沖縄から帰ってきて気分は沈む一方だ。自分からやりたくもない情報漏洩をするのはなかなかに気が滅入った。
そんな中でもフェスや他の仕事はスムーズに進み北原さんの動きもないまま日付ばかりが過ぎて行った。このまま何も起こさないで欲しい。沖縄の悪い夢だった、そう思わせてくれ。
「ここ最近大丈夫ですか?顔色が……あまり良くないですよ」
だから美優にそう指摘された時は脅されていることを吐き出してしまいそうになった。
でも……できない。きっと伝えたら美優はアイドルをやめてしまう。確証はないけど確信はあった。
その後ろめたさもたたり俺は段々と美優から距離を置くようになった。
「プロデューサー今夜飲みに行きませんか?」
「勘弁してくださいよ……」
最近は美優と帰る時間が被らないように仕事に没頭している。そんな時に限って楓はわざわざ飲みの誘いをしてくる。
今だって楓は俺のうしろめたさを見透かすように笑っている気がする。
「その仕事一週間後の企画内容についてまとめてるものですよね?随分と気が早いんですね~」
「早くやるに越したことは無いでしょう」
「確かに!でも明らかにオーバーワークですよ。今何時か分かりますか?」
「……十時過ぎてますね。でもこの業界ならよくあることでは?」
「それは余裕のない時にすることです。私も美優さんも仕事が安定してきているんですから今は休んでください」
楓に催促され俺は残業から飲みにケーションへ移行した。残業はダメで飲み会はいいという彼女の判断基準はいまいち理解できない。
楓は自分の自宅近くの居酒屋を目指すよう指示し俺はそこに車を走らせることとなった。ナビ代わりに携帯を楓に託し発進する。
絶えることのない都会特有の渋滞のせいで亀の歩みで目的地へ向かう。ちなみに沖縄後から数えて飲みに行くのは今日で八回目だ。
「前みたいに車走らせといて飲ませて業者頼むなんてやめてくださいよ」
「ついうっかりしてしまいましたね。あそこを左です」
「うっかりで……犯罪は犯したくないですよ」
情報漏洩は犯罪なのだろうか、だとしたら俺は非難されるだろう。でももしその残り火が彼女たちに降りかかったら耐えられない。
「またその顔……」
楓は冷たいオーラを放ちながら視線を窓の外に散らす。
「担当アイドルといる時くらい自由でいてください。わざわざ耐えたりしないで吐き出してもいいんですよ。そこの細い道に入ってください」
「でも……」
「沖縄で約束したこと忘れましたか?」
忘れるわけがない。カクテルの意味なんて使わないクーポン券だと思っていた。いやそもそも考えたことがなかったからそれ以下だった。
特別になったのは楓のせいだ。
「それとも美優さんじゃないと嫌ですか?」
「なんでそんなこと言うんだ」
「私にキスしたくせに目はいつだって彼女を追っているじゃないですか」
「……そんなことないよ。楓が相談に乗ってくれたり無理に詮索しないでいてくれて助かってるよ」
楓はつれない様子で俺の携帯とにらめっこしていた。よっぽどマップで見ずらいところでもあるのだろうか?
「あ、そこで止まってください」
「ここって楓のマンションじゃないか。まさか宅飲み?」
楓はすぐに車を降りるとドアに寄りかかり携帯を助手席に置いた。
「残業続きのプロデューサーに鞭打つようなことはしません。早く帰って休んでください」
ドアを勢いよく閉めた楓は足早に帰って行った。拍子抜けだ。
おかれたスマホに北原さんとのやり取りを見られたんじゃないかと考えたくない想像が憑りついたがアプリは設定と写真しか使われた形跡がなかった。
カメラロールには楓の変顔が残されておりまたまた拍子抜けだった。
次の日も美優を避けるために仕事に勤しもうとしているとまた楓が誘ってきた。
「今日は時間も早いですし切羽詰まってもいないようですから今度こそ行きましょうか」
「昨日今日じゃないですか……ま、いいですよ」
楓に連れられてやって来たのはいつかの個室居酒屋でさらに偶然か部屋まで同じだった。
「こうして飲むのも久しぶりですね~」
「そうですね。あの時は楓が来てこれからどうなるかとか考えてたし、意外と上手くいくものですね」
「プロデューサーのおかげですよ」
楓は上品に食事を進める。焼酎じゃなければもう少し箔が着くのにとか考えていた時期もあったが、この素を保っていられるのが楓の魅力なのかもしれない。
ウーロン茶で乾杯を重ねるうちにお開きの時間になった。
「明日も撮影はありますからね。二日酔いで遅刻しましたーはやめてくださいよ」
「お酒は強い方ですから、問題ありません!」
アイドルとして誇れないことで胸を張る楓に呆れつつ廊下に出るとばったり美優に出会った。
「徹也さん……それに楓ちゃんも……お二人で飲んでいたんですか?」
「ああ……えっと……」
「そうですよ、私が無理言って飲みに誘ったんです。最近プロデューサー仕事とばかり付き合うものですから妬いちゃいました」
「私も誘って頂けたら……嬉しかったんですけどね」
「美優さんはダメですよ、ね?プロデューサー」
楓は恐ろしい笑顔で俺に打ちづらいトスを上げた。美優も暗い顔をしながら返事を待っている。返事に困って冷や汗が伝う。
「徹也さん!はっきりしてください。最近様子がおかしいですよ。私何かしましたか?」
「お答えしましょうか?」
右足を踏み出した美優を楓は遮る。微かな酒臭さが感じられるほど楓が近い。
「美優さんが負担になりすぎたんですよ。ただでさえ同じマンションに住んでいて同時出勤なんてゴシップがあるのにその上定期的にデートまでしているんでしょう?マスコミにネタにしてくれって言ってるものですよ」
