ぜひ聞いてくださいね!
橙色の明かりに照らされガチャガチャと食器が小刻みにぶつかる音が聞こえる。目の前には酔っ払いが二人。
「吉木さーん、楽しんでますかぁー」
「……徹也さぁん、いつもいつもありがとうございます」
今になって飲み会に参加してこなかったことを恨むことになるとは思いもしなかった。話は数時間前にさかのぼる。
事務所に帰った俺たちは二人目の担当となる高垣さんと顔合わせをすることになった。
事務所の扉を開けると黒色のソファーにニコニコの高垣さんと仏頂面の美城常務が並んでまんじゅう(確か前のロケで買った自分へのご褒美)を食べていた時はさすがに扉を閉めた。
「どうかしたんですか?」
「ギャップ萌えってドキっとするって本当だったんですね、でも思ってたのと違いました」
俺は改めて扉を開けたがやっぱり光景は変わらなかった。
「お疲れ様です。どうして僕のまんじゅう食べてるんですか?」
「君が明るくなったという話は聞いていたがまさか本当とはな」
おい話聞けという魂のツッコミをぐっと堪えて美城常務の話に耳を傾ける。高垣さんはまだまんじゅう食ってる。
「先程メールでも記載した通り君には高垣楓のプロデュースを引き継いで貰う」
「このソファー、ソウファト!ですね」
一瞬にして場が凍る。美優の「はは……」という乾いた笑い以外何も音がしない。まるで表情が動じない美城常務がツボに入りそうになって焦る。
高垣さんって美城常務の天敵なのかもしれない。
美城常務が何事もなかったかのように話始めたので俺も今の一瞬はシカトすることにした。
「……彼女は今アイドル部門の中で一番の稼ぎ頭だ。もしここで北原君の件が明らかになれば彼女に影響が出るかもしれない。そこで君には二人目の担当を高垣楓として貰う。
「なんで僕なんですか?」
「私が頼んだんです」
高垣さんがソファーから立ち上がって会話に参加してきた。さっきまでとは違うその姿にギャップ萌えとは何なのか本気で考えたくなった。
「以前吉木さんには相談に乗って貰って……その時から一緒に仕事をしたいと思ってました」
「元より北原君の件が発覚したきっかけは君からの報告のおかげだからな」
「徹……吉木さんそんなことしてたんですか?」
今まで完全に蚊帳の外だった美優がここでそんなことに疑問を持った。
「大したことはしていませんよ」
「それでも私は救われました」
笑顔を絶やすことのない高垣さんの様子を受けて美優からの「どういうことだ、説明しろ」と言わんばかりの無言の圧力が増した。
「では、そういうことだ。これが明日からの高垣楓のスケジュールだ。しっかり目を通しておくように」
「今日は?」
「君たちにも話し合いをする時間がいるだろう、今日は三船君も午後からの時間は空いているはずだ」
それだけ言い残すと美城常務は出て行った。と思ったらもう一度入ってきて
「ご馳走になったな、君にしてはいいセンスだ」
と言って今度こそ出て行った。ちなみにまんじゅうは全て食べ尽くされていた。高垣さんの話だと八割は美城常務が食べたらしい。
ギャップ萌えって何だろうな。
「どうせなら飲みに行きませんか」
美城常務に言われたように俺達には話す時間が必要だ。そこで高垣さんの提案を受けることにした。
高垣さんに案内されたところは個室居酒屋でよく芸能人が飲みに来ているような場所らしい。アイドルが飲むにはうってつけかもしれない。
そして現在に至る。
個室に通された当初は対面で座っていたはずの担当たちは酔いと時が進むと隣に陣取っていた。
「なんでかなー、まじめな話をしてたはずなのに……」
「てつやさんも~飲んだらどうですかぁ」
「ここに誰の車で来たと思ってるんですか」
「ふふ、美優さんはもうノックアウトみたいですね」
「逆になんでピンピンしてんの?」
ここへ来たのは午後の七時なのでもうかれこれ二時間以上は飲んでいる。お酒を飲んでいない俺はともかく美優と同じペースの高垣さんは少し紅くなった程度だ。
「酒を避けては芸能界ではやっていけませんよー!」
「絶対にダジャレにはツッコまないからな、ツッコまないからな!」
秘儀である徹底抗戦の構えをとろうと思った矢先、美優が倒れこんできた。
「あらあら、二人きりになっちゃいましたね」
「そうですね」
美優を向かいの席に寝かせると高垣さんはぽかぽかと机をたたき始めた。
「何してるんですか」
「吉木さんには聞きたいことがあるんですよ!」
「質問の答えにはなってないですね。それで」
「美優ちゃんと付き合ってます?」
美優が食べ残したものそのままにしとくのは店側に悪いよな。けど本人の知らないうちに間接キスするのもよくないよな……は?
