「ヴィヴィオー」
「しず…、しぃー」
ヴィヴィオがベッド籠を抱き応接間に向かっていると、修行に行っていたはずの雫が廊下の先から駆け寄ってきた。思わず大声で返事を返そうとしたヴィヴィオだったが、元気のない母ネコを抱えていることを思い出し。雫に静かにするように促した。
「おっとと…」
ヴィヴィオに促されて口元に両手を当てた雫が、減速しながら近寄ってくる。
雫の体から漂う石鹸の香りがヴィヴィオの鼻をくすぐった。修行の後に銭湯にでも行ったのだろう。
声を潜めて雫が言った。
「ねこちゃんをエイブラハムさんのところに連れて行くところ?」
「うん、でも、なんで分かったの?」
「父さんに聞いたの、ヴィヴィオのママがエイブラハムさんを連れてくるって」
「あ、ママ、恭也さんにも言ってたんだ」
「うん、メッセージが届いた時は修行中だったから、呼んだのはお昼を過ぎてからだったけどね。父さん、メッセージを読んだとき、ヘンな顔をしてすぐに戻るぞって言い出してさー」
むむむーと眉を寄せて、父親の見せたヘンな顔を再現しようとする雫だったが、不機嫌そうな咳払いに止められた。
咳払いの主、恭也はティーセットの乗ったワゴンを押すファリンと一緒だった。
「雫、俺はそんな顔をしていない」
「してたもん」
「…」
譲らない娘に恭也はかぶりを振ったが、本題に戻ることにしたらしい。
「とにかく、その猫を元気にしてくれる人が来てるんだろ。余り待たせてはいけない」
言いながら恭也はヴィヴィオからベッド籠を受け取ろうとしたが、
「わたしがママから頼まれたの…」
と、ヴィヴィオが言ったので任せることにした。頼まれごとをやり抜こうとしている姿は、恭也としてもなかなかに好感を持てた。
応接間のドアの前まで行くと、恭也は『心』で部屋の中の様子を伺う。すると、応接間にいる人物はこちらに気が付いているようだ。『心』が応接間のソファーから立ち上がる気配を捉える。
(少なくても、目だけを頼る相手ではないようだな)
恭也がノックをして、返事が返ってきてから扉を開けると、エイブラハムが背筋を伸ばしてこちらに正対していた。
「いらっしゃい。エイブラハムさんでしたね」
「はい、エイブラハム・ハーベイです。留守中に押しかけてしまい申し訳ありません。月村さん」
「いや、妹が乞うて来てもらったのだろう?肝心の妹の姿が見えないが…」
「件の猫を連れてくると言っていたのですが…」
挨拶をしながら恭也は呼びつけた客を一人にしてしまっていることに申し訳なさを感じていると、猫という言葉を聞いてヴィヴィオが応接間に入ってきた。
「エイブラハムさん、ネコちゃん連れてきたよ」
「おや、ヴィヴィオが連れてきてくれたのか?」
エイブラハムが尋ねると、ヴィヴィオは猫親子が収まったベット籠を近くのソファーに下ろしながら答えた。
「うん、ママはすずかさんとアリサさんとお話があるって」
「アリサも来ているのか…」
言いながらエイブラハムが天井を見上げた。エイブラハムが顔を向けた方角を見て、恭也はエイブラハムが『心』と同等の技を習得していることを確信する。エイブラハムが顔を向けた方角はすずかの部屋を指していたからだ。
「ねえねえ、エイブラハムさんがねこちゃんを元気にしてくれるって聞いたけど、どうやるの?元気のでる治療忍術があるの?」
ヴィヴィオに続いて応接間に入ってきた雫がエイブラハムに尋ねる。
「忍術ってほど派手なものじゃないな…、針治療ってやつさ」
言いながらエイブラハムはポケットから樹脂製のケースを取り出した。中には包装に包まれた針が数本。
エイブラハムが母ネコの体に触れ、様子を確かめる。母ネコはエイブラハムを一瞥した後、されるがままになっていたが、その手の動きに興味を持った子猫たちが、じゃれつき始めた。
「…ッ」
「雫、ヴィヴィオ、子猫を…、抱いてあげなさい」
困惑して眉を寄せたエイブラハムに恭也が助け舟を出す。雫とヴィヴィオが子猫達を抱き上げる。
「感謝します。月村さん」
「恭也でいい。そちらの方が慣れている」
「了解しました。恭也さん」
言ってからエイブラハムは数本の針を取り出し、数本の針を母ネコにうつ。
「このまま数分待てば、問題ないでしょう」
「ほう、感謝する」
恭也が言ったが、その後に言葉が続かず口を閉ざした。会話が続かない。
もともと、口下手で10代のころからよく枯れていると、妻にからかわれている自分の性格を呪っていると、ファリンがお茶の用意をして声をかけてくれた。
「待っている間、こちらをどうぞ」
茶請けに置かれたクッキーに早速雫が手を伸ばす。
「んー、おいしい」
その一言を聞いて、ヴィヴィオが満足げに笑った。クッキーはヴィヴィオの手製らしい。
