ロスマン先生の胃も壊してーな……。
蜃気楼の魔女
1
▽
バタフライエフェクト。
大雑把に言えば、小さな変化はより大きな変異になりえるのかという理論だ。
過程に変化が無かった結末と、微少ではあれど過程に変化があった結末。
そこにどの程度の差があるのか。
一種の並行世界を観測するその理論に基づけば、悲惨な終わりを迎えた結末が覆るかもしれない。
もしくは新たな苦難の幕開けかもしれない。
「本日付で津家軍曹の専属医として、501統合戦闘航空団に着任いたします」
「ようこそ、茂野夕姫軍医少佐」
カールスラント空軍所属、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐の目の前で敬礼する軍人。
「では早速ですが診て参ります」
「えぇ、
元は横須賀の軍医少佐であったが、津家楠里の状態が看過できず、上申して配置替えを希望した。
不気味なほどにすんなりと通った要望は、茂野少佐を即日ブリタニア行きの軍艦へと放り込んだのだ。
「そのあだ名、誰が付けたんですかね」
そういって嘆息しながら部屋を出て行った。
この変化が如実に表れるのは、当分先の話であった。
▽
暴走した赤城を何とか撃破したストライクウィッチーズ。
だが勝利の余韻に浸る事無く、今にも事切れそうな戦友を滑走路へと運んできた。
周囲の人間が泣いている中、芳佳は必死に治癒魔法を掛け続ける。
「宮藤、心臓付近の異物が血流を押しとどめている。その異物を分解して押し流せ」
慌てるウィッチ達の中で唯一落ち着いていた茂野少佐は、どこに原因があるのか分かっているかの如く指示を出す。
「あ、確かにここに何かある」
「そうだ。それを除去した後は、ホースをイメージして魔力を流し込め。血管や神経といった、あらゆる器官にお前の魔力を流し込んで、異常箇所を特定するんだ」
茂野少佐のアシストを受けつつも、楠里を助けたい一心で指示に従う芳佳。
「何これ、どこもかしこもボロボロだよ」
「無事な個所を見つける事自体が難しいだろうな。補助はするから、一つ一つ丁寧に修復していくんだ」
皆が見守る中で、医療に長けた二名が必死に応急処置を試みる。
「魔法力で無理矢理何かを植え付けられてる……」
「無理に剥がすとショック死する。一つ一つ丁寧に絡まってる部分を解け。反対側は私がやろう」
楠里は大丈夫なのかと聞こうとしたメンバーだが、茂野少佐が黙って見てろと目で制した。
暫くして、一命を何とか取り留めた楠里は、幾分か和らいだ表情で寝息を立てていた。
「よくやってくれたぞ二人とも」
坂本が芳佳と茂野少佐に惜しみない称賛を送る。
「坂本少佐。まだまだ安心は出来ない。不安だろうが、本土の設備を使った集中治療を受けさせないと」
「むぅ……」
「総長が先日軍医少将らを逮捕しようと動いたが……それに赤城に乗っていた少将は恐らく偽物だ」
▽
喧々囂々、紆余曲折。
揉めに揉めた結果、やはり楠里は一度本土へ送還される事になった。
一刻も早い帰還が望まれる為、今回は二式大艇を用いた高速空輸が実行された。
専属医として芳佳や茂野が同乗し、魔法力で応急処置を続ける事2週間。
本土の海軍病院へと担ぎ込まれた楠里は、茂野少佐を筆頭とした医師達による緊急手術が施された。
楠里の為に学びたいという強い要望に応え、芳佳もその手術の補助員として力を発揮した。
そうやって色々な人の尽力も相まって、津家楠里は奇跡的に回復を見せた。
魔法力は以前の三分の一以下にまで衰え、味覚に続き嗅覚もぶっ壊れはしたが、まさしく奇跡の一言であった。
「はぁ……相も変わらず脳内で囀りやがって」
楠里の問診をしながらブツブツと呟く茂野少佐は、ぼーっとしている楠里に目を向けた。
「茂野少佐、私如きの為にありがとうございます」
それを聞いた茂野は、楠里を睨みつつ返答した。
