話し終わった時には陽は傾き始め夜の帳が少しずつ空を染めていた。
三船さんは終始無言だった。ただ時折眉間にシワが寄ったり鼻を啜るばかりで口は重く閉ざされていた。
「これが私の苦しみです」
三船さんは困ったように迷いながら少しずつ言葉を紡いだ。
「なんて言ったら……ええっと……話してくれて本当に嬉しいです……」
三船さんは俯いてしまった。その行為は俺を見限ったような気がしてならなかった。
時間を急かすためにエンジンを吹かせる。
「シートベルトして下さいね」
三船さんがよろよろとシートベルトをしたのを確認してアクセルを踏む。
「ほらやっぱり言うべきでは無かったでしょう」
俺は苦しかった。私は正しかった。
その日の三船さんとの会話はそれが最後だった。
翌日イベントのために早朝よろよろと起床した。太陽はまだ睡眠中のようで五月なのに少し肌寒さを感じる。三船さんはもう起きているだろうか?
今日のスケジュールは今まで何度も確認しているが当日ほど小心になるもので俺は朝食を食べながら何度も資料とにらめっこをした。
その後さらに鏡とのにらめっこを済ませた頃には太陽も起きたようで朝の眩しさが街を照らした。
イベント会場までの時間を考慮してもまだまだ余白がある。俺は隙間を埋めるために少し散歩をすることにした。
玄関に鍵をかけていた同タイミングで804の扉が開く。
「おはようございます」
「あ……おはようございます」
「三船さんも散歩ですか?」
「はい……いつもより……早く起きてしまって」
三船さんの顔を見て俺は安堵した。彼女の目の下にクマは無いし特に寝不足気味の症状も見受けられない。
「一緒に行きますか」
「そうですね」
坂部マンションの周りにめぼしい所は無い。5分程の所にラーメン屋があったり10分の所に駅があったり20分の所に公園がある程度だ。それ以外は閑静な住宅地。
「この辺りって何も無いですよね」
「たまにコンビニが無くて困ったりもしますしね」
「そうなんですよ!住宅とマンションばかりなのに店は少ないんですよね。東京なのに駅近も栄えていませんし……」
「引越しは考えていないんですか?」
「それも考えていたんですけど……プロデューサーと同じマンションの方が何かと都合がいいので……」
三船さんは照れくさそうに頬を赤らめる。
確かにアイドルの送迎と帰宅が同時にこなせる恩寵は十二分に享受している。
「でも自分の都合を優先された方がいいのでは?」
「自分の都合を優先された上でここを選んでます」
三船さんは意味ありげな視線を俺に向けてきたがアイドルとプロデューサーの立場に甘んじる。
「それと……私はどんな吉木さんでも大丈夫です」
陽が昇っても朝は浅い。外に出ているのはカラスばかりで多くの家々はまだカーテンが閉まっている。
「突然どうしたんですか?」
「昨日は何も言えませんでしたけど、あれから色々考えたんです。吉木さんになんて言おうか……」
「そのことでしたら、もう大丈夫ですから……」
俺は少しだけ歩く速度を早める。代わり映えの無い景色に絶望したこともあったが慣れてしまえば大したことは無い。
「……少年よ大志を抱け」
また並走ならぬ並歩をして三船さんは再び隣に、そしてどこか聞き馴染みのある名言を言った。
「それが私に言いたいことですか?」
「いえ……私、この言葉が大嫌いだったんです。若く無くなれば……大志を抱いてはいけない。大人は身の丈にあったことをしろって頭を押さえつけられているような……そんな気がしてたんです」
「事実そうでしょう。おじさんがオリンピックに出ようと思っても遅すぎる」
一年もフェイカーを演じてきた狼少年が今更になって真実を言ったところで誰も信じてはくれない。
「けど今は違います」
三船さんはやっぱり真っ直ぐだった。隣にいたら痛いほど染みる。以前は流されて生きてきたなんて嘘だ。そう思わせるほど凛としている。
「ある人のおかげで考えが変わったんです。少年って年齢のことを言ってるんじゃなくて……何かを始めようとした人はみんな少年だ。失敗を恐れるなって意味なんじゃないか……って」
随分と遠くまで歩いてしまった。ここら辺で折り返さないと寧ろ時間を潰してしまう。
「帰りましょうか」
人混みにプラスの感情を持ったのは初めてだった。
俺たちが会場入りする頃には長蛇の列が出来ていた。これからここで本当にイベントが始まるリアルがやっと肌に馴染んできた。
地下の駐車場に車を停め警備員さんを横切って控え室へ向かう。廊下には色とりどりのポスターに慌ただしい人。
