やってしまった。反省の言葉が浮かんでは消え、脳裏には先程の情景がこびりついて離れない。泣きそうな顔で自分の気持ちを叫ぼうとしたことりのことを止めるのも、これで何回目になっただろう。伸ばされた手を無視して後ろを向く側も心が痛いのだ。
もちろん、私よりも何倍もことりの方が辛いことは知っている。それでも受け入れてあげられないのは彼女が大切だからで、私と同じ目には合わせたくないからだ。
大切にしたいからこそ、今の彼女を傷つけてしまっている。なんの意味があるのか分からない私の抵抗。意地を張っていると言われればそうなのかもしれない。
「……はぁ」
「あら彩月ちゃん、ため息なんてどうしたの?」
「南さん……いや、我慢するのもキツいんスよ」
「ことりのこと?」
「……はい。同じにはしたくない、守りたいだけなんです。だけどそれが苦しい。なんていうか、結局私って変わってない気がする」
「そんなことないと思うけど」
自嘲する私に南さんはそう言う。慰めるつもりも、私の言葉を否定するつもりもないようだ。穏やかに笑って目の前の恩師は私の頭を撫でた。こうしていると、なんだか自分の時間が戻ったような気になる。今より何倍も素直で真っ直ぐだった、忘れてしまいたい記憶が微かに蘇る。
「彩月ちゃんは変わった、ことりのおかげで。だから……だからあの子を、好きになってくれたんでしょう?」
「そう、ですけど……ぶっちゃけ好きだって気づいたのも最近だし」
「……あの人のことを気にしてことりのことを想うのは構わないけれど。そろそろ自分にも、ことりにもハッキリするべきじゃない?」
「……どういうことですか?」
「1週間後、あなたに会いたいと連絡が来てね。何しに来るのか予想がつくんじゃないかしら」
私に会いたがる人。思い出すだけでも心の奥からフツフツと湧き上がる憎悪。歯を食いしばってどうにか口に出すのを抑えるが、南さんはすでに苦笑いをしていた。
「……分かりました。ただし会話を切って尚且つ退室の権利があるのは私だと伝えてください。それと、客人だからといって出迎えたりもしない、お前が勝手に私を探せとも」
「彩月ちゃん、お口が悪いわよ」
「今更でしょ」
「……分かったわ、そう電話を入れておくわね。彩月ちゃん?」
「はい?」
「何があってもことりのこと、ちゃんと守ってね」
「……もちろん、必ず守ります。あの時ことりが私を守ってくれたように」
ことりが幼い頃の記憶をどれくらい覚えているのかは分からない。私としてはほとんどを忘れて欲しくあって、それでも憶えていて欲しくて。難儀な心にまた深くため息を吐き帰宅の準備を整える。保健室に常備している飴をそろそろ買い足さなければ。
そう思いスーパーで手に取るのは結局、フルーツフレーバーの袋飴。たまには女子高生受けしそうなものを買ってもいいのだが、あまり彼女らとの距離は近づけたくない。少し馴染みやすい保健医という認識をしてもらわないと私が一方的に困るのだ。
「なーに思い詰めた顔してんの」
「……ああ、なんだ。誰かと思ったらお前か」
「反応うっすいねぇ、相変わらず」
1人悩んでいる私に話しかけたのは、高校時代からのたった1人の友人である
「華菜」
「相談料。場所はもちろん彩月の家ね。あっ、もしかして今日ことりちゃん来る予定あった?」
「今日は……来ない、けど」
「だよね、だからそんな顔してるんだもん。ねえ、ビールも買っていい?」
「……お好きにどーぞ」
「そうだ!どうせあんたの話に付き合ってたら終電逃がすだろうから、タクシー代出すか泊まらせるかしなさいよ」
「図々しいなお前」
「相談料、倍プッシュ……OK?」
「はいはい、分かってるよ。泊まってけ、服は私のでいいだろ」
「えー、多分サイズ的にはことりちゃんの方が丁度いい……なんでもないでーす」
度々彼女を家に招くことはあるが、何故私の家にことりの衣服が置いてあることを知っているのだろう。一瞬疑問を思ったがことりの家からそう遠くない場所に部屋を探した私が何を繕っても無駄だ。だとしても家探ししていたのを裏付けるセリフを許すことは出来ないけれど。
当たり前のように車の助手席に乗り込んだ華菜と、自宅を目指す。この時間にスーパーから帰るとなると、いつもなら制服姿のことりがいる。厳密にはもう少し遅い時間だが。南さんに変わって彼女が1人で過ごす時間を減らすために習慣がついたが、思えば女子高生を連れ回す変質者の一途を辿っているのではなかろうか。
買い物袋の中から購入した商品を出す。ことりが居ないのならと思い出来合いのお惣菜ばかり買ったが、どうも食欲はそそられない。華菜につられて買ったお酒のつまみに少しでも胃の中に入れられるといいが。
「これはどこにしまえばいい?」
「冷蔵庫の横の棚の、上から2段目。ていうか手伝わなくていい。グラスと食器だけテーブルに持って行ってくれれば」
「んー?これくらいはね。……彩月ってさ」
「なんだよ」
「こういう甘いお菓子、食べるっけ?」
問いかけられてようやく気がついた。深く考えず選んだスナック菓子も、出来合いのお惣菜も、何となく目に付いた新商品も。そのほとんどが私の好みから少し外れていて、ことりの好きそうな__否、好んで買うような商品ばかりだったのだ。我ながら呆れてしまう。私はどうしても彼女を忘れる瞬間は無いようだ。嬉しいようで寂しい、大人になった私のそんな感情が思考を鈍らせる。
「……嫌いだった?なんなら違うの買いに行ってもいいけど」
「はぐらかさないで。……これ全部、ことりちゃんのこと考えてたでしょ」
「……うん、なんか情けないや……カッコつけてんの、私の方なのにな」
「ねえ、何があったの?……今日はそういう名目でお邪魔してるんだけど」
隠せないと分かれば体は正直だった。今日の出来事を華菜に話す。本当は他の誰に言われるよりもことりからの好きが聞きたいこと、気持ちを抑えさせるのがとても辛くてたまらないこと。
その全てを、目の前の彼女は真剣に聞いてくれた。その優しさが柄にもなく暖かく感じた。
「……彩月はさぁ、毎回しょーもないことで悩みすぎ。だって答えはもう分かってるんでしょ?」
「………答えって?」
「ことりちゃんにいつまでも我慢させたくない……ううん、我慢したくない。どうせ決着を付けるなら、ことりちゃんを新しい世界に連れて行きたいんじゃないの?」
「……ははっ、隠せないか。そうだよ……もうじゅーぶん我慢した。2年くらいでこんな気持ちになるんだよ、10年待たせたことりに謝んねぇと」
「……ん、モヤモヤは晴れたみたいだね。とりあえず呑も!明日は何か用事ある?」
「なんもない。ただそうだな……ことりが会いに来るかも」
「私も一緒に出迎えよーっと。カンパーイ!!」
先程までの悩みはどこに消えてしまったのだろうか。嘘みたいに晴れ晴れとした気分でノンアルコールのカクテルのプルタブを開ける。普段は飲まない甘めのフルーツフレーバーのカクテルと共に不安を飲み込んだ。
※お酒は20歳になってから、未成年の飲酒は禁止されています。
今回、なにやら最後の方でお酒の話題を出しましたが、作者は未成年でございます。母から聞きかじった情報と、視覚で得られる情報でしか書いておりませんので、私の感想ではありません。
そうそう、Wisteriaは藤の花の英名です。忘れるところでした。