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横須賀の魔女
1
人類がグリゴーリを攻略し、多大な戦果を挙げてから数週間後。
楠里は三度横須賀の海軍病院に担ぎ込まれた。
「……」
診察室にて、楠里の目の前には座ってカルテを書いている軍医少佐が居る。ある程度書き終えると楠里に向き直った。
この軍医少佐も、楠里とはそれなりの付き合いだ。
最果てから救出されて運び込まれた時が初対面であり、凄く嫌がりながら特殊強心剤の開発を手伝って、超渋々睡眠薬を処方した。無痛薬の原型である麻酔薬を楠里に取られたのもこの軍医少佐である。
楠里を追いかけ、501に軍医として所属し、ウォーロック事件の時にその手腕を振るってその命を助けた。
「腹部付近の触覚が喪失か。お前、これで被弾しても痛みを堪えなくて済むなどと思ってないだろうな?」
「……」
楠里は軍医少佐と目を合わせずに下を向いている。
「おいこっち見ろ」
明らかに上官の医者と話す態度ではないので、軍医少佐は楠里の頭を掴んで上に向かせた。
「まあ……」
「療養という形で狭い病室に隔離してやろうか」
楠里はこの軍医少佐に全く頭が上がらない。ウォーロック撃破時に命を助けて貰った事情もあるが、楠里が誰にも喋って無い様な事も平然と当ててくるのだ。さらに今考えている事も的確に当ててくるため、そういう固有魔法でも持っているのかと思う程だ。
だがこの軍医少佐の固有魔法は思考を読むと言ったものではない。
「それよりも、私関連の映画が作られるとか」
楠里はこの状況をどうにかしようと口を開いた。
「誤魔化して話を逸らすついでに映画の事を有耶無耶にしたいと思っているな」
「……」
楠里は再び軍医少佐から視線を外して下を向いた。
いっそ今から全力で診察室の出入り口へ駆け寄り逃げ出そうかと考えた時、軍医少佐が口を開いた。
「逃げてもいいぞ。相応の覚悟があるならな」
楠里は逃走を諦めた。
まるで得体のしれない何かに頭を覗かれているような気分になる楠里であった。
▽
「……」
「まあいい。映画だがな、アレは私の固有魔法を活用して作るそうだ。扶桑司令部は渋っているが、各国がもうプロパガンダを含んだ宣伝やらをしてるからな」
楠里はどこか胃が痛くなる思いであった。
「階級などは……」
「その胃の痛みをお前は周囲に撒いてるんだ。少しは他人の苦労を味わえ……階級は今揉めに揉めている。戦果を評価して名誉を回復させたい総長派と否定的な政治屋も絡んだ派閥の醜い権力闘争だ」
「政治家の皆さんは総長に付いていると」
「まさか。国を思うならお前1人の痕跡を消した方が確実かつ安全だ。アイツらを2つの派閥に無理矢理分けるなら、良識派と体裁派とでもいうんだろうな。議会政治や民主主義が1つの意思に纏まって国の政策を打ち出した事なんざ有史以来全くない。保証してやるぞ?」
経験者は語るんだと締めくくった軍医少佐は、足元に転がっている人間の頭を踏んだ。
楠里も改めて診察室の床に転がっている数名の人間を見た。
「で、この方々は」
「この私を葬ろうとする奴らが仕向けたんだな」
「私にも襲って来ましたが」
「お前はついでだ。どうせ寿命でくたばる事が確定してるから放置されてるんだ。物理的手段はお前に適用される事が無いと確約出来るぞ」
「その根拠はどこから」
「私相手に調略を仕掛けた事を後悔させてやろう」
「……」
楠里は言いえぬ不気味さを軍医少佐から感じ取り距離を置いた。
それに気付いた軍医少佐は鼻で笑うと楠里に告げた。
「お前はいつも通りに全力で坂本少佐らに付いて行けばいい」
「そうですか……そうですね」
「楽しい策謀と情報戦の時間だ」
この人本当に医者かと楠里は思いつつ診察室から退室した。
退室時に頭を押さえながら2、3独り言を呟いていた軍医少佐の事は、楠里は気付かなかった。
因みにカルテはカールスラント空軍のヴィルケ中佐らの下で療養が望ましいと締めくくられていた。
軍医少佐と別れ、病院内を歩いていると、楠里は唐突に呼び止められた。
「あ、津家さん。丁度探していたんです」
楠里に声を掛けたのは、坂本の従兵である土方圭介兵曹長であった。
「土方さん。どうしたんですか?」
「実は、司令部から津家さんに出頭命令が……」
「私を見なかったことに」
土方は黙って視線をある方へ向けた。
そこには楠里らにとっては雲の上の人物である軍令部総長が立っていた。
▽
正規の士官教育受けてない奴を尉官にするとかあり得ない。
だが単湾港と501、502での功績と能力は尉官として申し分無い。
能力と正規教育を同列に語るとか、規則を1人の為に捻じ曲げたり特別扱いとかあり得ない。
じゃあテストすればいいじゃん。
一週間で兵学校入学から卒業までのカリキュラムを含んだ試験に合格したら士官教育終わった扱いで正式に尉官任官な。
喧々諤々だった議論の内容をお粥レベルまで嚙み砕いて言えば、この様な感じである。
無論一睡も禁止で固有魔法も使用厳禁。
2年4ヶ月分の内容を一週間に詰め込んだ試験を行う人員やらの手配は既に終わっている。
断らないよな?