「特殊強心剤といい睡眠薬といい麻酔薬といい……」
楠里はそっと茂野少佐から視線を外した。
初めて茂野少佐に出会った時は、それはもう色々と怒られたのだ。
聞く所によれば、少佐が書いた診断書は揉み消されたのだという。
「退院出来ますか」
「……まぁ日常生活は出来る。今度こそお前には傷痍除隊の話が来ている」
「せめて曹長辺りになって軍人恩給を跳ね上げたいと思います」
「残念だったな。ウォーロックや発現薬は最高機密扱いだ。お前以外は昇進したりと恩恵はあるが、お前は存在自体が上層部にとって厄ネタだからな」
暗に出世なんぞ期待するなと言われた楠里。
だがそんな事は本人も分かっているし、どうでもいいとも思っている。
「せめて501の皆さんと共に在りたいです」
「ヴィルケ中佐や坂本少佐がそうなるよう動いている。まあ久しぶりの休暇を楽しむんだな」
退院おめでとうと吐き捨てるように言うと、茂野少佐は病室を出て行った。
悲惨な運命に打ち勝った少女に、世界は甘くなかった。
これより数週間後、楠里は再び空母上の人となるのであった。
▽
扶桑皇国・九州地方。
佐世保と呼ばれる一大軍港が在る港湾都市にて。
「大丈夫ですか」
都心部から少し離れた郊外の山奥。
小さな埠頭と神社を隔てる海の上で、二人の少女は出会った。
「あ、あはは。恥ずかしい所を見られちゃった」
「魔法力を使って水上跳躍訓練ですか。変わった訓練ですね」
「でも中々成功しなくて……でも君凄いね、安定して水の上に立っているよ!」
雁淵ひかりは、先程から抱き抱えてくれている少女に対して話しかけている。
「展開するシールドに回す魔力を、もう少し均一にしてあげれば行けますよ」
少女のアドバイスにふんふんと頷いて聞くひかり。
「次からやってみよう」
「ところで、その制服を見るに予備学校の生徒ですね。講義までに間に合いますか」
陸地にひかりを降ろすと、太陽の位置を見て時間を伝える。
「いけない! 1回帰って支度しないと! ありがとねー!」
走り去っていったひかりの背中を、少女は見送った。
▽
佐世保航空予備学校。
扶桑皇国の将来を担うウィッチを育成する教育機関である。
「ほう、雁淵中尉の妹に会ったか」
校庭に連なっている学舎の廊下を、二人の人物が歩いていた。
「独特な自主訓練をしておられました」
「アレか。まあやらないよりはマシだろうな」
扶桑の軍神と誉れ高いウィッチ、北郷章香は校庭を見た。
「どいつもこいつもまだまだ巣立ち出来ない雛鳥だな」
「螺旋飛行をした今の生徒は如何ですか」
「ん、ああ三隅生徒か。協調性が壊滅的との評価が下っている」
少女はチラッと北郷を見ると小さく溜息を口から出した。
―――二つ名持ちからすれば誰もがヒヨッコか。
「少し訓練を見てからでいいですか」
少女は未来を担うウィッチ候補の訓練を見たいと上申した。
「あぁいいぞ。後ほど校長室へと来てくれ」
そういうと北郷は片手をひらひらさせながらその場を去って行った。
少女は北郷と別れると、飛行訓練の邪魔にならない位置へと足を向けた。
「次、雁淵!」
上の待機場所で何やら揉めていた様だが、螺旋飛行を成功させた生徒の後に続いて、雁淵ひかりが指名を受けた。
威勢よく返事をして、飛行訓練に移るひかり。
この訓練は、低空に設置されたハードルをくぐり抜けて急上昇し、障害物を避けて鐘を鳴らす。
初歩と中級の間に位置する基礎訓練の一つだ。
先程の螺旋飛行に影響されたのか、捻り込みという高等技術で対抗するひかり。
周囲は驚くが、飛行時間も短い訓練生が、付け焼き刃で模倣した所で成功はしない。
急激な負荷に耐えきれず、ユニットを失速させてしまったひかりは、地面に激突する、筈だった。
「大丈夫ですか」
地面との熱烈なキスの寸前に、ひかりの体を抱き抱えた存在が居た。
