楽しかったなぁ!
音がよく響くコンサートホール、そこには人がごった返す。アイドルのライブなんかではよく見る光景だが今日は老若男女様々な人が座席を敷き詰めている。
それもそのはず今日は今年最後の歌番組紅白歌合戦の日でここはその会場なのだ。あたりを見渡すと著名な方や子供のころから芸能界をけん引してきた顔ぶれが当たり前のようにいるのだから心臓に悪い。
紅白の話が来たのは十一月ごろ美優の単独ライブがきっかけとなり今日に至る。もちろんまだまだ世間からの追及は続いているがそんな逆風の中美優はぐんぐんと突き進んできた。
だからそのチャンスを無駄にしないために俺のような一スタッフであってもここでは気を抜けない。先ほども裏方だと思って安心していたらゆるキャラが歌い終わったアイドルと絡んでいた。そのカメラに映らない死角ではディレクターが次のステージの機材を運んでいたりと我々にも普段とは違った動きを要求される。
美優の出番は八時ごろで今はその一時間前である。控室に様子を確認に行くと
「…………」
「美優?生きてるか?」
「こ、これから私……紅白に出るんですよね……」
ガチガチに緊張いていた。ライブ直前にならないと美優の堂々とした態度は見られない。
「えーっと、いつも通りでいきましょう。それに全国ネットなんて初めてじゃないでしょ」
「それは分かってますけど……」
「でもやっぱり緊張する?」
美優は無言で首を縦に振る。控室だっていつもよりきらきらしてるし落ち着けと言われる方が難しいのかもしれない。こういう時に話を逸らしたり逆にモチベーションを上げたりするのがプロデューサーの役目だ。
「美優さ、紅白が終わったら年はじめは仕事ないけど正月はどう過ごす予定なの?」
「そうですね……岩手の方の実家に帰省しようかなと考えています。両親にも顔を見せたいですし……。あ、よかったら徹也さんも一緒に来ませんか?」
「正月は予定もないですしいいで……」
それってご両親に紹介したい的な流れになるのでは?という考えが頭をよぎったが美優の純粋そうな顔の前にそれはないと自己完結した。
「どうかしましたか?」
「ああいや……うん行こう。ご迷惑でないようなら」
「そんな、両親に紹介するのに迷惑も何もないですよ」
「やっぱり外堀から埋めようとしてるな!」
「ばれちゃいました?」
美優は口元をおさえて小さく笑った。純粋そうな顔が小悪魔のような顔に変わる。
「でも、結婚も考えなくちゃいけない年齢ですからねー」
「アイドルをやってる間は考えなくていいから」
「でもその間に生き遅れちゃったらもうこんな女に貰い手はいませんよ……」
「そん時は俺が……」
反射的に口に出そうとした言葉は美優の不敵な笑みの前に止まる。急速に顔が火照り鏡を見なくても俺がタコのように真っ赤になっているのが分かる。話を逸らすはずが手玉に取られてしまった。
「俺が、何してくれるんですか?」
「美優さん、キャラ変わってませんか?」
「本番前ですからね」
「本番前ならしょうがないですね」
会話が途切れ部屋には今歌っているアーティストの恋愛ソングが充満する。思い人と目が合い二人で照れを惜しむことなくさらけ出して笑いあう。
「少しは緊張がほぐれましたか?」
「どうでしょうか……やっぱりまだ不安です。でもプロデューサーが元気づけてくれたら多分大丈夫な気がします」
「またそんなこと言って……はぁ」
二人してこの後の展開が分かったみたいに立ち上がって見つめあう。美優は覚悟を決めたように目をつぶる。
「まさかこれキスするかんじですか?」
「違うんですか」
「てっきりなんか激励でも言えばいいのかなと……」
「…………」
「そんなジト目で睨んでもこんな誰が来るか分からないところでキスなんかしませんからね!」
美優は明らかに落胆したまま衣装に着替えるために部屋を出ようとした。
「ちょっと待って」
ドアノブに手をかけて停止した美優を振り向かせて顔を近づける。そして唇を接近させるかと思わせてからその進路を耳に運ぶ。
