眼前に広がる雲海の中から、敵が飛び出してきた。包囲は右後方5時の方角、数は2。
視界の右下に表示された小さなモニターに映し出された、センサーの情報がわたしにそのことを伝えた。
(大丈夫。やっつけることはできる)
突然の襲撃にも関わらず、わたしは冷静にそう思えた。
一気に距離を積めてきた敵は、中距離から威力が大きい誘導弾を2発放ってきた。
わたしは急激にスピードを上げ敵のとの間合いを離しながら、誘導弾を十分に引きつけ、もっとも効果的なタイミングで誘導妨害用のチャフを撒く。
目標(わたし)を見失った誘導弾の安全機能が作動自爆する。その光を目くらましに、わたしは雲海の中に飛び込んだ。
雲の中はどちらを見ても真っ白で、自分がどちらを向いているのかさえ分からなくなりそうだったが、わたしには自身を斜め後ろから眺める俯瞰した視界とセンサーがもたらす情報があった。それらを駆使して難なく敵の背後に回り込む。
相手はこちらを完全に見失ったようだ。単純な索敵フォーメイションのまま飛行している。
(今だ)
今度はこちらが短距離から誘導弾を発射すると同時に加速。
先頭の敵に誘導弾が突き刺さるのと、わたしが僚機を追随していた敵に、至近距離からの猛射を浴びせかけるのはほぼ同時だった。
敵の撃墜を確信した途端、わたしの活躍を祝福するファンファーレが流れた。
「ねこちゃん、見て見て、飼い主はまた、ハイスコアだよ♪」
すずかは、ゲーム機・×箱360のコントローラーを放り出すと、寝床のバスケットで丸くなっているネコの母子に、ちいさくガッツポーズを取った。
反応を返してくれたのは母ネコだけで、その母ネコも億劫そうに瞼をあけこちらを見ると、再び眠ってしまった。
「もう、薄情だな」
そういってすずかは口を尖らせながらも、テレビのリモコンを引き寄せ音量を絞った。
母ネコは、数日前エイブラハムと共に助けたあのネコだった。
状態は安定していたが、病み上がりに放り出す訳にも行かない。予防接種などを受けさせた後、子猫と一緒に月村家で引き取ることになった。しかし、ネコはいまだに体がうまく動かせないらしく、寝床で1日の大半を寝て過ごしている。
もうしばらくの間は安静にしておいた方がいい。
「ねこちゃんも、遊んでくれないし…、…今日は、講義も特になし…」
すずかは、ひとり昼間からゲームをして過ごしていた。
子供達は恭也と雫と共に修行に出て行き。両親と忍は下の子二人と侍女のノエルをつれて、親戚への挨拶回りに行ってしまった。
もう一人の侍女のファリンは、朝食の時ひっくり返した紅茶のシミを、絨毯から取る作業で忙しい。手伝いを申し出たが、
「ひとりでやらないと、姉さんにおこられるんです~」
と、泣いて断られた。
「アリサちゃんは、午前中は講義だし、なのはちゃん達が遊びに来るのは午後からか…」
今着ている買ったばかりのパーカーチェニックとハーフパンツを見せびらかしに、出かけるのも悪くはないが、外は真夏日で少し気が引ける。
「……んー…、どうしようかな…」
やることがないと、だんだん気分がだらしなくなっていく。
「…こういう時は…うん、寝よう。」
わたしはハーフパンツを脱いで、ベッドに入る。洗いたてのシーツの肌触りと、微かに残っている洗剤の香りが気持ちいい…。
リモコンでテレビの電源を切ると、急に、部屋の中が静かになる。
目を閉じたまま、仰向けになったり、横向きになったり、枕を抱えてみたり…。
ため息が出た。
(寝ちゃおうかな、と思ったけど…)
眠れない。それはそうだ、今日は思いっきり朝寝坊をして起きたのだから。
「…本でも読もう、かな…」
寝るのを諦めてベッドから這い出すと、本棚に向かう。
「まだ読んでいない本は、なにがあったかな…。そういえば、お姉ちゃんが貸してくれた本、まだ読んでなかったね」
すずかは分厚い一冊を手に取ると、ベッドの中に戻った。
タイトルには、『三角形の心』とある。
本の内容は聞いていなかったが、忍が大学生時代に雑誌で話題になったことが切っ掛けで、シリーズ化した小説らしい。