戦時促成教育も裸足で逃げ出す内容を告げられた楠里は、総長の『マジごめんコレが限界だった』という表情を見つつ承諾した。
正直に言えば楠里は断りたかった。
別段その程度の不眠不休は最早問題ではない。
純粋に階級上昇に伴う責任やら書類整理やらを負いたくないのだ。
「謹んでお受けいたします。それと兼ねてより中止を要請していた映画なのですが」
その話題になると、楠里も司令部の楠里排斥派も渋い顔となった。
「それについては、まあ現在全力で調整中だ」
「そちらの権限で強制的に中止という形に出来ないのでしょうか」
「各国が好意的な協力姿勢を示しているのだ。おいそれと蹴れるか……まあ大きな原因はアイツだが」
楠里は頭の中に軍医少佐を思い浮かべた。
「あの人……まさしく知識面での暴力装置か何かですか」
「すまんな」
楠里と楠里排斥派の将校は揃って大きな溜息を出した。
何でこいつら息ピッタリなんだと、総長と楠里擁護派の人間は頭を捻った。
▽
「……で、コレが結果と」
兵学校に務める中でも特に生徒に厳しい教員3名。排斥派の息が掛かった教員5名。擁護派に位置する北郷と国崎の2名。
合計10名で行われた耐久士官教育テストは無事終わった。
「はい。座学・実技・精神面その他諸々、排斥派の息が掛かった教員でさえ唖然とする程でした」
楠里は一週間不眠不休で地獄の試練を無表情で耐えきった。
4日間延々と頭を使う座学と、3日間只管に体を動かす実技を乗り越えた楠里は平然と言い放った。
『彼の地ではこの密度に加えネウロイの迎撃に当たっていましたから』
事実それを行い生き残っているため、精神面に於いても問題は無いという判断だ。
1日徹夜しても誰もが当たり前と思う。
2日徹夜してもまあまあある事だと誰も気にしない。
3日不眠不休で徹夜を終えた段階で、誰もがそろそろ限界で潰れると思った。
4日間一切の休息を取らず、一切表情を変えず、一切作業効率が低下しない人間を見て、誰もが感心した。
5日間最低限の飲食しか行わず、不眠不休の座学の後に始まった実技を熟した楠里を見た教官らは、感心すると同時に寒気を覚えていた。
6日間苛め抜かれた筈の楠里が平然としている中、教官らの方が肉体的・精神的に参って来た。
問題の7日目。
10名の教育者が見る中で、楠里はとうとう一切の弱音も吐かずに最後の試験を突破した。
楠里に冷たく当たっていた排斥派の教官5名も、擁護派の教官3名も、北郷も国崎も。
全員が全員、最後には楠里を得体の知れない化け物を見る目になっていた。
「ネウロイとの戦いが無い分幾分か余裕でした」
我慢の限界を迎えた排斥派の教官が、独断でもう3日八つ当たりの様な試験を課した。
10日目。
楠里の目の前にはやつれた顔の教育者8名と、楠里を見る目が化け物のソレと変わりない国崎大尉が居た。
「色々な人間を見て来たつもりだが、お前の様な、何というか……理不尽を淡々と受け入れた上で平然とやりきる奴は初めて見たぞ」
楠里は無表情で北郷を見て口を開いた。
「終わりですか」
北郷は苦笑を漏らすと楠里の問いに答えた。
「あぁ終わりだ。いい加減にしないと弟子にも怒られる」
楠里は北郷が顔を向けた方を見ると、そこには般若の形相をした坂本が仁王立ちしていた。
「……少佐のお弟子さんですよ。諌めてください」
「私はお前の報告書がある」
北郷はダッシュでその場を離れた。
ああこれはお説教かと楠里が諦める中で、坂本は全力ダッシュで北郷を追いかけた。
