境界なきかつをぶし   作:照風めめ

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しゃべる猫とわらう牡欒

 幼い頃からやれ、と言われたことはせず、するな、と言われたことをする問題児であった。待てが出来ずに迷子になったことは数しれず。学校の宿題もせずに遊び、手を洗わずに菓子を頬張る。それなのに一度癇癪を引き起こせばいよいよ制御は利かなくなり、大概とんでもないことを巻き起こす。同級生にからかわれた挙句に度胸試しと言って学校の二階からたった一人飛び降りた事もあれば、銭湯で我慢勝負と言ってのぼせて倒れ、救急搬送されたこともある。齢は十を間近にしては落ち着きが足りず、学校の通知表には決まって、もう少し落ち着いて行動しましょう、と書かれていた。喧嘩をしたり、物を壊したりなどはしないが、椅子にじっと座る事が不得手で、親も教師も頭を悩まさせていたが、本人はそんなこと気にも留めずに無邪気に笑って生きていた。

 だからこそ今回も(ばち)が当たった、というのが正直な感想であった。

 祖父の育てた夏牡欒(オボン)をネコババしようとした宗太は、虹が架かる台風一過の昼下がりに隙を見て牡欒(オボン)畑に忍び込んだ。木の枝で高所にある実を突っついていたまさにその時である。予期せぬ別の木に成っていた、たわわに育ち硬い皮を備えた牡欒(オボン)が宗太の頭を目がけて落果した。目から火が飛び出るような強烈な痛みと共に、宗太は声もあげぬままその場に崩れ落ちた。

 そんな少年が次に目を覚ましたのは、祖父母の家の布団の上。けたたましく鳴く虫の声を聞きながら縁側で丸まっているブニャットのニャン太郎がそれに気付き、宗太に近付いて口を開く。

「言わんこっちゃ無いのだ。手伝いもせずにセコイ事をしようとするから罰が当たるのだ」

 てっきりいつも通りの気のない声でぶにゃあと鳴くと思っていたものであるから、宗太は目を皿のようにして驚いた。

「何を驚いている。何かいるのか」

 やけに芯のある低い声を発しつつ、ニャン太郎が一歩近寄る。幻聴の割にはあまりに明瞭に聞こえるものだから、寝惚けたり頭をぶつけたが為の耳鳴りとは違う。ありうべからざる事ではあるが、間違いなく、ポケモンの声が聞こえるのだ。

 仰天のあまり目を白黒させた宗太は、布団から起き上がった姿勢のまま手と足を地につけて体を浮かせ、ニャン太郎が一歩近づけば宗太も一歩。二歩近付けば二歩、後退する。

 しびれを切らせて何をこいつ、とニャン太郎が飛び掛かれば、宗太も勢いよく後退しては柱に再び頭をぶつける。そしてニャン太郎の前足の重みを体で受け止めた。少年の小さな叫び声が響いて、奥の襖から宗太の祖母が現れる。

「どないしたんや。そんな大きい音出して」

「ば、ばあちゃん! ニャン太郎が、しゃ、喋っとる!」

 祖母は皺だらけの額にさらに皺を寄せると「んん?」と声をあげ、ニャン太郎を見つめたが、祖母には太々しい顔から、ぶにゃあといつも通りのただの鳴き声しか聞こえない。

「何を言うんや。そんな事ないやろ。それよりもほれ、もうちょっとしたらご飯やから、それまで宿題進めなさいな」

 呆れたようにそう言うと、ピシャリと襖を閉めて出て行った。

 己の身に起きた異変を理解してもらえなかった宗太だが、ニャン太郎の声は自分にしか聞こえないというのは理解したようで、先程とは反対に、これは何かしらの天の恵みだと解釈した。細かい事など何一つ分からないが、唯々心が昂る。どんな玩具や遊戯を前にしても、これ以上面白い事は無いだろう。であれば、楽しまねばならぬ。

