この暑い中、薄手のブルゾンにジーンズといった格好の男は、ボールの直撃を受けた顔を押さえながらサッカーボールを拾い上げた。
最初に駆け寄ったのはアリサだった。ヴィヴィオ達がすぐ後に続く。
「すみません、大丈夫でしたか?」
「ああ、問題ない」
他人用の対応をするアリサに男は掠れた声で短く返事をすると、ボールを拾い上げ、ヴィヴィオに手渡した。
男は唇を斜めに上げた。
「ほら、やま…」
「ヴィヴィオ!高町ヴィヴィオ!もう、何回言えば、覚えてくれるの?!」
男が吊り上げた唇を見た途端、ヴィヴィオが機先を制して言った。
「いや、ゴメン、ゴメン、ヴィヴィオがいい反応するものだから、つい」
鋭い言葉のカウンターだったが、男は愉快そうに笑っている。
「やっぱりわざとだ!次、間違えたら二度と口きいてあげないよ。エイブラハムさん」
「おっと、それは勘弁してくれ。翠屋に行きにくくなってしまう」
ヴィヴィオに責められ降参のポーズを取る男。その顔をまじまじと見て、アリサはようやく相手がエイブラハムだと気が付いた。意外な所での再会に思わず態度を崩したアリサが口を開く。
「なんだ、アンタだったんだ」
「ああ、縁があるね、ツンデレさん」
「ツン…、…アリサ・バニングスよ。私の名前は一回で覚えなさい!」
と、二人が言い合っていると、すずかに助け起こされたなのはが駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、エイブラハムさん!!」
「いや、問題ありませんよ、ヴィヴィオのママさん。グラウンドの周りで油断していた私が悪い」
「あ、名前も言ってませんでしたね。わたし、高町なのはと言います。重ね重ねすみませんでした」
寛容に笑うエイブラハムにますます恐縮するなのは。すると、エイブラハムはちらっとアリサを見てから、
「高町なのはさん、覚えておきます…。一度で」
聞いたアリサが顔に怒筋を浮かべる。不穏な空気を読み取った月村の双子が姉の袖を引っ張った。
「おねーちゃん、おねーちゃん」
「しずくねぇ、あの人だれ?」
「あの人がおととい言ってた。忍者のエイブラハムさんだよ」
「えー、あの人、忍者っぽい格好してないよ」
「クナイフォルダ付けてないよ」
「晶と蓮、忍者はスパイでもあるんだよ。普段から忍者ってわかる格好をしちゃいけないの」
「え!そうだったんだ」
「えー、シナチクだと、みんな普段から忍者の格好をしているよ」
「蓮、それはね。えんたーていめんとの、ふぃっくしょんなんだよ」
子供たちの会話を聞いていたアリサがニヤリと笑う。
「忍者さんの割にはずいぶん油断が多いようですね」
「雫達の話を聞いていなかったのか?バニングス。忍者というのは正体や実力を隠すものなんだよ。大体、あんな悪意も運動センスも感じない動きから、危険を感じ取れるか」
「はうっ!」
アリサの言葉に、エイブラハムがそう答える。その言葉は流れ弾となって、なのはの胸に飛んでいった。
つづけて、すずかが長年疑問だったことを口にする。
「そうだよね。なのはちゃんって、訓練?とかでフェイトちゃん達の相手をするときのフォームはとても綺麗なのに、一般的な運動は苦手だよね?なんでだろ?」
「…うにゃ~!」
「訓練…、高町は消防、警察の関係者なのか?」
「ええっと、教官の1尉だったけ?」
追撃を受けてHPが0になったなのはに代わり、すずかが答えた。が、すずか自身は階級制度のことをよくわかってなかったりする。
「なんと、日本軍の将校でしたか。…貴女も?」
「…?そう見えます?」
エイブラハムがなぜそう思ったのか分からず、すずかが聞き返す。
「いえ、正直に言うと、貴女が一番体を使えそうに見えるので…」
エイブラハムは一応、なのはに気を使って、声のトーンを抑えていった。が、その内復活することが分かっているすずかは変わらぬ調子で言った。
「うん、運動は得意だったかな。でも、私は普通の大学生、月村すずかです」
「すずかお姉さんは、ママの妹なんだよ」
雫が自慢げに補足した。
「雫の…、道理で面影が」
エイブラハムは納得したように頷く。
「でも変な話よね。わたし達の中で一番運動が苦手だった。なのはが教官だもん」
「ううっ…、アリサちゃぁぁん」