「そ、そんなこと……」
「プロデューサーの噂をレッスンの合間にするのは構いません。でも可愛いパジャマを着ているなんて言われたら私だって流石に勘付きますよ」
「私はただ……」
「徹也さんと一緒に居たい……ですか?」
図星だったのか美優は絶望の色を見せた。罪悪感が肺の内側を抉るように湧き出てくる。美優に何かしてあげたい。でも前にいる楓がそれを邪魔した。
「星のようなアイドルを目指すのも結構、それが流れ星のように一瞬のきらめきになっても私は何とも思いません。ですがプロデューサーと一緒に朽ちてもらうのは困るんですよ」
「美優ちゃんー、遅すぎて鍋カラッポにしちゃったゾ☆……ってヨシ吉に楓ちゃんまでそろって何を……」
美優の異変に気付いたしゅがははそのまま駆け寄ってきた。それを見下す楓は強引に俺を連れ出した。後ろに小さく丸まった美優を残して。
「楓!止まって、お願いだから」
楓に引きずられて駐車場までやって来た。無言の催促でドアを開けると彼女は助手席で黙り込んだ。どうしてを目で尋ねたが楓は無表情のまま前を向くばかりだ。
楽しい宴の陽気も冷め無言でエンジンをかけるとようやく楓は口を割った。
「見ちゃったんですよ、全部」
「見たって何を?」
「今時のスマホって顔とパスワードさえ分かれば他人のものでも簡単に操作できるんですよ」
その意味に気づいたせいか急速に脳が働き始める。運転してから話し始めたのも俺が取り乱さないための措置だろう。
「でも、まさか私と美優さんの誕生日だとは思いませんでしたけどね」
楓は一呼吸置いて話し始めた。詰将棋でもするようにゆっくりと。
「北原さんに脅されていることもその内容が美優さんだってことも知ってます。だからもう独りで抱え込まないでください」
「でも……じゃあなんで美優にあんなこと言った!もっと他の言い方とかあっただろ」
「アイドルとして怒りたくなったからです」
「怒りたくなった?」
「今の346にはデビューしたアイドルが九人、候補生や養成所を合わせたらその何百倍の人がいます。それを美優さん一人に崩されていい訳ないでしょう!」
楓がここまで怒るのはモデル時代に停滞期を食らったことがあるせいだろうか?それとも346筆頭のアイドルとしてのプライドだろうか。
「もう北原さんに情報を渡す必要はありません。美城常務の方にも私から言っておきます」
「それだと美優は……!」
「北原さんがいなくなって私があなたの元へ来たせいで一人のアイドルはデビューの機会を逃しました。その子は一度デビューが決まったのに今もまだ候補生のままです。アイドルには代わりなんていくらでもいる。でもプロデューサーはまだ四人しかいません。この意味が分かりますか?」
「アイドルだって代わりはいませんよ」
「綺麗事を言って誤魔化さないで!プロデューサーにとって代わりがいないのは美優さんでしょ?」
「……どういう意味だ」
「遺書を見たんです。あなたの」
秘密がどうして秘密になるのか。それはその事実がその人にとって心臓を直接触られるように肌が剥き出し筋肉が大気に触れるように辛いことだからだと思う。
もし運転中でなければ剥き出しの心臓が楓を突き飛ばしていただろう。
「レッスン中に美優さんからタオルを借りようと……鞄の中を見た時にそれを見つけました……プロデューサー死のうとしていたんですね」
やめろ……。
「心さんにも何となく聞きました。自殺しようとして美優さんがどんな支えになったのかそれと……」
その秘密は……俺と美優の……。
「岡田沙織さんのことも」
「かえでぇぇぇー!」
俺は急ブレーキで車を止め彼女の首に飛び掛かった。どれだけ締め上げても楓は話すのをやめない。ずっと暖かい目で俺を見つめている。どうして俺にそんな顔できる。
「徹也君……ひと……ていあ……あります……」
「うるさい!もう黙ってくれ。これ以上口を開くな」
「そんなに……好きになった……いなくな……怖いですか」
「…………当たり前だろ、もうあんな空っぽな日々を味わうのは嫌なんだ」
怒りのシグナルが悲しみに塗り替わるとき俺の手は楓を離していた。苦しそうに空気を摂取する楓は充血した目のまま首をさすりながら姿勢を戻した。
「私を盾に使えばいい」
「は?」
「私とのスキャンダルの方が346に与えるダメージは大きくなる。北原さんも脅しの材料はそっちの方がいいと考えるはずです。それに346は私を手放したりしません、あとは徹也君が飲むかどうかです」
「アイドルとしてそれは正しいことなのか?さっき言ったこととまるで反体のことを」
「自分の身を顧みずアイドルを助けに来るプロデューサーがいるようにアイドルとしての立場を無くしても助けたいことだってあるんです。今後のチャンスや幸福を手放すことになったとしても私は構わない!」」
「どうしてそこまでするんだ」
「あなたを諦めきれない」
楓はシートベルトを外すと身を乗り出す。彼女の全てが直に感じられ心地いい体温が伝わってくる。心をそのまま射るような鋭い二色は決して逸らすことができない。
「たとえ仮初でも一方通行の愛でもいい。だから……また徹也君からキスしてほしい」
この時断っていれば結末は変わったのかもしれない。
唇の味なんか求めなければ良かった。
最悪の時へカウントダウンを始めた砂時計はもう逆さになることは無い。
恋の焦点は自分がどう思うか。
愛の焦点は相手がどう思うか。
彼は、彼女は、恋しているの?愛しているの?