新暦80年春、ナカジマ・ジム
ズドン!!
と、重たい音を立てて、シェエ・ローゼンのはめたパンチングミットが跳ね上げられた。手のひらからじんわりと伝わってきた痛みに目尻に涙が溜まるのと同時に悲鳴が漏れた。
「イッターー」
いつもなら、シェエが失態を見せると軽口を飛ばしてくるはずの相方、イェン・ランカイもその赤い瞳を点にしている。
ミットを跳ね上げるほどのパンチを放った相手は、初等科5年生の高町ヴィヴィオ。その細身で愛らしい外見とは、裏腹に鋭いキレのあるパンチだった。
ヴィヴィオは、戦技披露会のエキシビションにて、フリッカーを使用する新しいスタイルを見せたが、それが更に自分のモノになっている。
二人が思っていることはただ一つ。
((ヤバい、ヴィヴィオちゃん、また強くなってる…))
格闘技暦で言えば後輩の成長速度に二人が慄いていると、二人が習っている春光拳の総師範レイ・タンドラが、まさに好好爺といった顔で細い目を更に細くした。
「ほっ、ほっ、領域にだいぶ近づけているようじゃ。ヴィヴィオは、親と指導者にめぐまれているのう」
言ってタンドラは、ヴィヴィオの指導者達に向き直った。
「いえ、周りのみんなが良くしてくれているだけで」
「あ、あたしも、まだまだっていうか…」
なのはとノーヴェが拳仙の言葉に謙遜した。
「伝統的な我が春光拳とは、違うが良い鍛錬所じゃ。うむ、朝早くから出向いたかいがあったの」
レイが立ち上げ間もないナカジマジムをぐるりと見回す。
幅広い世代が汗を流せるように。と、考えられたジムは近代的な運動器具が揃っており、普段ならDSAAのU15の王者、アインハルトの所属しているジムとして、賑わいを見せている。
しかし、今いるのは格闘技施設を使用している7人だけだ。
「そうでしょう、そうでしょう、なにしろ、チャンピオンが所属しているジムだからね!じーちゃんの道場も新しくしていかないと、追い抜かれちゃうかもよ~」
そう言うのは、祖父と幼馴染の二人がミッドチルダに出てきていて若干テンションが高めのリオ・ウェズリーである。
「いいおったな、こいつめ」
レイが孫であるリオの額を指で軽く弾いた。
拳仙と讃えられるレイであるが、目に入れても痛くないほど孫が可愛い好好爺でもある。
今回は、普段孫が世話になっているノーヴェが、ジムを立ち上げたと聞き。わざわざルーフェンから尋ねて来たのである。
春光拳道場の総師範が立ち上げ間もないジムを尋ねたとなると騒ぎが大きくなりすぎると、営業時間前の時間を選んだのだが、そこで、朝練に来ていたヴィヴィオと再会。そのまま、レイ自らがヴィヴィオに教えた『神眼』の鍛錬成果を見ることになった。そして、先の結果である。
孫が日常を過ごしている環境に満足したレイは言った。
「ノーヴェ師範、孫も気に入っているようじゃ。改めてリオのことを、よろしくお願いします」
「いえ、こ、こちらこそ」
拳仙の言葉に恐縮していくノーヴェを微笑ましく見るなのは。
なのはは、出勤前にヴィヴィオの見送りと、ノーヴェにジム立ち上げ祝いを言いに来ただけのつもりであった。が、娘がルーエンで世話になったレイと合えた幸運をよろこんだ。
(ノーヴェとリオのおじいさんの関係は、わたしとファーン・コラード先生の関係に近いのかな?)