「…折角貸してくれたんだから…少し、読んでみようかな…」
忍が奨めて…というか、強引に押しつけてきた時の薄笑いを思い出したが、すずかはパラリッと、ページをめくる…。
内容は…いわゆる『ハードボイルド』なのかな…?一章のテーマになっているのが『守りたいモノありますか?』だし…。
主人公のボディガードを目指している青年は、恭也さんに少し似ていてカッコいいかもしれない…。
「わー」
…この主人公とヒロイン、ことあるごとに…。ええっと、愛を確かめ合うんだね…。なんかこう、甘い言葉をささやきあいながら…。
「…うう…」
ほとんど無意識に身を捩らせてしまう。
…昼間っから、読む本じゃないかもしれない、これ…。
でも、なんか…ドキドキする。
「…い、いいよね、どうせだれも見ていないんだから…。…お姉ちゃんに早く返してあげないといけないし…」
誰かに言い訳するように独り言を言うと、すずかは本を読み進め、一気に一巻を読み終えてしまった。
ぱん、と本を閉じる。
「ふー」
赤くなった頬をさますように、すずかは長く息を吐いた。
上気した体からは、汗がにじみ出ており、いつの間にか艶のある長い黒髪が額や頬に張り付いていた。
「…うう…」
ヘンな気分になったすずかがうめき声を出した、その時…。
「そんなに面白かったの?その本?」
すぐ隣から聞きなれた声が降り注いだ。
「______________________________________ッ!」
声なき断末魔を上げ、ベッドから逃げ出そうとして、すずかはシーツに足を取られる。
スッテーンという擬音が聞こえてきそうなほど見事に転び、ベッドから転がり落ちたすずかは尻を強打した。
「いった~」
そんなすずかを呆れた表情で見下ろしていたのはアリサだった。彼女はベッド脇でワゴンに乗ったサンドイッチをつまんでいる。
なぜ、講義のはずのアリサが?
サンドイッチはどこから?
疑問が頭を掠めたが、混乱して言葉がうまく出てこない。かわりにキョロキョロと視線を彷徨わせると、掛け時計が目に入った。時刻は午後1時を回ってだいぶたっていた。
車で移動するアリサが講義を聴き終えた後に遊びに来ていても、おかしくない時間帯だ。サンドイッチはきっと、いつまで経っても部屋から出てこない、すずかのために、ファリンが作って、部屋の前にでも置いてくれていたのだろう。
4時間近く小説に夢中になり、来客にも気がつかなかったらしい。
「こ、こんにちは、アア、アリサちゃん…」
「うん、こんにちは、すずか」
震える声で挨拶しながら、表情が不自然に引きつるのを自覚する。
アリサの方もいつもの挨拶の時とは違う笑顔になっている。なんというかこう、毒を盛ったワイングラスを相手に渡すときの頬笑みと、言えばいいのだろうか?
おかしい。結果的にアリサを無視してしまっていたわけだから、普段のアリサならもっとストレートに怒りを露わしているはずだ。
「すずか…」
「な、なあに…。アリサちゃん」
声を掛けられ、ハタと自分の恰好を思い出した、すずかはあわててパーカーチェニックの裾を引っ張る。
…あぅ、湿ってる…
しかし、アリサはこちらのことなど見ていなかった。その視線の先には、逃げだそうとした時ベッドの上に放りだした文庫本。
アリサがニヤッと笑う。
「ダメ!」
文庫本に飛びかかるが、一瞬遅かった。
アリサは文庫本素早く拾い上げると、ベッドの上にうつ伏せに倒れたすずかに馬乗りになった。
「アリサちゃん!返して!」
「いいじゃない文庫本ぐらい」
もがくがベッドが柔らかすぎてうまく身動きが取れない。アリサはそんなすずかをニヤニヤと笑いながら、文庫本を開いた。
(ああ…、もう、お嫁にいけない…)
羞恥で顔を赤くしたすずかは、昭和のマンガのようなことを考えなから、シーツを頭にかぶった。
そして、罵倒とか揶揄など、とにかく降りかかってくる言葉に耐えようとしたのだが…、
「…………………………」
覚悟していたカラカイが、何時まで立ってもこない。
すずかが不振に思って、シーツを少しだけあげ、背中に乗ったアリサを肩越しに見上げる。
アリサは…