ん?と首を捻った楠里は、助かったかと思いつつ国崎大尉に話しかけた。
「私はどうすればよろしいでしょうか」
国崎大尉は口元をヒクヒクと痙攣させると、自由解散を言い渡した。
試験会場だった横須賀鎮守府の正門を抜けて暫く歩いていると、懐かしい人と楠里は再会した。
▽
横須賀の都市部から外れた郊外。
鎌倉の山中には宮藤診療所がある。
「楠里ちゃーん。お茶淹れたよ!」
扶桑皇国海軍、津家楠里大尉は現在、宮藤診療所に居候していた。
本来であれば海軍病院に居なければならないのだが、主治医である軍医少佐がベッドに空きが無いから出ていけと追い出した。
何だコイツと思いつつ、どうしようかと横須賀を彷徨って居た所、『それはもう偶然かつ幸運』にも芳佳とばったり再会した。
病院から追い出されて僅か5分後の出来事である。
策謀を感じると楠里は思いつつ、芳佳の有無を言わせない提案に従うのであった。
芳佳の母である清佳も、祖母である佳子も事情を聴いているため反論は無かった。
「明日は卒業式ですね」
楠里は味を感じない舌で緑茶を流し込みつつ、縁側で空を見上げていた。
「早いよねー。でもやっと診療所で本格的に手伝いが出来るよ」
宮藤芳佳は明日、横須賀第四女子中学校を卒業する。
現在は命令違反の為不名誉除隊という扱いだが、本人は出世など微塵も興味が無い。
楠里が宮藤診療所に転がり込んでから数週間。
芳佳が通う学校の課題などを少しだが手伝っていた。
「中々新鮮な体験でした」
楠里は9歳という若さで軍門を叩いたため、普通の学校で学ぶ内容が新鮮であった。
「残念だけど楠里ちゃんは手芸とかは壊滅的だったね……」
芳佳が501に居た時にも、本来の学校からは課題が出ていた。
軍に居たという理由があるとはいえ、全く手つかずで卒業出来る程甘くはない。
なので、お目こぼしで貰った大量の課題の処理を、居候の代価として一部担っていたわけである。
しかしながら、自分用に継ぎ接ぎだらけの適当なボロい外套などは作れても、課題用の小綺麗なお裁縫は出来なかった。
「坂本少佐には絵も壊滅的と言われました」
「でもその分、算術や文芸とか地理とか、頭を使う課題は凄かったよ!」
課題は自分でやらなければならないのだが、どう見ても1人で捌ける量ではなかった。
楠里も多少は役に立てて良かったと心で思っている。
無駄に経理に触れていた楠里にとって、中学生レベルの算術などで手は止まらない。
右手で算術課題をしつつ、左手で文章を捌くという、文字通り片手間作業を並行で行い芳佳を驚かせたのも記憶に新しい。
「卒業生代表挨拶は頑張って下さい」
楠里は芳佳と平和な日を過ごしていた。
▽
「津家さーん!」
「ただいまー」
芳佳と山川美千子が卒業式を終えて帰って来た。
美千子は楠里が居候となった時、ウィッチの話を聞きたいとせがんできた子である。
実は芳佳と血縁であるためか、人をその気にさせる才能がある。
楠里もそれに流されて、軍機に抵触しない程度に話すぐらい仲が良い。
「お2人ともお帰りなさい。ご卒業おめでとうございます」
卒業証書が入った筒を持つ2人を見て、平和だなと楠里は思った。
ミーナらの所も面白いが、ここの穏やかな生活に楠里は浸っていた。
美千子が拾って来た小鳥の足を治した芳佳は、そっと空へと帰してあげた。
楠里と美千子がそれを見上げていると、突如として空から人が墜ちて来た。
―――ドッシャーーン!
