の片付けを無慈悲にもロスマンへ投げつつ、楠里は調理を始めた。
「うめえ……うめえよぉ」
「津家さんも料理出来るのね……」
感動の涙を流し、出来上がった料理を口に運ぶウィッチ達。
塩や砂糖はどれかなど、多少ロスマンの手伝いがあったが、先程とは比べ物にならない程の料理が完成した。
「レシピがいいからですね」
事実、今回作ったシチーやコトレータ、ブリヌイなどは好評であった。
サーニャ直伝のその味付けは、502の心を掴んだようで、楠里は少し笑った。
後日、下原が変な対抗意識を燃やす事を、楠里はまだ知らない。
「私もそれなりにネウロイと戦ってきたつもりでした。まさか弓と矢、サーマイトを利用して撃墜ですか……ふむ」
などと、最悪の場合は銃剣や捨て身の体当たりで敵に喰らい付く楠里が感心した。
それ即ち、撃墜された後も何かしら行動が起こせるという事だ。
「もう本当に危なかったです。ジョゼと雁淵さんが居なかったら……」
下原、ジョゼ、ひかりの3人は、楠里にその状況を説明していた。
「……私は、定ちゃんや雁淵さんが無事なのがなによりかな」
「えへへ~」
絆を深めたであろう3人を見て、楠里は501のメンバーを思い出していた。
2,fin.
3
ブレイブウィッチーズには、正座という扶桑の文化が浸透している。
精神を統一したりだとかに有効なのだが、正座の無い欧州の人間にとっては、この座り方は苦痛なのである。それ故にこの部隊で正座とは、何かやらかした時の反省に使われている。
精神統一を目的に下原が持ち込んだが、本人の予想に反した使い方をされて、中々に複雑な心境であるらしい。
そんな正座をするニッカ・エドワーディン・カタヤイネン。
ニパの愛称で親しまれている彼女は、今はただ嵐が過ぎ去るのを待つ駒鳥であった。
そのすぐ近くでは、ひかりがロスマンから指導を受けている。
バケツを両手で持ち、横倒しの樽の上に乗せた板の上でバランスを取る訓練。これをする事で安定した飛行へと繋がり、攻撃により怯んだ体勢を即座に戻せる……らしい。
「うわっと……危なッ」
ロスマンの投げる雪玉を四苦八苦しながら避けるひかり。
その横で、楠里も同じように雪玉を避けている。
違いがあるとすれば、ひかりはフラフラで安定感が無いが、楠里は樽も板も微動だにせず雪玉を避けている。
体もフラフラにはなっておらず、雪玉も掠りすらしない。
最後には投げられた雪玉をバケツにゴールインさせてから地面に降りた。
その際、多少の衝撃があったにも関わらず、楠里の載っていた板は未だに樽の上で静止してる。
「えぇ……」
同じく降り立ったひかりは、思わず自分の乗っていた板に目をやる。
すると視界に入るのは、ゴロゴロと転がる樽と地面に倒された板であった。
「では津家さん。今のをどうやったか説明するように」
「死ぬ気で頑張りましょう」
「真面目に答えるように」
「私は真面目なのですが。片方に体重を掛け過ぎると樽は動いてバランスも崩れます。重心を固定して、そこから均等に……ああもう慣れですよ慣れ。死ぬ気でやれば何でも出来ます」
「貴方ね……」
楠里もしっかりと理論付けて説明してあげたいのだが、戦闘技術を覚えた過程が如何せん特殊過ぎる為、どうしてもこのような説明になるのだ。
私が出来たから他の皆も全員出来るという考えを地で行っているのだ。
勿論しっかりと頭を使って戦っていたし、技術向上の為に教科書だとかも読んだ。連戦が基本だった為、最適な行動を常に素早く導き出さねばならない。
だが結局最後に物を言うのは根性だとか気合だとかである。
だから楠里はひかりに真顔でこう言うのだ。
「頑張りましょう。後は……模擬戦でもすればいいじゃないですか」
