この一週間足らずで三船さんはメキメキと頭角を表してきた。しゅがはとの社内ライブに加え表現力という武器も手に入れますますアイドルとしての魅力が増している。
今日も三船さんのレッスンに付いていた。でももうその必要も無いかもしれない。以前よりも後ろ向きな言葉も減りトレーナーさんに止められることも減った。この調子で頑張って欲しい。
そんなことを考えながら通路を歩いているとうなだれている女性が目に入った。以前レッスンルームで三船さんと一緒にいた人だ。確か名前は……そう高垣楓だ。
俺は何か困っていることでもあるのかと思って声をかけた。
「あの……どうかしましたか?」
「いえ……お気になさらず」
すると高垣さんは奥から男性に呼ばれそのまま行ってしまった。妙にそれが引っかかった。
次の日デビュー後の三船さんを売り込むためテレビ局に俺一人で来ていた。しかし初めて来たせいで迷子になってしまった。テレビ局っていまいち現在地が分かりずらいし遊園地みたいに案内図も地図もないから途方に暮れている。
「楓ちゃ〜ん、良かったら今度飲みに行こ〜よぉ」
「えっと……すみません……」
やけに大きめの絡み声に振り向くと困惑している高垣さんとニヤニヤしているテレビ局の人がいた。テレビ局に来てはや数分ようやく光明が差した。
俺は迷うことなく高垣さん達に道を聞くことにした。
「あの、すみません」
「あ!プロデューサー……」
「え?君楓ちゃんのプロデューサー?そっかそっか……それじゃ」
俺が間違いを弁解する前にテレビ局の人はどこかへ行ってしまった。出来れば道案内して欲しかったのに……。
「助かりました、ありがとうございます」
「助けたって……私は何もしていないんですが……」
「いえ、プロデューサーとして居てくれるだけで有難かったです」
訳が分からないがどうやら高垣さんを助けたようだ。ペコペコとする高垣さんに悪い気はしなかった。
「プロデューサー……そういえばなんで私がプロデューサーって分かったんですか?」
「たまたま美優ちゃんと一緒にいたのを思い出したんです。昨日声をかけられたのも影響してるのかもしれません」
高垣さんは迷いも無く廊下を歩いて行く。ひょっとしてテレビ局に来たことがあるのだろうか?
「高垣さんはテレビ局には何度も?」
「ええ、モデル時代からレギュラーの番組がありまして、今日も収録で来たんです。ただアイドルになってからあんな感じで人に絡まれることが多くなってしまって……」
「大変ですね。嫌だったらプロデューサーに相談した方がいいと思いますよ」
アイドルとしてデビューする前からテレビに出てるなんて凄いなと取ってつけたような感想を浮かべていると高垣さんは小さくため息をついた。昨日から高垣さんの表情は暗い気がする。
「相談出来るプロデューサー……いないんですよ」
「どういうことですか?」
「あの人……私に興味が無いんです。私のレッスンや収録を見に来たことなんて一度もない。けど……その事にも何も感じません」
「一度も?」
それってプロデューサーとしてどうなの?そいつ仕事してるの?それとも俺が過疎化し過ぎててプロデューサーにとってはそれが普通なのか?
「……悩みでしたら相談乗りますよ。それにウチの上司なら解決できるかもしれませんし……」
頭に机を指でトントンしながら睨みつけてくる美城常務が浮かぶ。あの人なら今の高垣さんの現状を変えられそうだ。
しかし返事は素っ気ないものだった。
「いえ、私のことですから……それに他の人のプロデューサーさんでしたら尚更迷惑はかけられません。お気持ちだけ受け取っておきます」
「いやそれだとまた嫌な思いをするんじゃ……」
「いえ大丈夫ですから、ありがとうございました」
高垣さんは足早にその場を離れようとする。
その時頭の中の美城常務がアドバイスをくれた。
君は一人でテレビ局から出られるのか?