ヴィヴィオはすずか達にも食べてもらいたいと言ったが、肝心の妹達はまだすずかの私室から出てくる気配がない。ファリンが気を利かせて「呼んできます」と出ていき、数十秒後…。
「「「____!!」」」
『心』を習得している恭也の耳に、すずかの部屋の方からの悲鳴のような声が聞こえた。しかし、争っているような気配は感じられない。恭也が様子を見に行くべきかと考えあぐねていると、ファリンが数人を引きつれて戻ってくる気配がある。
「お待たせしました…」
「客を待たせるものじゃないぞ。なにをしていたんだ?」
「え、えーっと…」
応接間に入ってきたなのはに恭也が苦言を呈すると、なぜか顔を赤らめ、目線を逸らした。すずかとアリサも似たような反応。
「小説…、の、話で盛り上がってしまったようです…」
ファリンがニタリっとほくそ笑みを浮かべながら答えると、なのははますます赤面しうつむき、アリサがファリンを睨み口をへの字に結び、今にも「くっ、殺せ!」とでも言い出しそうな顔をする。最後にすずかはなぜか照れ笑いをして身を捩らせた。
「…?」
「…小説?さっきの悲鳴のような声と関係あるのか?」
女たちの表情の意味が分からず恭也が困惑していると、やはり、気が付いていたらしいエイブラハムが疑問を口にした。
「…アビーは黙ってなさい!」
率直な質問になのはとアリサがビクッと体を震わせてから、アリサが怒気をはらんだ声でゆっくりと答えた。
この件に関しての質問は一切受け付ける気はないようだ。なのはもうつむいたまま、コクコクと頷く。
エイブラハムもそれを察したのか、別のことを口にした。
「それにしてもアビーか…」
「別にいいでしょ。エイブラハムは長いのよ。それともエイブかアブラの方が良かった?」
「呼びやすいなら、アビーで結構。この名前に愛着もないしな…」
「あら、そう?折角もらった名前でしょうに…、なのはの名前の由来とか、感動ものよ。ねぇ」
「え、わたしの?」
と、言った流れで、雑談が始まり10分程。
「さて」
言って、エイブラハムはベット籠に近づく。治療中の針にイタズラしないよう子猫たちは離されたままになっていたので、手早く針を抜くことが出来た。母ネコの気怠さは針とともに抜けたらしい。体の調子を確かめるように伸びをすると大あくびを一つ。
その様子に子猫たちが気が付き、雫とヴィヴィオの膝の上から、ミィミィと母ネコを呼び始めた。母ネコが一鳴きして応え、軽快な動きで子猫たちの首根っこをくわえて床に下した。
「へえ、もう大丈夫そうね」
「良かった。しばらく、ご飯もあまり食べてくれなかったから」
猫の動きをみて、アリサとすずかが言うと、ヴィヴィオが思い出したように言った。
「ママ、ネコちゃんにおやつあげていい?」
「んー、すずかちゃん、今の時間で、あげてもいい?」
聞かれたなのはだったが、月村家では猫の健康を考えて栄養素や与えるタイミングを管理している。長年、猫たちと過ごしてきたすずかに話をふる。
「うん、大丈夫だよ。ファリンさん、出してあげてください」
「かしこまりました。丁度なのはちゃんがお土産に持ってきてくれたものを使わせていただきます」
おやつという単語は母ネコも理解しているようで、耳をピンと立ててヴィヴィオの方に顔を向ける。
「現金だな」
「わたしもあげたい。ファリンさん、いつもの棚の所でしょ。わたしも行く、ほら、ネコちゃん、おやつあげるよ」
雫が立ち上がって言うと、母ネコが雫の足に頬摺りし始めた。
「なんか、ズルい!」
ヴィヴィオが言って立ち上がると、負けじとわたしもエサをあげると言い張る。
「エサを与えたなら、運動もさせた方がいい」
「それなら、お庭の方がいいかな?ファリンさん、お願いします」
「かしこまりました」
そのまま、ファリンが猫たちと二人を引きつれ応接間から出ていく。
子供たちの様子を見たすずかが言った。
「あの子たちを見ていると、親に似るんだなーって、思うなぁ」
「どっちが?」
「両方、お姉さんぶってる雫ちゃんと、負けじと言い返しているヴィヴィオちゃんって…。昔、なのはちゃんに意地悪しているときの恭也さんと、それに怒るなのはちゃんに、そっくりだと思わない」
「確かに、なのはって恭也さんに怒ってたもんね。こらーって言って」
当時のなのはの様子を思い出し、握った両拳を目一杯高くあげるポーズを取ると、アリサはニヤニヤと兄妹に視線を送る。
「…」
「そ、そうだったかな?」
その視線から逃れるように恭也は視線を避け、なのはは忘れたことにして誤魔化そうとしたが、エイブラハムと視線が合う。
「…なるほど、当時から活発だった…」
「今は、そんなはしたなく怒ったりしませんよ!」
エイブラハムに分別のない人間と思われてはたまらない。と、なのはは慌てて言った。が、
「やっぱり覚えてるじゃない。今だってそんなに変わらないでしょ」