そんなことを思っていると、胸元のレイジングハートが念話で通信の呼出を知らせてきた。
その相手はすぐ近くにいるらしいが、ノーヴェとの直接の面識がないため、ジムに立ち入るのは遠慮したようだ。念話で用件だけ伝えると、念話を切ろうとする。
『あ、待って。ヴィヴィオも久しぶりに会いたがっているから…』
なのはは念話相手を引き留めると、ノーヴェに向き直る。
「ノーヴェ、もう一人、ここに連れてきてもいいかな」
「もう一人?まあ、なのはさんの知り合いなら、問題ないです」
「うん、ありがとう。ヴィヴィオ、ちょっと外すね」
そう言って、なのはがジムから出ていった。
ジムの前には、中肉中背の目立たない顔立ちの男が立っていた。服装もビジネスカジュアルで街の中に溶け込んでいる。エイブラハムだ。なのはが案内し、格闘技スペースに向かう途中、ジムの設備を見回しエイブラハムが、なのはに向かって口を開く、
「本格的な器具が揃っているが、収容人数が少なそうだな」
「出来たばかりのジムなんだよ。始まりはこれで十分だと思うよ」
「そうか?…エースオブエースに勝った、格闘競技選手がいるジムと聞いていたから、もっと大きな所を想像していた」
「…むぅ」
不満げな声を出しなのはは男、エイブラハムを小突いた。
「おっと、試合の後は笑っていたのに…、やっぱり、悔しがっていたのか…」
昨年度の話になるが、管理局主催で行われる戦技披露会にて、行われた高町親子対決は格闘技選手と空戦魔導師の戦いとして高い評価を受けている。しかも、その勝利者はまだ初等科4年生だったヴィヴィオである。なのはとしても、一人娘の成長を素直に喜んでいるのだが、現役の魔導師としては悔しさもある。
「娘相手に、大人げない」
「そう言う、アナタ君だって。冬休み、雫に一本取られたんじゃなかったの?すっごく、悔しがっていたって聞いたけど…」
家族に聞いた最近のエイブラハムの様子を使って、なのはが反撃する。今度はエイブラハムが不満げな声を上げる番だった。
「あれはちょっとした事故だ。実戦だったらかすり傷だ」
「それはわたしも同じでーす」
などと言い合いをしていると、いつの間にか、格闘技スペースにたどり着いた。
二人の声を聞きつけたヴィヴィオがなのは達に振り向く。
「あ、アナタさん、お久しぶりです」
「おう、ヴィヴィオ、直接会うのは1年ぶりぐらいか?元気にしていたようだな」
ヴィヴィオが明るい声で挨拶をしながら駆け寄ってくると、エイブラハムはくしゃっとした笑顔で返した。
「戦技披露会、見てくれましたか?」
「ああ、ずいぶん動けるようになったみたいだな。雫が試合してみたいと言っていたぞ」
「えへへ、それはそれで、楽しみ」
などと、久しぶりに会う親戚のような会話をしていると、ノーヴェ達が近寄ってくる。
『ここからは、アビーで頼む』
念話でヴィヴィオに言うと、エイブラハムの顔からスッと笑顔が消える。
「始めまして、ナカジマ会長。私はエイブラハム・ハーヴェイ。営業時間外に申し訳ありません」
礼儀正しくあいさつしたエイブラハムだったが、愛想が見事にない事務的な態度。
「ど、どうも、ノーヴェ・ナカジマです」
ノーヴェ自身もそこそこ人見知りをするタイプであるのだが、エイブラハムはノーヴェとの交友を拒絶し、ドライな関係性を求めているようである。
最近、格闘技関係でウェットな交友関係が増えていたため、不意打ちを受けたようにノーヴェが戸惑っていると、なのはがエイブラハムの背を突きながら口を開いた。
「ええっと、エイブラハム君は教会とか、古代ベルカ王族の王権関係の調整の仕事の部署で働いているんだ」
「はあ…」
なのはの言葉に生返事をするノーヴェ。
ほかのみんながエイブラハムと自己紹介をしている間に、なのはは念話で続けた。
『アインハルトにヴィヴィオを引き合わせたのはノーヴェでしょ。エイブラハム君は、ヴィヴィオがベルカ王族関係者と交友を持つことを、余り快く思っていないの。ベルカ王族関係者のなかには、聖王として利用しようとする人もいるからって』
実際、聖王信仰者のなかには、ヴィヴィオとオリヴィエ聖王女を混同する者もいる。この時はただの一信者だったが、地位や権力を持つ者がそれを利用しようとすると厄介なことになりかねない。