普段とは違う苛立ちを乗せた空気に呼吸が浅くなる。
ふと気になって三船さんを見ると蒼白だった。
「いよいよ始まるんですね……」
「アイドル部門のライブは始まって2時間あとです。落ち着きましょう」
三船さんと深呼吸をしようとしたその途端爆音が響き渡る。遂に始まった。三船さんはその音にさえ反応をする。なんだか小動物のようだ。
「本番前だからこその思うこととかあるんですか?」
「そうですね……歌詞が飛んでしまったり……ダンスを間違えてしまったらどうしましょう……」
「意外とそんなこと気にするんですね」
「意外ってなんですか、私今も……本当にステージに立てるのか心配で……」
「しゅがはとの自主ライブは上手く行ってるじゃないですか」
「今日とは規模が違いすぎます……」
「歌だって原田さんに褒められてましたよ」
「それは……吉木さんが辞めてしまうかもって思ったから……」
「今まで沢山レッスンしてきたじゃないですか」
「……レッスンと本番は……やっぱり違います」
大志とはなんだったのか?似たような光景をジェットコースター前で目にしたことがある。
そんな足掻きに馬鹿らしくなってしまった。凛とした真っ直ぐな人なんて案外どこにも居ないのかもしれない。
「全く……俺、何悩んでたんだろ」
「吉木さん?」
「あーもー!三船さんのせいですからね!もう限界です」
こんな簡単に私を捨てられるなんて……結局俺に一番効いたパンチは名言でもお悩み相談でもなく、どうしようもないアイドルの姿みたいだ。
「こっちが悩んでることはスパッと答え出すくせに、どうして分かりきってることにはそんなに戸惑うんですか」
三船さんはハトが豆鉄砲食らったような顔をして意識が抜けきっている。
ようやく帰ってきたら済ました顔になった。
「……それが本当の吉木さん……なんですか?」
「そうやってシリアス感出したってさっきのウダウダ三船は忘れませんからね」
俺たちは笑った。今までの日々を思い出して……そして時間になった。
蒼いドレスに身を包んだ三船さんはアイドルとして申し分無い見た目だった。
舞台袖には特別感がある。普通に生きていたら決して目にすることの出来ないような魔法の裏側。
三船さんはお遊戯会の子供さながらガチガチに緊張していた。その証拠にさっきから何度も細かい段差につまずきそうになっている。
「……やっぱり無理ですよ……私がこれだけの人前で歌うなんて……」
三船さんの背中にはペンライトを片手に光らせた一万人の観客がいた。これだけの人前で緊張するなという方が難しいのかもしれない。
「あれ?ヨシ吉に美優ちゃん!本番前なのに痴話喧嘩か?」
「しゅがは!いい所に三船さんのこれ何とかしてくれ」
俺はそう言って上がりきってる三船さんを指さす。
「何とかって……はーとも今口から心臓出そうだぞ☆助けろ」
しゅがははキャピとイロモノ効果音を漂わせる。その姿のどこに緊張があんだよ。
「とにかく、三船さんはトップバッターなんですから気軽にいきましょう!他の人の前ですからハードルも低いですよ!」
「吉木さん……気軽になんて……無理です……」
舞台袖で煮え切らない三船さんになんて言ってあげたらいいのか……そうだ。
「星のようなアイドルになるにはここが通過点です」
沙織の決めゼリフにしゅがはも反応する。三船さんも弱々しい視線をこちらに向けた。
「通過点……」
「そうです。ここでドーンとデビューしましょう。それにいつも通りの三船さんなら大丈夫ですから」
「本当に……?」
疑惑がまだ消えない三船さんに最後の一押し。
俺はポケットからいつも持っていた遺書を取り出して押し付けた。。三船さんは息を飲んだ。
「俺はもう!自殺はしません。どんな苦しい道でも貴方と一緒なら歩いて生きます」
「それでは登場して頂きましょうーアイドル部門1人目はー三船美優!」
俺の宣言と共に司会者がアイドル部門の紹介を始めた。会場からは割れんばかりの歓声が沸き上がる。
しっかりと頷いた三船さんは俺の遺書を近くのバックに詰め堂々とステージへ歩いて行った。
「あれってさ〜実質プロポーズだよね〜」
「た、確かに!」
しゅがはのからかう顔にああ墓穴を掘ってしまったと後悔した。
「でも……いい喝だったんじゃない?」
lastKissのイントロが流れ始め俺たちは期待を胸に三船さんを見ていた。
でもその数分間は絶望に変わった。
これで主人公は立ち直ったので本格的に三船さんの話を始めます。