「そんな燃料ありません。扶桑からの追加物資も無限じゃ無いんですよ」
ニパのユニットを修理していたサーシャは強く楠里に注意した。無い無い尽くしに慣れている楠里は、ここでサーシャに目を向けて呟いた。
「あぁ、今のが正常な人間の正しい反応という奴なのか」
彼の地では、誰もが自分のやりたい事を我慢して、生き残る為に動いていた。口々にアレが無いコレが無いと文句を言っていたが、誰もがソレを諦めていたのだ。
無い事が前提で動いていた楠里と、無くなっていく事に焦りを覚えるサーシャ。
この認識のズレをどうにかする事が、直近の課題と楠里は感じた。
▽
ネウロイの長距離砲撃により観測所が破壊された。
そのネウロイを撃墜するためにウィッチ達が派遣されるも、その正体は掴めなかった。ラル中佐がサーシャにその場の指揮を完全に委任し、周囲の捜索が開始された。
だが日が暮れても成果は得られず、稼働限界と達しつつあった502のウィッチ達は帰投する事となった。
サーシャはロスマンとひかりを先に退却させ、楠里を僚機としつつ最後の哨戒に当たった。
陸上ウィッチへの引き継ぎを速やかに終わらせるためにも、その場で一番階級の高い人物が残るのは当然であった。
だが突如として眼下の雪原より、砲台を搭載したネウロイが姿を現した。
「ッ、よりによって!」
使える戦力を引き上げさせた時に限ってこの様な事が起こる。
歯噛みしつつもサーシャは攻撃を加え始める。だがネウロイは砲弾を一発撃ち終えると、即座に地面に退避した。
「……この辺りか」
砲弾が発射される事を数秒早く察知した楠里は、幾らか余裕がある行動に移れた。
発射された瞬間の砲弾に九七式自動砲の20mm弾が掠り、僅かではあるが砲弾の威力を抑える事が出来た。
これにより、本来の威力では全壊したであろう集積所は、半壊という被害に抑えられた。
▽
その後、デブリーフィングが行われた。
「報告では、津家が砲弾の威力を削いでいなければ、貯蔵庫や集積所は完全に機能を停止していたそうだ」
「何とか半壊という形で被害は抑えれたけど、それでも補給は厳しくなったわ」
さらに攻撃直前、微弱な電波が観測されたという報告は、より一層警戒を強める事となった。
「この部隊、遭遇するネウロイが異様というか、異常というか」
仮にこのような戦い方をするネウロイが彼の地に居れば、既に楠里は故人である。
「サーシャ、ニパ、雁淵、津家の4名は、街に侵入したマーカーネウロイを発見して撃破するんだ」
「私が付いてますよ!」
ニパの屈託のない善意の笑顔は、サーシャの苦笑いを引き出すのには十分であった。
―――苦労人。
などと、自分もその苦労を掛けているであろう事を棚に上げて、楠里はサーシャに心の中で手を合わせるのであった。
▽
街に侵入したマーカーネウロイは、サーシャ達に発見されるやいなや市街の中に逃げ込んだ。
無人の街であるため民間人に危険は無いが、建造物の間と言った狭い場所へと動く為、慣れてないニパや新入りのひかりは全く喰らい付くことが出来ない。
唯一楠里だけがサーシャに完全に追従して援護に回っている。
急旋回をする時も、機体のブレーキだけではなく、全身を捻ったり後ろに倒したりする事で高機動飛行を行っているのだ。
担いでいた機関銃も器用に使い、常にサーシャの死角をカバーする。
だが、不意にサーシャの動きが鈍り、それを守っていた楠里も足を止める事となった。
結局は目標を見失う事となったが、何かを思い出したかのように、サーシャは街並みを眺めていた。
「私、この街を知っている……」
だが一度警戒されたためか、その日は反応を見せることが無く、基地への退却が決定した。
▽
「何て雑さ」