「あ、えっと、ありがとうござ……えええ!?」
ひかりを抱き抱えた少女は、手早くひかりを立たせると、自分の服に着いた土を手で払った。
「馬鹿垂れ! 敵も居ないのに落ちる奴があるか!」
罰として校庭20周を教官から課せられたひかりが返事を返す。
「もう少し基礎練習を積んだら出来ますよ」
少女はひかりにそうアドバイスをすると、他の生徒が待機している高台へと上がった。
「えぇ!?」
「え、ユニットも無しにどうやって!?」
少女はストライカーユニットを装着せずに、生身で高台へと浮いて登ってきた。
ユニット無しで浮遊は珍しいが、ユニット開発以前のウィッチなら皆出来ていた事だ。
「軍曹、校長との話は終わったのか」
訓練教官を務めている国崎大尉が少女に尋ねると、黙って校長室の窓を指さした。
チラッと国崎がそこを見ると、客人の相手をしている北郷の姿が目に入った。
ふむと頷いた国崎は、丁度いいから軍曹もやってみてくれと要請を出した。
「……皆さんは上手く飛ばないとと焦ってますが、こんなのは回数を熟せば出来ますよ」
そういって何の躊躇もなく、生身で高台を飛び降りた少女。
慌てた生徒たちが下を覗き込むと、まるでユニットを履いてるかの如く滑らかな飛行をする少女が目に入った。
「す、凄い」
一度も止まることなくハードルをすり抜け、螺旋飛行をしつつ鐘を鳴らした。
その後一気に急上昇しつつ失速反転を行った。
先程三隅が行った螺旋飛行と、ひかりが行おうとした捻り込みの合わせ技を披露しつつ、元の位置へと戻ってきた。
「皆さんにもそのうち、やらないといけない状況が来ます。その時に動けるかどうかで、皆さんの今後の評価も変わるでしょう」
「よく聞いておくように。欧州帰りの言葉などそう聞けないぞ」
この日の講義は、いつもより白熱したものになった。
▽
「片や普段から何でも出来るが、お世辞にも性格が良いとは言えない。片や成績は振るわないが、周囲からの評価が高く根性もある。お前ならどちらが使えると思う?」
北郷の問いかけに少女は応えた。
「私なら後者でしょうか。悪条件下において一定の能力を行使可能な根性の持ち主を求めます」
「その根拠は?」
「天才型とは往々にして突発的な事態に弱いものです。私の経験からしても、如何なる状況に於いても動ける人員が、欧州で力を発揮するかと」
講堂にて。
学徒を欧州へ派遣する話が生徒に伝えられる中、生徒たちの後方で話す北郷と少女。
「なるほどな。60点だ」
「左様で」
その評価を受けても少女は特に思う事は無い。
「天才型の方を何の努力もしていないと思っている所で-20点。君の経験は参考にするには過酷なので-20点だ」
「左様で」
少女は左様でbotと化している。
欧州派遣員に自薦で手を挙げた二人を見つめ、焦点を合わせた。
「明日の選抜試験の天候は荒れる。緊急時の対応要員として待機していてくれ」
「了解」
▽
「初めまして雁淵中尉。遣欧艦隊第24航空戦隊288航空隊所属、階級は軍曹であります。リバウの貴婦人と名高い中尉にお会いできて光栄です」
雁淵孝美中尉が初めてその軍曹と対面した時、感じたのは違和感だ。
階級に対して纏う雰囲気が全く嚙み合わないのだ。
まだ実戦も経験していないであろう幼い容姿とは裏腹に、立ち振る舞いも雰囲気も熟練のウィッチであった。
ともすれば、自分ですら経験した事の無い様な地獄を潜り抜けて来た貫禄もある。
「初めまして軍曹……その、軍曹よね?」
「はい。海兵団を卒業して軍曹の階級を拝命しております」
「そう……そうね。先日妹のひかりの面倒を見てくれたと聞いているわ。ありがとう」
お怪我が無くて良かったですといい、楠里は試験監督の為に空へと上がった。
孝美は、あまりにも澱み無く空へと上がって行った楠里を見て、益々疑問を浮かべるのであった。
▽
空母での戦闘を何とか凌いだひかりと孝美たち。
