今度のフェスのメンバーに美優と楓が選ばれた。そのことで夏なのにホクホクになってた俺は美優がココアを持ってきてくれたところでやっと休憩した。
「アイスココアです」
「ありがとうございます……それにしてもなんでかなー」
「どうかされたんですか?」
「ここ最近パソコンの調子が悪いんですよ……ウイルスにでもかかったかな」
「大人なサイトでも見てたんですか?」
先程インタビューの仕事から帰ってきた楓は意味深な笑みを浮かべて爆弾を投下した。
「て、徹也さん! 仕事中にそんなことしては…………ダメですよ!」
「流石に仕事用のパソコンでは見ませんよ」
「仕事用のパソコンで『は』?」
楓のキラーパスに美優は「じゃあ普段は……見てるってことですか」と睨んできた。
「み、見てませよ!」
「今言い淀みましたね」
「可愛い女性二人に攻め立てられたら言い淀むでしょ!」
「可愛いだなんて……ふふ」
二人は可愛いと言われたことで機嫌を直したらしい。単純な弱点だが今度から積極的に使っていこう。
ホッと一息ついたのも束の間楓は俺に抱き着いてきた。
「そんなの見なくても私がお世話……してあげますよ?」
「楓ちゃん!」
美優の一声に小さく笑って俺の体から離れた楓はそのまま部屋を出て行った。美優からため息が漏れる。
「最近の楓ちゃんおかしいですよ。すぐに徹也さんにくっついたり……前の飲み会でもずっと徹也さんのことばかりそれに……」
「それになんですか?」
「話をしてる時徹也くんって呼ぶんですよ……それに徹也さんも楓って呼び方に変わってますしね」
痛いところを突かれ頭の中で思い返す。前のロケ帰りの新幹線。
「これからはお互いのこと名前で呼び合いませんか?」
「唐突ですね、何でですか?」
俺は報告書をまとめていたため何も考えず尋ねた。高垣さんは微妙に距離を近づける。
「洞窟の中であなたに名前を呼ばれた時暖かい風が吹いた気がしたんです。それに徹也とはもっと近づいた関係になりたいです」
「徹也なんてやめてくださいよ。恋人みたいで……」
「私は恋人でもいいですよ」
「あーはいはい」
俺はからかわれるのはごめんだと思い一瞥もしなかった。だから顎を掴まれて強引に視線を奪われた時には「ヒョ」なんて情けない声を出した。
「私は恋人でもいいですよ」
今初めて高垣さんがオッドアイであることに気がついた。そしてそのまま唇が近づき……。
「や、やめてください! 周りに人がいますから!」
「じゃ名前呼びでいいですね?」
「せめて呼び捨てだけは勘弁してください」
「じゃあー……徹也くん!」
「分かりましたよ、えっと……か、楓」
「はい」
その時の楓の笑顔にときめいてしまったためそのまま話は流れたのだった。ちなみにスキンシップが多くなったのもこの日からだ。
「まあ……気にしなくていいんじゃないですか?」
「でも普通何かきっかけがないとそういうのって始まりませんよね」
美優の目つきが厳しい。俺何も悪いことしてないのに……。
「言っておきますけど楓に手を出してなんていませんからね」
手を出されはしたけどねという蛇足は闇に葬った。
「徹也さんがそういうなら……それと一つ頼みたいことが……」
「珍しいですね美優が頼み事なんて」
「こ、今度の休日徹也さんは……その、空いてますか?」
「またデートですか? 別に暇してますけど」
「じゃあ……」
美優は二枚のチケットを取り出した。
「私に泳ぎを教えてもらえませんか?」
泳ぐことは情熱の極致だ。小学生の頃スイミングスクールに通っていた俺はプールに憑りつかれていた気がする。
そんなある種思い出の場所に今美優とやって来ている。
見上げるほどのウォータースライダーやプールの多さには時代を感じざるを得ない。
よく分からない感傷に浸りながら軽く準備体操をしていると美優がやってきた。
二の腕の辺りにひらひらがついた紺色の水着は……エロイ。
「この水着肌を出しすぎでしょうか? 心さんが選んでくれたんですけど……」
「凄く似合ってます!」
「あありがとうございます……」
美優を褒めたつもりがあんまり嬉しそうじゃなかった。
「えっと、なんかごめん。男に水着のことなんてとやかく言われたくないですよね」
「あーいえそういうわけじゃ…………実は元カレがその、体ばかり求める人だったんです……だから他の人にスタイルを褒められるのは嬉しいんですけど徹也さんには……」
うつむく美優を見て激しい後悔に襲われた。軽率すぎる発言だった。
うやむやなまま俺たちはプールに入ることになった。
「泳ぎ方を教えるなんて小学生振りかもしれません。どのくらい泳げるか見せてもらっても?」
「分かりました。よし、頑張ります」
勢いよく泳ぎだしたので根本的に泳げないタイプではないのだろう……と高を括ったら美優は僅か三メートルで足をついた。
「どうでしたか?」
「ノーコメント」
「そんなにひどかったですか……」
アイドルが溺れかけで泳ぐという絵は番組的にはおいしい気がするが本人の意をくんで平泳ぎとクロールの簡単なやり方を教えることになった。
「1,2,3のテンポで顔を上げて息を吸いましょう。リズムは大切です。これが狂うと苦しく感じたりじたばたした動きになるので」
「なるほど、やってみますね」
ダンスレッスンの賜物か上半身の動きはすぐに覚えた。反対にバタ足が何故かうまくいかず推進力が弱かった。本来はビート版とかで練習するところだが生憎そんなものはないので俺が手を掴んで泳ぐことになった。