友人たちの遠慮のない口撃に、なのはが涙目になった。この程度、女友達のじゃれあいのようなものと、本人たちは認識していた。が、男のエイブラハムは、なのはを哀れに思ったのか、口を開いた。
「それだけ、高町1尉が努力したってことでしょう。ねぇ、1尉」
「そう、そうなんだよ。エイブラハムさん」
エイブラハムの言葉に乗るなのはだったが、すぐにアリサに捕まった。
「へぇー、言ったわね!じゃあ、その努力の成果を見せて貰いましょうか、なのは。次はアンタも混ざりなさい」
「え、あ、ちょっと!」
アリサはなのはの腕を抱えると、グランドに引っ張って行く。そのまま、サッカー?を再開した。
「…貴女は参加しなくていいのですか?」
「雫ちゃんに言わせると、わたしが入るのはチートらしいので…」
姪っ子に言われた言葉を思い出し、苦笑いしながらすずかは答えたが、エイブラハムは素直に称賛の言葉を返した。
「それは凄い。身体能力の優れた大学生と、教官の1尉…。やはり、スカウトか何かでしりあったのですか?」
「ううん、幼馴染なんだ。通っていた小学校が一緒で、もう、10年以上の友人」
「それは羨ましい。十年来の友人か…、私のは…、ずいぶん減ってしまったな…」
憂鬱な様子で言ったエイブラハム。すずかは、連絡を取らなくなる内に疎遠になってしまった友達でもいるのかと思い言った。
「…連絡、取ってみたらどうですか?案外、いる場所や立場が変わっても、変わらないままでいてくれるものですよ」
「そんなものかな?」
「この間、尋ねに行った人はどうでしたか?お土産、渡したんですよね?」
エイブラハムはすぐには答えずに、懐からタバコを取り出した。が、園内禁煙の立札を見つけ、ため息を着いてから答えた。
「…まあ、確かに…。変わらずにいたかな…」
エイブラハムが右目の周りを撫でながら答えた。
…その時。
キキキー! …ドン!!
少し遠くで、車のブレーキ音と、何かがぶつかる音。
背筋の粟立つような甲高い音は、子供たちにも聞こえたようで、ボールを追い駆けることを忘れてキョロキョロと周りを見ている。
すずかには音の方角が正確には分からなかったが、エイブラハムには見当が着いたようで、
「駐車場の方向だな。ここに来るのに何を?」
「車、二台」
「様子を見に行った方がいい」
エイブラハムが言うとすずかは頷き、なのは達に向かって手を振った。
「アリサちゃん、なのはちゃん、駐車場の方だって!」
「あー、わかったわ、なのは」
「うん、様子を見てくるね」
アリサとなのはが返事をして、子供たちにすずかといるように言い含めると、駐車場に向かった。
…のだが、
「わたしも見てくる」
「わたしもー」
「あ、こら。待ちなさい!雫、ヴィヴィオ」
活発な雫が駐車場の方に走り出し、それにつられてヴィヴィオがついていく。アルフが叫んで追い駆けたが、これがいけなかった。今のアルフは省エネモードで雫やヴィヴィオより、少し上のお姉さんにしか見えない。下の子達には楽しそうに走っていく年長者に見えただろう。
そうなると、もう子供たちを抑えることなど不可能だった。下の子供たちまでも駐車場に向かい始めるのを追って、すずかも駐車場に向かった。
一人残されたエイブラハムは、周りに人がいなくなったことを確かめてから、煙草に火をつける。
「…衝突音から言って人ではなさそうだがな」
銜え煙草のまま一息ついたエイブラハムは、名残惜しそうに煙草を携帯灰皿に放り込むと、駐車場に向かった。
ざわ、ざわ、ざわ………。
エイブラハムが駐車場に着くと、人が足を止めて、その現場を見ている……。
アリサとアルフが人垣の外側で月村、ハラオウン両家の双子の相手をしていた。なのは、すずか、雫とヴィヴィオの姿は見あたらない。
ヴィヴィオ達を探し視線をさまよわせていると、アリサがこちらに気がついた。
「あ、あら、アンタ、結局来たの?」
「バニングス、何があったんだ?高町1尉達の姿か見えないが?」
「なのは達は奥よ。なのはとすずかが様子を見にいったんだけど…」
「どうした?」
言いよどむアリサにエイブラハムが聞く。
「事故にあったのネコだったみたいなのよ。なのはは応急手当とか出来るし、すずかはネコに詳しいから…」
そこでアリサは子供たちに聞かせないように声を潜め、
「血がたくさん出ているみたいだったから、子供達にあまり見せないほうがいいって思ったんだけど…」