正史よりも傷が浅い孝美は、ひかりと会話をしている。
「そうだわ軍曹。妹を手助けしてくれてありがとう」
少女はその言葉に返礼しつつも、左脇の傷を見ていた。
―――焼けばいいのに。
そんな事を思った段階で、目頭を押さえて頭を振った。
非常識な環境と狂った処置に慣れすぎた故の考えが飛び出てきた。
「はぁ、あの人が如何に規格外かよく分かります」
502より派遣されたジョーゼット・ルマール少尉の治癒魔法を見て、軍曹は思わずため息を口にしてしまった。
彼女も優秀で貴重な治癒魔法を持つウィッチであるのだが、魔法力お化けを見慣れている楠里からすれば、それは児戯の様に感じた。
501が異常なウルトラエース集団なだけであり、他のウィッチが劣っているという考えの方がおかしいのだ。
ここで少女はもう一度頭を振った。
余りにも規格外な人達に囲まれていた影響か、思考もそれに順応しているようであった。
▽
ひかりが姉の孝美に代わって戦うと進言した。
少女はその場を後ろから見守っていた。実力が伴わない実戦は危険だと思うが、才能も実力も無かった自身が生き残れたのなら、この子だって大丈夫だという考えだ。
無論それは第三者が聞けば、口を揃えてお前が例外だと答えるだろう。
第502統合戦闘航空団司令、グンドュラ・ラル少佐が試験的にその配属を認める中で、少女にも声を掛けてきた。
「そう言えば先程から気になっていたが、お前は?」
少女自身は配属先の部隊が再結成されるまでの間、適当にどこかの部隊に配属される筈であった。
「お初にお目にかかります。扶桑皇国海軍所属、階級は軍曹であります。配属予定の部隊が現在調整再編中である為、一時的に何処かの部隊へと着任する予定であります」
「ほう……何処に配属予定だ」
一応であるが、本来の部隊の解散経緯や再編に関しては軍機である。故に恩人からの手紙には、配属先を聞かれた場合の対処も書かれていた。
「オラーシャ空軍第404飛行隊であります」
無論そのような部隊など存在はしない。だが裏への手回しが狡猾な人物が一時的に立ち上げたまやかしである。
まやかしではあるが、書類上は存在するので問題は無い。
ふむと頷いたラルは、少女に提案をした。
「では再編完了と配属通知辞令が来るまで、502への所属とする。上へは私が言っておく」
このラル少佐は、政治的手腕に優れている優秀な人だ。
「了解致しました。これよりラル中佐の指揮下へ入ります」
ひかりがよろしくねと抱き着いて来た。
そんな二人を睨むような視線を向ける菅野を、少女は嘗ての上司と重ねていた。
▽
グンドュラ・ラル少佐とエディータ・ロスマン曹長。
二人は現在、連合軍北部方面総司令部で、将官二人と対談していた。
「あー、それで新しく扶桑のウィッチ2名を加えたそうだが……」
「雁淵孝美中尉と―――津家楠里軍曹であります」
少女、津家楠里の名を出すと、マンシュタイン元帥とマンネルヘイム元帥が虚空を見つめた。
ただでさえ口に出せない実験の当事者であるというのに、軍の最高機密のやらかしにも関わっている。
ブリタニアと扶桑が下手打った事なのだが、いつの間にか第三国にも飛び火していたこの事件。
「分かった……退出してよろしい」
そう聞いた二人は、敬礼をして司令室から出た。
だが退出する際、ラル少佐は将官二人のため息がやけに耳に残った。
時は進み、502駐留基地・司令室にて。
未だに第501統合戦闘航空団がネウロイの巣を破壊した方法が明かされない。
色々と予測を立てようにも、前代未聞の快挙である為、想像のカケラすら浮かばない。
「まぁ破壊出来る事は確かの様だ。後は、戦力だ……新人二名はどうだ」
「端的に言いますと、雁淵ひかり軍曹は魔力の絶対量を始め、あらゆる部分が未練成です」
はっきり言って使えないと言い切ったロスマン曹長。
