気持ちのいい風が肌を突き抜ける。どこかでカモメの鳴き声が聞こえる。きっとここは海だ。でももう少しだけ寝ていたいから瞼を開かない。
「おい起きろ」
何度も顔に砂をかけられイライラを抑えきれなくなったので飛び起きた。
「なんだよもう、もう少し寝かしといてくれてもいいだろ」
「そうはいかないよ。徹也」
どこまでも限りなく続く青空に果ての見えない水平線。南国リゾートを絵に描いたようなビーチに俺はいた……沙織と。
「沙織……」
ずっと会いたくてでもそれはもう叶うことのない願いだと思っていた。むしろ叶わないことが贖罪なのだとでも今目の前に彼女はいる。生前のような鼻につくようなそれでいて誰からも愛されるような笑顔で。
「歩こうぜ」
沙織は先を勝手に歩き始めた。俺は砂浜に残る彼女の足跡をなぞるように後ろについた。高校時代からいつも彼女との距離感はこうだった。
でも今なら隣を歩ける。でもなんでそんな自信がついたんだろう。
「なあ沙織ー、やっぱりここって天国なん?」
「さあね。あんまり気にしてもしょうがないよ。それよりも徹也は何で死んじゃったの?」
「なんでって……」
あれ思い出せない。なにかとてつもなく大切なことだった気がするのに、思い出せない。
「なんでだったっけな~。なんかアイドルに関係ある気がする」
「…………心のこと?」
「近いような遠いような……うーん」
「あたしのことを追っかけまくってたとか?」
「なんだったっけなー」
とても焦がれた願いや汗水垂らした思い出があるような気がするけどどうしても思い出せない。大冒険をしたら夢だったみたいなそんなもどかしい感じがずっと頭に残ってる。
「それ関係あるんじゃない?」
沙織の指さしたところには名刺が砂に埋もれていた。引っ張り出すと俺の名前と346というおしゃれなデザインが記載されていた。
「346……って大企業じゃないか!でもなんで俺の名前が……」
「ひょっとしてそこに勤めてたんじゃない?」
「まっさかー」
心が痛んだが俺は名刺をそのまま放置した。砂浜に落っこちた名刺は波にさらわれ姿を消した。
「よかったの?」
「いらないでしょ?あんなの」
「そっか」
沙織は残念そうな顔をした。生前は有名になりたかったんだからきっと大企業の名刺に思うことがあるのだろう。
沙織について歩くと今度は水平線の彼方まで続く真っ白の橋が行く手に現れた。先が太陽に繋がっているんじゃないかと思うほど果てしない。
「ここを渡り始めるともう戻れないけど……やり残したこととか未練はない?」
「未練なんてないよ……強いて言えばあのラーメン食いたかったことくらいかな」
「そう……」
また沙織は寂し気な表情を浮かべた。どうしてそんな顔をするのか分からなかった。俺はなにも考えずに右足を上げた。
そしてそのまま下すかに思われた右足は空中で停止した。
「あれ、どうしてだ?足が動かない」
硬直した足を動かすのに悪戦苦闘していると日は水平線に隠れ段々と辺りから明かりがなくなっていった。
そしてぽつぽつと星が真っ黒の夜空で自己主張を始めるように輝き始めた。星、星ほし……。
【私……アイドルに……なります。なってみせます!だから死んではダメですよ】
まるで夜空の星が線で星座を形作るように靄のかかっていた俺の心に一筋の光がかかる。死にかかっていた体に急速に新鮮な血液が巡り始めた。
「沙織……俺やっぱまだそっちに行けないよ。だって俺プロデューサーなんだ。三船美優のプロデューサーなんだ!」
途端に砂地獄みたいに砂の穴に吸い込まれる。じたばたを続ける俺を見て沙織は爆笑していた。
「気づくのが遅いんだよ!いいからさっさと帰れ!お前みたいな墓参りにも来ない図太いやつとはもう五十年は顔を合わせたくないね!」
「沙織、俺さ……」
美優のこと、楓のこと、さやかちゃんやシーザーのこと。言いたいことが溢れてくるのに涙しか出せないのはなんでなんだろう。
「徹也!これからもずっと…………見守ってるからさ」
砂に体を取られ気づけば顔の半分も砂に沈んでいた。必死に首を上に向けて沙織を見ようとするがもう表情や細かい仕草までは砂が邪魔して見えない。俺は口の中の砂を思いっきり吐き出すとできるだけの大声で叫んだ。
「沙織ぃー!ありがとなー!」
ぼやけた輪郭が砂の壁で遮られる寸前沙織が笑っているように見えた。