アリサが止めたにも関わらず、ヴィヴィオと雫は、なのはとすずか共に人垣の奥に入っていってしまったようだ。
アリサは小さな子たちには刺激が強いのではないかと、心配しているようだ。
「雫は一応見習い剣士だからいいとして、ヴィヴィオは少し心配だな。私も見てくる」
そう言って、エイブラハムは人垣の中に入っていった。
アリサの言うとおり、事故にあったのはネコ。
一匹のネコが地面に伏せ、赤い血が地面にゆっくり、広がっていっている。母ネコだったのだろう、伏せたのネコの周りを二匹の子猫がミーミーと鳴きながら、ウロウロと動き回っている。
なのはとすずかが手当てをしようと、ハンカチを出しているのだが、母ネコが毛を逆立てて威嚇していいるので、ネコに触れることが出来ずにいる。
ヴィヴィオと雫が子猫だけでも、助け上げようとしているのだが、そうすると母ネコがかえって興奮してしまうため、こちらも手を出せずにいるらしい。
「なるほど、少し厄介だな」
「あ、エイブラハムさん」
「高町1尉、変わります」
言ってエイブラハムは懐からファーストエイドキットを取り出し、針を一本取り出した。
右手に針を持ったまま、無造作にネコに近づく。
シャーと、威嚇の声をあげるネコにエイブラハムが左手を差し出すと、ネコの怒りのネコパンチが繰り出される。
「__ッ!」
ネコの爪でエイブラハムの皮膚が裂かれるのと同時に、エイブラハムの右手が動いた。
野次馬達にはエイブラハムた少し手を動かした程度にしか見えなかったが、なのはとすずかには、エイブラハムが針で数度刺したのが分かった。
途端、ネコの体から力が抜ける。
(今の、美沙斗さんが言っていたことのある点穴!?出来る人なんてほとんどいないって…)
なのはが驚いていると、
「不思議…、手品みたい…」
原理は分からなくても、エイブラハムの技にすずかが感心した声を出した。
二人の様子に気が付いているのかいないのか、
「雫、ヴィヴィオ、子猫を頼む」
「うん」
「はい」
雫達が子猫を抱き上げると、エイブラハムが母ネコを抱きかかえ道の隅に移動させる。
「あ、ここに…」
すずかが適当な場所にハンカチを敷くと、エイブラハムはそこで、キットの道具を使って傷口を縫合し、包帯を巻いた。
「助かりそう?エイブラハムさん」
「コレで、大丈夫でしょう」
なのはが聞くと、包帯を留めながらエイブラハムが答えた。声の調子も気の抜けたモノになっているので、彼なりに確信があるようだ。
ヴィヴィオ達もその言葉を聞いてパッと笑みをこぼす。
「それでも、出来れば獣医に見せた方がいいでしょう」
「え、凄くいい手際でしたけど、エイブラハムさん、獣医さんじゃないんですか?」
家で飼っているネコ達を見てもらう獣医を思い出しながらすずかが聞いた。
「まさか、職業柄手当ての知識がありまして…、」
エイブラハムは消毒液のついたシートで手を拭いながら答えた。
「職業柄…ですか?」
「民間警備会社で、医療の知識が少しばかり…」
隣でそれを聞いてなのはが思いついたのは、イーグレットSSのような人材派遣会社である。少し悪意のある言い方をするなら傭兵。エイブラハムがなのはだけに階級を付けて呼ぶのも、その習慣のためのようだ。
エイブラハムが手を止めると、すずかは慎重に猫を抱き上げた。
「なのはちゃん。改めて車をお願い」
「うん。でも、その前に…」
なのははエイブラハムの手を取った。手には母ネコの爪で裂かれた傷があり、うっすらと血が滲んで来ているところだった。
なのはが取り出していたハンカチを傷口に巻き付ける。
「これでよし、後で傷口をもう一度洗った方がいいかも」
「ええ、そうします。感謝します。…では、高町1尉、月村。あとは、任せます」
「え、エイブラハムさんは来ないの?」
彼が最後まで付き合ってくれるものと、思い込んでいたなのはが言った。すずかも少し驚いた顔をしている。
「確かに、そうしたいところですが…」
エイブラハムは両手を広げて、自分の姿を見せた。エイブラハムの服にはネコの血が付き、まだら模様になってしまっていた。
「これを何とかしないと、お巡りさんのお世話になりそうだ」
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
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