「ではもう片方の津家軍曹はどうだ」
「あちらは、一度本格的に試験を課さなければ判断いたしかねます」
「先生でも分からない事はあるんだな」
ジト目でラル少佐を見るロスマン曹長だが、嘆息すると部屋を退出した。
▽
朝日が水平線から顔を出す。
河に面している基地の外郭にて、楠里はひかりの訓練を見ていた。
シールドを展開しつつ水面を跳躍し、近くの岩場へと何とか渡りきったひかり。
「佐世保の時よりも安定はしていますね」
津家楠里の魔法力量は、お世辞にも多い方とは言えない。
さらにウォーロック事件の時の後遺症で、元の三分の一にまで落ち込んだ。
芳佳の魔法力を1000と仮定した場合、一般的なウィッチの魔法力は100程度。
楠里はその一般的数値を下回った90である。さらにそこから三分の一まで消失したため、実質30程度しかない。
これは魔法力が少ないと言われているひかりよりも更に少ない。
ここまでくればユニットの起動すらも困難を極める。
そこへやって来たロスマン曹長が、苦労して渡ったひかりの記録を易々と塗り替えた。
魔法力をもっと制御出来る様になれば出来るとロスマン曹長は教えた。
「では津家さんもやってみなさい」
少し前、ハルトマンに言われたことがある。
何事もはいはいと流しておけば、いずれ問題は無くなるよと。
―――エーリカさんはこの人に苦手意識みたいなものを持ってたんでしたっけ。
「津家さん凄い! 私より若いのにそこまで出来るんだね!」
楠里が軍に入ったのは9歳と、有り得ない程に幼い時であった。そこから海兵団で1年が経ち、最果ての地にて4年の月日が流れた。
孤児院に拾われた日を誕生日とするならば、楠里は芳佳やひかりと同じ14歳である。
「ふむ、魔法力が少ない状態でよく制御できています。では二人には、私が嚮導するに足る資格があるか試験を課します。それが出来ない場合、二人共扶桑へ帰って貰います」
その事にひかりは驚くが、楠里は敬礼をロスマン曹長に返した。
格納庫にて。
ユニットを履いたひかりと楠里は、ロスマン曹長の指示でエンジンを始動させた。
ひかりが本来の出力を出せずに苦労している中、楠里は何をどうやったのか簡単に始動させた。
「その少ない魔法力でどうやりましたか」
「死ぬ気でやれば何でも出来ますよ」
常に死ぬ程の力で軍務を遂行しないと本当に死ぬ現場に居た人間。
そんな人間に教えを乞うた場合、返ってくる言葉などこんな物である。ましてや海兵団で一番下の成績であった楠里だ。常人の何十倍も頑張っていなければ、今頃ここには居ない。
だがそんな精神論を見逃すほど甘くはない。
「真面目に答えるように」
「私は大真面目なのですが……必要な箇所へ集中して魔法力を送り込めばいいだけです。総量が少なくてもやり方次第では何とでも。ひかりさん、無暗に全身に使わなくても、今はエンジンだけに回せばいいですよ」
ロスマン曹長とて、数多くのエースウィッチを育て上げたベテランだ。自身の体の弱さも相まって、随分と苦労もした。
それ故に、目の前にいる津家楠里という存在が分からない。
恐らく戦闘を経験していないであろう楠里の華奢な体と少ない魔法力。
新兵であるならそれが焦りとなり、言動に何らかの影響があってもおかしくない。
「津家さんも新兵、よね?」
「軍歴は1年です」
念のために確認を取るロスマン曹長。
その言葉を聞いた楠里は、何の躊躇も無く虚偽を言い放った。
本当の経歴など話せるはずも無く、話したとしても信じてなど貰えない。
尉官の戦闘力と功績を持った軍曹という存在は、上層部も頭を抱える問題である。
出世させたいが、厄ネタに権力を与えたくないという意見が大多数である。ならばさっさと軍を辞めさせようという意見もあるのだが、目の届かない範囲に置くと何をするかも分からない。
じゃあ現状維持でというのが、上層部の最終的な意見である。
