星は風に勝るだろう【完結】   作:ノノギギ騎士団

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うち捨てられた石碑
カンムリ雪原一帯に点在する石碑群
村の住人とポケモンの関係について刻まれているが、誰もが忘れてしまった。全て昔のことだ。
真実は雪に埋もれ、氷に閉ざされて久しい。



山頂までの道(上)

 歩けば、確実に終わる目標があるとして。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 ただ、歩けばいいのだからと自分に言い聞かせたとして。

 

「ハァ……ハァ……。ぐ。ハァ……ハァ……」

 

 見上げた先で苦労の顔も知らない頂点が見下ろしている光景は、心が折れそうになるものだった。

 

 帽子の中に熱がこもる。肌は冷たいが頭は、ぼうっとした。

 山に登り始めてから姿が隠れた山頂の神殿は、未だ見えない。

 

(キバナさんが見ている光景って、ひょっとしたらこんな感じなのかな……)

 

 目標は、もうすぐ手が届くほど近い。

 道順も分かっている。

 それなのに、どうしても届かないような気分になってしまう。

 登るだけでこんな苦しい思いをする。だから、その頂上に立つことなど考えつかなくなってしまうのだ。

 

「パンジャ、さん、辛くは、ないですか」

 

 マサルは、前方を歩くパンジャに声をかけた。マサルよりはるかに重い荷を背負いながら彼女は歩いている。けれどその間の距離は広がりつつあった。

 彼女はマサルの声が、思いがけないほど遠くから聞こえたことに驚いたのだろう。素早く振り返り、歩み寄った。

 

「ん? ああ、大丈夫だよ。しかし、疲れたね。荷物を持とうか?」

 

「いえ! いいえ! だ、大丈夫です。でも、すこしだけ立ち止まってもいいですか」

 

「もちろんだ。天候も良い」

 

 パンジャのフリージオがふたりの頭上に浮かび、強い日差しを遮った。

 

「ありがとう、フリィ」

 

「意外と……つ、疲れました……」

 

 雪を掻き分けながらの登山は、マサルの想像を超えて体力を消耗するものだった。

 数センチの雪であろうと傾斜のある登山道は足腰に響く。滑らないように、と気を付けて体が緊張するのだ。

 

「君は、よく歩いているよ」

 

「ありがとう、ございます」

 

 ぜい、と息を吐く。マサルはエナジージェルを飲みながら、ようやく一息ついた。

 本当は座って休みたいが、座ったら次は立つこともできなくなりそうで恐かった。

 彼女は帽子を外して、深呼吸した。

 

「いいや、本当によくやっているよ。わたしは君に感謝しているんだ。独りでこうして登るのでは、きっとつまらなかっただろうからね」

 

「気分転換は、必要ですね」

 

「それもある。独りだと無理な計画を立ててしまうものだからね」

 

「そ、そうですね」

 

「山歩きで無謀なことはすべきではないから、本当に大切なことだよ」

 

 無計画で行き当たりばったりの旅行をしているマサルには、胸に刺さる言葉だった。けれど彼女の言うことは真っ当だ。これより上を目指すとすれば、救助を要請しても時間内に間に合うかどうか実に怪しいものだ。

 

 パキン、と小気味いい音が聞こえた。

 

「はい。チョコレート」

 

「ありがとうございます」

 

 甘い物を食べているとエンジンシティのカフェを思い出した。

 

(あの時は、マリィと食べたっけ……)

 

 バトルカフェは、いつも甘い香りに包まれている。

 ぼんやりと時間を過ごしていたら、いつの間にか彼女が相席になったのだ。

 

「…………」

 

 そういえば、彼女は何をしているだろう。

 すこしだけ考えようとして、ジムチャレンジ以外に何も無いことに気付き、頭を振った。

 

(僕はポケモントレーナーのマリィ以外を知らないんだ)

 

 彼女についてマサルが知っていることは、とある目的を成し遂げるために頑張っている、ということだけだ。『とある』って何なんだ。聞いちゃいけない事情があるのかと思って遠慮したことは、今思えば間違っていたかもしれない。

 