 ピシャリと自分の頬を叩いて「なあ、ニャン太郎」と語りかければ、「なんだ」とぶっきらぼうな返事が来る。素っ気ないやり取りだが、楽しい。「ニャン太郎が喋ってるの? 猫ポケモンは喋るの?」「知らなんだ。わしはいつもと何も変わらぬ」「じゃあおれだけが聞こえるん?」「わしには分からん」などと、やり取りを繰り返し何度も確認したが、夢の類ではないようだ。押し寄せる興奮の波に耐えれず、ついにはすっくと立ち上がっては庭へ出る。

「これ、どこへ行くのだ。宿題はどうした」という問い掛けに、「他のポケモンとも喋れるか試すんや」と応えてみせた。

 さて、宗太はこの地から遠く離れた古鐘(コガネ)府郊外の生まれ育ちである。夏盛りの八月半ば、彼は仕事で忙しい両親の都合で遥々と檜皮(ヒワダ)県の外れにある祖父母の家に預けられた。隣の家まで歩いて五分というこの農地では、遊び場所も無ければ年の近い子供も見つからず、遊び盛りの少年にとってはいささか刺激が無さすぎる。一人で遊んでいれば祖父母に小言を言われ、外に出ようとすると危ないと引き留められる。監獄のような生活に飽き飽きしていたのだ。そんな最中に得たこの奇天烈な能力は、宗太からすれば退屈を晴らす、まさに垂涎ものであった。

 であれば試さねば損である。サンダルを履いて庭に飛び出しては、樹の枝に止まって羽を休めているピジョンに声をかける。

「なぁ、君どこから来たん?」

「なんだね君は。この高貴な私に気軽に話しかけて。私は疲れているんだ」人間に問いかけられている事に少し驚いたが、ムッとした顔でピジョンは応じる。

「高貴?」

「失礼だな。この私の羽の美しさが分からんか。見よ、この整った羽毛を」と言ってピジョンは誇らしげに羽を広げるが、宗太は「へぇ」とだけ言葉を返した。

 決して羽に見惚れた訳はなく、ただただポケモンと話が出来ていることが面白い。両者の妙な会話のすれ違いに違和感を覚えたピジョンは、「ええい鬱陶しい。変わった子供だ」と吐き捨ててどこかへ羽ばたいていった。何が気に障らなかったのかを顧みることなく、宗太は辺りを見渡しポケモンを探す。その様子を縁側から覗くニャン太郎は、溜息を吐いては爪を研ぎ始めた。

 

 宗太が学校に上がる頃に、ニャン太郎は宗太の家に迎え入れられた。親の顔や生まれの事なぞろくすっぽにう覚えてないが、ニャン太郎が痩身だった頃は、鋭い目付きと華麗な尾を備えた世渡り上手であった。そのため種族を問わずに人気者で、苦する程労せず生きてきた。ところが、知らぬ所で買った恨みか他のポケモンに襲われ動けなくなった所を宗太に拾われ、そこからその家族の一員となった。助けられた恩義もあるし、家族一同に可愛がられてのびのびと暮らしているが、この名はその際に宗太に一方的に押し付けられたものであり、もっと良い名があっただろうと思う。

 そして宗太の家に住む事になってから生活は一変した。野で生きていた時よりは画然と安全で雨風も凌ぐことができるようになった。しかし単調な食事に加え、押し付けられた人間の子供の相手がこれまた難題だ。かの音に聞くかぐや姫も青ざめるような無茶な要求に仕方なく応じているうちに、かつての姿形は見る影もなく太り、否、いつの間にか進化を遂げたのである。体が大きくなった事は好ましいことであったが、胴回りが太くなったことには少し落ち込む日もあった。