出世も無いが、ある程度の事に便宜は図らないでもないのが今の状況だ。
「そう……そろそろ朝食が出来るわ。二人も食堂へ行きましょうか」
まさか目の前にいる新兵が、自分より幼い頃から戦ってきた古参兵だと見抜けと言う方が酷である。
▽
楠里がブレイブウィッチーズに所属となって一番驚いた部分は、食事の豪華さである。
ストライクウィッチーズとて最精鋭で物資にも恵まれた部隊であったが、どういう訳か食事に関しては首を傾げる事が多かった。
この部隊は専属の炊事兵がいるらしく、料理を錬金術と履き違えている楠里が厨房に立つ必要も無い。
「おい聞いたぞ。お前ら二人共、あと1週間なんだってな」
だからと言って楠里が口に運べる量が変化する訳では無い。
スープを飲み、パンを半分齧った所でもう満腹だ。
「1週間じゃありません。ずっといます!」
食べ始めて5分も経ってないのに既に満腹の楠里は、菅野の話に耳を傾けていた。
「強制送還か~」
と、揶揄う様に捲し立てる菅野の言葉を聞いて、ひかりもふんと視線を外した。
「菅野、いい加減にしなよ」
ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長が窘めるも、効果は表れなかった。
朝食後は引き続き訓練と称した試験が行われる。
今回は射撃試験である。
セミオートで離れた的に当てるのだが、その的はコイン1枚の大きさと中々に酷かった。
3年分の訓練を端折り、本来とは違う配属先であるためか、要求される能力の水準も高い。
結局の所、ひかりの銃弾は、コインのほぼゼロ距離に近づいてから命中となった。
ロスマン曹長は魔力が低い為反動を抑えきれていないと正確に分析し、次に楠里に射撃指示を出した。
楠里は腐ってもベテランである。魔法力で反動を抑えきれなくとも、完璧以上に発揮された熟練の基礎技術を行使し、1発で命中させた。
「貴女、本当にちぐはぐね」
魔法力は少ない上に、実戦経験もほぼ無いと思われる新人ウィッチ。
だが老練な魔法力行使といい射撃技術といい、その行動はベテランのソレであった。
天才と呼ぶにはあまりにも不釣り合いな雰囲気の楠里は、ロスマン曹長が考え込んでいる間もひかりにアドバイスをしていた。
後に501に所属する服部静香は兵学校を首席で卒業した超エリートであるため、同じ条件なら命中させることが出来るであろう。
服部静香を防衛大首席卒とするなら、ひかりは高校中退者のような扱いである。
楠里に至っては最終学歴小学校卒とほぼ変わらない。
ひかりが何とかロスマン曹長の教えを乞うべく嘆願する。
その熱意に思う所があったのか、それとも諦めさせる為なのか。
二人に追従するよう指示したロスマン曹長は、その場を歩き出した。
基地内の尖塔に引っ掛けた軍帽を1週間以内に取ってくる。
ロスマン曹長がひかりと楠里に出した最後の試験である。
これに受からない場合は出撃も認められない上に、扶桑への強制送還が待ち受けている。
「手本を見せてあげます」
そういって手足に魔法力を流しつつ、器用に登っていくロスマン曹長。
「そんなの学校で習いませんでしたー……」
「習いませんでしたねぇ……」
ひかりの困惑した言葉と、楠里のぼやきを聞いたロスマン曹長は、無理なら扶桑へ帰るようにと言った。
試しにひかりが一度登ってみるも、やはり直ぐに地面に落ちてしまった。
「出来たら持って来なさい」
そういってロスマン曹長はその場を去っていった。
楠里はこの試験が完全に見切りを付ける為だと確信して嘆息した。
司令室にて。
ラル少佐とロスマン曹長は、窓の外を見ながら紅茶を口にしていた。
後ろにはアレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン大尉も紅茶を片手に控えている。