俺は夢中で高垣さんの袖を掴んだ。高垣さんは明らかに恐怖の感情を浮かべている。そりゃ突然掴まれたら怖いよな。
「……高垣さん助けてください」
「一体何をおっしゃって……」
「私今迷子なんです……」
なるべく簡潔に事実を告げたが顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしかった。
当然高垣さんも笑う。笑っただけで印象が大分子供っぽくなるしそっちでプロデュースした方がいい気がする。
「迷子なのに私の相談乗ろうとしてたんですか、じゃあここまで来たのも迷ったからですか」
「笑わないでください。聞いてて悲しくなってきましたから……」
笑い続ける高垣さんを何とか説得して目標のスタジオまで辿り着くことが出来た。その道中も高垣さんは何度も声をかけられた(大体が悲しい男のサガ)
しかしその度に
「今プロデューサーを道案内していますから」
といじられた。こいつ味をしめたな。
何人かのスタッフさんは三船さんを使ってもいいと言ってくれた。ウキウキで廊下に出ると窓から外を眺める高垣さんが待っていた。ここだけ切り取っても絵になるなんてこれがアイドルか。
「遅くなりまってしまい申し訳ないです。お待たせしました」
「いえ大丈夫です。それにプロデューサーを道案内する仕事が残ってますから」
「お手数お掛けしてすみません」
「楽しいですから大丈夫です。それに……プロデューサーがいたらこんな感じなのかもしれませんね」
最後は消え入るような声だった。やっぱり高垣さんはプロデューサーにいて欲しい、見てほしいと願っている。その願いを無下には出来ない。
「……プロデューサーがいた方が良いですか?」
「そうですねー、口説かれる回数も減りそうですし……何よりこうやって会話も出来ますし……」
「高垣さん一応これ私の名刺です」
懐から名刺を取り出し偽善とばかりに押し付ける。高垣さんは鳩が豆鉄砲を食らったような表情を見せる。俺はそのままの勢いに乗って言う。
「困ったことがあったらいつでも相談して下さいね!」
「え、あ、はい……」
「それでは」
そして俺は勢い任せでその場を去ろうとしたら高垣さんに声をかけられた。もう相談だろうか?
「あのプロデューサー……」
「はいなんですか?」
どんな悩みもドンと来いと身構えるとまたも笑われながら反対方向を指さされた。
「出口はあっちですよ」
「……回り道も大切なんですよ……」
事務所に戻ってから高垣さんのプロデューサーさんが居ると思われる部屋を訪れる。そこは俺がいつも使っている事務所と瓜二つだった。唯一違うのは今もパソコンに向かっている男性だろう。
「あの……」
「……あーすみません……えっと吉木さんで合ってますか?」
「え、はい。どこかで会いましたっけ?」
「初めましてですよ、一応アイドル部門の人間は全て記憶しているんです。必要ないかもしれないですが趣味や経歴を知っておくと後で助けになりますからね」
「はぁ……」
想像していたプロデューサーとまるで違い至って真面目そうな人だ。
もっと欲にまみれたみずぼらしい人が高垣さんの担当かと先入観に染められていた。
「改めまして、僕は北原昭(キタハラアキラ)と言います。よろしくお願いします」
「よ、吉木徹也です」
「ところで今日はどのようなご要件で?」
完全に相手のペースに呑まれつい調子が狂う。
「北原さんのプロデュースされてる高垣楓さんについて少しお伺いしたいことがありまして」
「あいつが何かご迷惑をおかけしましたか?」
その時の北原さんの表情はあんまり読めなかった。けど少なくとも真面目なプロデューサーとは書いていなかった。
「高垣さん……最近色んな男性に言い寄られているようですが……大丈夫ですか?」
「スキャンダルってことですか?」
北原さんは面倒くさそうにため息をついた。そして先程までの張り付いた清潔感を脱ぎ捨てた。
「吉木さんも誑かされたんですか?相手はアイドルやモデルをやるような人間ですよ?」
「どういう意味ですか?」
お互いに疑問文を殴り合わせる。高垣さんがなにに悩んでいたのか少し分かった気がする。
「少し優しくしただけで言い寄られたり、かと思えばすぐに大物のプロデューサーに乗り換えられてポイされる。芸能人ってのはそういう奴らしか生き残れない。僕はそういうのに疲れたんですよ」
「だから高垣さんにも丁寧に接する必要は無いと?」