(……もっと、いろいろなことを話せばよかったな)

 

 きっと話題はポケモンのことから離れることはできないのだろう。

 それでも、もっと話すべきだ。できれば、次に戦う──その前に。

 口の中のチョコレートは、すっかり溶けて消えてしまった。

 そろそろ声が「行こう」と声がかかるだろうか。マサルがパンジャを見ると彼女はどこかを見ながら訊ねてきた。

 

「ところで。君、何か聞こえるかい?」

 

「何か? ……?」

 

 マサルは、彼女の問いに辺りを見回し、耳を澄ました。

 けれど聞こえるのは遠くで風雪が遊びまわる音だけだった。

 

「何も……」

 

 聞こえません、とマサルは言いかけた。

 パンジャは登山道を大きく外れた雪の向こうを見ていた。その横顔には、確信を得た閃きがあった。

 

 斜面に転がる大きな石に雪が被り、まるで人が棒立ちしているように見える。

 だが、目を凝らせばすぐに気づくハズだ。人にしては巨大すぎる。ポケモンにしては異様だ。

 

「いいえ。何もありませんよ。聞こえません」

 

「……。わたしもだ。さあ、行こうか」

 

 パンジャは柔らかに笑いかけ、再び先導を続けた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 雪中渓谷を地図上の経路で半分ほど歩いたところ、人家の跡と思しき石壁が朽ちていた。

 

「人のいた跡ですね」

 

 パンジャはしげしげとそれを見て、周りを歩き、空を仰いだ。

 

「なるほど。ここは、どうやら畑らしい」

 

「えっ。どうして分かるんですか?」

 

 雪で覆われた土地は傍目には、ただの空き地だった。

 彼女は空を指差した。

 

「渓谷にしては日当たりが良い立地と斜面だ。遅い春から早い秋まで収穫ができるのだろう。いや、できたのだろうね」

 

 マサルは彼女の説明を聞きながら、足元の雪を蹴飛ばしそうとして痛みに襲われていた。雪の塊だと思ったそれは石だったのだ。

 

「これは……? パンジャさーん、ここに!」

 

 マサルは大きな声を上げて手を振った。

 辺りをうろうろして写真を撮っている彼女が振り返った。

 パシャリ。

 マサルは、再び準備のできていない顔をしてしまった。

 

「あーッ! もう撮るなら先に言ってくださいよ!」

 

 次の機会があるよ、と彼女は笑った。

 マサルのすぐそばで雪上に膝をついたパンジャは石碑の雪を払った。

 

「おや。面白い資料を見つけたね」

 

「何て書いてあるんでしょう」

 

 マサルは胸が高鳴るのを感じた。まるで宝探しのようだ。

 

「ふむ……」

 

 しばしの沈黙の後、彼女が内容をまとめてくれた。

 

「『遥か昔、不毛の雪原に王は豊穣をもたらした』そうだ」

 

 マサルは、石碑に書かれた内容が遥か昔の出来事であることが分かった。すると不思議なことに身に感じる寒さは、いっそう強まったように感じられた。

 

「『すべては王のおかげ。人と王の絆が切れぬ限り、永遠に緑あふれる豊穣の台地であり続けるだろう』──と。悲しいかな。今では途絶えて途切れ、隔たりを得て、久しいようだがね」

 

 彼女が、わずかに口の端を歪ませて呟いた。それは決して嘲りではない。

 雪深い故郷を持つ彼女にとっては妬ましいやら羨ましいやら、一口で言うには複雑で感情的な言葉に聞こえた。

 

 マサルは辺りを見回した。一面の雪だ。

 目がチカチカするほど白銀の世界なのだ。

 緑豊かな土地になりそうな気配はどこにもない。

 

「嘘みたいな話ですね。嘘だって思いたくないけれど、でも、嘘みたいですよ。だって、今はこんな寂しくて、冷たくて、作物も人間も何も生きていけない土地なのに」

 

 たしかに。

 彼女は頷いて、辺りを見回した。

 

「これにある王とはポケモンだろう」

 

「ポケモンが?」

 