「面白い事をさせているな」
ラル少佐が訓練内容を見て発した言葉だ。
本人に自覚させた方が為になるというベテランの意見は、佐官であるラル少佐も納得した。
「津家軍曹は正直言って判断に困ります。魔法力は雁淵軍曹より低いのですが、魔法力行使や射撃技術を始めとして、あらゆる基礎・応用技術が熟達の域です」
「先生がそこまで言うのなら何かあるのだろうが、どうも彼女の経歴は幾つかフェイクが混じってる感じがあるな」
「……才能というより、幾度もの実戦や死線に裏打ちされた物のように感じます」
ラル中佐は改めて楠里の経歴が記載された書類を見た。
だが内容は何とも平凡であり、敢えて目立たない様にしてある感じがするのだ。
「少なくとも、この経歴書と実物が嚙み合わないのは事実だ」
「彼女は試験を課されてから一度も塔を登らず、雁淵軍曹の補助に回っています。まるでこの程度いつでも登れると言わんばかりです」
後の大尉の意見も交えつつ、訓練の様子を観察する三人であった。
▽
翌日。
502メンバーのほぼ全員から歓迎されてない様な雰囲気だが、それにめげない辺り光るものがある。
楠里はひかりをそう評価した。北郷に低い点数を付けられた楠里の根性論意見だが、強いメンタルというのは戦場で重要である。
あの芳佳でさえ、最初はバルクホルンと軋轢があったのだ。
だが今や姉妹だなんだと行く所まで行ってしまった前例を見ていると、菅野やロスマン曹長の言動も理解出来ると、勝手に上から目線で思っている楠里。
「菅野は出来るの?」
ひかりに絡んでいた菅野だが、そう言われると直ぐに行動に移した。
ニパとひかりと楠里の三人が登っていく菅野を見つめていると、やはり途中で落ちてきた。
「あれ?」
「勝手にやってろ!」
それでもめげないひかりを見て、菅野はその場を去っていった。
因みに楠里は未だに1回も登ろうとしていない。
時間は進んで夜。
ニパの提案でサウナに行こうと言われたひかり達。
だが極力楠里の過去を邪推されるような言動は控えるようにと言われているため、楠里はそれを断った。
「えー、行こうよー」
それでも離れないニパに対して、楠里はもう諦めた。
もとよりいつまでも隠し通すという方が土台無理なのだ。実戦に上がれば動きは新兵ではなくなるし、楠里はひかりが登り切ったら自分もさっさとクリアするつもりなのだ。
「分かりました。行きましょうか」
どうにでもなーれと匙を投げつつも、楠里はニパの後ろに続いた。
「お前、なんだよその傷跡」
タオルを巻いても隠し切れない程の大きな傷。
それが体の至る所に付いており、ただ事ではないと実感する菅野たち。
「転びました」
「んな訳ねーだろ」
ですよねと思いつつも、あくまで転んだだけだと白を切る。
人生という道で盛大に躓いて転んでいるという意味では何一つ間違ってないのだが。
「君の事も気になるけど、何か面白い事をやってるそうじゃないか」
ヴァルトルート・クルピンスキー中尉が興味津々に二人を観察し出した。
「っけ、どうせ出来っこねーんだ」
「その割には毎日見てるじゃないか。改めて、僕はヴァルトルート・クルピンスキー。伯爵と呼んでくれ」
「よろしくお願い致します……あぁ貴方がお噂のクルピンスキー中尉殿」
楠里はクルピンスキーに胡乱な視線を送った。
「おおっと、何故こうも微妙な視線を送られるんだろう」
「いえ、ハルトマン中尉の話を聞く限り、ダメ人間のお手本のような方だと」
「え"ッ」
ニパを始めとして、その場に笑いが起こった。
▽
数日が経った。
連日の魔法力行使の影響か、登っている最中に寝てしまったひかり。
無論その場に留まれる筈も無く、重力に従い落下を始めた。
「危ねぇ!」
菅野が間一髪助けに入り事無きを得たが、ふと自分のシールドに違和感を感じた。
よくよく見ると、なんと菅野のシールドと楠里のシールドが融合しているのだ。