「僕の仕事は彼女がアイドルとして働くことです。彼女に好かれることでも仲良くなることでもない。ましてや彼女は既に成人しています。そんな大人、それもモデルとして活躍した経歴もある高垣に付きっきりでアドバイスをする意味が無いでしょう」
俺が何か言い返そうとする前に北原さんの口撃は連打された。
「もしかして吉木さん本当はアイドルとしてじゃなく一人の女性としても見てるんじゃないんですか?」
「な、昨日会ったばかりの人にそんな……」
「高垣じゃなくて三船美優のことですよ、聞いた話だとお二人は以前からの知り合いなんでしょ?本当に線引きが出来ますか?」
「それは……」
痛いところを突かれポロポロとボロを思い出す。マンションが同じ、何度も部屋に出入りしたり終いにはデートまでしている。デビュー前だからとり質されなかっただけで北原さんの言う通り線引きはしなくてはいけないのかもしれない。
北原さんは嘲笑うかのごとく口撃を止めない。
「吉木さんもう26歳でしょ?まさかその年でアイドルとのイチャイチャを夢見てこの業界へ来たんですか?そんな安い妄想を叶えてあげるほどリアルは甘くないんですよ。それとも……」
視界がグルグルと回る。この問いただされる感じ……大嶋さんを思い出す。嫌だ、またあの苦しみに染まりたくない……逃げたい。せめて美しいままでいたい。
「吉木さん……?体調悪そうですけど大丈夫ですか!」
どこか遠くで音が鳴っている。世界がモノクロになった。
「すみません……失礼します」
北原さんとの会話を半ば強引に打ち切った俺は無我夢中でトイレへ向かった。胃の中にあった今日の菓子パンが逆流してくる。
この気持ち悪さは知っていた。気の遠くなるようなストレスそしてかつてのトラウマだ。これは一年前の丁度今頃味わったことがある。
【何度も言わせるなこのグズが!会社から金を貰ってるんだからそれ相応の働きをしろよ!】
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!違う俺は私になったんだ。変わったんだ、誇れる自分に!一年間も演じてきただろ?死ぬのなんて怖くない、誰かのために命を使うことの出来る人間に……。
本当は死にたい……違う、楽になりたいんだ。誰でもいいから助けて欲しかったんだ。けど皆を次のパワハラの標的にさせる訳にはいかない。誰かが犠牲にならなきゃいけないのも分かってる。でも今更だけど………………………………俺は俺のままでいたかった。
ひんやりとした壁の感触で目を覚ます。目の前には便座とその中に吐き散らかした嘔吐物が異臭を放っていた。
そうか……俺……一年前から何も変わってなかったんだ。
流すのレバーを引きゲッソリとした青白い顔を鏡の前で何とか調整する。大丈夫、この顔ならバレない。
トイレから出るとたまたまなのかそれとも待っていたからなのか、高垣さんと居合わせた。
「昨日ぶりですね。顔色悪いですけど大丈夫ですか?」
「昼食にあたったみたいです。やはりパンとはいえ夏場は気をつけなくてはいけませんね」
良かった、口調は崩れていない。俺は私になれている。
「それとすみません、北原さんの説得には失敗しました……」
「プロデューサーの謝ることではありません!むしろこちらが感謝を言いたいくらいで……」
「一応上司にも掛け合っておきます」
「わざわざすみません」
高垣さんは深くお辞儀をして感謝の意を表した。この人だってもっとわがままを言いたいことがあるはずなのに我慢して……。
「高垣さん」
「なんですか?」
「わがままを言いたい時は言ってもいいんですよ。無理に抱え込むと本当に大切な時に適切な判断ができなくなりますから……」
「でも……」
「お願いします」
高垣さんが神妙な面持ちで頷いたのを確認して俺は踵を返して歩き出した。ほんの数歩の距離が離れただけのアイドル部門の各部屋は思っていた以上に離れていた。
部屋に戻ると三船さんが笑顔で出迎えてくれた。
「吉木さん……どこへ行っていたんですか?」
「ちょっとそこまで……それと三船さん」
「なんですか?」
「俺は……」
俺は弱い人間なんです。ですからもしこの先何かあれば迷わず捨ててください。
それが言えるほど俺はわがままにはなれなかった。今そんな不安を与えたらきっとライブに影響が出る。
「今日……昼食あたったみたいで……もう帰ります。ですので仕事終わりはタクシーで帰ってください」
「分かりました。お大事に」
三船さんは優しく送り出してくれた。この人を星のようなアイドルにするためなら命だって捨てる。本当に?
事務所を出ても口の中の胃液の味は消えてはくれなかった。