と、凄まじい音を立てて茂みへ突っ込んだ人物は、見事にV字開脚をキメて目を回していた。
楠里は驚く芳佳と美千子の横を通り抜け、墜ちて来たウィッチの前に立った。
念の為に銃剣をいつでも抜けるように位置を微調整しつつ、楠里はウィッチに問いかけた。
「いったたた……」
「こちらは海軍所属、津家大尉だ。そこのウィッチ、所属と階級を直ちに名乗れ」
それを聞いたウィッチは大慌てで体勢を直し、敬礼を以て応えた。
「失礼致しました! 扶桑皇国陸軍・第47独立飛行中隊所属、諏訪天姫少尉であります!」
陸軍は海軍と違い、階級の差は絶対である。
軍曹であった楠里が少佐の坂本に対してさん付け呼びが許されている海軍だが、陸軍でそんな事をしようものなら、直ちに鉄拳制裁からの営倉行きだ。
酷い事になれば、上官侮辱罪や不敬罪にあたり簡易銃殺刑もあり得る。
あの陸軍ウィッチ少尉、管轄が違うとは言え上官にため口でしたなどと報告するなど楠里も嫌である。
なので彼女の誇りを守り、忠実に職務を遂行していたという体裁を整える為にも、しっかりと接するのが1番平和で安全だ。
「では諏訪少尉、民間人の家の庭に墜落してまでどうした」
「はい。宮藤博士と海軍軍令部より、お手紙であります」
それを聞いて、その場には芳佳の驚愕が響き渡った。
▽
軍基地の警備を顔パスで通過する芳佳を見送った楠里は、警備の兵に所属階級と用件を伝えた。
津家楠里は知る人ぞ知る英雄の1人に数えられている。
最果ての地での事は全力で伏せられているのだが、501や502での功績は隠し通す事が難しくなった。
そもそもの話、楠里が502に所属した事も扶桑司令部からすれば寝耳に水であったし、ましてや巣を破壊する矢面部隊になるとは思っていなかった。
挙句の果てには現場独断による野戦任官である。
あれだけ神経を張って楠里の事を隠してきたというのに、その全てが水泡に帰したのだ。
突破出来ないと高を括っていた士官試験も余裕ですり抜けた。
それでも9割の一般人や軍人は楠里の事は全く知らない。
501や502、各国や扶桑の司令部、連合軍司令部が残りの1割である。
如何せん1割のネームバリューが凄まじいが、そこはソレだ。
楠里が芳佳を探していると、突如として基地のスピーカーから声が鳴った。
『津家大尉は大至急3番格納庫へ』
楠里はそれを聞くと、急いでそこへ向かうのであった。
▽
「来たか」
格納庫には、坂本が待機していた。
「お久しぶりです」
「ああ、まずは昇進おめでとう」
和気藹々とした挨拶は直ぐに終わり、楠里は坂本に尋ねた。
そこには丁度、二式大艇が着水する場面であった。
「欧州ガリアにて緊急事態が発生し、扶桑は再度緊急支援作戦を開始する事となった。私とお前が全扶桑軍の先駆けだ」
坂本はハンガーの外を指さした。
そこは丁度、二式大艇が着水する場面であった。
「アレですか」
「津家大尉は現時刻を以て私の指揮下に置かれる。私と共に欧州入りだ」
楠里は佇まいを正して敬礼をした。
「了解。坂本少佐の指揮下に入ります」
横須賀基地を飛び立ってから数分後。
芳佳がユニットを駆り追いかけて来た。
坂本が芳佳と口論をする中で、楠里は操縦席にいる操縦士に声を掛けていた。
「少し速度を落としてあげて下さい」
「は、よろしいのでしょうか?」
楠里は半身を外へと出している坂本を一瞥すると向き直った。
「今追いかけて来ている子は、世界一坂本少佐の心を動かすのが上手な人ですから」
「了解しました」
そうしていると、芳佳は坂本に引っ張られて機内へと転がり込んできた。
「あれ、楠里ちゃん!?」
楠里は優しく芳佳に手を振った。
▽
1週間後。
「現在、アドリア海上空。もう間もなくロマーニャ軍基地へと到着致します」
「うむ」
「あー、やっと降りられる」
芳佳の弱音を聞いた坂本は、芳佳を見て鈍ったなと指摘した。
「半年の間真面に運動してないな? 津家を見てみろ、運動どころか巣を1つ潰して昇進してきたぞ。どうなってるんだ一体」
「楠里ちゃんどうなってるのソレ……」
「どう、なってるんでしょうね」
そんな事楠里自身も分かっていない。
その場の流れに身を任せていたらいつの間にか巣へと特攻し、変なネウロイを潰していたのである。
『はぁ……』
坂本と芳佳がため息を吐きつつ、宮藤博士からの手紙の事を話し合っていた。
楠里もそれに耳を傾けながらも、窓の外を見ていた。
「……?」
楠里が不意に嫌な予感を覚えて機体後部に目を向けた。
「どうした津家」
「お腹でも痛い?」
2人が気にする中で、楠里はその嫌な予感の正体を感知した。
「……」
楠里がいつもの表情で口を開いたその時、機内に警報が鳴り響いた。
その警報と同時、楠里の目つきが戦闘用のソレへと変わった。
「レーダーに未確認機の反応有り。急速接近中!」
「何!」
「衝撃に備えてください」
坂本が確認の為に声を上げ、楠里が警告を発した。
それと同時、未確認機からの攻撃で機体が大きく揺れた。
「第一エンジン被弾!」
今ここに、津家楠里の新たな戦いが始まった。
悲報:薬漬けの大尉昇進決定
全然見ていなかった評価を気まぐれで見た所、☆10と☆1の評価が拮抗していました。
まあ内容が内容だけに人は選びますが、中には私の作品全てに☆1や☆0を付けている方もいらっしゃいます。
私は言葉の無い☆評価よりも、感想の方が嬉しい性分です。