『あたしは!そんなつもりは!!』
『うん、それは分かってる。だから、直接見てもらおうと思って。そうすれば、エイブラハム君はは分かってくれるから』
なのはとノーヴェが会話をしている間に、ヴィヴィオがエイブラハムの手を引く。
「アビーさん、こっちに来て。わたしがノーヴェに教えてもらったストライクアーツを見せてあげる」
ヴィヴィオは「ノーヴェに教わった」を強調した。ヴィヴィオにも、エイブラハムがノーヴェに対して余り好意的ではないことが感じ取れたからだ。感謝している会長が友人に良く思われていないのは悲しい。ヴィヴィオなりにノーヴェの株を上げようとしての行為だった。
互いにバリアジャケット姿になったヴィヴィオとエイブラハムが対峙する。わざわざ変身までしたのは、自分の成長を見せたいヴィヴィオが希望したことと、防護服を着ていないとヴィヴィオが無意識に加減をしてしまうとエイブラハムが配慮したからだ。しかし、右目の傷跡は変身魔法で隠したままだ。普段、戦闘中なら少しでも魔法のリソースを増やすため変身魔法を解除するのだが、危険と隣り合わせの管理局員ならいざ知らず、ヴィヴィオの友人を驚かせるのも、いかがなものかとエイブラハムが思ったようだ。
左のガードを下げたヒットマンスタイルのヴィヴィオに対して、エイブラハムは武器を持たずに半身で構えた。
ヴィヴィオがエイブラハムをしっかりと見据える。対してエイブラハムはあえて焦点を合わせず、相手の全体を見るような俯瞰した眼差し。ボーっとしているようにも見える目つきだったが、『神眼』を体得しつつあるヴィヴィオは、エイブラハムがそれと同等の極限の見切りを使っていることに気が付いた。
構えたきり、二人が動きを止める。エイブラハムは自分から動く気はなさそうだが、ヴィヴィオは明らかに攻めあぐねていた。何をしようとしても、あの目で何もかも見透かされているように感じる。
「・・・」
「・・・」
沈黙が敗れたのは、更に来訪者が現れた時だった。
入り口の扉が開き二人の娘が入ってくる。
「おはようございます」
「まいどー」
碧銀と黒、長髪をツインテールに結った二人の娘、アインハルトとジークリンデの挨拶が耳に届いた瞬間、ヴィヴィオが動いた。エイブラハムの意識の一部が二人の娘に取られたような気がしたからだ。
ヴィヴィオが鞭のようにしなるジャブ、フリッカーを放つ。しかし、軌道を読みづらいとされるそれをエイブラハムは片手で払いのけた。
それを見たリオが驚く。フリッカーとヴィヴィオの当て感の相性は非常によく、DSAAの上位ランカーでも防ぐのは難しいはずなのに、エイブラハムはそれを容易に払いのける。
リオにとっては驚きだったが、ヴィヴィオに取っては想定内だった。エイブラハムの隙を作ろうと左を連打。数度の攻防の後、エイブラハムが払いの強さを変えた。ヴィヴィオの体が流れるようフリッカーを払うと、その隙を見逃さず抜き手を放った。点穴を狙うためだ。
この瞬間こそヴィヴィオの狙いだった。点穴は防御フィールドが反応しないように、敢えて弱く繰り出す技だ。どうしても、攻撃の速度も遅くなってしまう。
ヴィヴィオの集中力が一気に高まる。世界の全てが遅く感じるほど、全感覚の全開稼働『心眼』を使用しての…
アクセル・スマッシュ!!
最速の拳がエイブラハムに迫る。しかし、ヴィヴィオに拳打の感触が伝わることはなかった。
拳が捉えたと思った瞬間、エイブラハムの姿がかすんで消え、伸びきった腕を掴まれる。と、同時に後ろから、ひかがみを蹴られ、膝カックンの要領で体制を崩された。
あっと思う間もなく、頸動脈にピタリと指を突きつけられた。
「__ふえッ!」
「はい、終りだ」
実戦だったのなら、ヴィヴィオが致命的な一撃を貰っていたことは間違いない。
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
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何卒よろしくお願い申し上げます。