「い、いやいやいやいや、え……なんでですか?」
「そんな動揺しなくても……」
「その付き合ってるの知ってますって反応はやめてください」
「付き合ってないんですか?」
「当たり前でしょう!担当に手を出すなんてしませんよ」
「そうですか」
告白まがいのことをしたことは伏せておく。
高垣さんは両肘をついて組んだ手に顎を乗せ「なら……」と切り出した。
「どうして私は高垣さんで美優さんは美優なんですか?」
「それは……そ、そんなことーー」
慌てて言い返そうと横を向いたその瞬間呼吸にアルコールがかかった。
思わず目を見開くと高垣さんがぜロ距離にいた。突然のことにつま先まで電流が流れるが彼女の舌は俺を放してくれない。
結局離れることができたのは彼女に堪能された後だった。
「な、なな……な何キスなんて、は?」
「日本語おかしくなってますよ」
「酔いの勢いでもしていいこととダメなことくらいあるでしょう!」
「お酒のせいじゃありません……」
高垣さんが再び距離を詰めようとしてくるのを慌てて後ずさると壁際まで追い詰められてしまった。顔を触れられ、またされるのかと体を強張らせると彼女は肩に顎を乗せ耳元でささやき始めた。
「モデルからアイドルになって……なにも分からず北原さんに見限られ誰も信じられなかった」
彼女の体重をあずける量が増す。
「でもあなたは助けてくれた。あなたにとっては大したことじゃないのかもしれない。でも私にとってはたった一本の蜘蛛の糸だったんです」
「そんなこと……言われても……」
「もし美優さんと付き合っていたら諦めようと思いました。でももしチャンスがあるなら全力で挑まないと……アイドルですから」
高垣さんがはにかんで笑っているとき状況の整理に追われる俺の脳は見当違いのことを考えていた。
これは飲酒運転になるのだろうか。
高垣さんを送り、美優を担いでマンションを歩く。罪悪感からか美優がとても重く感じる。
エレベーターを降りた時、すれ違った男性に怪訝な目で見られたが無視してようやく美優の部屋までたどり着いた。
合鍵を使って開け美優をベッドに寝かせてやっと一息ついた。
無垢に眠る美優を見て少しだけ心が落ち着いた。
「……まさきさん……」
「誰だよ……」
案外美優も高垣さんみたいなことをしているのかもしれない。そう考えるとなにか裏切られたような気がした。
さっさと帰ろうと思った瞬間携帯が鳴った。一日でこんなに心臓を攻撃されるのは初めてだ。
「もしもし」
「夜分遅くに済まない。君に頼みたい仕事がある」
美城常務の声に安心する日がくるなんて思っても見なかった。
「緊急の仕事ですか?」
「いや……君にできるだけ考える時間を与えたかった」
「考える時間?」
「ああ…………上からの通達で君に仕事が来ている」
らしくないためらいに妙な胸騒ぎがした。
「僕個人に?」
「……株式会社シーザーと連携して三船美優のライブポスターの作成を依頼したい。引き受けてくれるか?」
あばらの内側で忘れたはずの痛みが目を覚ました。
今だいたい六月くらいです。