「そうでなければ、成り立たない夢物語だからね。しかし、問題は王だ。王はいずこから来て、去ったのか。王が失せて民が残っているのは、悲しいことだ」

 

「……?」

 

 彼女の言葉は、言葉以上の意味と感情が多く含まれていた。

 だから、マサルはすぐさま理解が追いつかなかった。

 

「忠とは、受け手に捧げられて初めて価値のあるものだ。彼らは信仰の先を失った。彼らにとって不幸な話だ。『すべては王のおかげ』なのに」

 

 彼女は膝についた雪を払った。

 マサルは、まだ考え続けたままだった。

 

「王はどこへ行ったんだろう……」

 

「どこに行ったと思う?」

 

「もし、ここが本当に緑豊かな土地で、それを与えていたのがポケモンだったとすれば、人間から、そのポケモンを見限ることはできないと思うんですよ。だから、王様に何かがあって行方不明になってしまったのかな……」

 

 もしも、石碑の話が本当のことだとしたら。

 冷たい大地を緑に変えるほどの力を持っていたとしても、きっと有限だ。力が尽きてしまったのかもしれない。

 マサルの推測に、パンジャはひとつ手を叩いた。

 

「寓話的だ! 面白い! 良いセンスだ!」

 

「パンジャさんはどう思うんですか?」

 

 彼女の考察が気になり、マサルはたずねた。

 

「人間が忘れてしまったんじゃないかなと思うよ。村の人々は、王がいたことを忘れている。もし、人間が『あれも欲しい、これも欲しい』と欲張って王に呆れられたとしたら、豊穣を失った悔いが人心に遺るものではないかな」

 

 彼女は、足先で石碑を突いた。

 

「羨ましい。恨めしい。大した豊穣だよ。こんなところでこんなものを作れるほどなのだからね」

 

 歩いてきた道のりを思えば、マサルも頷けた。

 

「なるほど。そういう考え方もできますね……」

 

 でも。

 マサルは、碑文の最後が気になった。

 

『──人と王の絆が切れぬ限り──』

 

 どうして絆を大切にしなかったのだろう。

 土地がなければ人は生きていけないのに。

 何よりも。

 ここには人を案じ、力を尽くし、大切に想ってくれるポケモンがいたハズなのに。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「考え事かい?」

 

 そう問われた時、マサルはジッと昼のスープを見ていた。

 廃墟の壁を風よけにしてふたりは並んで昼食を摂っていた。時刻は10時。昼食には早いが山頂に留まる時間は短ければ短いほど良い。だから早めの昼食をふたりはよしとした。

 

「登山ってもっと無心になれるものかと思っていました。でも意外と考え事ができてしまって」

 

「まあ、雪は多少あるけれど険しい道のりではなかったからね。それに、とても静かだ」

 

 この山では耳を澄ませば、遠くで唸る風の音やポケモンの咆哮が聞こえることもある。

 それでも自分の呼吸が一番大きいと聞こえる時間のほうが長いのだ。

 

「……うん、おいしいね」

 

 あらかじめ持ってきた食事を温めただけだが、温度のある物は貴重だった。

 マサルもカップを両手で包み、目を伏せた。

 

「僕、ジムチャレンジに参加している皆ともっと話せばよかったな、と考えていました」

 

「……おや。彼らの事情を知ってしまったら戦えなくなりそうなのに」

 

 彼女は、薄い笑みを浮かべた。相変わらず、この人はよく笑う人だ。

 マサルも、次第に彼女の『笑み』が分かりかけてきた。

 

 バトルが、人の歩んできた道のりを語るものならば。

 微笑とは、人の歩んできた道のりを問うものだった。

 

 頷いても首を振っても、実のところ、彼女にとってはどちらでもよいのだとマサルは思う。正しいか間違っているかなんて、もっとどうでもいい。

 パンジャはただ、話をするために話をしたいだけなのではないか。あるいは、その先にあるかもしれない、相互理解のために。

 

「そうだとしても、知っておくべきだと思ったんです。トレーナーの研究だって戦略のひとつですからね。でも……できれば、友達にもなりたかったです」

 

「……それは、きっと良い選択だよ。ジムチャレンジがすっかり終わってしまった後でもね」

 