翌日、ニパとサーシャの雰囲気がどこかギクシャクの中で、再度捕捉したマーカーネウロイ。
その報告を受け、楠里とサーシャは駆け付けた。
あまりにお粗末な擬態である為、つい楠里から漏れたのが今の言葉だ。
そして昨日と同じように戦闘が開始されるが、サーシャは楠里へ指示を出した。
「津家さんは2人と居てください。ここは私が」
楠里は基本的に、1人では危険などと言った意見具申は行わない。
「了解」
だが今回はそれが仇となった。
数分経ち、響いていた銃声が鳴りやんだ。
サーシャに通信を入れても反応が返ってこなかった為、最後に銃声が響いていた場所へと急行した楠里達。
そこには、雪上に横たわっているサーシャのユニットがあった。
「一体、サーシャさんは何処に……」
「ポクルイーシキン大尉はあちらです」
だが楠里は特に迷うことなく方角を指さした。
「え、なんでわかるの?」
ひかりの疑問も尤もである。
「いえ、足跡があるので」
雪の上を動物が歩くと、大きさの差はあれど必ずと言っていい程足跡は残る。
「あ、足跡か……そっか」
タネが分かれば何でもない事に少し落胆したひかりは、急いでサーシャを追いかけた。
そして、何かを思い出しながら歩くサーシャに合流した楠里達は、黙って後に続いていった。
▽
人間嫌な記憶は忘れやすい。
それはサーシャにも当てはまる事であった。
事情は特に分からないが、どこか吹っ切れたようなサーシャは任務に復帰した。
サーシャの固有魔法により、寺院の尖塔に擬態していたネウロイは暴かれた。
だがそのコアが砕け散る直前に、砲撃の座標を砲台型ネウロイに送ってしまった。
着弾が確実となった時、サーシャは直ぐに撤退を決めた。ニパが異議を唱えるも、無人の街を守る意味は無いと一蹴した。
だがその場を離れるにつれ、ニパの表情は曇っていく。
そんなニパを見かねた楠里が、こっそりと耳打ちをした。
「私の狙撃を砲弾に当てて威力を少し軽減させる事は出来ます。後はカタヤイネン曹長次第ですが如何致しますか」
その言葉を聞いたニパは、僅か数秒で決断を下した。
「頼むよ津家。このままじゃサーシャさんが可哀想だよ」
昔の楠里であれば何も言わなかった。命令であるからさっさと退避をしていた。
だが501と過ごす中で、僅かに成長した周りへの配慮が今回の案を引き出したのだ。
楠里はサーシャの後ろを飛行していたが、その場で全力反転。
着弾地点である寺院の屋根へと降り立った。ユニットを付けたまま屋根の天辺へと座り、九七式自動砲を赤く光る点へと向けた。
その点こそネウロイの放った砲弾であり、もうすぐ着弾するという何よりの証拠であった。
銃を構える楠里の前には、全力でシールドを張ったニパが構えている。
「2人ともすぐにその場から退却しなさい!」
ニパは大声でそれを拒否しつつも、迫りくる砲弾へと目を向けた。
長距離砲撃は、ウィッチの動体視力を以てすれば捉える事が出来る。
楠里はまだ比較的真面に機能する眼球で砲弾を捉えると、弾道を計算して銃を撃つ。
砲弾は速いが、後の軌道は目標へ向けての落下と変わらない。
凄まじい銃声と共に放たれた20㎜弾は、迫りくる砲弾の先端に衝突し、その威力を少し落とした。
まぁ着弾時の衝撃が和らいだだけで、仕込まれているであろう中身はそのままではある。
だがニパのシールドは的確に砲弾に当たり、その場に爆発を引き起こした。
▽
「まったく、2人とも全くもう!」
ひかりは無茶をやらかしたニパを怒るサーシャを宥める。楠里は撃った後全力で退避したため、サーシャから特にお小言は言われなかった。だが微妙な視線を貰ったのは確かである。
「エンジンと銃が不調でして。予期せぬ機動を勝手に取った後銃が暴発しました。その弾丸が偶然にもネウロイが撃った砲弾に命中したのです」