一瞬の判断で、複合シールドという高等技術を行った楠里を睨むと、菅野は舌打ちをしてひかりを部屋へと運んで行った。
それを見送った楠里は、物陰から見ていたロスマン曹長に視線を合わせた。
「気づいていましたか」
近づいて来たロスマン曹長は、楠里の目の前に立った。
「もう少し穏便な試験もあったのではありませんか」
「あら、死ぬ気でやれば何でも出来るといった人の言葉とは思えませんね」
楠里は尖塔の天辺を見上げると、徐に足に魔力を流した。
「私にも皆さんのような才能があれば、多少は変わったんでしょうかね」
ロスマン曹長はその言葉の意味は分からなかったが、今目の前で楠里がとんでもない事をしているのだけは理解できた。
「何をしているの!?」
ロスマン曹長の驚愕は、ある意味では当然だった。
ひかりや菅野を始め、ロスマン曹長でさえ手と足を使って登るのだ。
だが楠里はあろうことか、足にだけ魔法力を回して登り始めた。
体も地面と平行になっており、まさにファンタジー小説のような登り方だった。
地面を歩くのと変わらない姿勢で、重力を無視しつつ楠里は尖塔の天辺に辿り着き、また悠々と地上付近に戻ってきた。地面まで残り2メートルといった所で軽やかに飛び降り、特に問題なく着地した。
「自分で気づかせるのも大切でしょうけども、何もしてくれないのは不安になるかと思います」
楠里はクルピンスキーの軍帽をロスマン曹長に手渡すと、敬礼をして背を向けた。
「……それでも、無自覚でいるよりマシじゃない」
楠里への驚愕と、どこかへの戒めとも取れる言葉は虚空へと消えていった。
ロスマン曹長は再び軍帽を尖塔へと引っ掛けると、楠里の後を追った。
ひかりへの見舞いも兼ねつつ、ロスマン曹長と楠里は並んで歩いていた。
「最初から出来ていたのね」
「練習はしました。皆さんが寝静まった午前3時辺りに」
「そう。だけど直ぐに出来る内容ではなかった筈だけども」
楠里は手をひらひらさせつつ言葉を口にした。
「逆境には慣れてます」
「津家軍曹、貴女の正式な経歴を開示せよ」
当たり前だが、楠里の経歴も軍の最高機密である。
本人の口から言える筈も無い。言えば501やその親族に何かしら面倒が降りかかるのは明白である。
502のメンバーにも面倒を掛けたくない楠里はとぼける。
「私の経歴に関しては書類通りです」
「そう。たった一年、ましてや戦地に居た訳でもないのに、随分と立派な技術を持ってるわね」
「才能に恵まれました」
楠里自身がこの言葉を言うと、皮肉以外の何でもない。自分で言っていて思わず鼻で笑いそうになったぐらいだ。
「じゃあさっきのぼやきは何かしら」
話を打ち切れないと思った楠里は、仕方無しに切り札を切った。
本人たちは遠慮せずに使っていいと言ったのだが、楠里的には気乗りしなかった。だが予想以上にロスマン曹長が探りを入れてくるため、この様な決断に至ったのだ。
仮にこの場にラル少佐がいた場合、もう少し丁寧に追い詰めてくるのだが、結末は大して変わらないであろう。
「詳しい事はカールスラント空軍所属のヴィルケ中佐と、ウィッチ隊総監で在られるガランド少将閣下にお聞きください」
「なッ―――」
藪を突いたら蛇が出てきた。
予想以上に大物な2名の名前が飛び出て来た事に驚愕したロスマン曹長は、続けて言葉を発する事が出来なかった。
1,fin.
それは夢か現実か。
最果ての魔女は飛び続ける。
大切な人達と在る為に。
活動報告に楠里らの簡単なプロフィールを載せました。
軍医少将が実は~といった裏設定もありますので、興味があればどうぞ。
↓シャブ漬け少女達のプロフィール
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=253534&uid=174708