「すでに感染してしまっているのは、その子だけらしい」
司令官と呼ばれている男がそう言った。
女兵士とその部下達が施設を『せいあつ』したあと。僕は女兵士に元いた部屋に連れ戻された。理由はよく分からなかったが、先ほど打たれた注射が問題になっているらしい。
女兵士が司令官に尋ねた。
「…助ける方法は?」
「こちらの装備では、無理だ。…強いていうなら、疑似リンカーコア・システムを埋め込めば、マイクロ・デバイスがウイルスを殺してくれる可能性が高い」
「それなら…」
女兵士が少しだけ声を弾ませたのを、司令官が遮った。
「システムを受け入れられる適性を持っている人間は、4人に1人程度。この子の適性を調べている時間はないんだぞ」
「適性を持っている可能性もあるわ」
そんなことは分かっていると司令官は顔をしかめた。
「今のこの世界の法律では、システムを使っている者は危険な戦闘機人として、殺されていっている。それをかばった人間もだ。管理局の自称平和維持軍でさえ、捕虜にすらしていないこの状況だぞ」
「分かっているわ。だから、私の隊で引き取る」
「今、我々に余裕はない。隊で引き取るということは、戦いを手伝わせることになるんだ。彼は将来思い悩むことになる」
「いいえ、そんなことは私がさせない。そだててみせるわ。勝って高慢に、負けて卑屈にならず、どんな困難も乗り越えていけるタフな男にね」
「…そこまで言うなら君に任せよう。だが、本人の同意を得た後にだ」
観念した司令官が最後にそれだけいった。
女兵士がこちら視線を合わせると、僕の置かれた状況を説明してくれた。だが、正直、ゲリラだの、バイオ兵器だの、当時の僕には分からない単語だらけで、内容の半分は理解できなかった。ただ、女兵士達の提案を受け入れなければ、自分が死ぬことは分かった。
「あと3時間ほど、猶予が…」
僕を怖がらせないよう、なるべく優しい言葉を使って慰めてくる女兵士を遮って、僕は答えた。
『次は~、…、…、お降りの際は…』
タクシーから電車に乗り継ぎ、しばらく揺られていると、追って来ていたサーチャーの気配が消えた。ようやく索敵圏外に出たらしい。
ぼんやりと物思いに耽る真似も終りだ。
「取って返す、ルートはどうするか…」
エイブラハムが月村邸から逃げ帰った後、アリサとすずかは大学の教授から呼出を受けた。成績の上昇を確保するため、なのは達と別れ大学に向かった二人が帰途についたのは、夏の日すら落ちた後だった。
帰り道、ハンドルを握るのはアリサ。月村邸に向かう道は、夜間になると車の往来が少なくなり、彼女のお気に入りであった。普段なら鼻歌交じりに車を運転するアリサだったが、今日は鼻歌の代わりに不平不満をぶちまけていた。
「なんなのよ!あのバカ教授!人を突然呼び出しておいて、教え子に自分の論文の見直しさせる?!フツー!!」
「まあまあ、アリサちゃん。それだけ、アリサちゃんを頼りにしているんだよ」
アリサの愚痴を受け止めるのは、助手席に座るすずかだった。すずかはいつものように、笑ってアリサを宥める。
「頼り?ふん、この完璧なあたしをタダで使える助手か何かだと勘違いしているのよあいつ!」
「でも、勉強になったよ。学生へのなによりの報酬は知識ってことじゃないかな」
「すずか、あんた人がよすぎよ。今回の働きは次の研究室での飲み会で、支払わせるべきだわ!」
「ええ、そんなの悪いよ」
クックックッと、いやらしく笑うアリサにそう返しながらも、教授が差し出してきた缶コーヒーだけでは物足りない。と、思ってしまうすずか。