 ゆるりと目を閉じて、彼女は食事の温かさを感じているようだった。頬の血色がよく見えた。

 

「そうだと良いんですが」

 

「ニュースで流れるバトルの様子を見る限りでは、みんな素直な子のように見える」

 

「? 分かるんですか?」

 

「多少はね。もっとも、わたしはトレーナー対戦よりはフィールドワークで跳びだしてくるポケモンと戦うことが多かったから、君ほど見る目は無いと思うけど」

 

 そんなことはないですよ。

 マサルは息を吐くように言った。

 

「ところで、君は強い野生のポケモンと戦ったことがあるかい?」

 

「えー……とー……」

 

 強い野生のポケモンという言葉は、さまざまな意味を含む。旅を始めた頃は、ギリギリの戦いはたくさんしたが、最近はどうだろう。強い野生のポケモンとは戦っていないかもしれない。そうだ。胸が苦しくなるような、ドキドキするバトルはしていない。

 

 マサルは、結局、首を横に振った。

 

「彼らは純粋だ。とても純粋だよ。バトルへの意欲も喜びも悲しみも悔しさでさえ、純粋だ。彼らとの触れあいは、きっと君にとって良い経験になると思う。ああ、そうなってほしいと思っているんだ」

 

「それは、どうして?」

 

「最近はトレーナーとばかり戦っていそうな君にとって、良い経験になると思うからさ」

 

 答えになっていそうで答えになっていない。

 マサルは、けれど、その答えで満足することにした。

 いつも彼女の隣いた彼もきっとそうしていたのだろうから。

 食事を終えて、石碑のある荒れた畑を最後に人の痕跡が感じられるものは、道案内の看板だけになった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 息が切れる。

 ぜーぜー、と耳の奥で自分の吐息ばかりがうるさい。

 辛いワケでも苦しいワケではないのにどうしても息が整わない。

 

「……っ……」

 

 息苦しさのなかでマサルは思う。

 

(……ああ、僕は、何をしているんだろう)

 

 すぐ隣でポットデスがふわふわと浮いて鼓舞してくれる。

 それに応えて微かに笑う。その間にもザクザクと踏みならして雪山を進んでいく。この先に洞窟があるのだという。

『そこまで行けば、もうすこし歩きやすくなるから』と言ったパンジャと地図を信じてマサルは進んでいた。

 

(本当に……僕は、何をしているんだろう)

 

 胸が苦しいとよくこのことを考えた。理由を考えると胸は更に息苦しさを増した。

 ユウリは、ホップは、こんなことはしていないだろう。ポケモンバトルに一切関係が無い。バトルのことだけを考えれば、無駄なことだ。研究者のフィールドワークの助手と言えば、何とか関連が生まれるかもしれないが、けれどやはり彼らはこんなことをしていないだろう。

 

 そんなことを考えると無駄な経験だ。

 マサルは自分のことを考える。──今は、この無駄が必要だった。

 

 バトルから離れて、自分を見つめなおす機会が今だった。

 

 何もかもの最初にあったものは、ただ夢だった。それから情熱があった。けれど、みんなの夢が同時に叶わないと悟ってしまってからは、もうぐちゃぐちゃだった。いろいろな人の声が耳の奥で蘇って、顔が思い浮かんだ。

 

 進むか。退くか。

 諦めないか。諦めるか。

 

 目の前にあるのは、いつだって簡単な二者択一だ。

 けれど。

 たしかなことは今、前に踏み出す足だけだ。動くためにある、足だけなのだ。

 

 何かを見ていた目。考える頭。

 これまで信じて疑わなかった感覚が、確実性を失っていることにマサルは気付く。

 

「……あぁ……もう、ずっと、登り道だったら良かったのに」

 

 登り道。

 夢は、坂道の先にある雲を目指すようなものだった。

 それでも。

 それだけが欲しかったのだ。




【あとがき】
ポケモンの影が薄く、ただ山を登っている小説になりそうですが、次回はポケモンが登場しますので。しますので!

作中、面白かったもの・興味深かったものを教えてください。

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