「美優の最高のステージを期待してる」
「…………ずるい」
ようやく美優を緊張から逸らせた。代わりに大切なものを失った気もするがこの後のライブ次第でチャラにしよう。
美優のステージは問題なく終わりそのまま紅白も終わりを迎えた。時刻は新年まであと一時間も残していない。
今はすっからかんになった高速道路を二人っきりで走っている。理由は美優の帰省のためだ。
「すみません、本当にすみません!」
「あー、分かりますよ。本番前って変なスイッチ入りますよね。俺も高校の演劇前とか臭いセリフ言ってましたよ」
「でも……まさか本当にその、一緒に来ていただけるんですか?」
もう何度目か分からない質問をされそのたびにため息をつきそうになる。
「もう首都圏超えてるんですから、今更後戻りはしませんよ。片道六時間の旅になるとは思いませんでしたけど……」
「徹也さんには迷惑おかけしっぱなしですね……」
「それはお互い様です」
興奮冷めやらぬ故か深夜なのにまるで睡魔に襲われない。美優も同じ様子なのかまだまだ眠る様子はない。ただただ本番前の酔いを恥じているようで赤ペコのように何度もぺこぺこしていた。
「でも……去年の今頃はまさかこんなことになるなんて思ってもいませんでした」
「そうですね、初めはプロデューサーになるつもりもなかったのに」
「後悔してますか?」
「まさか……逆に俺の方こそ感謝してるよ。こんなに楽しく日々を送れているのは美優のおかげだよ」
「私も……」
急に静かになったせいで忙しいエンジンの音しか聞こえない。いやもう一つうるさいほど聞こえる音がある。俺の心臓の音だ。
「なぁあ……えっと……」
口の中で音がこもり呼びかけの声が上ずってしまった。美優は不思議そうなまま俺の言葉を待ってくれてる。一度深呼吸をした後腹筋に力を入れた。男は度胸だ。
「この先美優がアイドルを引退する時が来ても、美優をプロデュースし続けていいかな?」
「はぁ……?どういう意味ですか?」
「えっとつまり…………美優がアイドルを引退したときに結婚を申し込んでもいいかなって意味!」
言葉尻が羞恥心で強くなる。美優も衛星通信のように一呼吸遅れてこっちを見た。
「は、はい……いいんじゃないでしょうか?」
「そっか……そっか」
「まずは恋人からですね」
「ああ、改めてよろしくな美優」
もちろん運転中にハグや目配せなんてできなかったけど横で微笑んでいてくれるだけで実感が湧いてきた。
疲労感が募りに募りながらもやっと美優の実家に着いた。年越しそばも初日の出もすっ飛ばしてここまで走らせたが流石に疲れた。腰に数珠でも巻き付けられたような違和感だ。
美優の実家は田園区間というか緑に囲まれている場所だった。といっても国道沿いから二キロほどの場所で買い物には不便ではなさそうだ。
申し訳なくも感じたが家の駐車場に無断で停車させて頂く。助手席の美優はいつの間にか爆睡しているようで起すのも悪い気がしたが挨拶に行く手前見ず知らずの男性が眠っている娘を抱える構図は印象によくないだろう。
「美優起きて」
「ん~、ん……」
「もう着いたよ」
「徹也さん?」
「着きました。早く起きてくれ」
「えへへー」
美優は何を思ったのか俺の頭をすごい力で引っ張るとそのまま口づけを交わした。抵抗しようにも甘い味に理性が音を立てて崩れていく。
長いキスの後ようやく美優は解放してくれた。
「突然なにするんだ!」
「何って目覚めの…………これって現実ですか?」
「夢でもいいけど、とりあえず明けましておめでとうございます」
「こ、今年もよろしくお願いします。えーっと、その不束者ですがよろしくお願いします!」
「パニックになりすぎですよ……」
また一人反省会に入りそうな美優に呆れながら彼女をゆっくり抱きしめる。
お年玉なんかなくても美優がいればこの先も生きていける。その確信だけは暖かな今に誓える気がした。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
次回作にご期待ください。