「いいのよ、どうせ大学から研究費を結構貰っているんだから。研究に貢献しているあたし達が、イイ思いしたって罰は当たらないわよ」
「なるほど、そうかも…」
そんな会話をしていると、体が運転席に傾く。車が緩やかな左カーブに入っていき、対向車のフロントライトで、すずかの視界が一瞬真っ白に染まった。
「捕まって!!」
アリサの悲鳴のような警告と、同時に前に放り出されるような衝撃と、キィキーッ!という、気味の悪い悲鳴のようなブレーキ音が響く。
目の前に夜間ライトも点けていないワゴン車の後ろ姿が迫る。
シートベルトに押さえつけられた左肩が鈍く痛む。でも、それだけ…
急ブレーキが功を奏して、車はギリギリのところで止まっていた。
「……」
すずかが隣を見ると、目を見開いたアリサが息を呑んでいた。視線に気が付いたアリサは、額の汗も拭かずに振り向いた。
「だ、大丈夫?すずか?」
さすがのアリサもあわや衝突という事態に肝を冷やしたようだった。震える声で聞いてくる。とはいえ、こちらも似たようなもので、上手く声が出ずに、コクコクと頷いて無事を知らせる。こちらの意図は伝わったらしい。
アリサが表情を緩めて、安堵の溜息を付いた瞬間…、
「っ…!」
今度はアリサの警告すらなかった。突然の衝撃に瞬間的なパニックを起こすが、視界だけが奇妙な鮮明さで窓の外の光景を映し、車が横回転していることを知らせた。車が半回転、反対車線のガードレールに衝突して止まる。
車が半回転したお陰で、後ろから追突してきた車が正面に見えた。スポーツカータイプの車に男女4人が乗っていて、運転席の男が降りてくるところだった。男は無表情にこちらを観察している。
「あ~、もう、ちょっと、文句言って来る」
「まって、アリサちゃん」
衝撃によるショックを頭を振ってやり過ごしなから、アリサがドアを開ける。
止めようとしたが、すずか自身が思っていたよりもショックが大きかったらしい。寸での所で届かずアリサが車の外に出てしまう。
閉じたドア越しに、
「あんたはここにいなさい。」
と、強めの口調でいうと、相手ドライバーのところへ、向かっていく。
(なんだろう?…なにか、おかしい…)
相手ドライバーは、こちらを観察していた。まるで自分の行動の効果を確かめているかの用だった。絶対に事故で怪我をしていないか心配するとか、事故を起こした自分を嘆いている表情ではない。
すずがは不安を覚えて、アリサの後を追おうとしたすずかの体が止められる。
なに?…あ、シートベルト。邪魔!
先ほどフロントガラスに顔を打ち付けることから、救ってくれた命綱を荒っぽく外し、運転席側のドアから外に出る。
チカッ!
車から降りた途端、光が瞬いた。すずかは写真を撮られたのかと思ったが、すぐに考え直す。相手の車に乗っている男女はカメラを構えてはいなかったし、アリサが突然グラグラとよろめき始めたからだ。
「アリサちゃん!」
声を掛けながら近寄ると、アリサは我に返ったようで、すずかを見る
アリサがフッと鼻で笑った。すずかが初めて見る侮蔑の笑み。
その顔にすずかは酷い不快感を覚えた。まるで、悪霊がアリサに乗り移って笑っているのではないか。と、本気で思ったくらいだ。
[気分はどうですか?]
相手ドライバーが口を開き、すずかの知らない言語を口にした。
[奇妙な気分になるものですね。女の身体というのは]
と、同じ言語で≪アリサ≫が答えた。声の出し方も普段とは違うようですずかには別人の声に聞こえた。
なにか特別なことが起こったのが分かったが、仕組みが全く理解できない。
(地球のモノじゃない!魔法?!)