「アリサちゃん!!!」
更に煽られてなのはが思わず両拳を振り上げ掛けた時、ズキリと例の痛みが左腕を襲う。
「…ッ!」
「なのは!」
顔を歪めたなのはにアリサが慌てて駆け寄る。
「大丈夫。ちょっと痛めているだけだから」
「ちゃんと病院に行ったんでしょうね」
心配する友人に、なのははエイブラハムの方にチラリと目線を動かしてから、いいずらそうに言った。
「管理局関係で、…の使いすぎが原因だからちょっと…」
「…そうっ」
断片的な言い方になってしまったが、『魔法の使い過ぎで痛めている』ことをアリサは察してくれたらしい。不機嫌そうに返事をする。
アリサの不機嫌は、なのはに怒っているのではない。友人が苦しんでいるのに、何もしてあげられないことに怒っている。アリサの不器用なやさしさをくすぐったく思っていると、
「アビー君のツボ治療って、人には出来ないの?」
すずかが口に出した。名前を出されたエイブラハムに視線が集まると、
「出来るぞ。技術的には…」
エイブラハムは言いながら、なのはの体を見る。
「ん、長年酷使されてきた一部が酷く痛んで、全体のバランスを崩してしまっているように見えるな」
「…治るのか?」
若いころ無茶な鍛錬をして膝を壊し掛けたことがある恭也が言った。恭也の場合、父が止めてくれた。が、なのはは魔法の才覚があり過ぎたため、蓄積された負荷に誰も気がつけず瀕死の重傷を負うまで気がつけなかったことがある。
あの時の後遺症が残っているのだろうか。と、恭也が心配していると、
「完全に直すとなれば、1年は掛かりますが、余計な痛みがでない程度ならすぐに」
「ほう、そんなに早く治るものなのか?」
「痛みが出たのが最近ならば…。高町1尉、古傷がある場所を何度も酷使しましたね」
エイブラハムが恭也に説明していると、恭也がジロリとなのはを見る。
なのはは心配させないよう、JS事件で命を削るようなものと言われるような無茶をし、その後も休みを取らずに、教導に務めていたのだが…。そのことは家族には教えていない。
これはこの後、かなりしっかり目に叱られるかもしれない。と、思いつつなのははサッと目をそらした。
しかし、そらした目線の先にはアリサと、すずかが居た。目線が合うとアリサとすずかはニッコリと笑った。二人とも眉間に縦じわを浮かべた笑みだった。
「うん、じゃあ、やってあげてください。アビー君」
「いいのか?俺はこの国での免許を持っていないから料金は要らないが…。すぐに効果がある方法は…、かなり痛いぞ」
「全く問題ないわ。やっちゃいなさい、アビー」
「え、なんで二人が答えるの!?」
「そうだな、少しぐらい痛い方が、本人も反省するだろう。アビー、やってくれ」
「では、そのソファーにうつ伏せになってもらえますか?高町1尉」
「あれ、お兄ちゃんとアビー君まで!!」
一切意見を聞かない4人の勢いに怖気づいたなのはを、アリサとすずかが強引にソファーに寝かせる。
「針を使う前にマッサージをします。痛いのはここだけなので、少しの間我慢してください」
「はーい!」
「任せなさい!」
「わ、二人とも抑えないで!」
エイブラハムの口調が、歯医者の「痛かったら手をあげてください」と、同じに聞こえたなのはが起き上がろうとしたが、手足をすずかとアリサに押さえつけられた。恭也はエイブラハムの後ろに控え、無言のままエイブラハムの動きを見ている。
エイブラハムは人差し指と中指を立てた姿勢で一度意識を集中し、
「_っ!」
なのはの背中をトトンとリズミカルに数度突いた。
「はわ…わわ…っ!」
なのはの感覚では、突かれた場所から何か温かいものが、しみ込んでくる感覚。
「で、それから…」
エイブラハムが言いながら、指の関節をぽきぽきと鳴らし、クイクイと指の準備運動をすると、力強く指圧マッサージを始めた。
「ふにゃあ!!」
なのはがビクッと体を震わせるが、エイブラハムはお構いなしに指圧を続ける。
「力加減はどうだ、痛みが酷かったりしないか?」
「ちょっと痛いけど…、それ以上に…、気持ちいいよ。アビー君」
なのはの目つきがトロンとしてくると、手を抑えているすずかも何故か顔を火照らせているのが見えた。足を抑えるアリサの手からも、身じろぎの気配が伝わってくる。
「_ん、ん!もう、いいんじゃないか?」
表情は見えないが、恭也が気まずそうな声を出している。
「いや、本番はここからだ…」
極めて冷静な声でエイブラハムが答え、力加減と押しこむ場所を変えた。
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
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何卒よろしくお願い申し上げます。