「…うわ…すごい…」
興味津々のご様子。
耳まで赤くなっているアリサだったが、それでも紙面から目を離さない。
「や、ヤバくない?こんなことまで…!」
アリサが赤くなったまま表情を変える姿はおもしろかったが、さすがに4時間待たされるのは堪らない。意をけっして話しかける。
「あ、あの、アリサちゃん、面白かった?その本?」
「へっ…」
我に返ったアリサと目が合う。真っ赤になっていたアリサの顔が、一旦真っ青になり、再び赤くなった。
「あ、あ、あ、あ…」
「…?」
「アリサ・キック!!」
理不尽に背中を蹴飛ばされたが、アリサが不自然な姿勢だったため痛くはなかった。
「あ、あんたねぇ~、なんてもん読ませるのよ!」
「え~、アリサちゃんが勝手に…」
「Be quiet!」
アリサがベッドの上に立ち上がり、怒鳴りつけてきた。
至極まっとうな意見を言ってみたが、羞恥のあまり混乱しているためか、聞き入れる様子がない。
「っだ、だいたい、こ、こんな本何時の間に買ったのよ!」
「お姉ちゃんが貸してくれたんだ」
「あ、あのひとは~…!」
そこまで怒鳴ってから、アリサは急に勢いをなくし、穿いているキュロットスカートの裾を気にし始めた。
「…、…替えたい…」
消え去るような小さく呟くアリサの声を聞いて、すずかの滅多に表に出てこない衝動がくすぐられた。
すなわち、攻撃衝動だ。
すずかは立ち上がり、アリサの隣に並ぶと、甘えた調子で言った。
「ねぇ、アリサちゃん。一緒にシャワー浴びない?」
「へ、ええ!」
「ほら、今日は暑いし、汗かいちゃったから…」
体を寄せ、抱きつくように腰に手を回す。
「あ、あたしはいいってば…、いま、このテンションでシャワーなんて浴びたら…」
「あびたら…?どうなるの…?アリサちゃん」
腕から逃れようとしているアリサの抵抗を、力任せにねじ伏せる。
大学の友人達には意外に思われることが多いが、実は活発なアリサより、物静かなすずかの方が力が強い。
「ほら、分かるでしょ…。…てか、すずかなんか変…」
「いつもどうりだよ。だから、イイでしょ、アリサちゃん」
すずかの力強さに、アリサがビックと怯える。いつも強きの友人が、滅多に見せることのない姿に、すずかの嗜虐心が刺激されてしまう。
(…アリサちゃん、意外とベーコン・アスパラ系女子だよね…)
「だから、ダメだってば!…あっ」
「アリサちゃん!」
さらに力を込めてしまったすずかから逃れようと、アリサが無理に体をよじってバランスを崩した。
すずかは慌てて支えようとしたが、もつれ合うようにベッドに倒れ込んでしまった。
「きゃッ!」
「んっ!」
すずかはアリサに覆い被さるように倒れていた。アリサの体温を感じながら、さすがにふざけすぎたかと反省する。
「ごめん、アリサちゃん。大丈夫?」
「平気よ…、コレくらい…」
退こうとして身を起こすと、アリサと目が合った。
「「…あ…」」
互いに感嘆をあげてしまった。
アリサの瞳は涙が溜まり潤んでおり、上気した頬は朱を注いだように赤く染まっている。感嘆の吐息を吐き出した唇は小さく震えていた。
(アリサちゃん…、すごく…、すごく、かわいい)
アリサとはいつも一緒にいるが、これほど近くで顔を見るのは、いつ以来だろう?彼女が髪型を変えて以来、なかったかもしれない…。
頭の中に霧が掛かったようにぼ~っとしてしまう。
「すずか…」
名前を呼ぶアリサの声が遠くに聞こえる。
わたしの中で、必死にわたし自身を止めようとしている自分がいるが、自分がなにをしようとしているかが、分からないので、止まりようがない。
蜜のような空気に溺れて、息もできない。
「アリサちゃん…」
唇に吸い込まれそうになっている。と、気が付いたときにはアリサの顔はすぐそこまで来ていた。
(と、止めて…)
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
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何卒よろしくお願い申し上げます。