「一回バタ足だけに集中してください。手は俺が持ってますから」
「うう……恥ずかしい」
「さあ頑張って!」
大の大人が腕を取られながら泳ぐのは中々に刺激的だった。特に時々苦しそうに顔を上げるしぐさを自分の腰の高さでされると何とも言えない気持ちになった。
「あとで俺を殴ってください」
「わ……分かりました?」
俺のレッスンを疑うことなく美優はバタ足を続けた。
美優がある程度泳げるようになったところで周りの目が気になり始めた俺たちはそそくさと退散した。
「流石アイドルですね。思ったより早く泳げるようになってますし慣れれば問題なく泳げると思います」
「ありがとうございます。これで次の仕事でお恥ずかしい姿を見せずに済みそうです」
「あー次のPV撮影場所沖縄ですしね。でも流石に沖まで泳げ! なんて言われないと思いますけど……」
「じゃあー次はどうしますか?」
少し泳げるようになって余裕が出てきたせいか美優は積極的だ。と言ってもあとは泳ぐことに慣れればいいだけなのでぶっちゃけすることない。
「帰りますか」
「せっかく来たのに?」
ジト目で睨まれた後半ば強引にプールへ引き摺り込まれた。
「流れるプールってただ浮く以外にすることなくないですか?」
「流されるのは……得意ですから」
「美優が言うと説得力無いですね」
「徹也さんが変えたんですから……今はアイドルのお仕事もそれ以外のことも自分から動きたいって思えますし」
「随分と逞しくなりましたね」
そのまま俺たちは笹船のごとく漂っていた。楓のスキンシップに悩まされない時間は快適だった。
しかし美優は飽きたようでウォータースライダーをキラキラした目で見ていた。
「徹也さんあれ乗りましょ!」
「そんなに急がなくても大丈夫ですって」
逸る美優をゆっくりと追いかける。ウォータースライダーに興奮するなんて美優も可愛いところがある。アイドルの影響かもしれない。
しかし俺が追い付いたとき美優は入り口の辺りで男性に絡まれていた。
「ひっさしぶりじゃーん」
「まさき……さん」
「なんだよーフッたらもう関係ねーってか?」
困惑気味の美優の手を強引に掴んでいる男は下品な笑みを浮かべている。
「離せ!」
ついカッとなってその手を弾いてしまった。唐突に現れた俺にも男はニヤニヤを崩さない。
「ひょっとして今カレ? ヒューカッコいい登場だね」
「大丈夫ですか?」
「はい……」
「おいおい無視かよ」
「ナンパなら帰ってください、それとも係員を呼んだ方がいいですか?」
威圧するつもりで音色を低くしたが男は依然態度を変えない。
「呼ぶなら呼べば? 今売り出し中のアイドルが元カレといざこざ起こしてましたって大声で騒ぐだけだしな」
「元カレ……?」
美優は小さく頷いた。男は顎で周りに人が集まり始めていることを示した。
「これ以上騒ぎを大きくしたくねーだろ? なぁーにちょっと遊んだら返してやるって、な、美優」
男の方に美優は俯きながら歩き始めた。確かに今の彼女なら流されて生きてきたって言葉も分かる気がする。
俺は二人の間に立った。
「んだよ、あんたただのプロデューサーだろ? 個人のプライベートに口出すなよ」
「徹也さん……私なら大丈夫ですから」
へたくそな笑顔だ。そういえば美優の過去を深く聞いたことは無かった。当然まさきって人のことも知らない。彼の言う通り俺はプロデューサーで本来は彼女のプライベートに口を出せるような立場にもいない。
でももう手を伸ばさないって選択肢はないんだよ。
「美優は俺の大切な人だ。あなたとは行かせたくない」
俺は美優の肩をぎゅっと寄せる。男は観念したのか「あっそ」と言い残してどこかへ去って行った。
俺は震える美優を庇いながら休憩所へ向かった。
困った笑顔を見せる美優は愛らしかったが同時にさっきの男に対しての憎悪が増す。
「さっきの人は……前の彼氏です」
「随分、腹が立つ奴と付き合ってましたね」
「会社の部署が同じで……周りのノリというか……」
話している美優はどこか悲しそうだった。
「でも付き合ってみたら……あんまり合わなくて……」
「で、別れたと……」
話を聞いているうちに得体のしれない感情が湧き上がってきた。
美優はあんな男と笑ったりキスをしたり体を重ねたりしたんだろうか。あの男しか知らない美優がいるんだろうか。ああ……嫌だ。
「なんであの時あの男と行こうとしたんですか?」
「え……その……徹也さんに迷惑をかけたくなくて……」
「美優が傷ついたり苦しんだりして助けられたくなんてない!」
気づけば怒鳴っていた。それほどまでに感情が昂っていた。
しかし美優は怖気づくことなく俺を見て言った。
「じゃあ約束しましょう。お互いに自分の身を犠牲にしたりしないって」
「いいですよ、そうしましょう」
「うふふふふ」
美優は緊張から解放されたせいかそれとも俺の様子がおかしかったせいなのか笑い声が絶えない。
「なんですか、そんなに笑って」
「徹也さんには見た目じゃなくてどう思っているのかを言って欲しいって思ってたんですけど……大切な人と思われてたんですね。私」
「……そうですか」
「あれ? 照れてます? 顔真っ赤ですよ?」
美優にじっと見つめられ心臓がうるさいくらいに働き始めた。俺は胸の高鳴りを抑えるだけで精一杯だった。
ウォータースライダーは普通に怖かった。
(あれ……そういえばなんであいつ俺がプロデューサーだって知ってたんだろう……)