 人間の、特に子供となれば我儘なものであるのは世の常だ。朝は台風に戸や窓がガタガタと震えるのに怯え、布団の中にこもっていたかと思えば、昼になると畑へ祖父の育てた牡欒(オボン)を盗もうとし、夕になれば突如舞い降りた能力に胸を躍らせ庭中のポケモンに話しかけては鬱陶しがられる。自分の勝手な時は世が自分を中心に回っていると思い込んで、周囲を振り回すが、いざ天災や祖父母に叱られるとなれば、泣きじゃくっては許しを請う。これで生きていけるのも、贅沢なものである。

 出会ってから三年経ったが、いつまで経っても通り雨のように生きる少年に対し、ニャン太郎は辟易していた。根が悪い少年ではないことは知っているが、このままでは彼自身の為にもならぬ。しかしこれ幸い。理屈は知らぬが言葉が通じるとなれば別、むしろこれはワシにとっても天啓なのだ。一度そう思えば腹を決めるには時間はかからない。この小童には言って聞かせねばならぬことがあるのだ。

 そう決意したのはその日の夜のことであった。宗太と祖父母は豪勢にすき焼きなどしてその日の食事に舌鼓を打っていた。一方ニャン太郎に差し出された小皿にはカラカラに乾いたポケモンフーズなる栄養食が山もり、その傍らに今朝の台風で落果して商品にならないいくつかの木の実が申し訳なさそうに座している。もはや毎度のことだが我慢ならぬ。

「ワシは鰹節が食べたいのだ」と言えば、配膳した宗太が目を丸くしてニャン太郎を見つめる。

「宗太よ。以前から抱いていたが不満があるからこの際に言っておこう。なぜワシの食事はいつも同じ乾燥した健康食ばかり。おかしいとは思わんか」

「何が?」と悪びれも無く答えが返ってくる。その反応もやむなし、彼だけが悪いわけではない。それはニャン太郎も理解している。ポケモンであれば(すべか)らくポケモンフーズを食べるものだと躾ける社会が誤りなのだ。その深く根付いた先入観を払拭しろと、もうすぐ十歳の少年に押し付けるのは酷であるかもしれぬ。であるからこそ噛み砕いてでも伝えねばならない。

「毎日毎日、朝から晩までご飯が一緒だったらどうする」

「嫌だ」

「それはなぜだ」

「飽きるもん。他のも食べたくなるやん」

「それはそうだ。そしてそれはワシもそうだ。人間は毎日違うものを食べるのに、ポケモンは毎日同じものを食べなければいけない。それは可笑しいだろう」

 宗太は果たして理解したのかしていないのか、それとない生返事をする。

「人間だとかポケモンだとか、そこに境界は無いのだ。削れど削れど変わらない、鰹節のようにな」

 この辺りから低気圧が押し寄せてきたかのように、宗太の表情が曇りゆく。先ほどまで庭中のポケモンに話しかけては喜色満面だったのだが、まさかポケモンに、それも数年来の手持ちに説法を食らわされるとは思ってもいなかったのだ。学校で先生に怒られているような、妙な納得のいかなさがじわりじわりと溢れ出す。このニャン太郎が何を言いたいか、ハッキリと理解は出来ぬ。ただ、鰹節が欲しくてくどくどとぼやいていることは理解した。

 これまでは宗太の心が赴くままに、ニャン太郎はその遊び相手となり、いびられてきた。級友とポケモンバトルをするときも、顔に落書きをされたときもニャン太郎は文句も言わずに宗太に付き合ってきた。それ故にまさかニャン太郎が明確に意思を表示すること、否、ニャン太郎もまた何かを感じ、考える生き物であるという至極当然な認識が欠落していた。だからこそここに来て不満を突き付けられるのは想定外であった。些細な小言ではあるが端的に面倒だと感じ、初めてこの能力を得たことを少しだけ後悔した。

「持ってくる」と仕方なく言って台所に向かう少年の背を見て、虎猫は何年ぶりかの鰹節の対面に高揚したが、依然相互理解までの遠さに辟易し、背を丸めてため息を溢した。

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