今度の目覚めは決していいものではなかった。瞼をゆっくりと開いたが体の所々に違和感がある。それは筋肉痛だったり機械が取り付けられていたりとバラバラだ。
やっとのことで体を起こす。ベット横の白いポールがぐらぐらと揺れる。
半身を起こして視線を部屋に向けるとすぐ近くでベットに突っ伏して美優が寝ていた。その頭を優しくなでると美優はすぐに飛び起きた。
そして起きるなり大粒の涙を流して抱き着いてきた。艶のある髪と背中に手をまわし、美優は俺の胸で何度も確認するように名前を呼んでいる。
「徹也さん、徹也さん!」
「はいはい、ご心配おかけしました……生きててよかった」
「あたり前じゃないですか。そんなこと……」
「そうだよな、うん、そうだ」
泣きじゃくる美優が落ち着くとようやく事の顛末が開示された。
まず北原さんは助からなかったらしい。そしてまさきは逮捕されたそうだ。一方北原さんの計画通り346の経営イメージには多大なダメージが入ったらしい。
なんでも346は絶賛叩かれ中でアイドル部門は活動自粛。当面の間他の部門の動きも自重気味になるらしい。
「経営陣もたくさんの人が退任したらしくて……今成り上がりで美城常務が指揮を執ってるそうです」
「そっか、あの人が……迷惑かけちゃったな」
「それが……無能なトップがいなくなって嬉しいと言ってましたよ」
「流石だな……」
キツイ顔をしながら周りに指示を出す美城常務の姿が目に浮かぶ。きっと今も俺の起こした騒動の片づけに追われていると思うとますます申し訳なくなる。
「それから……」
ばつが悪そうに美優は唇をかんだ。よっぽど言いづらいことなんだろうか?
「言いづらいことなら言わなくてもいいよ」
「いえ言います。伝えないと…………徹也さんはもう楓ちゃんの担当じゃありません」
「そっか……」
「落ち着いているんですね」
「なんとなく分かってたからさ」
だってあんな顔を人に向けさせるようなプロデューサーが担当になるべきじゃない。でもそれでもいざ事実を突きつけられると悔しい。自分がこんなに不甲斐ないだなんて。
「それで俺はどうなるんだ?虫のいい話かもしれないけどクビになるわけにはいかないんだ」
「引き続き私のプロデューサーですよ。でも今まで以上に大変になると思います」
「それでももう諦めるわけにはいかないんだ。沙織のためじゃなく俺のために美優にはアイドルを……星のようなアイドルになってもらわないとね」
驚き、喜び、安心、そして決意の順番で美優の表情が転々と変わる。でも最後の表情だけは絶やすことはなかった。
いざ何かしようにも病院の中というのは仕事をするにはなんにも適していなかった。入院したサラリーマンが仕事から解放されて元気になったという話を聞いたがここまで隔絶されればありえない話ではない、としみじみ思う。
面会時間ギリギリまでぼーっとしていると唐突に扉が開いた。誰が来たのか気になり身を乗り出すと楓だった。
「目を覚まされたんですね」
「ああ……楓は大丈夫だった?」
「はい、元々なにもされてはいませんから」
重く暗い部屋に見えるのは夜だからだ。楓は備え付けの椅子に座って何を言い出すもなく佇んでいた。
「俺が許せないか?」
「正直私にもわかりません。本当はもう会うつもりもなかったのに気が付いたらここに足が向かっていて、ほんと……何やっているんでしょうか」
「ごめんな」
「わかってました。多分徹也くんは美優さんを優先するって、でも片想いのままだなんて歯痒いだけじゃないですか」
「ごめん、聞きたくないだろうけど言わせて。認めたくなかったんだろ。自分の恋が永遠に一方通行で終わるんじゃないかってことを」
「認められるわけないでしょ。こんなに好きなのに、こんなに……」
思わず楓を撫でようと不意に動いた手を元に戻す。俺にその資格はない。暗い部屋でただただ嗚咽を漏らす音だけが聞こえる。
痛いほど楓の気持ちは分かる。手を伸ばしても届かない幸せって腕を亡くしたピアニストに鍵盤を見せるようなものだ。
「なんで美優さんなんですか?」
軽蔑や自分の方がすごいという見下した気持ちがこもった疑問だった。その気持ちは沙織に何度も向けたことがある。自分が嫌いになる方法があるとしたらその感情に支配されることなんだと思う。