そう思った瞬間、踵を返して走り出す。アリサのことは心配だったが、今だれかに知らせることができなければ、アリサを助けることは絶対にできない。そう思ったからだ。
走りながら、スマートフォンの入ったポケットに手を伸ばす。
足が何かに引っかかり、つんのめって転ぶ。咄嗟に付いた手と膝に焼けるような痛みが走ったが、構っていられない。見ると分銅の付いた鎖が足に絡みついていた。鎖の延長線上には、先ほどのドライバーが鎖に繋がれた杖のようなモノを握っていた。
ドライバーは男。しかもかなり鍛えられた逞しい身体をしている。振り払うことなどできそうにない。
指紋認証でロックを解除。
「OK、ラリー!電話で…!!」
ドライバーが鎖の柄を振るった。
「_____ッ!」
途端、ズンと重力が10倍にもなったような気がした。体重を支えられずに地面に伏す。
一瞬、意識も失っていたらしい。
いつの間にか手放してしまい地面に転がったスマートフォンが、目の前でブスブスと煙を出していた。
身体は、…シビレてうまく動かない。その上、ひどい倦怠感と吐き気がする。
高い電力の電気を流されたらしい。すぐに意識が戻ったのは奇跡的だったかもしれない。
鎖が巻き戻されるように短くなり、地面を引きずられる。擦り傷が増えたが、痛みはシビレのお陰で感じなかった。
すれ違ったはずの対向車が戻ってきて、人が降りてきた。
事故に気が付いて、助けに来てくれた。…訳ではなさそうだ、ドライバーと話をしている。
止まっていたワゴン車からも数人が降りてきた。こちらも知らない言語でドライバーと≪アリサ≫に話しかける。全部で十数名。
(みんなグル…)
それだけ理解した。身体は…、ダメだ。下半身にほとんど力が入らない。
「_____っ!」
力の代わりに、悪寒が身体を巡る。
ワゴン車から降りてきた人達の一人。背が高くガッチリとした体格の白人の男が、ニヤニヤと笑いながらすずかに下卑た視線を投げている。
すずかは逃げる方法を模索することで、男の視線の意味を考えないように勤めた。そうしないと、怯えてふるえ出しそうだった。
その男が≪アリサ≫に、声を掛けると≪アリサ≫がヒステリックに叫んだ。しかし、男がニヤニヤとした顔のまま、もう一言二言言葉を発すると、軽蔑した表情を浮かべながらも頷く。
男が近づいてくる。
「…イ、…ヤ」
上半身だけで這って逃げ出そうとするが、簡単に追いつかれる。担ぎ上げられ、ガードレールの外に放り投げられた。
ガードレールの外は急な坂になっていて、すずかの身体は勢いよく転がり、その先に広がる雑木林の一本にぶつかって止まった。
男はすずかが木にぶつかった痛みをこらえている間に飛び降りてきた。数mの高低差などものともしていない。そのまま、すずかの髪を掴むと雑木林の中に引きずり込む。
すずかも男の腕を振り払おうと抵抗したが、ビクともしなかった。
男に20m以上林の中を引きずられ、さらに傷が増える。林の中は暗く数mの視界もなかったが、僅かに届く月と街灯の光が反射した、男の目だけがやけにはっきりと見えた。
そのまま、荒々しく引き倒される。男が馬乗りになり、すずかの豊かな胸に彫りの深い顔を埋めてきた。
キツい男の体臭がすずかの鼻についた。
「……っ!」
嫌悪感に泣き出しそうになるが、それ以上にこのまま弄ばれてたまるものかと、反骨する気概の方が強く沸き上がってきた。
男が顔を上げ、すずかのパーカーチェニック裾を掴んだ瞬間、言うことを聞かない身体を叱咤して、すずかは思いっきり右腕を振るった。
平手打ちなんて甘いことは考えなかった。爪を立て顔をねらった指に、皮膚となんだか柔らかいものをひっかいた感触。
「…ギャッ!」
男が短い悲鳴を上げる。左目から血の混じった涙が流れていた。
してやったと喜ぶ間はなかった。激昂した男に胸ぐらを捕まれる。
ガツン!
突然、目の前で火花が散った。鼻の奥がツーンと痛くなる。頬が熱くなり、口の中に広がる血の味で、すずかはようやく殴られたことに気が付いた。
衝撃で頭がクラクラする。意志とは関係なしに、溜まった涙で視界がゆがむ。
それでも、両腕を振り回してあらがおうとしたが、男の片手で押さえ込まれてしまう。
「…誰か…っ、いや…」
叫ぼうとしたが、殴られた直後のショックのせいで、声が上手く出ない。
男がもう一度拳を振り上げた。
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
感想、評価、お気に入り登録を頂けましたら、励みになります。
何卒よろしくお願い申し上げます。