楠里は回りくどく遠回しなお役所仕事の本場である扶桑の人間だ。玉虫色の回答など自然と考え付く上に、過去の経験から胆力も無駄にある。
さも命令違反など犯してませんと言い切る楠里に、サーシャはそうなのかなと一瞬思ってしまった。
その思考のドツボに嵌ると、後はもう書類に魔法を掛けられる知力を持つ楠里には容易い。
さておき、サーシャは先ほどの狙撃を尋ねた。
「でも津家さんどうやって砲弾に当てられたの?」
「慣れ、ですかね」
「もーまたそれ? 先生もそろそろ怒るんじゃない?」
楠里はその言葉を流しつつ、ひかりに視線を向けた。
「どうしたの?」
「折角です。私の機動を体験してみませんか」
そう言ってひかりに手を差し出した楠里。全員が疑問を浮かべる中、ひかりは楠里の手を取った。
「で、どうやって体験するの?」
ひかりの手を握りつつ、楠里はその方法を伝えた。
「体の力を出来るだけ抜いてください。魔法力を全身に回しつつ、急旋回が来ても直ぐに私と同じ挙動が出来るようにするんです。私の魔法力が手を通してひかりさんの動きを補助します」
「えっと、つまり?」
「まあやってみましょう」
そうして始まったひかりの津家楠里戦闘機動体験。
その機動はひかりにとってはまさしく未知の動きであった。
「う、うわわわわ!? え"ッ、待って"づい"え"ざんそんな挙動絶対む"りッああああああ」
市街地でサーシャに付いていった時の機動とは比べ物にならない動きがひかりに襲い掛かった。
体を捻っての急旋回など当たり前で、天地が逆転して目が回る程のロール機動。
水平飛行の状態からいきなり仰向けになり、そのまま頭から落下して射線から退避、そして直ぐにループ機動に入って、先程水平飛行していた方向とは180度真逆に向くなど。
人間、そしてウィッチだからこそ出来る機動をこれでもかとひかりに数十分御馳走したのだった。
「まあこんなものでしょう。出来るに越したことはありませんが、あんな機動をする必要が出る前にチームワークで倒せばいいんですよ」
「あ……あり、がとーございましたぁ」
ニパもサーシャもその機動にドン引きしており、決して真似しようとは思わない。ましてや低空での機動力が高い零式であるから出来るのであって、他の国のユニットでは難しい。
ここで注意が必要なのが、あくまで難しいだけだという点である。
ハルトマンやエイラ、ロスマンといったウィッチは出来る。
「ではカタヤイネン曹長殿も如何です。慣れれば市街地内でポクルイーシキン大尉に付いて行けますよ」
「えっと……あー、いやー」
「ひかりさんはまだ慣れていないので結構甘めに動きましたが、ベテランのカタヤイネン曹長であれば私もそれなりに動きますが」
「また今度にするね!」
それはもう眩しい笑顔で楠里の誘いを断った。楠里とて無理強いする気は無い。
ニパを誘ったのは、最初は自分もやりたそうにしていたからついでに誘っただけである。気が変わって止めたのならソレはソレで何とも思わない。
安全装置無しで、唯一頼れるのは楠里の手だけというジェットコースターなど、誰も乗りたいと思わなくて当然である。
ペテルブルグ基地へ帰投後、ひかりの体験を聞いたロスマンは、その新しい形態の授業構想を大まかに書面に纏めた。その書面は結局大戦時には日の目を見なかった。
だが遥か遠い未来でその書類が見つかり、その内容が評価された。
カールスラント空軍所属、エディータ・ロスマンは教育の面において他に類を見ない程優秀なウィッチである、と。
後に、この授業の実験台第1号となった雁淵ひかりはこう語る。
―――アレをまたやるんですか?……ごめんなさい!
3,fin.