「生まれる場所や親を選べないのと同じようにどうしようもないことだよ人の心は、楓よりも優れてるからとか美優の方が美しいからとかじゃなくただ美優が好きなんだ」
「じゃあ私はどうしたらいいんですか!」
「好きにして」
殺したければ、まだ好きでいられるなら、諦めがつくなら、あるいはもっと他の選択肢が選べるのならばそれを楓自身で選んでほしい。
楓はじっと考えてから病室を出て行った。多分もう帰っては来ないだろう。そしてもう会うこともないだろう。
もし俺がヒーローだったらもっといい選択肢を選べたのかな、それとも創れたのかな。
月明りを頼りに窓に寄りかかる。少しの隙間から吹く風はもう暖かくはなかった。
無事退院してから取り掛かったのは溜まりに溜まった事務処理とクレーム対応だった。人の醜い心とは正直なもので心無い言葉が一言吐かれては電話が切れることが大体で復帰一日目にしてため息が出た。そんな中美城常務から衝撃の仕事を受けた。
それは美優の単独ライブを近々やるといった内容だった。しかもそのライブは俺が入院中から予定されていたことだったらしくつまり何が言いたいかというと復帰二日目にしてさっそくライブに行くこととなった。
その日の朝何気なくテレビをつけるとお堅いコメンテーターが北原さんについて語っていた。話を聞く限り北原さんはシーザーと同じような346の傘下である会社のトップだったそうだ。そしてある事件をきっかけにそこを追われたらしい。
その他どうやって分かったのかといえるような不正が明るみになっていてスタジオは346に対して否定的な意見だった。
SNSも同じ風潮で今から346が冬を越せるか心配になりながら玄関を出ると今日の主役が待っていてくれた。
「おはようございます」
「こんなに早くライブの仕事が来るなんて聞いてませんでしたよ」
「ライブといっても小さなハウスです。その割には即日完売だったんですけどね」
「すごいですね」
「こんな時期だからむしろ誰も来ないかもと思ってました」
美優の言う通りになると俺も思っていたのでその点には驚きだった。ライブ会場は小さなところだったが機材もそろっていて不足ない場所だった。
時間になりお客さんが続々と会場入りし始めあっという間に場が埋まった。舞台袖から覗くとさやかちゃんの姿も見える。周りの年不相応な人たちと楽しそうに会話をしている。
まもなくライブが始まるというタイミングである一言が沈黙を割いた。
「なんでまだ346って潰れてないの?」
身が凍るのを感じる。その言葉が始まりだったように同じ不満の声が漏れ始め徐々に不穏なムードになっていく。
「前のプロデューサーの汚職も隠してたんでしょ?」
「まだ潔白とは言えないよな」
「高垣楓が誘拐されるとか警備もなってないよね」
すると今度はファンたちによる声が聞こえる。
「それと今日のライブは関係ないでしょ」
「そういう目的でここに来ないでよ」
「でも事実だろ」
「このライブだってするべきじゃねーだろ!」
ヒートアップしてきた二つの声は皮肉にもライブのような熱狂を見せ始めゴミや物が会場中を飛び交い始めた。
そんな中俺の隣に美優がやって来た。
「もうすぐ始まりますね。やっぱりライブ前は……緊張しますね」
「今は出るべきじゃない!」
俺が美優に忠告したのと同じタイミングでステージに誰かの靴が飛んできた。そうか、すぐに完売した理由はこれか。テレビやSNSだけじゃ満足できなかったのか。
会場に飛び出そうとした俺を美優は制止する。
「もう徹也さんに心配されるだけの私じゃありません。たとえあなたが死んでしまっても私はアイドルを続けるし、輝き続けます!だから見ていてください。私の……光を!」
美優は照明の灯されたステージを一歩一歩歩いていく。会場の乱闘は様々な心中をかかえながら美優一人を見ている。
説明も挨拶もなく美優はただ真っすぐに歌い始めた。
飛び交う罵声も溜まった不満も美優は鼻で笑うかの如く歌い、踊る。そしてブルーのペンライトが一つ一つ輝き始めた。
美優はいつか自分のことを流されやすい人といった。でも今この会場のプラスもマイナスも支配しているのは紛れもなく美優だった。
曲を歌い終え美優が高く腕を掲げたときバラバラだったものが初めて一つになった。
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